らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

タグ:三遊亭金馬

b536272e『藪入り』
藪入りとは一月の十六日と七月の十六日に奉公人が休みを貰えて実家等に帰れる日の事で、古くは宿入りといい、商家の奉公人の特別休暇のことです。
奉公人だけはなく、お嫁さんも小遣いやおみやげを貰えて実家に帰れました。
最も近頃は近所に住んで、毎日帰ってる方が多い様ですが……。

【原話】
元々は「お釜様」と言うバレ噺だったのを、初代小せん師がバレの部分を取り、「鼠の懸賞」と言う題に替えました。それを三代目金馬師が練り直し人情味を加えて「藪入り」と言う噺に仕上げました。
演者には、金馬師を始め今輔師、五代目圓楽師、や小三治師等多くいます。

【ストーリー】
明日息子が藪入りで初めて帰ってくるというので、熊さんは気もそぞろ。鰻を食わせてやろう、御大師様へ連れて行こうと一睡もしないで帰りを待っていると入り口に人の気配。「めっきりお寒くなりまして……。お父ッつぁん、おッ嬶さんにもお変わりなく」という挨拶をしたのは、まだ子供だと思っていた亀坊。さっぱりして来なと風呂に行かせて荷を片付けると紙入れから十五円という大金が出てきます。
心配性のかみさんが、子供に十五円は大金で、そんな額をだんながくれるわけがないから、
ことによると魔がさして、お店の金でも……
と言いだしたので、気短で単純な熊は、帰ってきた亀を、いきなりポカポカ。
かみさんがなだめでわけを聞くと、このごろペストがはやるので、
鼠を獲って交番に持っていくと一匹十五円の懸賞に当たったものだと、わかる。

だんなが、子供が大金を持っているとよくないと預かり、今朝渡してくれたのだ、という。
へえ、うまくやりゃあがったな。この後ともにご主人を大切にしなよ。
これもやっぱりチュウ(=忠)のおかげだ」

【演者】
今では本当に多くの演者が高座に掛けますが、やはり三代目金馬師がいいですね〜 笑わせて最後はしっかりと泣かせてくれます。
先代圓楽師もやりましたし、最近は小三治師も演じますね。

【注目点】
やはり前半の熊さんの子供の亀ちゃんを思う親心ですが、これがやり過ぎで笑いを誘います。
一転して後半の人情噺の部分ではしっかりと泣かせてくれます。この泣き笑いのメリハリが大事だと思います。

『能書』
今では奉公等したこと無い方ばかりですが、それでも別れて暮らす親子の情愛は伝わると思います。
兎に角、前半の熊さんの妄想のおかしさと、後半のやり取りといい、味わい深い噺だと思います。

『ネタ』
その昔は奉公に出ると三年〜五年は家に帰して貰えませんでした。ですから、家に帰る事が許されて新品の着物一式や真新しい草履を履けて家に帰れる前の晩は、嬉しくて眠られ無かったそうです。
そんな時代のお噺ですが、子を思う親の気持ちは何時の時代でも同じだと思います。

il44_04 関東ではやっと涼しくなって参りました。そこでこの噺です。
『茶の湯』
地味ですが色々と面白い噺です。

【原話】
文化3年(1806年)に出版された笑話本・「江戸嬉笑」の一遍である『茶菓子』です。講談の「福島正則荒茶の湯」にも材を得ているそうです。
 この噺は三代目金馬師が得意演目でしたが、圓生師が金馬師に移したそうです。

【ストーリー】
ある大店の隠居、根岸の別宅に居を移したが毎日が退屈で仕方がありません。
そこではじめたのが茶の湯なんですが、作法も何も分かりません。
小僧に買ってこさせた青黄粉や椋の皮を釜の中へ放りこんで楽しむといった、全くの自己流ではじめてしまったので、二人はお腹を壊してげっそり。
しばらくは二人で楽しんでいたがいつまでもそれではつまらないと、お客を無理矢理呼んで自らがこしらえたお茶うけとともに振舞うことします。
 手始めに家作の長屋の三人を始めに読んで飲まします。呼ばれた客は災難ですが、中には菓子の羊羹を食べたくて来る客も大勢現れる始末。
 月末の菓子屋の勘定書きを観て驚いた隠居は、薩摩芋からとんでもない「利休饅頭」と言うのをこさえます。

 ある日、そんなこととは知らない金兵衛さんが訪ねてきたので、しばらく茶の湯をやれなかった隠居は大はりきりで飲ませます。
「ウオッ!?」あわてて口直しをしようと饅頭を口へ…。
「アヒャッ!?」
 あわてて便所に逃げ込み、このひどい饅頭を捨てる場所はないかと見渡すと、窓の外は一面の田んぼが広がっています。
エイッと垣根越しに放り投げると、畑仕事をしているお百姓さんの顔にベチャ!
「ナンダァ…う〜ん、また茶の湯かァ」

