『柳の馬場』
今日はこの噺「柳の馬場」です。
『原話』
中国・明代の笑話集「應諧録」中の小咄が原型とみられます
中国の笑話集「慶諸録」の「盲苦」と思われます。
『演者』
明治期は四代目橘家円喬の名演が、いまだに語り草になっています。
幼時に見た六代目圓生師が語るには、圓喬師は座って演じているのに、杢市が枝にぶら下がった足先に、本当に千尋の谷底が黒々と広がって見えたとか。そのせいか、圓生師は、生涯この噺を手掛けませんでした。
また、初代圓左師が得意としたそうですが圓左師のは、ぶら下がった足先が直ぐに地面で、お殿様がからかってる感じがよく出ていたそうです。どちらを取るかでしょうねえ。
その後一朝老人から正蔵師へ伝わりました。
『ストーリー』
治療の腕より口が達者な按摩の杢市ですが、ある旗本の殿さまのごひいきに預かり、
足げく揉み療治に通っているのですが、ある日、いつものように療治が終わってからのよもやま話で、目の見えない人間をいじめる輩への怒りを訴えたところから口が滑って、自分はいささか武道の心得がある、と、ホラを吹いてしまいました。
殿さまが感心したのでつい図に乗って、剣術は一刀流免許皆伝、柔術は起倒流免許皆伝、
槍術は宝蔵院流免許皆伝、薙刀は静流免許皆伝と、つい図に乗って仕舞います。
弓術は日置流免許皆伝と言ったら、殿様が
「的も見えないそちが弓の名手とはちと腑に落ちんぞ」
と文句を言うと、そこは心眼で、とごまかします。
調子に乗り、ご当家は三河以来の馬術のお家柄なのに、りっぱな馬場がありながら馬がいないというのは惜しい、自分は馬術の免許皆伝もあるので、もし馬がいればどんな荒馬でも乗りこなしてみせるのに残念だ。と言ったからさあ大変。
「実はこの間、友人の中根が『当家に馬がないのは御先祖にも申し訳あるまい。
拙者が見込んだ馬を連れてきてやろう』と言っていたが、
その馬が荒馬で、達人の中根自身も振り落とされてしまった。
きさまが免許皆伝であるのは幸い。一鞍責めてくれ」
こう言われてしまいました。
しかたなく、今のは全部うそで、講釈場で「免許皆伝」と流儀の名前だけを仕入れたことを薄情。しかし、殿さまは
「身供に術を盗まれるのを心配してさようなことを申すのであろう」
と、全然取りあってくれません。若侍たちにむりやり抱えられ、鞍の上に乗せられてしまいました。
馬場に向かって尻に鞭をピシッと当てられたからたまらず、馬はいきり立って杢市を振り落とそうとします。
半泣きになりながら必死にぶるさがって、馬場を半周ほどしたところに柳の葉が目に入ります。この枝に慌てて飛びつくと、馬は杢市を残して走っていってしまいました。
「杢市、しっかとつかまって手を離すでない。その下は谷底じゃ。落ちれば助からん」
「ひえッ、助けてください」
「助けてやろう。明日の昼間までには足場が組めるだろう」
冗談じゃない。もう腕が抜けそうだ。
「長年のよしみ、妻子老母は当屋敷で養ってつかわす。心置きなく、いさぎよく死ね」
耐えきれなくなり「南無阿弥陀仏」と手を離すと、
地面と、足先ががたった三寸。
『能書』
按摩と言う職業は揉み療治、鍼灸などを業とし、座頭の位がもらえて初めて営業を許されました。
盲人だけでなく、目が見える者も多く、その場合は座頭の資格ではなく、頭を丸めて医者と名乗っていたそうです
また金融業を商なむ者も多かったそうです。
『ネタ』
よく座頭と検校と言いますが、検校は当道座の四官(検校・別当・勾当・座頭)の一つで、最上位の位の名称です。何でも15万石の大名に匹敵した権威と格式を持っていたそうです。
「蛇足」
正蔵師はサゲが分かり難い時は「下三寸は災のもと」と付け加えていたそうです。
