はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

噺の話

「御慶」について考える

2106eafe『御慶』
今日はこの噺です。大晦日から元旦にかけての噺なので年末にもよく掛かります。
非常におめでたい噺なので、お正月やおめでたい席で演じられます。

【原話】
江戸時代から伝わる非常に古い噺ですが「御慶」の題名が使われるようになったのは昭和になってからだそうです。

【ストーリー】
富に凝っている八五郎が年の瀬に梯子の上に鶴が止まっている夢を見たので、鶴一八四五番の札を買おうとして、女房の着物を脱がして質に入れて買いに行ったが売り切れだった。
 帰り道で易者に見て貰うと梯子は下から上に昇るものだから、八四五ではなく逆に鶴一四五八番を買いなさいと教えられる。
 買って見るとなんとこれが千両の大当たり。現金だと二百両割引かれるが二月までは待てないので、その場で八百両を身に着けて家に戻った。
 たまっていた店賃を払って、正月には裃を着て年始回りに出掛けることにした。長い口上は覚えられないので、短い年始の言葉を大家に教えてもらった。「おめでとうございます」には「御慶」と答え「どうぞお上がりなさい」と誘われたら「永日」と断る。
 正月になって、得意になって行く先々で御慶と永日の挨拶を続けるが、辰っつあんが外出から帰って来たところで「御慶」と言ったら「なんと言ったか分からねぇ」と言われ
「ぎょけぇったんだ」「恵方参りの帰りだ」

【演者】
個人的には五代目柳家小さん師が抜群ですね。それと古今亭志ん生、志ん朝師親子もいいです。

【注目点】
恵方詣りとは、その年の干支に基いて定めた吉の方角に当たる神社に参拝することです。

『能書』
昔は、子供のしつけとして、七、八歳になると、親の名代として近所に年始参りに行かせる習慣がありました。
その頃では家の格に従って着るものも変わっていたそうです。町内でも一番上等の家の主人は、黒羽二重紋付小袖、麻裃、白足袋、雪駄、小刀といった装束で挨拶に回ったそうです。

『ネタ』
富くじが二ヶ月待てば全額貰えたと噺の中では言ってますが、実際は寄付金を取られ、次回の富くじを大量に買わされ、2〜3割は減らされたそうです。世の中旨い話はそうは無いと言う事ですね。

「尻餅」について

4f640bb0本当は暮れにやる噺ですが、お許し下さい。
『尻餅』
今日は「尻餅」と言う本当に季節限定の噺です。今でも暮れになると寄席でもこの噺がかかかります。ちょっと色っぽい噺でもあります。

【原話】
享和2年(1802年)に出版された笑話本「臍くり金」の一遍である『もちつき』とされています。

【ストーリー】
大晦日だというのに、餠屋も頼めない貧乏所帯での会話です。
女房が、せめて近所の手前、音だけでもさせてほしいと文句を言う。
これは、少しでも金を都合してきてくれという心なのだが、能天気な亭主、これを間に受けて、
自作自演で景気よく餠屋に餠をつかせている芝居をしようと言いだす。

夜、子供が寝たのを見計らい、そっと外に出て、聞こえよがしに大声で
「えー、毎度ありがとうございます」と叫び、子供にお世辞を言ったりする場面も一人二役で大奮闘します。

ところが、餅を搗く段になると、 いやがるかみさんに着物をまくらせ、手に水をつけて尻をペッタン、ペッタンとやりだします。
だんだん尻は真っ赤になって来ます。
かみさんはしばらくがまんしていたが、とうとうこらえ切れなり、
「あの、餠屋さん、あと、幾臼あるの?」
「へい、あと二臼です」
「おまえさん、後生だから餠屋さんに頼んで、あとの二臼はおこわにしてもらっとくれ」

【演者】
今でも色々な噺家さんが演じます。暮れのこの時期ならではの噺ですので皆さんも寄席に行ってこの噺を聴いてみて下さい。

【注目点】
演者のお餅をつく音をどのようにして出してるか? ですね。それこそ演者によって違ったりします。そこも注目点ですね。

『能書』
上方では、「白蒸(しろむし)でたべとくれ」でサゲます。
白蒸は、もち米を蒸して、まだ搗いていない状態のもので、なるほど、「もう叩かないどくれ」
という意味では、こちらの方が分かりやすいと言われてます。

