らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

桂枝雀

「胴乱の幸助」という噺

20230512100008『胴乱の幸助』
今日は「胴乱の幸助」です。
上方落語ですが、最近では東京でも演じる噺家さんもいます。
その時は「胴乱幸助」と「の」の字が無くなります。

『原話』
上方落語の切ネタで、東京には五代目圓生師が移植しました。

『演者』
三代目桂米朝師、二代目桂枝雀師、三代目桂文我師、桂文珍師、東京では、上方ネタを演じた二代目桂小南師などがいますし、芸協の若手でもごくたまに聴くことがあります。

『ストーリー』
粗筋は上方の方で書きますと。
阿波の徳島から出てきて、一代で身代を築いた働き者の割り木屋の親父の幸助さん。いつも腰に胴乱をぶらさげて歩いています。
喧嘩の仲裁をするのが道楽で、喧嘩なら子供の喧嘩、犬の喧嘩でも割って入るという。
往来で喧嘩を見つけると中に割って入り、必ず近くの料理屋で説教し仲直りさせご馳走するのを楽しんでいる。

今日も喧嘩を探して歩いていると、幸助さんが来るのを見つけ、喧嘩のまねをして酒にありつこうと二人組がなれあい喧嘩をはじめる。
これが本当の喧嘩になってしまった所へ幸助さんが割って入る。
料理屋へ連れて行き、仲直りさせ酒、さかなをふるまう。二人組はずうずうしくみやげまでせしめる。
もっと大きな派手な喧嘩はないものかと歩いていると、浄瑠璃の稽古屋の前へ来る。中では「桂川連理柵」(かつらがわれんりのしがらみ)お半長右衛門帯屋の段の嫁いじめの所を稽古している。
幸助さん、これを聞くとすっかり本当の嫁いじめだと思って中へ飛び込む。
驚いた稽古屋の師匠が、これは京都の話だと説明するが、浄瑠璃など知らない幸助さんはそれならもめごとを収めに京都に行って来るといい場所や店の名を紙に書いてもらい京都へ向う。
大阪の八軒屋から三十石船に乗り伏見で降り、柳の馬場押小路虎石町の呉服屋に入った幸助さん、お半長右衛門の一件をかたづけに来たと話し始めるが番頭はちんぷんかんぷん。
番頭は話の中にお半とか長右衛門とか帯屋が出てくるのでやっと浄瑠璃の「お半長」の話だと分かり馬鹿馬鹿しくて大笑いする。
それでもまだ本気な幸助さんは、お半と長右衛門をここへ出せと言う。
番頭 
「お半も、長右衛門もとうの昔に桂川で心中しました」
幸助
 「え、死んだか、汽車で来たらよかった」

『能書』
 とまあ、明治の初め頃の汽車と船が共存していた時代の噺です。これは東京版でもそう変りはありません
 この先は同じ展開で、京都まで行くのです。オチも同じでした。今日のは途中で落としています。それは、無一文の酒好き二人が、幸助さんお仲裁の酒を目当てに、目の前でケンカ始めます。幸助さんは仲裁をして、両方に意見を言います。
「オメェー達、オレが居なかったらどうなってたと思うんだ!?」
「ハイ、ケンカは起きてなかったデス」
と言うオチになっています。

『ネタ』
胴乱とは、革製の方形をした小袋。古くは筒卵,銃卵とも書くそうです。
元来は鉄砲の弾丸入れで腰にさげていた。喫煙の風習が広まると火打石やタバコ入れ,さらには印判,薬入れとしても使われるようになったそうです。
幕末に各藩で洋式調練が行われるようになると,オランダ兵のパトローンタスをまねた肩掛胴乱,負皮(おいかわ)胴乱が兵士の間で流行したとあります。
肩掛胴乱なんてショルダーバッグですね。

「蛇足」
評論家の矢野誠一氏は、五代目三遊亭圓生師が演じたものの速記本を読み
「違和感のあるのは否めない」
と評しています。理由として同演目が
「義太夫が暮らしの中にはいりこんでいた風土なしには、成立しない噺であり、純粋の上方落語」でもある。また義太夫節が一般的でなかった東京への移植は無理だった。と語っています。
 また桂米朝師も「この噺は京阪間に汽車が開通し、三十石船と共存していた僅かな時代設定に限られます。浄瑠璃が盛んだった(上方で)昭和初期まではかなり受けたと思います」と語っています。

