はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

タグ:五街道雲助

206c91bb「季節も「小寒」に入りまして、これから暫くが一番寒い季節になります。インフルエンザが猛威を奮っているそうですが、くれぐれもお気をつけ下さい。と言う訳でこの噺です。
『二番煎じ 』
 寒くなって来ましたらやはり鍋が恋しくなりますね。そんなお噺です。

【原話】
元禄3年(1690年)に出版された江戸の小咄本『鹿の子ばなし』に掲載された「花見の薬」を上方で同時期に改作し、夜回りの話とした『軽口はなし』の「煎じやう常の如く」だそうです。
大正時代に五代目三遊亭圓生師が東京へ移したといわれています。
上方では初代、二代目桂春團治師、二代目露の五郎兵衛師らが、東京では、六代目柳橋先生や八代目可楽師らが得意としました。

【ストーリー】
町内の旦那衆が火事を防ぐため、火の番の夜回りをすることになりました。
番小屋に集まり、集まった顔ぶれを二組に分け、交代で町内の見廻りをはじめます。
凍てつくような江戸の冬。金棒は冷たくて握れず、拍子木を打つのに懐から手を出すのも一苦労。
「火の用心」の声も北風に震えるようです。やがて番小屋に戻り、囲炉裏を囲む旦那衆。

すると、禁じられている酒を持ってきた人がいたり、猪鍋の用意をしてきた者がいたりします。
役人に見つかると面倒なため、酒を土瓶に移し、煎じ薬と称してそっと宴をはじめます。
猪鍋で楽しく酒を飲んでいると、番小屋の戸をたたく音がする。役人が見回りに来たのです!
一同はあわてて酒や鍋を隠し、役人を迎え入れます。
役人は「変わった事は無いかな?」等と聞きますが、気もそぞろ。
「あー、今わしが『番』と申したら『しっ』と申したな。あれは何だ」
「へえ、寒いから、シ(火)をおこそうとしたんで」
「土瓶のようなものを隠したな」
「風邪よけに煎じ薬をひとつ」
役人、にやりと笑って
「さようか。ならば、わしにも煎じ薬を一杯のませろ」
しかたなく、そうっと茶碗を差し出すとぐいっとのみ
「ああ、よしよし。これはよい煎じ薬だな。
ところで、さっき鍋のようなものを」
「へえ、口直しに」
「ならば、その口直しを出せ」
もう一杯もう一杯と、
酒も肉もきれいに片づけられてしまう。
「ええ、まことにすみませんが、煎じ薬はもうございません」
「ないとあらばしかたがない。拙者一回りまわってくる。二番を煎じておけ」

【演者】
これは有名なお噺ですので、演者も数多くいます。そんな中で個人的にお勧めなのはやはり古今亭志ん朝師ですね。兎に角鍋の食べ方が抜群です!
 柳家小三治師もいいですね。尤も色々な噺家さんが演じていますのでそれぞれの味があります。現役では瀧川鯉昇師がいいですね。何とも言えぬ可笑しさがあります。

【注目点】
 やはり鍋の食べ方とお酒の呑み方ですね。それぞれの個性がぶつかる場面ですから、注目して聴いて戴きたいです。
それと役人が出て来てからの皆の慌てぶりですね。その辺の演じ方にも注目して下さい。
噺を聴いて「鍋で酒が呑みたい」と思ったら噺家さんの勝ちですね。

『能書』
噺家さんもこの噺は演じていて楽しいそうです。出て来る役人も固いことを言わない粋な人物ですね。

『ネタ』
この噺では商家の旦那衆が夜回りをしていますが、本来は商家から人間を自身番に出す決まりでしたが殆どは「番太郎」と言う者を雇ってやらせていたのです。
 しかし、この人物は総じてだらしない人が多かったそうです。
町内の自身番に居たそうですが、前科前歴の怪しい人物が多かったとの記述もいあります。
「二番煎じ」とは本来、漢方薬の煎じ方の事で一度煎じた薬草に水を足して煎じた事に由来します。

その昔、ある年の11月に国立小劇場に「落語研究会」を聴きに行きました。トリは志ん朝師で演目は「文七元結」でした。落語史にに残る高座だったのですが、その時の仲入りが五街道雲助師で、演目がこの噺でした。その時の火の出る様な高座が忘れられません。

20080801え〜暑くて更新をサボっていました。申し訳ありません。今日は「身投げ屋」という噺です。

 元は上方落語だったそうですが、それをを元にして柳家金語楼師が創作した新作落語です。
余り演じられない噺ですが雲助師と芸協の夢吉さんが高座に掛けます。
 雲助師は師匠の馬生師匠ゆずりだと思われます。