『ネタ』
江戸時代は、餅つきは12月26日から始まりました。
これを餅つき始といい、この日から大晦日まで、「引摺り」といって、
餅屋が何人かで道具を持ち、得意先を回って歩いたそうです。

噺の中で、亭主が女房の尻に見とれる描写がありますが、今はいざ知らず、当時は夫婦といえども、
後ろからナニと言う行為はタブーとされていて、しかも明るいうちからまじまじと見る事は無かったので、
つい見とれてしまったのでしょうね。
正直、聴いていると、何となくサディスティクな気分になるような・・・・・・おかみさん可哀想ですよね。

ねぎまの殿様

0d0d9374今日はこの噺です。寒い冬ならではの噺だと思います。

【原話】
明治時代に、先々代立川談志師の作を今輔師が直した噺です。ある意味新作落語なのかもしれませんが、同じ時期に出来た圓朝師のは噺が古典扱いされてるので、こちらも古典でいいのかもしれません。
「目黒のさんま」と同じたぐいの噺ですが、こちらは余り高座には掛けられません。
最近は志ん輔師を初め色々な噺家さんが演じる様です。

【ストーリー】
あるお殿様、三太夫を連れて向島の雪見にお忍びで出掛けました。
本郷三丁目から筑波おろしの北風の中、馬に乗って湯島切り通しを下って上野広小路に出てきますと、ここにはバラック建ての煮売り屋が軒を連ねています。
冬の寒い最中でどの店も、”はま鍋”、”ねぎま”、”深川鍋”などの小鍋仕立ての料理がいい匂いを発していますので、殿様 その匂いにつられて、下々の料理屋だからと止めるのも聞かず、一軒の煮売り屋に入って仕舞います。
醤油樽を床几(しょうぎ)がわりに座ったが、何を注文して良いのか分かりません。
小僧の早口が殿様にはチンプンカンプンで、隣の客が食べているものを見て聞くと”ねぎま”だと言うが、殿様には「にゃ〜」としか聞こえません。
さて、ねぎまが運ばれ見てみると、マグロ は骨や血合いが混ざってぶつ切りで、ネギも青いところも入った小鍋でした。
三色で三毛猫の様に殿様には見えたのですが、食べるとネギの芯が鉄砲のように口の中で飛んだので驚き。
酒を注文すると、並は36文、ダリは40文で、ダリは灘の生一本だからというので、ダリを頼みます。
結局向島には行かず、2本呑んで気持ちよく屋敷に戻ってしまった。
 その様な食べ物を食べたと分かると問題になるので、ご内聞にと言う事になったが、この味が忘れられぬ有様です。

 昼の料理の一品だけは殿様の食べたいものを所望できたので、役目の留太夫が聞きに行くと「にゃ〜」だと言います。
聞き返す事も出来ず悩んでいると、三太夫に「ねぎまの事である」と教えられます。
料理番も驚いたが気を遣って、マグロは賽の目に切って蒸かして脂ぬきし、ネギは茹でてしまった。
それで作った”ねぎま”だから美味い訳はないのです。
「灰色のこれは『にゃ〜』ではない」の一言で、ブツのマグロとネギの青いところと白いところの入った 本格的な三毛(ミケ)の”ねぎま”が出来てきた。満足ついでにダリを所望。
三太夫に聞いて燗を持参。大変ご満足の殿様、
 「留太夫、座っていては面白くない。醤油樽をもて」。

【演者】
先代古今亭今輔師の十八番でしたが、今は一門を初め色々な噺家さんが演じます。
【注目点】
江戸時代の中頃まではマグロは江戸っ子はあまり食べなかった様です。
鮨が発明されて、ヅケが流行ると赤身は好んで食べられる様になりましたが、トロは捨てていました。
つい戦前まではそうだった様です。
そこで、このトロや筋の多い部分をぶつ切りにしてネギの青味とで小鍋仕立てにしたのが「ねぎま鍋」です。
やや醤油を効かせた味は東京ならではの味ですね。

