はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

タグ:三遊亭圓生

image11『代脈』
 今日はこの噺です。

【原話】
原話は、元禄10年(1697年)に出版された笑話本「露鹿懸合咄」の一編である「祝言前書」です。文化年間(1804〜18)、寄席の草創期から口演されてきたらしい、古い噺です。

【ストーリー】
江戸・中橋の古法家(漢方医)である尾台良玄は
名医として知られていましたが、弟子の銀南は、師に似つかわぬ愚者で色情者。
 その銀杏が大先生の代脈(代理往診)として蔵前の商家のお嬢さんの診察をすることになりました。
 初めての代脈なので行く前に、先方に着いてからの挨拶、お茶の飲み方、羊羹の食べ方、診察などの手ほどきを受けるのですが、これがトンチンカン。
 「診察に当たっては、安心させるだけでよい、余計なことはするな。特にお嬢さんのお腹のシコリに触ると放屁をなさるので絶対にシコリには触れぬように」
前回は耳が遠くて、聞こえない振りをして切り抜けたものだと大先生の説明があります。
 初めて乗る籠の中で銀杏は大騒ぎ、なんとか商家に着いて、教わった通りにお茶を飲みながら羊羹を食べ、いよいよ診察へ。
 診察中に、例のお腹のシコリを見つけて、止せばいいのにそこを押したからたまらず、
お嬢さんは「ブッ!」と放屁。
 銀杏は驚いて「歳のせいか近頃耳が遠くなって、今の屁の音も聞こえなかった」


【演者】
古くは明治45年の四代目柳家小三治師(のち二代目柳家つばめ師、昭和2年歿)、初代柳家小せん師の速記があります。
戦後では六代目三遊亭圓生師、五代目柳家小さん師が音源を残しています。
又、志ん朝師もCDを残していますが、この音源についてかなりの高評価がありますので、興味のある方は図書館等でお借りになって聞き比べる事をおすすめ致します。
個人的には圓生師には及ばないと思っています。

【注目点】
中橋と言うのは今の東京駅八重洲中央口あたりです。
後半の屁の部分の原話は、室町後期の名医・曲直瀬道三の逸話を脚色した寛文2年刊「為愚癡物語」巻三の「翠竹道三物語りの事」と言うのがあり、さらにそれを笑話化した元禄10年刊「露鹿懸合咄」巻二の「祝言」が出典と云われています。つまり、これは脚色はあるもの実話だったと言う事ですね。

『ネタ』
その昔、八代目文楽師は両国の立花屋という寄席でこの噺を演じたところ、楽屋で三代目圓馬師が聴いていて酷く怒られ「もうお前には稽古をつけない」と言われたそうです。
後日、詫びに行ったところ、噺の中でお金の金額を間違えたという事でした。
「あんなに高い金額は無い」
と怒られたそうです。黒門町もかってはこの噺をやっていたのですね。

c0460『芋俵』
 今日はこの噺です。秋ですよね。まあ冬の可能性もありますが……。
上方落語では「芋屁」となります。
【原話】
1767年の『友達ばなし』の「あか子」だとされています。また狂言の「柑子俵」という説や1776年刊の噺本「聞上手」の「いもや」とも言われています。
 万延2年の噺家、桂松光のネタ帳の「風流昔噺」の中には既に「人俵」とあります。

【ストーリー】
 ある泥棒三人組が相談しています。さる警戒厳重な大店へ押し入るため、一計を案じているのですが……。
 まず、一人が芋俵の中に入り、仲間二人が「少しの間、店の前に置かせてください」と頼み込む。
 店の方ではいつまでたっても取りにこないから、迷惑して俵を店の中に入れる。夜が更けてから、中の一人が俵を破って外に出て、心張り棒を外し、待機していたあとの二人を導き入れる、と言う計画を練ります。
 ところが実際は、小僧が俵を中に入れる時、逆さに立ててしまったから、俵の中の泥棒、身動きが取れず四苦八苦。
 しかし、声は立てられない。そのうち小僧と女中が、俵の芋をちょいと失敬して、蒸かして食べよう、どうせ二つや三つならわからないと示し合わせ、小僧が俵に手を突っ込む。
 逆さだから、上の方が股ぐらあたり。そこをまさぐられたから、泥棒、くすぐったくて我慢できなくなり、思わず「ブッ」と一発。
 小僧「おやおや、気の早いお芋だ」