【演者】
先ほど述べた圓生、金馬師の他に歴代の名人が録音を残しています。また、現役の噺家さんも数多く話しています。

【注目点】
落語でよく取り上げられる根岸は、家督を譲った隠居やお妾さんが暮らした静かな土地であったそうです。
川柳等では、下の句に「根岸の里の侘び住まい」で知られていますね。
 それに対して蔵前といえば、幕府の経済を支えた米を管理する米蔵がズラリ並んだところです。
 そうした賑やかな土地から侘び住まいが似合うエリアに越してきたというのだから、寝る間も惜しむように働いてきた人にとっては、さぞかし手持ち無沙汰だったと思います。

『能書』
茶の湯に禅の精神が取り入れられたのは、室町末期のことだそうです。それを千利休が受け継いだのですね。

『ネタ』
今でもある「裏千家」と「表千家」ですが、元々は弟子である自分の家が千利休の家の表にあったか裏にあったかだそうです。面白いですね。

4765753f『小言念仏』
今日はこの噺です。

【原話】
源話は不明で、上方落語で「淀川」や「宗論」の枕に使われていたものが「世帯念仏」となりこれを、明治の頃に東京に移したものですが詳しいことは判っていません。

【ストーリー】
毎朝念仏を日課としている爺さんは、信心深いがすぐ小言をいってしまう性格です。
その日も朝早くから念仏を唱えていますが、、家人の動きが気になります。
すると、「なむあみだぶ、なむあぶだぶ、おばあさん仏壇そうじしなくちゃいけないよ。なむあみだぶ、なむあみだぶ…」と我慢できず小言をいってしまう。
そうなると、もう止まらなくなってしまい「なみあみだぶつ」の間に小言を入れる有様です。
子供を起こさないと学校に間に合わない、やかんのお湯が沸騰している、ご飯のこげたにおいがする、
赤ん坊が這ってきたら念仏の合間に「バァ。」、

様子がおかしいから家のものに見ておくような等思った小言を全ていってしまいます。
それから、家人が味噌汁の具を聞いてきたので、どじょう屋が家の前を通ったので、これに決め、大声で呼び止めます。
「鍋に酒ェ入れなさいとか、暴れてるか?蓋取ってみな、腹だしてくたばりゃあがった!?」
「ナムアミダブ、ナマンダブ、ざまァみゃがれ」

【演者】
古くは三代目金馬師が有名ですね。現役では小三治師ですが亡くなった喜多八師もよく高座に掛けていました。

【注目点】
小三治師は三升家勝太郎師から教わったそうです。淡々とした感じが良かったそうです。

『能書』
どじょうは当時、鰻にくらべて安価で、精のつくものとして、江戸時代は八つ目うなぎとともに好まれたそうです。
よく、やるのは、味噌汁等で茹でる時に豆腐を鍋に入れておいて、どじょうを入れて火に掛けると、暑さでどじょうが皆豆腐に首を突っ込んで煮上がる。と言う方法ですね。

『ネタ』
念仏は本当なら心に仏の姿を思い浮かべて唱えるのが本当だそうです。

8af28879『片棒』
 今日はこの噺です。季節的にはこれからの感じがします。

【原話】
原話は宝永2年に出版された、「軽口あられ酒」の一遍である『気ままな親仁』だそうです。

【ストーリー】
石町の赤螺屋吝兵衛さんは一代で身代を築いた方ですが、大変なケチでもあります。
最近の悩みはこの築き上げた身代を誰に譲るか?なのです。
番頭に相談すると、「このお店の一大事に、若旦那方三人がどのようなお金の使い方をするか聞いてみたらどうでしょうか?」という答え。
ならば、自分が死んだら、どうゆう葬式をするかを、息子三人に聞いて見ることにしました。

先ずは長男・・・
通夜は二晩行い、できるだけお金を掛けた葬式をやりたい。と言います。
お寺もわが菩提寺では小さいですから本願寺あたりを借りて行い
精進落としは黒塗り金蒔絵の重箱に、一段目は練り物、二段目は煮物とか焼き物、三段目らはご飯を仕込んだ三つ重ねで、丹後縮緬なんかで作った特注の風呂敷で包みます。
お酒をおのみになる方もいるでしょうから、灘の生一本を用意しておきます。
黒筋のついた封筒に三万円ばかり入れまして、【御お車代 赤螺屋】としたためます。
それからお香典返しには、金銀の延べ棒を用意します。
これを三日間行い、万事派手にやりたいと言います。
吝兵衛さんは頭に来て「何があってもお前だけには身代を渡さないからな!」「ばかー死んじまえ!」
と大層な剣幕です。