 金がなくて地見屋なんて商売をしている男が、知人から「そんなのよりいい商売がある」と教えられます。
それが「身投げ屋」と言う商売で、橋の上から身投げをすると見せかけて、止めてくれた人に、
「実は金がなくなって困っています」と言えば、その人が必ず「いくらあれば死なずにすむんだ」と聞いてくれると云う訳です。

そこでその人にふさわしいだけの額を言えば、きっとその人はお金をくれると言うのです。
それを聴いたこの男は早速試してみようと、両国橋に12時過ぎにやってきて、
身を投げるふりをすると、運良く人が止めてくれたのですが、最初はお巡りさんでダメ。
次を探すと、外套を着た恰幅の良い紳士がやってきた。止めてくれて、経緯を話すとお金なら何とかしようと言う有り難い話。金持ちそうだからと値踏みをして200円と言ったら、支払いを済ませた後だからと100円を出した。100円ではダメだと言うと名刺をくれて明日残りを取りにおいでと言われて初仕事は成功。

 次の人が来たので「南無阿弥陀仏」と唱え欄干に手を掛けたところ、職人に殴られてしまいます。
金がないなら死ぬと言うがいくらだと言う言葉に、相手が相手なので、20銭だというと、
「そんな子供の小遣いだろう」といいます。
そのうちに、大家に、酒屋に、米屋にと重なって、40銭が1円になって、2円が3円になりますが、お金は無いと言われます。
「助けてもらっただけ有り難いと思え。市電の回数券が有るからやる」と渡されましたが、使用済みでした。

 次に来たのが親子連れで、見ていると帯を結びあって、「南無阿弥陀仏」と唱え欄干に足をかけたので、慌てて止めに入った。
聞くと、母親は死んで、父親は目が見えず、子供も母親のところに一緒に行きたいと云うのです。
国に帰るお金もないので死ぬと言い張ります。
遠くてはいけないが、赤羽ぐらいなら面倒見ようと云いますが、100円無ければどうしようもないと・・・・
そこで、やむなく先程の100円を渡してしまいます。

 父親は息子にこの金は先程の人に返してきなさいと言ったが、既にその場には居なく、見当たりません。
「本当に居ないか?」
「それじゃ〜。今度は吾妻橋でやろう」。

昔は吾妻橋と言うと自殺の名所でした。って本当ですかねえ?
落語では相場ですが、事実はどうだったのでしょうね。

地見屋とは、地面を見て、金目の物を拾い集めて生計を立てたる商売と言う事ですが、何でも拾ったのでしょうねえ。釘等の金属も貯まれば買い取ってくれるのでしょうね。
今は瓶等只ですが、私が子供の頃は酒屋に持って行くと5円〜10円(瓶の種類によって金額が違う)になりました。

両国橋は江戸時代から何回も流失や崩落してきたそうですが、明治8に西洋風の木橋が出来ました。
ところがこの橋は明治30年の8月の花火大会の見物人の多さに耐え切れず、10m以上に渡って
欄干が崩れ落ち、10名以上の犠牲者がでました。それを期に明治37年に鉄橋へと架け替えられました。
現在のはその後昭和7年に架け替えられた橋です。
この噺の両国橋は鉄橋の橋かも知れませんね。続きを読む

20080801え〜皆様、日本列島がスッポリと猛暑の中にありますが、月遅れのお盆をどう過ごされているでしょうか?
私は仕事です……暇ですがw

そこで今日は如何にも人を喰った噺、「身投げ屋」です。

元は上方落語だったそうですが、それをを元にして柳家金語楼師が創作した新作落語です。
余り演じられない噺ですが雲助師と芸協の夢吉さんが高座に掛けます。

金がなくて地見屋なんて商売をしている男が、知人から「そんなのよりいい商売がある」と教えられます。
それが「身投げ屋」と言う商売で、橋の上から身投げをすると見せかけて、止めてくれた人に、
「実は金がなくなって困っています」と言えば、その人が必ず「いくらあれば死なずにすむんだ」と聞いてくれると云う訳です。

そこでその人にふさわしいだけの額を言えば、きっとその人はお金をくれると言うのです。
それを聴いたこの男は早速試してみようと、両国橋に12時過ぎにやってきて、
身を投げるふりをすると、運良く人が止めてくれたのですが、最初はお巡りさんでダメ。
次を探すと、外套を着た恰幅の良い紳士がやってきた。止めてくれて、経緯を話すとお金なら何とかしようと言う有り難い話。金持ちそうだからと値踏みをして200円と言ったら、支払いを済ませた後だからと100円を出した。100円ではダメだと言うと名刺をくれて明日残りを取りにおいでと言われて初仕事は成功。

