『お直し』
今日は志ん生師で有名なこの噺です。春の噺だそうです。
【原話】
1807年の喜久亭壽暁のネタ帳「滑稽集」に「なおし」とありまして、これが元で生粋の江戸落語です。現在のは三代目小さん師から志ん生師に伝わり、今になっています。
昭和31年度の芸術祭賞を受賞したのは、余りにも有名です。
【ストーリー】
吉原の女郎と牛太郎が許されない関係になります。普通なら廓の色恋はご法度ですが店の旦那は二人を一緒にした上で、女郎はやり手として引続き働かせてくれました。
しばらくまじめに働きましたが、やがて男が博打に手を出してしまい、借金が残りました。
どうしようか、途方に暮れているところに、けころに空店があるが商売をしないかと誘いがあったので、カミさんが女郎になり、男が若い衆として女郎屋を始める事にしまいした。
けころでは、線香一本が燃え尽きる時間で料金が加算されて延長するのを「お直し」と呼ぶのです。
カミさんが客に色良い返事をする度に
「直してもらいな」
「あら、お直しだよ」
と言う調子で一人目の客をあしらった後で男でしたが、段々面白く無くなってきて
「止めた、止めた、馬鹿らしくてやってられねぇ、俺と別れてあの客と一緒になるのか」
「馬鹿だねこの人は、客あしらいに決まっているだろ。こんなに妬かれるなら止めるよ」
「止められては困ってしまうから、もう妬かねぇから、もう一度頼むよ」
二人が仲直りをして話しをしていると、先程の客が戻って来て
「おう、直してもらいなよ」
【演者】
やはり志ん生師なんでしょうね。息子の志ん朝師もいい味出しています。
現在は古今亭を中心に色々な噺家が演じています。
【注目点】
亭主が女房に客を取らせ、しかもお互いに惚れあってるという、普通では考えられないようなドン底の暮らしの中の夫婦愛を描いています。
噺の中で、都合五回「直してもらいなよ」がありますが、志ん生師が言うのには、一度目は職業的に、二回目は元気よく、三度目は少し不安になって、四回目は捨て鉢に、そして五回目は爆発的に言うのだそうです。
『能書』
ケコロというのは、江戸の各所に出没していた最下級の私娼の総称の事です。
吉原では、羅生門河岸という所に居まして、京町2丁目南側、お歯黒どぶといわれた真っ黒な溝に沿った一角でした。
表向きは、ロウソクの灯が消えるまで二百文が相場ですが、「お直し、お直しお直しィッ」と、
立て続けに二百文ずつアップさせ、結局、素っ裸にむいてしまうという正に羅生門という感じだったそうです。特に東側の羅生門岸の客引きは物凄く誰彼構わず引張り上げられたそうです。
『ネタ』
蹴殺(けころ)というのは、もともとは吉原に限らず、江戸の各所に出没していた最下級の私娼の総称です。(蕎麦の川柳にも出て来ますね。二回で三杯食べる奴です)
でも、吉原では、寛政(1789−1801)の頃には絶えていたそうです
今日は志ん生師で有名なこの噺です。春の噺だそうです。
【原話】
1807年の喜久亭壽暁のネタ帳「滑稽集」に「なおし」とありまして、これが元で生粋の江戸落語です。現在のは三代目小さん師から志ん生師に伝わり、今になっています。
昭和31年度の芸術祭賞を受賞したのは、余りにも有名です。
【ストーリー】
吉原の女郎と牛太郎が許されない関係になります。普通なら廓の色恋はご法度ですが店の旦那は二人を一緒にした上で、女郎はやり手として引続き働かせてくれました。
しばらくまじめに働きましたが、やがて男が博打に手を出してしまい、借金が残りました。
どうしようか、途方に暮れているところに、けころに空店があるが商売をしないかと誘いがあったので、カミさんが女郎になり、男が若い衆として女郎屋を始める事にしまいした。
けころでは、線香一本が燃え尽きる時間で料金が加算されて延長するのを「お直し」と呼ぶのです。
カミさんが客に色良い返事をする度に
「直してもらいな」
「あら、お直しだよ」
と言う調子で一人目の客をあしらった後で男でしたが、段々面白く無くなってきて
「止めた、止めた、馬鹿らしくてやってられねぇ、俺と別れてあの客と一緒になるのか」
「馬鹿だねこの人は、客あしらいに決まっているだろ。こんなに妬かれるなら止めるよ」
「止められては困ってしまうから、もう妬かねぇから、もう一度頼むよ」
二人が仲直りをして話しをしていると、先程の客が戻って来て
「おう、直してもらいなよ」
【演者】
やはり志ん生師なんでしょうね。息子の志ん朝師もいい味出しています。
現在は古今亭を中心に色々な噺家が演じています。
【注目点】
亭主が女房に客を取らせ、しかもお互いに惚れあってるという、普通では考えられないようなドン底の暮らしの中の夫婦愛を描いています。
噺の中で、都合五回「直してもらいなよ」がありますが、志ん生師が言うのには、一度目は職業的に、二回目は元気よく、三度目は少し不安になって、四回目は捨て鉢に、そして五回目は爆発的に言うのだそうです。
『能書』
ケコロというのは、江戸の各所に出没していた最下級の私娼の総称の事です。
吉原では、羅生門河岸という所に居まして、京町2丁目南側、お歯黒どぶといわれた真っ黒な溝に沿った一角でした。
表向きは、ロウソクの灯が消えるまで二百文が相場ですが、「お直し、お直しお直しィッ」と、
立て続けに二百文ずつアップさせ、結局、素っ裸にむいてしまうという正に羅生門という感じだったそうです。特に東側の羅生門岸の客引きは物凄く誰彼構わず引張り上げられたそうです。
『ネタ』
蹴殺(けころ)というのは、もともとは吉原に限らず、江戸の各所に出没していた最下級の私娼の総称です。(蕎麦の川柳にも出て来ますね。二回で三杯食べる奴です)
でも、吉原では、寛政(1789−1801)の頃には絶えていたそうです