『幾代餅』
今日は志ん生師で有名な「幾代餅」です。
圓生師で有名な「紺屋高尾」も同じ系統の噺です。
『原話』
元の話は浪曲とも講談ネタとも言われています。それを志ん生師が落語にしたモノです。一説には志ん生師が講釈師に転じていた時に仕入れたとも言われています。
同じ系統の噺に圓生師が演じた「幾代餅」があり、また八代目柳枝師が演じた「搗屋無限」も似た噺ですね」
『演者』
古今亭の一門に受け継がれており寄席でも聴くことが出来ます。
三遊亭なら「紺屋高尾」ですね。
『ストーリー』
江戸は馬喰町三丁目、搗米屋に奉公する清蔵が、急に体調が悪くなり部屋から出てこない。お医者様のお見立てによると「体は悪くないが、胸につかえたものがあり、それが原因」とのこと。店のおかみさんが清蔵に話を聴くと、胸のつかえはなんと恋患い!それも吉原で全盛の花魁、幾代太夫の錦絵に一目惚れしてしまったという。
どうしても幾代太夫に逢いたいという清蔵に、親方は
「花魁はしょせん売り物買い物。一生懸命金を貯めれば、逢えないことはない。まず一年間は必死で働いてみろ」
と言う。
そして一年後。清蔵は働きに働いて十三両二分という金が出来た。親方はなかば呆れながらも清蔵を応援し、吉原通の藪医者、藪井竹庵先生に案内を頼む。
竹庵は「搗米屋の職人と名乗っては花魁が逢ってもくれない。野田の醤油問屋の若旦那という触れ込みにするから、万事鷹揚に振る舞うように」とアドバイス。遊廓では幾代太夫が清蔵をねんごろにもてなしてくれた。
その翌朝「今度はいつ来てくんなますか」という幾代に、清蔵は「来られるのは一年後。
醤油問屋の若旦那というのは嘘で、じつは搗米屋の職人です」とすべてを打ち明ける。
それをじっと聴いていた幾代太夫は、来年の三月に年が明けるから女房にしてくれと、五十両の支度金を清蔵に渡す。
夢見心地で時が過ぎると、立派な駕籠に乗って本当に幾代が嫁いで来た。
夫婦で餅屋を開くと、美人の幾代餅として評判になり、三人の子宝にも恵まれ、維新の世まで幸せに暮らしたと云う・・・・両国名物「幾世餅」由来の一席でございます。
別な最後ですが「傾城に誠なしとは誰がいうた。両国名物幾代餅由来の一席です」と締める演者も多いですね。
『能書』
搗米屋の職人で清蔵と、最高位の花魁、幾代太夫のなれそめの一席。
江戸時代、吉原の大店の太夫は大変な美貌と教養を兼ね備え、遊ぶには大金が必要だったそうです。
なかには高尾太夫の様に大名家に身請けをされた花魁もいます。これは「仙台高尾」として金馬師がやってます。
「君は今 駒形あたり ほととぎす」が有名ですね。
『ネタ』
清蔵の用意した金、十三両二分は、現在の価値で九十万円以上に相当し、それだけ高い買い物だったのですね。
ひるがえって、職人には高い収入も財産もない。この二人の立場の違いを理解していないと、この噺の理解は出来ないですね。
元は浪曲の演目ですので、落語では志ん生師が落語化したこの噺と、圓生師が直した「紺屋高尾」とがあります。両者の違いは職業と、お金を貯める年月が違いますね。
「蛇足」
この噺は正直、志ん生師です。馬生師も志ん朝師も演じています。
それぞれ趣向凝らして、父親の志ん生師とかぶらない様に演じています。
今日は志ん生師で有名な「幾代餅」です。
圓生師で有名な「紺屋高尾」も同じ系統の噺です。
『原話』
元の話は浪曲とも講談ネタとも言われています。それを志ん生師が落語にしたモノです。一説には志ん生師が講釈師に転じていた時に仕入れたとも言われています。
同じ系統の噺に圓生師が演じた「幾代餅」があり、また八代目柳枝師が演じた「搗屋無限」も似た噺ですね」
『演者』
古今亭の一門に受け継がれており寄席でも聴くことが出来ます。
三遊亭なら「紺屋高尾」ですね。
『ストーリー』
江戸は馬喰町三丁目、搗米屋に奉公する清蔵が、急に体調が悪くなり部屋から出てこない。お医者様のお見立てによると「体は悪くないが、胸につかえたものがあり、それが原因」とのこと。店のおかみさんが清蔵に話を聴くと、胸のつかえはなんと恋患い!それも吉原で全盛の花魁、幾代太夫の錦絵に一目惚れしてしまったという。
どうしても幾代太夫に逢いたいという清蔵に、親方は
「花魁はしょせん売り物買い物。一生懸命金を貯めれば、逢えないことはない。まず一年間は必死で働いてみろ」
と言う。
そして一年後。清蔵は働きに働いて十三両二分という金が出来た。親方はなかば呆れながらも清蔵を応援し、吉原通の藪医者、藪井竹庵先生に案内を頼む。
竹庵は「搗米屋の職人と名乗っては花魁が逢ってもくれない。野田の醤油問屋の若旦那という触れ込みにするから、万事鷹揚に振る舞うように」とアドバイス。遊廓では幾代太夫が清蔵をねんごろにもてなしてくれた。
その翌朝「今度はいつ来てくんなますか」という幾代に、清蔵は「来られるのは一年後。
醤油問屋の若旦那というのは嘘で、じつは搗米屋の職人です」とすべてを打ち明ける。
それをじっと聴いていた幾代太夫は、来年の三月に年が明けるから女房にしてくれと、五十両の支度金を清蔵に渡す。
夢見心地で時が過ぎると、立派な駕籠に乗って本当に幾代が嫁いで来た。
夫婦で餅屋を開くと、美人の幾代餅として評判になり、三人の子宝にも恵まれ、維新の世まで幸せに暮らしたと云う・・・・両国名物「幾世餅」由来の一席でございます。
別な最後ですが「傾城に誠なしとは誰がいうた。両国名物幾代餅由来の一席です」と締める演者も多いですね。
『能書』
搗米屋の職人で清蔵と、最高位の花魁、幾代太夫のなれそめの一席。
江戸時代、吉原の大店の太夫は大変な美貌と教養を兼ね備え、遊ぶには大金が必要だったそうです。
なかには高尾太夫の様に大名家に身請けをされた花魁もいます。これは「仙台高尾」として金馬師がやってます。
「君は今 駒形あたり ほととぎす」が有名ですね。
『ネタ』
清蔵の用意した金、十三両二分は、現在の価値で九十万円以上に相当し、それだけ高い買い物だったのですね。
ひるがえって、職人には高い収入も財産もない。この二人の立場の違いを理解していないと、この噺の理解は出来ないですね。
元は浪曲の演目ですので、落語では志ん生師が落語化したこの噺と、圓生師が直した「紺屋高尾」とがあります。両者の違いは職業と、お金を貯める年月が違いますね。
「蛇足」
この噺は正直、志ん生師です。馬生師も志ん朝師も演じています。
それぞれ趣向凝らして、父親の志ん生師とかぶらない様に演じています。