『能書』
やはり熱々のねぎま鍋を食べる仕草でしょうね。目の前にそんな光景が浮かんで来たら成功だと思います。

『ネタ』
小鍋仕立てとは、小さな鍋に二種類くらいの材料を入れてさっと煮て食べる料理の形態で、粋な食べ物ですね。
小鍋の向こう側に美人でもいれば、なお美味しく戴けますね。(^^)

「芝浜」考

e88a9de6b59cefbc91本ブログにお立寄りなされた皆様、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
と言う訳で今日は「芝浜」です。
このブログでは余り取り上げていない噺だと思います。

『芝浜』
今日は暮れの噺の大作、「芝浜」です。

【原話】
この噺は三代目三木助師によって飛躍的に有名になりました。
原作は三遊亭圓朝師で、三題噺からの創作と言われています。
三題噺のお題は、「よっぱらい」と「皮財布」と「芝浜」と言われていますが諸説あります。

【ストーリー】
魚屋の勝は酒におぼれ、仕事に身が入らぬ日々が続く。ある朝早く、女房に叩き起こされ、嫌々ながら芝の魚市場に向かいますが時間が早過ぎたため市場がまだ開いていません。
誰も居ない芝浜の美しい浜辺で顔を洗って煙管を吹かしていると、そこで偶然に財布を見つけます。
開けると中には目を剥く程の大金。有頂天の魚屋は自宅に飛び帰り、仲間を呼んで浮かれ気分で大酒を呑む始末。

翌日、二日酔いで起き出た魚屋に女房、こんなに呑んで酒代をどうするのか、と亭主に言います。
勝は拾った財布の件を躍起になって訴えるが、女房は、そんなものは知らない、と言う。
焦った勝は家中を引っ繰り返して財布を探すが、何処にも無い。勝は愕然として、ついに財布の件を夢と諦める。
なんて情けない夢を見たのだと思い、酒を断ち、心を入れ替えて真剣に働き出します。

懸命に働いた末、生活も安定し、身代も増え、やがていっぱしの定店を構えることが出来た三年後の大晦日の夜、勝は妻に対してその献身をねぎらい、頭を下げる。ここで、女房は魚屋に例の財布を見せ、じつは・・・と、告白をはじめます。

あの日、夫から拾った大金を見せられた妻は困惑しました。と言うのも、横領すれば当時は死罪にあたります。
(江戸時代では10両(後期は7両2分)盗むと死罪です)
長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾得物として役所に届け、妻は夫の大酔に乗じて「財布なぞ最初から拾ってない」と言い切り夢と言う事にしました。
時が経っても遂に落とし主が現れなかったため、役所から拾い主の魚屋に財布の大金が下げ渡されたのでした。

この真相を知った勝はしかし、妻の背信を責めることはなく、道を踏外しそうになった自分を助け、真人間へと立直らせてくれた妻の機転に強く感謝する。妻は懸命に頑張ってきた夫の労をねぎらい、久し振りに酒でも、と勧める。はじめは拒んだ魚屋だったが、やがておずおずと杯を手にする。「うん、そうだな、じゃあ、呑むとするか」しかし思い立った勝、次には杯を置く。

「よそう。また夢になるといけねぇ」

【演者】
やはり三代目桂三木助師が絶品と呼ばれています。でも志ん朝師は海のシーンをあえて演じませんでした。それも面白いです。

【注目点】
この女房の描き方が色々な噺家さんで変わってきますね。
有名なのは談志師で、原作通りだと「できすぎ」と言う事で、告白の時に「騙して申し訳無い」と心から謝罪して涙を流す、偉ぶらない妻として描いています。そして女房を可愛く演じていますね。(その後何回も変えましたがw)
柳家権太楼師は勝っあんが怒って女将さんをぶってしまいますね。これは異色だと思いますが、それなりの理由もあるそうです。
個人的ですが、人情の機敏さの本筋さえきちんと押さえていれば、噺としては良いのではないかと思いますね。緻密な構成と人情味、そして素晴らしい女房だったら幸せですね。

『能書』
この噺を夫婦の愛情を軸とするか、勝っあんが出世する噺とするかで演じ方が変わって来ます。そこも注目して聴いてみて下さい。

『ネタ』
三木助師の噺が有名になったのは、安藤鶴夫先生の宣伝もあったそうですが、噺に日の出の様子をいれた描写は当時は新鮮だったのでしょうね。
私の個人的な意見ですが、その為、勝っあんのだらしなさが少しスポイルされてしまうと思いますが、
如何でしょう……。