「さらに」
 東京版では三遊亭歌奴師が2013年頃に演じている記録があります。その時は幸助さんは炭屋のおやじと設定されています。しかも、わざわざ東京から京都まで行くというバカバカしさがあります。

「瘤弁慶」という噺

20220416104142『瘤弁慶』
今日は上方落語でこの噺です。

『原話』
「東の旅」の伊勢詣りの帰路にあたる噺で初代笑福亭吾作師の作です。

『演者』
近年では桂米朝師や枝雀師それに先代の文枝師がやっています。勿論現役世代でも演じられています。東京でやってる方はいるのかどうか(東京で活動してる上方落語家以外で)

『ストーリー』
伊勢参りを済ませた喜六と清八のコンビが、大阪へ帰る道すがら大津の岡屋半衛門にやって来ます。
 番頭をからかいつつ部屋にはいり、面白おかしく飲んでいると、いつの間にか人が集まってきて大宴会に。ドンチャン騒ぎをしていると…血相を変えた男が飛び込んでくる。
「廊下で化け物に遭いました」
このバケモノの正体は単なるクモ。
「苦手な人にとっては化け物になるな」
 という話から『嫌いなもの・好きなもの』の話をしていると一人の男が
「壁土が好き」
 と言いだしました。男は本当に壁土を食べ出します
「この宿屋は確かに古い、味が本願寺の壁土に似ている」
 と言い出す始末です。その翌朝…男は高熱を出して動けなくなってしまいます。
 暫く養生をして、やっと動けるようになった男が京都の綾小路麩屋町にある自宅に帰ってきたます。
 すると、何故か、肩に瘤が出来て、どんどん大きくなると人の頭になってしまったのです。そしてその瘤が
「ワシは武蔵坊弁慶だ!!」
 と言い出す始末です。大津の宿で食べた壁土に弁慶の絵が塗りこめられており、壁土ごと食べられたのを幸いに男にとりついてしまったらしいのです。
そしてこの瘤が飯を食わせろ、酒を飲ませろやら女郎買いへ連れて行けと暴れる始末です。男は閉口し、医者からは瘤を切り取ると死ぬと匙を投げられてしまいます。
 とうとうノイローゼになってしまい、寝込んでしまっていると友達が見舞いにやって来ます。友人曰く
「そのコブをイボだと偽り、蛸薬師で治してもらえ」
 それを聞いた男は、弁慶に風呂敷をかけて隠して妙心寺へ通うこと数日。ある夜の帰りに大名行列に出くわした弁慶は、男の体を操り殴り込みをかけてしまいます。
「我が名が聞きたくば名乗って聞かせん!」
 芝居のようにに見得をきる弁慶に、殿様が出てきて
「手打ちに致す、そこへ直れ」。
 男が平伏して
「このコブ切られたら命がないと医者に言われた」
と嘆願しますがが、殿様曰く
「夜のコブは見逃しならぬ」。

『能書』
サゲは「夜の昆布は見逃すな」という諺のもじりです。知らないと判りませんね。「夜の昆布」と「喜ぶ」をかけた洒落で「夜の昆布は乞ふても喰へ」と言う諺があるそうです。
元々は「コブ(昆布)」は蜘蛛のことで、落ちは「夜の蜘蛛は殺せ」という諺に由来するとも言われています。

『ネタ』
サゲが判り難くくなってしまった為に枝雀師が別のサゲを考えました。
 男のコブの正体が弁慶であると聞いた殿さまが「手打ちは義経に」、つまり、よさなければならないと答えるのです。これは『青菜』から流用したものですね。最近はこちらが多くなって来ました。

「蛇足」
この噺は伊勢参りの帰りの道中の噺ですが主人公が喜六と清八から変わってしまっていると言う特殊な構成になっています。

私的枝雀論

82250b58今日は桂枝雀師について、極々私的な思いを書いてみたいと思います。以前書いたものに補正しました。

枝雀師匠と言えば、派手な身振り手振りで陽気な高座が思い浮かんで来ます。
見ていてとても楽しい高座です。
余りにも楽しいので見過ぎると中毒になる危険もありますw

私は落語を聴くときは、仕事をしながら聴く事が多ので、自然と音のみが多くなります。
落語を流しながら調理の仕込みをしたり片付けをしながら聞いたりなんて事をよくします。

ですから枝雀師匠の落語も同じ様に聞いていました。
他の師匠と違って、枝雀師はTV等で、映像を先に見ていたので、音声のみを聞いた時は
印象が随分違うのに驚きました。

