はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

佃祭

「佃祭」という噺

img_785584_61631021_0『佃祭』
昨日更新したばかりですが、今日も更新します。お盆に入ると更新出来ないと思うので。タイトルの通り、佃島のお祭りに絡んだお噺です。

【原話】
中国の故事からとか、1814年の「耳袋」根岸鎮衛著からとも言われています。

【ストーリー】
神田お玉が池の小間物屋の次郎兵衛さん。住吉神社の佃祭りを見物して終い船に乗ろうとすると、女に袖を引っ張られ引き留められる。
5年前に奉公先で5両の金をなくしてしまい吾妻橋から身投げをしようと途方にくれた処を助けられたと言う、
ややあって、それを思い出した次郎兵衛さんだったが、
終い船も出てしまい仕方がないので、女が嫁いだ船頭の家に行く。
やがて表が騒がしくなり、亭主が飛び込んで来て、船が転覆して全員おぼれて死んだという。
助けたつもりが助けられたと知り、安堵する次郎兵衛さん。
今夜は夫婦の勧めもあり、泊まることにする。

一方、家では大騒ぎ。終い船が転覆の報を受け、早桶や坊さんを頼み、くやみ客がぞろぞろ来る。
そんな事は知らない次郎兵衛さんは翌朝、女の亭主の船頭に送ってもらい帰ってくる。
その姿を見て皆、幽霊だとびっくりするが、次郎兵衛さんの話を聞き皆で大喜びする。
唯一、おかみさんだけがヤキモチを焼く。
これを一部始終聞いていたのが与太郎、止せば良いのに同じことをしたくて、5両のお金を貯めると日夜身投げを探して歩きます。ある時永代橋の袂で女性を見つけます。すわ身投げと喜んで止めにかかると、実は戸隠様に願をかけていただけだった。袂にあったのは身投げ用の石ではなく梨だった。(戸隠神社に願をかけて梨を収めること。当然梨絶ちをする)
【演者】
古くは、三代目金馬師の独壇場でした。また春風亭柳朝師も得意にしていました。勿論志ん朝師も録音を残しています。

【注目点】
途中「くやみ」に似た箇所もあり難しい噺ですし、オチが今では全く判らないので、マクラで説明が必要です。神様の病気の願掛けの事等を説明してから噺に入ります。
歯が痛いときは戸隠神社(信州)に梨を断って奉納すれば治癒すると言われていました。
ちなみに薬師様は目の病気に霊験あらたかだそうです。それぞれ神様によってお願いする病気も違っていたそうです。

『能書』
佃島は今では歩いて行かれますが昭和39年に佃大橋が出来るまでは築地と佃島の間には渡し船が通っていました。東京では公営の最後の渡しです。私設なら未だ各地にあります。
江戸時代には海を渡って行く場所だったので江戸の人は異国情緒を感じたそうです。
元々が家康が摂津の漁師を呼び寄せて住まわせたので、住民は故郷と同じように街を作ったそうです。それも、そんな感じを抱かせたのでしょう。
『ネタ』
佃島の住吉大社のお祭りは、3年に一度の本祭があり、期間も土日を含む4日間。
神輿を船に載せて氏子地域を廻る「船渡御」や八角神輿の渡御、獅子頭宮出しなどが行なわれるそうです。神輿ごと海に入って行く勇壮なお祭りで江戸時代から人気がありました。
日程は8月の始めの頃です。旧暦だと6月ですね。

この噺自体が諺の「情けは人の為ならず」を元に作られています。
この諺の意味は、情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来る。また、人に親切にしておけば、必ず後で良い報いがある。と言うことなのです。また、その施しをしたことを忘れるぐらいでないと、本当だと言えない。と言う意味でもあります。