 次の人が来たので「南無阿弥陀仏」と唱え欄干に手を掛けたところ、職人に殴られてしまいます。
金がないなら死ぬと言うがいくらだと言う言葉に、相手が相手なので、20銭だというと、
「そんな子供の小遣いだろう」といいます。
そのうちに、大家に、酒屋に、米屋にと重なって、40銭が1円になって、2円が3円になりますが、お金は無いと言われます。
「助けてもらっただけ有り難いと思え。市電の回数券が有るからやる」と渡されましたが、使用済みでした。

 次に来たのが親子連れで、見ていると帯を結びあって、「南無阿弥陀仏」と唱え欄干に足をかけたので、慌てて止めに入った。
聞くと、母親は死んで、父親は目が見えず、子供も母親のところに一緒に行きたいと云うのです。
国に帰るお金もないので死ぬと言い張ります。
遠くてはいけないが、赤羽ぐらいなら面倒見ようと云いますが、100円無ければどうしようもないと・・・・
そこで、やむなく先程の100円を渡してしまいます。

 父親は息子にこの金は先程の人に返してきなさいと言ったが、既にその場には居なく、見当たりません。
「本当に居ないか?」
「それじゃ〜。今度は吾妻橋でやろう」。

昔は吾妻橋と言うと自殺の名所でした。って本当ですかねえ?
落語では相場ですが、事実はどうだったのでしょうね。

地見屋とは、地面を見て、金目の物を拾い集めて生計を立てたる商売と言う事ですが、何でも拾ったのでしょうねえ。釘等の金属も貯まれば買い取ってくれるのでしょうね。
今は瓶等只ですが、私が子供の頃は酒屋に持って行くと5円〜10円(瓶の種類によって金額が違う)になりました。

両国橋は江戸時代から何回も流失や崩落してきたそうですが、明治8に西洋風の木橋が出来ました。
ところがこの橋は明治30年の8月の花火大会の見物人の多さに耐え切れず、10m以上に渡って
欄干が崩れ落ち、10名以上の犠牲者がでました。それを期に明治37年に鉄橋へと架け替えられました。
現在のはその後昭和7年に架け替えられた橋です。
この噺の両国橋は鉄橋の橋かも知れませんね。
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20080801今日は「身投げ屋」と言う噺です。

元は上方落語だったそうですが、それをを元にして柳家金語楼師が創作した新作落語です。
余り演じられない噺ですが雲助師と芸協の夢吉さんが高座に掛けます。

金がなくて地見屋なんて商売をしている男が、知人から「そんなのよりいい商売がある」と教えられます。
それが「身投げ屋」と言う商売で、橋の上から身投げをすると見せかけて、止めてくれた人に、
「実は金がなくなって困っています」と言えば、その人が必ず「いくらあれば死なずにすむんだ」と聞いてくれると云う訳です。

そこでその人にふさわしいだけの額を言えば、きっとその人はお金をくれると言うのです。
それを聴いたこの男は早速試してみようと、両国橋に12時過ぎにやってきて、
身を投げるふりをすると、運良く人が止めてくれたのですが、最初はお巡りさんでダメ。
次を探すと、外套を着た恰幅の良い紳士がやってきた。止めてくれて、経緯を話すとお金なら何とかしようと言う有り難い話。金持ちそうだからと値踏みをして200円と言ったら、支払いを済ませた後だからと100円を出した。100円ではダメだと言うと名刺をくれて明日残りを取りにおいでと言われて初仕事は成功。

 次の人が来たので「南無阿弥陀仏」と唱え欄干に手を掛けたところ、職人に殴られてしまいます。
金がないなら死ぬと言うがいくらだと言う言葉に、相手が相手なので、20銭だというと、
「そんな子供の小遣いだろう」といいます。
そのうちに、大家に、酒屋に、米屋にと重なって、40銭が1円になって、2円が3円になりますが、お金は無いと言われます。
「助けてもらっただけ有り難いと思え。市電の回数券が有るからやる」と渡されましたが、使用済みでした。

 次に来たのが親子連れで、見ていると帯を結びあって、「南無阿弥陀仏」と唱え欄干に足をかけたので、慌てて止めに入った。
聞くと、母親は死んで、父親は目が見えず、子供も母親のところに一緒に行きたいと云うのです。
国に帰るお金もないので死ぬと言い張ります。
遠くてはいけないが、赤羽ぐらいなら面倒見ようと云いますが、100円無ければどうしようもないと・・・・
そこで、やむなく先程の100円を渡してしまいます。

