『味噌蔵』
寒くなって参りました。小寒に入ったそうです。大寒ももうすぐですね。という訳でこの噺です。
木枯らしが吹く頃のケチンボさんのお噺です。そのしみったれ具合が笑いを誘います。
【原話】
1680年の「噺物語」にこの噺の原型が見られます。
そして1736年頃の「軽口大矢数」に載っている米澤彦八作「田楽の取り違へ」が元のお噺です。
【ストーリー】
驚異的なしみったれで名高い、味噌屋の主人の吝嗇(しわい)屋ケチ兵衛さん。嫁などもらって、まして子供ができれば経費がかかってしかたがないと、いまだに独り身。
心配した親類一同が、どうしてもお内儀さんを持たないなら、今後一切付き合いを断る、商売の取引もしない、と脅したので、泣く泣く嫁を取りました。
赤ん坊ができるのが嫌さに、婚礼の晩から新妻を二階に上げっぱなしで、自分は冬の最中だというのに、薄っぺらい掛け蒲団一枚で震えながら寝ります。
が、どうにもがまんできなくなり、二階の嫁さんのところに温まりに通ったのが運の尽き。
たちまち腹の中に、その温まりの塊ができてしまいました。
妊娠した嫁を里に返し、出産費用を節約する等をして節約します。
やがて男の子が生まれ、嫁の里に行くことになりました。
火の始末にはくれぐれも注意し、貰い火を受けたら味噌で目張りをしてでも、財産の味噌蔵だけは守るようにと言い残して出掛けます。
旦那が泊まりの隙に、帳簿をごまかして宴会をやろうと皆で番頭に言って、刺身や寿司などを取り寄せます。
近所の豆腐屋には、冷めると不味いから、焼けた順に少しずつ持って来るように味噌焼き田楽を注文します。
宴たけなわの所へ、旦那が戻って来たからたまりません。カンカンに怒り、全員生涯無給で奉公させると言い、酔っ払いを寝かせます。
そこへドンドンと戸を叩く音。外から
「焼けて来ました」
の声
「え、どこだい」
「横町の豆腐屋からです。四、五丁焼けて来ましたが、あとどんどん参ります」
それを聞いて驚いて旦那が戸を開けると、プーンと味噌の焼ける匂い。
「こりゃいかん、味噌蔵に火が入った」
【演者】
昭和の噺家さんなら三代目桂三木助師が有名です。赤螺屋の旦那が特に良いですね。
噺の中に現代的なクスグリを入れて、受けました。又八代目三笑亭可楽師も有名です。ぼやくようなつぶやきが楽しいです。
柳家小三治師も良いですね。こちらは店の者の視点に立って語られています。それも面白いと思います。
【注目点】
やはり宴会のシーンから旦那が出先から帰って来るシーンに切り替わる辺りですね。それまで店の者の馬鹿騒ぎのシーンから一転して木枯らしが吹く夜の江戸の街に場面が切り替わります、ここを上手に演じられるか? ですね。
『能書』
噺の中で、火事の時、味噌で蔵に目塗りをすると言う下りですが、非常時には実際あったそうです。最も後でそれを剥がしてオカズにする事は無かったそうです。
『ネタ』
口うるさい上司にその言うことを聞かなければならない部下という風に設定を置き換えて聞けば、身にしみて感じる人も多いかも知れませんね。
日頃の鬱憤を晴らす部下の抵抗は、どの時代にでもあったと言う事ですね。
前回の「二番煎じ」も火事の噺です。これもそうですが、如何に江戸と言う所は火事が多かったかと言う事ですね。
「蛇足」
平安時代末期に中国より豆腐が伝来して、拍子木型に切った豆腐を串刺しにして焼いた料理が生まれたそうです。
その後室町時代になると調味技術が進歩し、味噌がすり潰されて調味料として使われるようになり、永禄年間頃には焼いた豆腐に味噌をつけた料理が流行ったとか。
はじめは唐辛子味噌だったものがのち調味味噌となったそうです。その料理の白い豆腐を串にさした形が、田植えの時に田の神を祀り豊作を祈願する田楽の、白い袴をはき一本足の竹馬のような高足に乗って踊る田楽法師に似ているため「田楽」の名になったそうです。