「佃祭」という噺

photo_2『佃祭』
今日は、タイトルの通り、佃島のお祭りに絡んだお噺です。

【原話】
中国の故事からとか、1814年の「耳袋」根岸鎮衛著からとも言われています。

【ストーリー】
神田お玉が池の小間物屋の次郎兵衛さん。住吉神社の佃祭りを見物して終い船に乗ろうとすると、女に袖を引っ張られ引き留められる。
5年前に奉公先で5両の金をなくしてしまい吾妻橋から身投げをしようと途方にくれた処を助けられたと言う、
ややあって、それを思い出した次郎兵衛さんだったが、
終い船も出てしまい仕方がないので、女が嫁いだ船頭の家に行く。
やがて表が騒がしくなり、亭主が飛び込んで来て、船が転覆して全員おぼれて死んだという。
助けたつもりが助けられたと知り、安堵する次郎兵衛さん。
今夜は夫婦の勧めもあり、泊まることにする。

一方、家では大騒ぎ。終い船が転覆の報を受け、早桶や坊さんを頼み、くやみ客がぞろぞろ来る。
そんな事は知らない次郎兵衛さんは翌朝、女の亭主の船頭に送ってもらい帰ってくる。
その姿を見て皆、幽霊だとびっくりするが、次郎兵衛さんの話を聞き皆で大喜びする。
唯一、おかみさんだけがヤキモチを焼く。
これを一部始終聞いていたのが与太郎、止せば良いのに同じことをしたくて、5両のお金を貯めると日夜身投げを探して歩きます。ある時永代橋の袂で女性を見つけます。すわ身投げと喜んで止めにかかると、実は戸隠様に願をかけていただけだった。袂にあったのは身投げ用の石ではなく梨だった。(戸隠神社に願をかけて梨を収めること。当然梨絶ちをする)
【演者】
古くは、三代目金馬師の独壇場でした。また春風亭柳朝師も得意にしていました。勿論志ん朝師も録音を残しています。

【注目点】
途中「くやみ」に似た箇所もあり難しい噺ですし、オチが今では全く判らないので、マクラで説明が必要です。神様の病気の願掛けの事等を説明してから噺に入ります。
歯が痛いときは戸隠神社(信州)に梨を断って奉納すれば治癒すると言われていました。
ちなみに薬師様は目の病気に霊験あらたかだそうです。それぞれ神様によってお願いする病気も違っていたそうです。

『能書』
佃島は今では歩いて行かれますが昭和39年に佃大橋が出来るまでは築地と佃島の間には渡し船が通っていました。東京では公営の最後の渡しです。私設なら未だ各地にあります。
江戸時代には海を渡って行く場所だったので江戸の人は異国情緒を感じたそうです。
元々が家康が摂津の漁師を呼び寄せて住まわせたので、住民は故郷と同じように街を作ったそうです。それも、そんな感じを抱かせたのでしょう。
『健二のネタ』
佃島の住吉大社のお祭りは、3年に一度の本祭があり、期間も土日を含む4日間。
神輿を船に載せて氏子地域を廻る「船渡御」や八角神輿の渡御、獅子頭宮出しなどが行なわれるそうです。神輿ごと海に入って行く勇壮なお祭りで江戸時代から人気がありました。
日程は8月の始めの頃です。旧暦だと6月ですね。

この噺自体が諺の「情けは人の為ならず」を元に作られています。
この諺の意味は、情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来る。また、人に親切にしておけば、必ず後で良い報いがある。と言うことなのです。また、その施しをしたことを忘れるぐらいでないと、本当だと言えない。と言う意味でもあります。

「佃祭」と言う噺を考える

150167_2今日は「佃祭」と言う噺を少し考えてみたいと思います。

噺の紹介は昨年行なっているので、初見の方は、http://blog.livedoor.jp/isogaihajime/archives/1482103.htmlを見て下さい。

この噺は三代目金馬師の笑いを控え目にして人情噺風に演じるやり方が余りにも有名ですが、
志ん生師の長屋の騒動を強調して笑いの多い演出にするかどちらかの型に別れますね。