続いて次男は・・・
葬式の歴史に残る様な葬式をしたい、と言い出します。
「葬式に紅白の幕を飾った上、盛大な行列を仕立てて練り歩きます。先頭は鳶の木遣り、芸者の手古舞に、お父さんそっくりの生き人形をすえた山車や神輿を繰り出してワッショイワッショイ。神輿に骨を乗せて担ぎだす。一同そろってバンザーイ」
「ふざけるな、それじゃ弔いだかお祭りだかわかりゃしねえ、七生まで勘当だっ!!」

呆れて次の三男は・・・・
「死ぬとは『無に帰す』ことですし、どう転んでもすべて燃えちまうんですからお葬式は質素に、極限まで簡素にして行います。死骸は鳥につつかせて自然消滅。これが一番」
「お…おい…」
「とは行きませんから、とりあえずお通夜を出しましょう。出棺は11時と知らせておいて…本当は八時に出してしまえば会葬者の食事はいらないし、持ってきた香典だけこっちのものにすることができます。早桶は菜漬けの樽で十分。抹香はかんな屑で代用し、樽には荒縄を掛けて天秤棒で差しにないにします。運ぶには人手が必要…ですが、これだとお金がかかりますから片棒は僕が担ぎます。でも、僕一人では担げませんから、やっぱり一人は雇ったほうが…」
「なに、心配するな。片棒は私が出て担ぐ」

【演者】
今なら春風亭一朝師でしょうね。江戸前の感じがよく出ています。以前は三代目金馬師や九代目文治師が得意にしていました。

【注目点】
この噺のクライマックスは次男の処での神田囃子の下りでしょうね。
ここの処は抱腹絶倒です。
次男による葬式に山車が出て算盤を持った人形が登場する条は三遊亭銀馬師によってとりいれられ、これを三代目金馬師が完成させたそうです。

『能書』
兄弟の名前は色々ありまして、「金・銀・鉄」にちなんでつけたり、「松竹梅」でやる演者さんもいます。

『ネタ』
実際はこの兄弟の性格がバランスよく配分された人物が一番経営者に相応しいのでしょうね。
長男の社交性、次男の独創性、三男の堅実性と言った処でしょうか。
ちなみに上方落語には「三人兄弟」という兄弟で夜遊びに行く噺があります。東京では小里ん師が得意にしています。

365d4828『三人旅』
今日は旅の噺です。春の噺だと思うのですが……。

【原話】
上方落語の「東の旅」「西の旅」シリーズに相当する、江戸っ子の「三人旅」シリーズです。
記録的には十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が出た後から、旅ものの滑稽噺が語られるようになったそうです。上方落語では1861年の桂松光の「風流昔噺」に「伊勢道中あわてもの三人なぐさみ参り」とあるそうです。
以前はかなり噺があった。と言われていますが、現在では「発端・神奈川」(別名 びっこ馬)と「鶴家善兵衛」
「京見物」(「東男」「三都三人絵師」「祇園祭」「およく」の4つに別れます)だけが残っています。

【ストーリー】
ある男が無尽に当たり思わぬ大金が入ったので、友達二人を誘い、伊勢参りに行く事にします。
途中で疲れて馬に乗ったら馬子さんにからかわれたり、馬子さんから頼まれた鶴屋善兵衛と言う宿に泊まったりします。
さてその晩、飯盛女の事を尋ねると女中さんが2人しか居ないといいます。
後一人何とかならないか、と云うと「居ることは居る」といいます。
「居れば良いんだよ」「でもちょっと年増ですが・・・」「年増結構!でいくつだ?」「去年米の祝いをしました」
「え〜なんだそりゃ」と思ったものの、一人だけ場所が離れだと聞き、これを源ちゃんにあてがわせ様とします。
それを知らない源ちゃんは、江戸の粋な年増と聞き、それを選んで仕舞います。
さてそれから、源ちゃんにどんな悦楽の一夜が訪れるたのか?

【演者】
明治の三代目蝶花楼馬楽師と四代目橘家円喬師が得意としたそうです。
馬楽師は行きを中山道でいくので、多少違っています。
今でも中山道での噺として演じる噺家さんもいます。
戦後では金馬師、圓生師や、小さん師が有名でした。
通常はこのあらすじの「おしくら」は小田原の噺として演じられます。

【注目点】
圓生師では三人が宿に着いた後の宿の女将さんを登場させています。その部分と宿の主が茶代の礼を言いに来るところはオリジナルだそうです。
もし今、その部分を演じていれば圓生流ということですね。

『能書』
「三人旅」の中でもこの部分は艶笑色の強い噺です。
上方落語ではこの部分を『浮かれの尼買い』という題名で演じています。

『ネタ』
「飯盛女」とは、宿屋が本業の宿泊のほかに、夜のサービスを行う、という体裁でした。
やっぱり色んなとこをおしくらするからでしょうねえ。
「おしくら」の本来の意味は中山道の熊谷宿から碓氷峠あたりまでの宿に居た飯盛り女の総称だそうです。

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