はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

噺の話

「手紙無筆」と言う噺

3ea9f394『手紙無筆』
今日は「手紙無筆」です。無筆ものと言うと「三人無筆」等がありますが、これは結構高座にも掛かりますね。別名「平の陰」ともいいますが、
東京では「手紙無筆」が普通ですね。

【原話】
、元禄14(1701)年刊に出された「百登瓢箪」巻二中の「無筆の口上」が元だと思われます。
この噺そのものは元禄年間に作られたそうです。

【ストーリー】
無筆な八五郎は、手紙が来るといつも隣の書生に読んで貰っていたのですが、きょうは生憎書生が留守なので、
 仕方なしに兄貴と呼ばれる男のところへ持って行きますが、実はこの男も無筆で、その上大変な知ったかぶりです。
体面上、無筆だとは言えない兄貴は、八五郎に探りを入れながら、当てずっぽうにその手紙を読んでいくのですが、適当なことこの上無い、果たしてどうなるか……。

【演者】
本来は柳家の噺とされていますが殆どの噺家さんが演じています。特に圓丈師は「手紙無筆USA」と言う新作を演じています。

【注目点】
やはり、兄貴の演じる所でしょうねえ。八五郎に対して如何に誤魔化すか? のやり取りをどう演じるか、でしょうね。

『能書』
字が読み書き出来ない人ですが、江戸時代では、教養の高さや識字率の高さはヨーロッパの最先端パリやロンドンを数倍引き離して5割以上の力を持っていたとか。江戸の終わり頃には男子70〜80%、女子で30〜20%、武家では100%の識字率だったそうです。女子の割合が低いのは、稽古事の踊・唄・楽器・作法や裁縫、家事万端にも時間を割いている為です。子供は5〜8歳になると寺子屋に入りました。13〜14歳までの生徒に読み書き算盤を学びました。
 その結果、明治に入って欧米化が急速に進んだのも、この下地があったからです。また、江戸時代には貸本屋という商売があって、繁盛していたのもこのお陰です。

『健二のネタ』
寺子屋で面白いのは。その親の職業に沿った教科書で教えていた事です。
一般的には『庭訓往来』、商人の子供なら「商売往来」農家の子供なら「農業往来」など、それぞれの将来に役立つ本で学んでいたそうです。

秋の定番噺「目黒のさんま」

rakugo_meguronosanma『目黒のさんま』
今年はサンマが不漁だそうでして、値段も高くなっているそうです。
この噺は秋の噺としては定番ですので取り上げてみたいと思います。
【原話】
三代将軍家光の実話に基づいた噺とも言われていて、かなり古くから演じられています。
、生粋の江戸落語で、大体、武士が出て来る噺は江戸が多いですね。

【ストーリー】
ある藩の殿様が不意に野駆に出かけると言い出し、さっさと馬に乗り出かけて仕舞います。(ここを鷹狩とやる噺家さんもいます)
中目黒あたり迄来たのですが、弁当を持ってこなかったので、昼時になると腹が減ってしかたありません。その時どこからか、魚を焼くいい匂いがします。聞くと秋刀魚と言う魚だと言う。
供は「この魚は下衆庶民の食べる下衆魚、決して殿のお口に合う物ではございません」と言う。
殿様は「こんなときにそんなことを言っていられるか」と言い、供にさんまを持ってこさせた。これはサンマを直接炭火に突っ込んで焼かれた「隠亡焼き」と呼ばれるもので、殿様の口に入れるようなものであるはずがない。とはいえ食べてみると非常に美味しく、殿様はさんまという魚の存在を初めて知り、かつ大好きになった。
それ以来、寝ても覚めても秋刀魚の事ばかりが頭に浮かびます。
ある日、ある親戚の集まりで好きなものが食べられるというので、殿様は「余はさんまを所望する」と言う。
だがさんまなど置いていない。急いでさんまを買って来て、焼くのだが、脂が多く出る。
それでは体に悪いということで脂をすっかり抜き、骨がのどに刺さるといけないと骨を一本一本抜くと、
さんまはグズグズになってしまう。こんな形では出せないので、椀の中に入れて、餡掛けにして出します。
殿様は見ると、かって秋刀魚とは似ても似つかぬ姿に「これは秋刀魚か?」と聞きます。
「秋刀魚にございます」という返事に食べてみたが、不味いの何の。
「いずれで求めたさんまだ?」と聞く。「はい、日本橋魚河岸で求めてまいりました」「ううむ。それはいかん。さんまは目黒に限る」。