「鰍沢」を再考してみる

57『鰍沢』
今日は冬の噺でも大物と言える、三遊亭圓朝師作の「鰍沢」です。

【原話】
圓朝師が「酔狂連」の会合で「卵酒・鉄砲・毒消しの護符」の題で作った三題噺です。
原話は道具入り芝居噺として作られ、その幕切れは、「名も月の輪のお熊とは、食い詰め者と白浪の、深きたくみに当たりしは、のちの話の種子島危ないことで(ドンドンと水音)あったよなあ。まず今晩はこれぎり」
となっています。

【ストーリー】
身延山の参詣の帰りに大雪で道に迷った旅人が、山中の一軒家に宿を頼む。そこにいたのは妙齢の美人でした。
卵酒を勧められて話をするうち、お熊と名乗るその女が吉原の遊女であったことが分かります。

旅人は疲れて横になると、お熊は外に出ていって仕舞います。
そこに帰ってきたのがお熊の亭主、残された卵酒を飲んだのですが、苦しみ出します。
そこへお熊が帰って来て言うには、、旅人に毒入りの酒を飲ませて殺し金を奪い取る算段との事でした。
それを聴き、毒が回った身体で必死に逃げる旅人。
たまたま持ち合わせていた身延山の毒消しの護符を雪とともに飲み込み身体の自由が利くようになりましたが、そこへお熊が胸まである雪の中を鉄砲を持って追いかけて来ます。

吹雪の中、鰍沢の断崖に追い詰められ、もはやもうこれまでと思った時、雪崩が起こり旅人は谷底へ、運よく川につないであった筏に落ち、その反動で綱が切れ、筏は急流を下ります。
材木に掴まりお題目を旅人が唱えていると、お熊の放った鉄砲の弾が襲うが、近くの岩に当たり窮地を脱する。
「この、大難を逃れたも、お祖師さまのご利益。お材木(お題目)で助かった」

【演者】
何と言っても圓朝師の高弟で、名人と呼ばれた四代目橘家圓喬師が得意とし、その高座は伝説となっています。
八代目文楽師に「よると「今でも耳にこびりついているから、演れったてとても出来はしませんよ。特に急流のところでは本当に激 しい水の流れが見え、筏が一本になってしまうのも見えた。」
五代目志ん生師「さっきまで晴れていたのが雨音がする。『困ったな』と思ってたら師匠が鰍沢の急流を演ってた。」
 等枚挙にいとまがありません。
わずかにSPで残された圓喬師の音源を聴いても立て板に水な事は分かります。

【注目点】
やはりお熊との雪の中を追いかけっこする下りですかね。お熊の凄まじいばかりの気迫をどう表現するかでしょうね。

『能書』
この噺の最大の矛盾点について書きましょう。
最初に毒を飲んだ旅人が毒消しのお陰とは言え、蘇生したのに、後から飲んだ亭主が亡くなってしまうと言うのは何故なのか?
毒は底にあった方が濃いから重くなるのか?
そこがまいち判りませんね。
それから、胸まである雪の中を、体が満足に利かない旅人と女性でしかも鉄砲を持ったお熊が追いかけっこ出来るのでしょうか?
「まあ、そういう処を突っついてはイケないんだ!」
と、云われればそうなんですが……

『ネタ』
最初の疑問については、実はこの噺には続編がありまして、歌舞伎作者の黙阿弥が、「花火」「後家」「峠茶屋」
と言う題で三題噺を作りました。
正式な題は、「晦(みそか)の月の輪」と言うのだそうです。
筋は、毒から蘇生した亭主が、お熊と信濃・明神峠で追剥を働いているところへ、偶然旅人が通りかかり、
争ううちに夫婦が谷底へ転落するという筋立てですが、明治以後ではあまり、演じられた形跡もなく、
芝居としての台本も無いそうです。
最近では柳家小満ん師が演じてくれていて、CDも出しています。師の熱演には申し訳無いのですが、正直、噺そのものが、それほどではありません。
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