【演者】
六代目圓生師をはじめ、五代目小さん師等が演じています。

【注目点】
江戸時代、薩摩芋の本場は江戸近郊では川越でした。
江戸の八百屋さんは川越産と言うと少々高くても、仕入れたそうです。
薩摩芋は1604年に琉球に伝わり、1698年に種子島、1705年頃、薩摩山川の前田利右衛門が持ち帰り、栽培したのが始めです。
享保の大飢饉の時に西日本が薩摩芋のお陰で被害が酷くならずに済んだのを見た八代吉宗が関東でも栽培するように青木昆陽に命じて栽培させました。
最初は1734年に小石川の小石川植物園等で栽培しました。

『ネタ』
焼芋は、寛政5年(1793)の暮れに、本郷四丁目の番屋で、番太郎がアルバイトに焙烙で焼いたものを売り出したのが起源とかいいますから案外早く普及したのですね。

il0040『一人酒盛り』
今日はこの噺です。秋の噺とされています。

【原話】
元々は上方落語ですが、かなり古くから東西で演じられていました。
かの圓朝師も得意にしていた様です。
圓朝師は、「被害者」の男を、後半まったく無言とし、顔つきや態度だけで高まる怒りを表現して、円朝の顔色が青くなって、真実怒っているように見えたといいます。
弟子の圓橘師も十八番にしていたそうです。

【ストーリー】
 うまい酒を貰ったから一緒に飲もうと、留さんを呼びつけたのが飲ん兵衛の熊さん。
肴は何にも要らないが、格好がつかないからと、留さんに刺し身を買わせて漬物を出させて、燗の用意までさせました。
 ちょっと一口試してみようと口を付けなが「飲み友達は沢山いるが、留さんが一番好きなんだよ、二人でじっくりやろうよ」
「そう言われると嬉しいねぇ、で旨いかい」
「飲んでる時にせっつくんじゃねぇよ、もう一本熱いのを取ってくれ」
 しゃべりながら延々と一人で飲み続けた熊さんが気分よく酔って、留さんに何か歌えというが、素面じゃ歌えねぇ。だんだんぞんざいな口になり、終いに留さんを馬鹿呼ばわり。
 とうとう留さんが一杯も飲まないうちに酒が無くなってしまった。留さんが怒って飛び出すと、近所のおかみさんが飛び込んで来て、どうしたんだい、喧嘩でもしたのかい。 
「留公なら放っときな酒癖が悪いんだから」

【演者】
何と言っても個人的には圓生師ですね。
五代目小さん師もいいですね。

【注目点】
個人的にはこの噺は「猫の災難」に似ていると思います。
あちらは、友人の居ない内に呑んで仕舞いますが、こちらは目の前で呑んでしまうので、キツイですね
それと、演者は一人で呑んでいる訳ですが、その酔って来る仕草等も自然に行わければならず、かなり技量の居る噺です。

『ネタ』
上方では桂南天師から米朝師に伝わりました。
こちらの方は、主人公は引っ越してきたばかりの独り者で、訪ねてきた友達に荷物の後片付けまですっかりやらせるという合理的な運びで、その後「一人酒盛」のくだりに入ります。
六代目松鶴師の十八番でもありました。圓生師は三代目圓橘師のが伝わったと言います。

images『蛙茶番』
 まだまだ残暑が厳しいですが、今日はこの噺です。季節的にですが、大店が棚卸しをする時期によく素人芝居をやったそうなので、秋の噺とされています。スーパーでもここの所「棚卸し」が多い感じがします。
今は軽い艶笑噺として演じられていますが、元は「五段目」の後半の噺だったと言う説もあります。