 この設定が通常ですが、八代目林家正蔵師は将軍様として演じていました。歴史的に考えるとその方が無理が無いそうです。それに史実に基づいているとか……。

【演者】
これは色々な噺家さんが演じています。特に三代目金馬師は有名です。
小さん、圓生、等も良いですね。

【注目点】
最期のお殿様が食べる椀物ですが、圓生師は餡掛けとしていましたが、普通の椀物とする方が一般的の様です。
目黒あたりは、当時将軍家の御鷹狩の場所でした。広大な範囲だった様です。
だから鷹狩とする場合は、本当は目黒方面と言う方が良いと思います。

『能書』
落語に登場する殿様は、大抵、赤井御門守ですね。
石高は「12万3,456石7斗8升9合1つかみ半分」とされています。
名前からも判る様に、将軍家と姻戚関係があります。(門が赤いのは将軍家から輿入れがあった証)
一節には天皇家の血筋を引く家柄とも言われています。

『ネタ』
殿様が食べた秋刀魚ですが、江戸時代には目黒は芋の産地で行商が盛んに行われていたそうです。
「目黒の芋」の大需要地が、東海道品川宿と、大きな魚市場が当時存在していた芝であったので、目黒を朝早く出て両地にて芋を売り、その代金で「芝のサンマ」を買って、昼過ぎに歩いて目黒に帰るのが行商人のパターンの一つだったという事です。
ですから、昼過ぎには間に合ったのですね。
後で食べた魚河岸の秋刀魚ですが、当時は保存の為、産地(銚子等)で塩を軽く振り、鮮度の維持に努めました。その後船で一昼夜かけて、日本橋に運び込まれたので、一般の人々が食べる頃は、塩味が付いていて、
そのまま焼いても美味しかったそうです。

「権兵衛狸」という噺

c49437e6今日は「中秋の名月」だそうです。そこでこの噺です。
『権兵衛狸』
お伽話のような落語ですね。

【原話】
1752年の「軽口副徳利の「狐の返報」が原話とみられています。

【ストーリー】
田舎に住む権兵衛の家には、夜な夜な若い者が集まって、いろいろな話をして帰る。
 ある夜、みんなが帰ってから「権兵衛、権兵衛」と戸を叩く者がいるが、戸を開けると誰もいない。
狸の仕業だと踏んだ権兵衛が、戸を叩くタイミングに合わせて、勢いよく戸を開けると狸が転がり込んで来た。
取っ組み合いの末に狸をふん縛り、天井から吊るしておいた。翌日、訪れた村人が、狸汁にして革は襟巻きにしようと言うが、今日は父親の命日だから殺生はせず、逃がしてやるという。
 ただ逃がしたのではまた悪さをするから、躾のために背中と頭の毛を刈り取った。
背中に夜風が滲みたら悪さをしちゃ行けないと思い出せ、と逃がしてやった。
 夜になると「権兵衛さん、権兵衛さん」と、また狸がやってきた。今度は何のようだと尋ねると
「今夜は、髭をやっておくんなせぇ」

【演者】
九代目の鈴々舎馬風師が得意としていました。今の馬風師も演じます。それと十代目文楽師も助演の時は結構演じます。短いので時間調整が楽なのでしょうね。

【注目点】
田舎の野趣もあり、獣を逃すと言う人情もあり、それでいてオチが何とも人を喰った噺で、
聴いていても後味の良い噺です。

『能書』
時間調整用には足りない場合は「のっぺらぼう」のマクラを入れる事もあり。色々と楽しめる噺です。

『ネタ』
この噺の最大の謎は、そもそも狸は何の用で権兵衛さんの所に来たのか?
恩返し? それともイタズラ?
権兵衛さんは「悪さぶちにやって来た」と言ってますが、年中こんな事があったのでしょうか? それなら、最初から捕まえそうですが……
それから、この地方では狸は狸汁にするのがデフォなんですね。
美味しいのか?狸汁。
熊は食べた事あるけど……。

「蛙茶番」は秋の噺

images『蛙茶番』
 今日はこの噺です。季節的にですが、大店が棚卸しをする時期によく素人芝居をやったそうなので、秋の噺とされています。スーパーでもここの所「棚卸し」が多い感じがします。
今は軽い艶笑噺として演じられていますが、元は「五段目」の後半の噺だったと言う説もあります。