音声のみで聞いて居ると枝雀師の噺は映像の時とは真逆に感じてしまいました。
物凄く静かで、どちらかと言うと静の部分が強調され、しつこいと感じていた語り口は逆にあっさりと感じ、
全体的に、静かな語り口にさえ感じてしまうのです。

さらに聴きこんでいくと、年代もありますが、
私がニコにうpした「三十石」等は後半は苦しんでいる様に聞こえます。
落語を語りながらも師匠は泣いて苦しんでいる様な気さえしました。

映像でも最後の方の高座は正面を切れていませんが、
音声のみを聞いて居ると師匠はもっと早くから苦しんでいた様に感じます。

ここから先は私の独断と偏見で書きますが、(すでにそうなっているってw)
枝雀師は弟弟子の吉朝師と言うこれまたもの凄い噺家さんがいましいた。
彼の高座を見てその本格ぶりと自分のTV向けの高座を比較し、
本来の自分のやりたい高座とのギャップに苦しんでいたのでは無いでしょうか?
人気があって面白くても、演目としての深みが無い・・・・
其の様に考えていたとしても不思議じゃ無いと思います。
真面目な師匠はその辺を考え過ぎてしまったのかと・・・・

「天神山」等はあえてサゲを付けずに演じてみたり色々工夫はしていましたが、悩みすぎたんでしょうね、なんせ人気が凄すぎた!

米朝師に「自分が行き詰まったら、『たちきり』がまだあるぞ、と言ってください」と言っていたそうです。
その事からも、もっと人情噺の方向も探っていたと思われます。

それと、本格的な落語ファンから見れば、米朝師の落語を継ぐのは吉朝師だと思っていたハズです。
ならば、自分はどう将来レベルアップしなくてはならないのか、
そんな事を考えてしまったのかなあ〜と思っています。

TVと芸のギャップに悩んだのは小圓遊師も同じですね。

「バカ言ってんじゃねえよ!」
と思った方もおいででしょうが、独断と偏見でかきましたw

昇華した枝雀師匠を聞いてみたかったなあ・・・・
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犬が主人公?の噺

1c78fddcaad44305d671-1024今日は「鴻池の犬」です。

原話は、安永2年(1773)刊の笑話本「聞上手」中の「犬のとくゐ」です。
この原話を含む笑話本は、江戸のものですが、落語としては上方で、「鴻池の犬」として磨かれました。
東京には、明治30年ごろ、初代三遊亭円左師が持ち込みました。
のちに三代目三遊亭円馬が「大どこの犬」と改題して東京風に演じ直し、
鴻池を岩崎、犬が最初に拾われる場所を、大坂南本町から江戸日本橋石町と変えました。
その後、八代目正蔵師が「おおどこの犬」として高座に掛けていました。
現在でも結構高座に掛けられています。

商家の軒先に捨て犬があり、それを 丁稚が世話をするなか、黒、白、ぶちの3匹のうち、黒犬を欲しいという男からの申し出があります。
日を改めて吉日に来たその男が持参したのは、鰹節、酒、反物の数々。 これを犬には不相応として断る主人。
しかし男曰く、自分は鴻池善右衛門の使いであり、そこで飼っていた黒犬が死んで以来、かわいがっていた子供が気落ちしており、そのため見つけたこの黒犬がぜひとも欲しいと言うのです。
いわば養子にもらうための贈り物、という経緯に主人も納得し、輿に乗せられもらわれて行く黒犬です。

鴻池宅では医者が付き、広い敷地に豪勢な餌で大きく育った黒犬は、やがてクロと名付けられ、
「鴻池の大将」として近所のボス犬となります。

ボスとして犬同士のケンカの仲裁などをする日々のなか、近辺で見慣れない痩せ細った犬が、地回りの犬にいじめられ、追われて鴻池宅前まで逃げて来ます。
追っ手の犬達を諭しながら、事情を聞くクロ。
痩せ犬の生い立ちを聞けば、3匹の兄弟で捨てられていたが、船場、南本町の池田屋で拾われて育ち、
兄弟のうち黒犬はもらわれ、白犬は死に別れたとのこと。
そこでクロと痩せ犬は生き別れた兄弟であることが判明、クロが面倒を見ることになります。
ある日、「来い来い来い……」の声がする方へ、クロが行って戻ると、鯛の焼き物、う巻きなどをもらって来ます。
再び「来い来い来い……」の声があるが、今度はしょんぼりして戻って来る。 弟が尋ねると、
クロが「ぼんに『しー来い来い来い』言うて、おしっこさしてたんや」。