それに一石を投じたのが志ん朝師で、次郎兵衛さんの行動をかなり以前から描写することで、観客に
次郎兵衛さんに近親感を持たせてその後に来る出来事をより劇的に演出することに成功しています。
他には柳朝師の音源も光ますが、基本的に金馬型の域を出ていませんが、この師匠が語ると
主人公が江戸っ子と化して仕舞います。それの効果で、実に後味の良噺になっています。

最近、権太楼師の演出が代わった演出をしています。
師は著書でも書いていますが、次郎兵衛さんの女将さんが嫌いなのだそうです。
その嫉妬深さが嫌なのだそうで、身投げを助けたのは女が若かっただからと邪推する了見が許せないのだそうで、自信が演じる時は、この女将さんを出さないのだそうです。
その方が聴いてる方も気持ちが良いだろうと言う事ですが、ちょっと待って戴きたい。

後で権太楼師の音源を聴いて貰いますが、やはり、その日のうちに帰ると言う同期が希薄になっています。
聴き方を違えると次郎兵衛さんの我侭で帰ると逝ってる様に感じます。

その後、与太郎に本当に次郎兵衛さんの事を思ったお悔やみを言わせていますが、これはこれで良いと思います。
どうしても当日帰らないといけないと言う事がこの噺のすべての始まりだと思います。
女将さんの了見が嫌なら違うやり方で次郎兵衛さんが恐妻家だと解らせれば良いと思うのです。
「女房や商売がどうしても心配」だとかあるいは女将さんを病弱にするとか、手はあると思うのです。
この点、志ん朝師は女将さんの事もしっかり描いていますが、嫌味出ない笑いに繋げています。
私は権太楼師の演出も新しいけれども、もう少し工夫が欲しかったです。
私は権太楼師は好きですので余計にそう思いました。続きを読む

佃祭と言う噺

img_785584_61631021_0

今日は「佃祭」です。

噺は・・・神田お玉が池の小間物屋の次郎兵衛さん。佃祭りを見物して終い船に乗ろうとすると、
女に袖を引っ張られ引き留められる。
5年前に奉公先で5両の金をなくしてしまい吾妻橋から身投げをしようと途方にくれた処を助けられたと言う、
ややあって、それを思い出した次郎兵衛さんだったが、
終い船も出てしまい仕方がないので、女が嫁いだ船頭の家に行く。
やがて表が騒がしくなり、亭主が飛び込んで来て、船が転覆して全員おぼれて死んだという。
助けたつもりが助けられたと知り、安堵する次郎兵衛さん。
今夜は夫婦の勧めもあり、泊まることにする。

一方、家では大騒ぎ。終い船が転覆jの報を受け、早桶や坊さんを頼み、くやみ客がぞろぞろ来る。
そんな事は知らない次郎兵衛さんは翌朝、女の亭主の船頭に送ってもらい帰ってくる。
皆、幽霊だとびっくりするが、次郎兵衛さんの話を聞き皆で大喜びする。
唯一、おかみさんだけがヤキモチを焼く。
これを一部始終聞いていたのが与太郎、止せば良いのに・・・・

途中「くやみ」に似た箇所もあり難しい噺ですが、何と言っても三代目金馬師が光ます。
志ん朝師も演じていますが、金馬師とは違うアプローチをしています。

佃島の住吉大社のお祭りは、3年に一度の本祭があり、期間も土日を含む4日間。
神輿を船に載せて氏子地域を廻る「船渡御」や八角神輿の渡御、獅子頭宮出しなどが行なわれるそうです。
日程は8月の始めの頃です。旧暦だと6月ですね。

柳家権太楼師は次郎兵衛さんのヤキモチ焼きの女将さんを嫌いなので出さないそうです。
でもね、女将さんがヤキモチだから、終い船で無理にでも帰ろうとする訳で、
噺の辻褄が合わなくなります。

この噺もオチが現代では解らなくなって来ています。
噺家さんはマクラで、神様の病気の願掛けの事等を説明してから噺に入ります。
でもその苦労をしても、聴いて面白い噺です。


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