【原話】
1785年の「猫に小判」の「ふんどし」。1826年の「滑稽笑顔種」の「虫拳」等です。

【ストーリー】
町内の素人芝居で
「天竺徳兵衛」の「忍術ゆずり場」を出すことになったのですが、伊勢屋の若旦那が来ません。
どうやら、あてられた蛙の役が嫌で来ない様です。
店の定吉を説き伏せて役をやらせる事にしたのですが、今度は舞台番の半公が来ません。
定吉を使いにやると、芝居ではなく舞台番を当てられたのが不服の様です。
そこで番頭さんが、一計を案じ、半公が岡惚れの小間物屋のみい坊が
「役者なんかしないで舞台番と逃げたところが半さんらしくていい」
と、誉めていたと、だまして連れてこいと言いつけ、定吉を使いにやります。
これを聞いて有頂天になった半公、どうせならと、
自慢の緋縮緬のフンドシを質屋から急いで請け出し、湯屋で入念に「男」を磨く始末です。
何時まで待っても来ないので、「来ないとみいちゃん帰っちゃうよ」と言うと、
半公は慌てて湯屋から飛び出します。
もちろん自慢のふんどしも締め忘れたままです。
ふんどしを締め忘れた事に気がついていない半公は止せば良いのに、道行く知り合いに前をまくって見せて歩きます。
そのまま芝居に駆けつけたから芝居が始まりますが、場内はシーンと見入っていて騒ぐ者はいません。
じれた半公は自慢のモノを見せたいが為に、声を荒げ出します。
一人、二人と気がついた人が騒ぎ出します。
「ありがてえ」と益々調子に乗って半公は舞台番の位置から飛び出します。
いよいよ見せ場の忍術ゆずり場。
ドロンドロンと大どろになるが、ガマの定吉が出てきません。
「おいおい、ガマはどうした。」「へへっ、出られません」
「なぜ?」「あすこで、青大将がねらってます」

【演者】
 もう色々な噺家さんが演じています。六代目圓師も生前はよく演じていました。今でも寄席で結構かかりますね。寄席などでは結構女性客が喜んで聴いてる気がします。穿った見方でしょうかw

【注目点】
もうこれはいかに可笑しくもさらりとやるかですね。粋に演じる事が求められますね。

『能書』
昔はなんたって芝居が一番の人気です。人気も高いです。他の噺でも小僧の定吉が用足しのついでに一幕だけ芝居を見て帰り、バレて蔵にお仕置きの為、入れられるなんて噺がありますが、もう老若女男皆夢中だった様ですね。すると、今でもそうですが、憧れのスターと同じになりたいと言う気持ちが沸き上ります。
今ではカラオケやコスプレ等ですが、それが昔は自分達でも、憧れのスターと同じ芝居をやってみたい!
 と思う訳です。そんな素人芝居を茶番と呼びました。「とんだ茶番だぜ」なんて言葉は今でも使いますね。

『ネタ』
云われは歌舞伎の大部屋役者が、毎年五月二十九日の曽我祭の日に酒宴を催し、その席で、当番が面白おかしく口上をのべたのが始まりでそれを「酒番」と言いました。
享保年間(1716〜36)の末に、下戸の初代澤村宗十郎が酒席を茶席に代えたので、
酒番も茶番になりました。宝暦年間(1751〜64)になると、遊里や戯作者仲間、一般町人の間にもこの「口上茶番」が広まり、素人芝居に口上茶番の趣向を加味した「素人茶番」も生まれました。
「芝居」と銘打つとお上が煩いので、あくまでタテマエは茶番とし、商家の祝い事や町内の催しものに、アトラクションとして盛んに行われました。

d2d5c115皆様には色々とご心配をおかけして申し訳ありません。何とか更新してみました。そこで今日は「お化け長屋」です。
「原話」
江戸後期の滑稽本作者、滝亭鯉丈が文政6年(1823)に出版した「和合人」初編の一部をもとにして、自ら作った噺とされます。
上方落語では、「借家怪談」として親しまれ、初代小南師が東京に移したともいわれますが、
すでに明治40年には、四代目橘家円蔵の速記もあり、そのへんははっきりしません。