現在の上方の型は米朝師が5代目松鶴師の速記から起こしたもので、実際の高座は見ていないそうです。

鴻池家の発祥は、山中鹿之助の次男が伊丹の鴻池村で、諸白を使った三段仕込み製法に成功し、
清酒の技法を確立し、この酒を江戸に下らせて大成功を収めました。
それにあやかり、姓を”鴻池”と改めたと言う事です
その後、海運業に進出する傍ら、明暦2年(1656)、大坂内久宝寺町に両替屋を開き、延宝2年(1674)、
現在の大阪市東区今橋2丁目に本拠を移しました。
以来、大名貸しや新田開発などで巨富を築き、「今橋の鴻池」といえば、全国どこでも富豪の代名詞で通るほどになりました。

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大変なモノを飲み込んでしまった男の噺

990912-005今日は志ん生師もよくやったと言う「義眼」です。

ある男、
目の具合がどうも良くないので、医者に相談するが、ますます見えなくなるばかり。
眼科の先生もしまいには面倒くさくなり、えいとばかり悪い方の目をスッポリ抜き取り、
代わりに義眼をはめ込んでごまかしてしまった。
「あー、どうです具合は?……そりゃよかった。それから、入れた方の目は夜は必要ないンだから、取りましてね、枕元に水を置いて、浮かべときなさい。そうすりゃ長持ちするから」

当人すっかり喜んで、その夜、吉原のなじみの女郎のところへ見せびらかしに行く。
男前が上がったというので、その晩は大変なモテよう。

さて、こちらは隣部屋の客。反対に相方の女が、まるっきり来ない。
女房とけんかした腹いせの女郎買いなのに、こっちも完璧に振られ、ヤケ酒ばかり喰らい、クダを巻いている。
「なんでえ、えー、あの女郎は……長えぞオシッコが。牛の年じゃあねえのか?」
「それにしても、隣はうるさいねえ。え、『こないだと顔が変わった』ってやがる。」
「七面鳥のケツじゃあるめえし、え、そんなにツラが変わるかいッ!こんちくしょうめ!」

焼き餠とヤケ酒で喉が渇き、ついでにどんなツラの野郎か見てやろうと隣をのぞくと、
枕元に例の義眼を浮かべた水。
色男が寝ついたのを幸いに忍び込んで、酔い覚めの水千両とばかり、ぐいっとのみ干したからたまらない。
翌日からお通じはなくなるわ、熱は出るわで、どうにもしようがなくなって、医者に駆け込んだ。

「あー、奥さん、お宅のご主人のお通じがないのは、肛門の奥の方に、何か妨げてるものがありますな」
サルマタを取って、双眼鏡で肛門をのぞくなり先生、「ぎゃん」と叫んで表へ逃げだした。
男の女房が後を追いかけてきて、「先生、いったいどうなさったんです」
「いやあ驚いた。今、お宅のご主人の尻の穴をのぞいたら、向こうからも誰かにらんでた」

とまあ、いかにも落語らしい落語と言う感じですねえ。楽しい〜(^^)
楽しいナンセンスにあふれた展開、オチの秀逸さで、落とし噺としては、かなりイケてますね。

意外にも、明治の大看板で人情噺の大家・初代三遊亭円左師が得意にしていたそうです。
それを大正の爆笑王・柳家三語楼師がさらにギャグを加え、オチも「尻の穴ににらまれたのは初めてだ」
から、よりシュールな現行のものに変えました。
そして志ん生師へと伝わっのですね。

志ん生師の音源は調べたら、「講談社DVDBOOK・志ん生復活!落語大全集」第5巻に収録されていますね。

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枝雀師匠の音源

fd4ab443.jpg今日は、toshiさんからリクエストのあった枝雀師匠の噺です。
全部は無かったので、「ふたなり」「延陽伯」「鐵砲勇助」「いらちの愛宕参り」の四席をうpしました。
「権兵衛狸」もあったと思うのですが、チョツト見つからないので・・・
今日から仕事が立て込んでいるので、暇になったら探してうpします.

期限は何時ものように一週間です

http://firestorage.jp/download/f0a4e997114f5772b2e86972d8ddeac5a531008f
 
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