【原話】
1785年の「猫に小判」の「ふんどし」。1826年の「滑稽笑顔種」の「虫拳」等です。

【ストーリー】
町内の素人芝居で
「天竺徳兵衛」の「忍術ゆずり場」を出すことになったのですが、伊勢屋の若旦那が来ません。
どうやら、あてられた蛙の役が嫌で来ない様です。
店の定吉を説き伏せて役をやらせる事にしたのですが、今度は舞台番の半公が来ません。
定吉を使いにやると、芝居ではなく舞台番を当てられたのが不服の様です。
そこで番頭さんが、一計を案じ、半公が岡惚れの小間物屋のみい坊が
「役者なんかしないで舞台番と逃げたところが半さんらしくていい」
と、誉めていたと、だまして連れてこいと言いつけ、定吉を使いにやります。
これを聞いて有頂天になった半公、どうせならと、
自慢の緋縮緬のフンドシを質屋から急いで請け出し、湯屋で入念に「男」を磨く始末です。
何時まで待っても来ないので、「来ないとみいちゃん帰っちゃうよ」と言うと、
半公は慌てて湯屋から飛び出します。
もちろん自慢のふんどしも締め忘れたままです。
ふんどしを締め忘れた事に気がついていない半公は止せば良いのに、道行く知り合いに前をまくって見せて歩きます。
そのまま芝居に駆けつけたから芝居が始まりますが、場内はシーンと見入っていて騒ぐ者はいません。
じれた半公は自慢のモノを見せたいが為に、声を荒げ出します。
一人、二人と気がついた人が騒ぎ出します。
「ありがてえ」と益々調子に乗って半公は舞台番の位置から飛び出します。
いよいよ見せ場の忍術ゆずり場。
ドロンドロンと大どろになるが、ガマの定吉が出てきません。
「おいおい、ガマはどうした。」「へへっ、出られません」
「なぜ?」「あすこで、青大将がねらってます」

【演者】
 もう色々な噺家さんが演じています。六代目圓師も生前はよく演じていました。

【注目点】
もうこれはいかに可笑しくもさらりとやるかですね。粋に演じる事が求められますね。

『能書』
昔はなんたって芝居が一番の人気です。人気も高いです。他の噺でも小僧の定吉が用足しのついでに
一幕だけ芝居を見て帰り、バレて蔵にお仕置きの為、入れられるなんて噺がありますが、
もう老若女男皆夢中だった様ですね。
すると、今でもそうですが、憧れのスターと同じになりたいと言う気持ちが沸き上ります。
今ではカラオケやコスプレ等ですが、それが昔は自分達でも、憧れのスターと同じ芝居をやってみたい!
と思う訳です。そんな素人芝居を茶番と呼びました。「とんだ茶番だぜ」なんて言葉は今でも使いますね。

『ネタ』
云われは歌舞伎の大部屋役者が、毎年五月二十九日の曽我祭の日に酒宴を催し、
その席で、当番が面白おかしく口上をのべたのが始まりでそれを「酒番」と言いました。
享保年間(1716〜36)の末に、下戸の初代澤村宗十郎が酒席を茶席に代えたので、
酒番も茶番になりました。宝暦年間(1751〜64)になると、遊里や戯作者仲間、一般町人の間にもこの「口上茶番」が広まり、素人芝居に口上茶番の趣向を加味した「素人茶番」も生まれました。
「芝居」と銘打つとお上がうるさいので、あくまでタテマエは茶番とし、商家の祝い事や町内の催しものに、
アトラクションとして盛んに行われました。

「野ざらし」という噺

vol_disc07『野晒し(のざらし)』

【原話】
 中国明の時代の「笑府」の中の「学様」と言う話を元に二代目林家正蔵師(沢善の正蔵)が作ったと言われています。この二代目の正蔵師は本職のお坊さんでもありまして、他に「蒟蒻問答」と言う噺も作っています。
 さらに、この噺を明治期に初代三遊亭圓遊師が爆笑落語に改作しました。