【ストーリー】
 長屋にある一軒の空き家。そこを長屋の連中は物置に使っていると、大家から家賃を払うか荷物をどかせと言われます。そこで、長屋の古株、通称古狸の杢兵衛さんが一計を案じます。
 借り手が訪ねてきたら、家主は遠方に住んでいるので自分が長屋の差配をまかされているといって杢兵衛の家へ来させて、借り手をおどして空き家に借り手がつくのを防ごうという算段を立てます。
 早速、借り手がやってきますが、お化けが出るとか、ある事無い事を言って脅かして、返してしまうのですが
あまつさえ忘れた財布を手に入れて、鮨(弥助)を食べに行こうと言う算段まで立てます。
 次にやって来た男は一向に恐がらず、話の間にちょっかいを入れる始末で、
困った杢兵衛さんは、濡れ雑巾で男の顔をひと撫でしようとすると、男に雑巾をぶん取られ、逆に顔中を叩かれこすられてしまいます。
男はすぐに引越して来るから掃除をしておけといい帰ってしまう。
先ほど置いてった財布も持っていかれて仕舞います。

とここまでが上で、最近はほとんどここで演者は切っています。
この先の下はその男を仲間が脅かすと言う筋なのですが、あまり演じられていません。
下のあらすじは以下の様になります。

 この男、早速明くる日に荷車をガラガラ押して引っ越して来ます。男が湯に行っている間に現れたのが職人仲間五人。日ごろから男が強がりばかり言い、今度はよりによって幽霊の出る長屋に引っ越したというので、本当に度胸があるかどうか試してやろうと、一人が仏壇に隠れて、折りを見て鉦をチーンと鳴らし、二人が細引きで障子を引っ張ってスッと開け、天井裏に上がった一人がほうきで顔をサッ。仕上げは金槌で額をゴーンというひどいもの。
 作戦はまんまと成功し、口ほどにもなく男は親方の家に逃げ込みました。
 長屋では、今に友達か何かを連れて戻ってくるだろうから、もう一つ脅かしてやろうと、表を通った按摩(あんま)に、家の中で寝ていて、野郎が帰ったら「モモンガア」と目を剥いてくれと頼み、五人は蒲団の裾に潜って、大入道に見せかける。
 ところが男が親方を連れて引き返してきたので、これはまずいと五人は退散。按摩だけが残され「モモンガア」。
「みろ。てめえがあんまり強がりを言やあがるから、仲間に一杯食わされたんだ。それにしても、頼んだやつもいくじがねえ。えっ。腰抜けめ。尻腰がねえやつらだ」
「腰の方は、さっき逃げてしまいました」

【演者】
 圓生師や金馬師などの録音が残っています。特に「下」は志ん生師の録音もあります。その他小三治師や志ん朝師を初め多くの噺家さんが演じています。

【注目点】
オチの前の「尻腰がねえ」は、東京の言葉で「いくじがない」という意味だそうですが、
昭和初期でさえ、もう通じなくなっていたようです。

『能書』
この噺に登場する長屋は、落語によく出る九尺二間、六畳一間の貧乏長屋ではなく、
それより一ランク上で、もう一間、三畳間と小庭が付いた上、造作(畳、流し、戸棚などの建具)も完備した結構な物件だったようです。

『ネタ』
 噺の中の「弥助」とは寿司のことです。八代目正蔵師も噺の中で語っていましたね。
 ちなみに上方で、稲荷寿司の事を信太寿司と言うそうです。

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