 父親は息子にこの金は先程の人に返してきなさいと言ったが、既にその場には居なく、見当たりません。
「本当に居ないか?」
「それじゃ〜。今度は吾妻橋でやろう」。

昔は吾妻橋と言うと自殺の名所でした。って本当ですかねえ?
落語では相場ですが、事実はどうだったのでしょうね。

地見屋とは、地面を見て、金目の物を拾い集めて生計を立てたる商売と言う事ですが、何でも拾ったのでしょうねえ。釘等の金属も貯まれば買い取ってくれるのでしょうね。
今は瓶等只ですが、私が子供の頃は酒屋に持って行くと5円〜10円(瓶の種類によって金額が違う)になりました。

両国橋は江戸時代から何回も流失や崩落してきたそうですが、明治8に西洋風の木橋が出来ました。
ところがこの橋は明治30年の8月の花火大会の見物人の多さに耐え切れず、10m以上に渡って
欄干が崩れ落ち、10名以上の犠牲者がでました。それを期に明治37年に鉄橋へと架け替えられました。
現在のはその後昭和7年に架け替えられた橋です。
この噺の両国橋は鉄橋の橋かも知れませんね。
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1243241813_photo今日は「二番煎じ」という噺です。
元は、元禄3年(1690年)に出版された江戸の小咄本『鹿の子ばなし』に掲載された「花見の薬」を上方で同時期に改作し、夜回りの話とした『軽口はなし』の「煎じやう常の如く」だそうです。
大正時代に五代目三遊亭圓生師が東京へ移したといわれています。
上方では初代、二代目桂春團治師、二代目露の五郎兵衛師らが、東京では、六代目柳橋先生や八代目可楽師らが得意としました。

町内の旦那衆が火事を防ぐため、火の番の夜回りをすることになりました。
番小屋に集まり、集まった顔ぶれを二組に分け、交代で町内の見廻りをはじめます。
凍てつくような江戸の冬。金棒は冷たくて握れず、拍子木を打つのに懐から手を出すのも一苦労。
「火の用心」の声も北風に震えるようです。やがて番小屋に戻り、囲炉裏を囲む旦那衆。

すると、禁じられている酒を持ってきた人がいたり、猪鍋の用意をしてきた者がいたりして・・・
役人に見つかると面倒なため、酒を土瓶に移し、煎じ薬と称してそっと宴をはじめます。
猪鍋で楽しく酒を飲んでいると、番小屋の戸をたたく音がする。役人が見回りに来たのです!
一同はあわてて酒や鍋を隠し、役人を迎え入れます。

役人は「変わった事は無いかな?」等と聞きますが、気もそぞろ。
「あー、今わしが『番』と申したら『しっ』と申したな。あれは何だ」
「へえ、寒いから、シ(火)をおこそうとしたんで」
「土瓶のようなものを隠したな」
「風邪よけに煎じ薬をひとつ」

役人、にやりと笑って
「さようか。ならば、わしにも煎じ薬を一杯のませろ」
しかたなく、そうっと茶碗を差し出すとぐいっとのみ
「ああ、よしよし。これはよい煎じ薬だな。
ところで、さっき鍋のようなものを」

「へえ、口直しに」
「ならば、その口直しを出せ」
もう一杯もう一杯と、
酒も肉もきれいに片づけられてしまう。
「ええ、まことにすみませんが、煎じ薬はもうございません」
「ないとあらばしかたがない。拙者一回りまわってくる。二番を煎じておけ」

江戸の冬は今よりも寒かったということで、地軸が今の位置とずれているのだそうです。
その関係でしょうか。雪がたくさん降ったのだそうです。
元禄の頃の記録で年間30日以上積雪があったそうです。
ですから、積もらなくても雪が降るのは珍しくなかった様です。
私が子供の頃でも、池や水たまり等に氷が張るのは毎日の事でした。

自身番については、町内の防火のため、表通りに面した町家では、必ず輪番で人を出し、
火の番、つまり冬の夜の夜回りをすることになっていましたが、それは建前で、ほとんどは「番太郎」と呼ぶ番人をやとって、火の番を代行させることが黙認されていたのです。
ですが、この「番太郎」が中々仕事をしなかったそうで・・・

二番煎じとは、漢方薬を一度煎じた後、さらに水を加え、薄めて煮出したものです。
金気をきらい、土瓶などを用いました。

この噺は、北風の吹く江戸の夜空が目に浮かぶような感じが出れば、良いでしょうね。
そこに、熱々のぼたん鍋(しし鍋)と熱燗ですかねえ、これは応えられませんね。(^^)

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