今日はこの噺「柳の馬場」です。
『原話』
中国・明代の笑話集「應諧録」中の小咄が原型とみられます
中国の笑話集「慶諸録」の「盲苦」と思われます。
『演者』
明治期は四代目橘家円喬の名演が、いまだに語り草になっています。
幼時に見た六代目圓生師が語るには、圓喬師は座って演じているのに、杢市が枝にぶら下がった足先に、本当に千尋の谷底が黒々と広がって見えたとか。そのせいか、圓生師は、生涯この噺を手掛けませんでした。
また、初代圓左師が得意としたそうですが圓左師のは、ぶら下がった足先が直ぐに地面で、お殿様がからかってる感じがよく出ていたそうです。どちらを取るかでしょうねえ。
その後一朝老人から正蔵師へ伝わりました。
『ストーリー』
治療の腕より口が達者な按摩の杢市ですが、ある旗本の殿さまのごひいきに預かり、
足げく揉み療治に通っているのですが、ある日、いつものように療治が終わってからのよもやま話で、目の見えない人間をいじめる輩への怒りを訴えたところから口が滑って、自分はいささか武道の心得がある、と、ホラを吹いてしまいました。
殿さまが感心したのでつい図に乗って、剣術は一刀流免許皆伝、柔術は起倒流免許皆伝、
槍術は宝蔵院流免許皆伝、薙刀は静流免許皆伝と、つい図に乗って仕舞います。
弓術は日置流免許皆伝と言ったら、殿様が
「的も見えないそちが弓の名手とはちと腑に落ちんぞ」
と文句を言うと、そこは心眼で、とごまかします。
調子に乗り、ご当家は三河以来の馬術のお家柄なのに、りっぱな馬場がありながら馬がいないというのは惜しい、自分は馬術の免許皆伝もあるので、もし馬がいればどんな荒馬でも乗りこなしてみせるのに残念だ。と言ったからさあ大変。
「実はこの間、友人の中根が『当家に馬がないのは御先祖にも申し訳あるまい。
拙者が見込んだ馬を連れてきてやろう』と言っていたが、
その馬が荒馬で、達人の中根自身も振り落とされてしまった。
きさまが免許皆伝であるのは幸い。一鞍責めてくれ」
こう言われてしまいました。
しかたなく、今のは全部うそで、講釈場で「免許皆伝」と流儀の名前だけを仕入れたことを薄情。しかし、殿さまは
「身供に術を盗まれるのを心配してさようなことを申すのであろう」
と、全然取りあってくれません。若侍たちにむりやり抱えられ、鞍の上に乗せられてしまいました。
馬場に向かって尻に鞭をピシッと当てられたからたまらず、馬はいきり立って杢市を振り落とそうとします。
半泣きになりながら必死にぶるさがって、馬場を半周ほどしたところに柳の葉が目に入ります。この枝に慌てて飛びつくと、馬は杢市を残して走っていってしまいました。
「杢市、しっかとつかまって手を離すでない。その下は谷底じゃ。落ちれば助からん」
「ひえッ、助けてください」
「助けてやろう。明日の昼間までには足場が組めるだろう」
冗談じゃない。もう腕が抜けそうだ。
「長年のよしみ、妻子老母は当屋敷で養ってつかわす。心置きなく、いさぎよく死ね」
耐えきれなくなり「南無阿弥陀仏」と手を離すと、
地面と、足先ががたった三寸。
『能書』
按摩と言う職業は揉み療治、鍼灸などを業とし、座頭の位がもらえて初めて営業を許されました。
盲人だけでなく、目が見える者も多く、その場合は座頭の資格ではなく、頭を丸めて医者と名乗っていたそうです
また金融業を商なむ者も多かったそうです。
『ネタ』
よく座頭と検校と言いますが、検校は当道座の四官(検校・別当・勾当・座頭)の一つで、最上位の位の名称です。何でも15万石の大名に匹敵した権威と格式を持っていたそうです。
「蛇足」
正蔵師はサゲが分かり難い時は「下三寸は災のもと」と付け加えていたそうです。