【ストーリー】
ある夜、八五郎が長屋で寝ていると、隣の自称女嫌いで知られた隠居・尾形清十郎の部屋から女の声が聞こえてくる。
翌朝、八五郎は、尾形宅に飛び込み、事の真相をただす。尾形はとぼけてみせるが、八五郎に「壁に穴開けて、のぞいた」
と言われ、呆れたと同時に観念して、
「あれは、この世のものではない。向島で魚釣りをした帰りに、野ざらしのしゃれこうべを見つけ、哀れに思ってそれに酒を振りかけ、手向けの一句を詠むなど、ねんごろに供養した。そうしたら、昨夜その骨の幽霊がお礼に来てくれた」
と語る。それを聞いた八五郎は興奮した様子で
「あんな美人が来てくれるなら、幽霊だってかまわねえ」
と言って、尾形の釣り道具を借り、酒を買って向島へ向かう。
向島に到着した八五郎は土手の上から、岸に居並ぶ釣り客を見て、勝手に勘違いし、
「骨は釣れるかい? 新造(しんぞ=未婚の女性)か? 年増(としま=年頃の女性)か?」
と釣り客に叫び、変な人物だと首をかしげられる。
 釣り場所を確保した八五郎は、釣り糸を垂らしつつ、「サイサイ節」をうなりながら、女の幽霊が来るを妄想して、ひとり語りに没頭しはじめる。
  鐘が ボンとなりゃあサ
上げ潮 南サ
カラスがパッと出りゃ コラサノサ
骨(こつ)がある サーイサイ
そのまた骨にサ
酒をば かけてサ
骨がべべ(=着物)着て コラサノサ
礼に来る サイサイサイ
ソラ スチャラカチャンたらスチャラカチャン
 そのうちに、自分の鼻に釣り針を引っかけ、
「こんな物が付いてるからいけねぇんだ。取っちまえ」
と、釣り針を川に放り込んでしまう。

現在、殆どの噺家はここで切っています。でも本当はその先があるのですが、今では理解出来ない事が多く、それに面白くないとの理由です。
 でもここでは一応書いてみます。小説家志望なら知りたいですよね?

 八五郎は釣りをあきらめ、アシの間を手でかきわけて骨を探すことにし、なんとか骨を見つけ出すことに成功する。八五郎はふくべの酒を全部それにかけ、自宅の住所を言い聞かせ、「今晩きっとそこに来てくれ」
と願う。この様子を、近くの川面に浮かぶ屋形船の中で聞いていた幇間の新朝(しんちょう)。彼は、八五郎が普通の女とデートの約束をしていると勘違いし、祝儀欲しさで八五郎の長屋に乗り込む。
一方、女の幽霊が来ると期待していた八五郎は、新朝を見て驚き、
「お前は誰だ?」
「あたしァ、シンチョウって幇間(タイコ)」
「新町? しまった! あれは馬の骨だったか!」

【演者】
何と言っても三代目春風亭柳好師匠です! 「唄い調子」と言われる口調は、
四代目志ん生(鶴本の志ん生)師を真似たものだそうですが、見事な芸で、お客はおろか
黒門町(八代目文楽)をはじめ、談志師等を魅了しました。
あの圓生師でさえ納得させたと言われています。

【注目点】
やはり、八五郎が一人で勝手にのぼせ上がって行くのですが、ここをお客に白けさせないように演じなければなりません。

『能書』
現在、最後まで演じているのは人間国宝の柳家小三治師が有名です。CDも出ていますが、ネットにも音源が上がっています。
 三代目柳好師の調子の良い音源は残念ながらネットには上がっていません。上がっているのは亡くなる少し前の音源で調子の悪い時の音源です。流れるような謡い調子では無いのが残念です。ビクターからCDが出ています。殆どの図書館でもあると思いますので借りて聴いてみてください。今の噺家とは全く違う世界が楽しめます。

『特別な解説』
 その昔、浅草新町(あさくさしんちょう)と言う場所には太鼓職人が多く住んでいたり太鼓の店が多かったそうです。少し前のアキバの感じですね。だからシンチョウ=太鼓と繋がったのですが、当時は太鼓は馬の皮で作られていました。これが理解出来ないと本来のサゲが全く判りません。

『ネタ』
よく言われるのが季節ですね。春なのか秋なのか良く判りません。
尾形清十郎のセリフに
「野を肥やす骨をかたみにすすきかな」
と言わせておいて、すぐ
「四方の山々雪解けて水かさ増さる大川の……」と言ってしまっていて、これではどちらの季節か判りません。
 それに、この釣りはハゼ釣りなんだそうです。そんな意味から考えても面白いです。
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