らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

カテゴリ: 噺の話

149b7046『水屋の富』
梅雨に入り各地で大雨のニュースが流れています。特に九州地方では大変なことになっています。心よりお見舞い申し上げます。という所でこの噺です

【原話】
原話は明和5年刊の笑話本「軽口片頬笑」中の「了簡違」、安永3年刊「仕形噺」中の「ぬす人」、
さらに文政10年刊「百成瓢」中の「富の札」などで、いくつかの小咄をつなぎあわせてできた噺です。

【ストーリー】
ある水屋、独り者で身寄りはなし、わずらったら世話をしてくれる人間もないから、
どうかまとまった金が欲しいと思っている矢先に、千両富が当ります。
小判を、腹巻と両袖にいっぱい入れてもまだ持ちきれないので、股引きを脱いで先を結び、
両股へ残りをつっ込んで背負うと、勇んでわが家へ帰ります。
しかし商売の辛い処、休む訳には行きません。
 そこで床下に金を隠して出かけるのですが、泥棒が入ったらどうしようとか、
畳を一畳上げて根太板をはがし、丸太が一本通っているのに五寸釘を打ち込み、先を曲げて金包みを引っかけます。これで一安心と商売に出たものの、まだ疑心暗鬼は治まりません。
 すれ違った野郎が実は泥棒で、自分の家に行くのではないかと跡をつけてみたり、
一時も気が休まりません。
夜は夜で、毎晩、強盗に入られてブッスリやられる夢を見てうなされる始末です。
 隣の遊び人が博打でスッテンテンになり、手も足も出ないので、金が欲しいとぼやいていると、水屋が毎朝竿を縁の下に突っ込み、帰るとまた同じことをするのに気がつきます。
なにかあると、留守に忍び込んで根太をはがすと、案の定金包み。取り上げるとずっしり重い。しめたと狂喜して、そっくり盗んでずらかります。
 一方水屋、いつものように、帰って竹竿(たけざお)で縁の下をかき回すと、感触がありません。根太をはがしてみると、金は影も形もない。
「ああ!これで苦労がなくなった」

【演者】
三代目小さん師の十八番でしたが、戦後は志ん生師の独壇場でした。
息子の馬生師や志ん朝師も演じていました。

【注目点】
如何にも落語らしい噺ですが、十代目馬生師は「文七」や「鰍沢」以上の難しい噺だと語っていたそうです。
苦労の割にはウケない損な噺だとか。

『能書』
水屋さんとは、昔江戸では井戸等を掘っても海水等が交じった水しか出ない地域がかなりありました。
江戸市中は水道井戸がありましたが、水道の届いていない地域もありました。
そんな地域に飲み水を売って歩いたのが、水屋さんでした。
また、白玉等を入れて甘く冷やしたモノ等も売ったそうです。

水道を桝(ます)という取水口からくみ取って販売して歩いたそうです。
毎日市中を歩き重い桶を前後2桶で1荷(か)と数えていたそうですが、
これでわずかの4 文。当時かけ蕎麦が16 文ですからねえ、如何に安かったか。

今から考えたらこんな仕事はだれやもらないと思いますが、
それでもお得意がいて、どこの家の水がめにはこのぐらいの水がまだあるか分かっていて、独り者の家などは留守にしても、水がめのふたの上に小銭を置いておけば
そこへ水屋さんが寄って水を補給してくれたそうです。

『ネタ』
この噺には、運命をありのままに受け入れる哲学を説き、江戸庶民に広く普及していた、石田梅岩の
石門心学の影響が見られると云われているそうですが、そこまで大げさに考えるのもねえ……。

個人的に……某噺家さんで聴いたのですが、「これ同じ噺?」と感じるほど全く志ん生師のテイストが活かされていませんでした。そうあの噺家さんです!

d4c5fd27-s『お菊の皿』
 今日は別名「皿屋敷」とも言う噺「お菊の皿」です

【原話】
1837年の「落噺仕立ておろし」に「皿屋敷」とありますし類話が多いそうです。と言うのも、談志ひとり会の音源で、談志師が解説していましたが講釈の『番町皿屋敷』と言う噺が上方に飛びまして、浄瑠璃となり「播州皿屋敷」として作り直されたそうです。
これが、大変な評判を取りまして、それを逆に歌舞伎に導入して江戸で公演したのが当たったと言う事です。これが江戸で「お菊の皿」となりました。

【ストーリー】
田舎で「皿屋敷」の噺を尋ねられた男は知らないと言ったので、馬鹿にされてしまいます。
帰ってきて隠居から教えて貰います
未だ、出るんじゃないかと言われその皿屋敷へお菊さんの幽霊を見に行事に成ります。
男達が待っているとお菊さんが現れ、皿の枚数を数え始めます。
こわごわ見たらこれが絶世の美人!
九枚まで聞いた者は狂い死ぬと言われていたので、
男達は途中で逃げ帰ってきますが、これは面白いと、毎晩お菊さんの所へ行くのですが、
その内にこれが評判となり、興行主の知る処となりました。
そうなると、観覧席は出来るし、屋台等も沢山出る始末。

お菊さんの肝心の皿の数え方もクサイ演出になっています。
お菊もすっかりその気になり、常連には、
「まあ、だんな、その節はどうも」
等と愛嬌等を振りまくので、人気は増すばかりです。

ある日、聴いていて、6枚まで聴いたので帰ろうとするのですが、混んでいて身動きが取れません。
焦っていると、とうとう9,枚迄聴いて仕舞いましす。
「俺の命もこれまでか?」と思っていると、
「9まい〜、10まい〜」と数えて行き、とうとう18枚迄数えて仕舞いました。
「おいおい、お菊ちゃん。皿は九枚で終わりじゃねえのか?」
「わかんないかねえ!明日休むんだよ!」

【演者】
今は殆どの噺家が高座に掛けます。小朝師や喬太郎師の高座が人気があるみたいです。(今風にアレンジしてあります)

【注目点】
口演記録はかなり古く、文化年間(1804〜18)の落語家・喜久亭寿曉の演題控え「滑稽集」に、
「さらやしき 明日休」とあります。

『能書』
ちなみに上方の型は、
「九枚どころか十枚、十一、十八枚まで数えやがって、あまり客を馬鹿にすな。アホめが!」
「そないに、ポンポン言いなはんな。そんなこと言われんでもわかってます。」
「ほんなら何でこんなに多く数えるねん。」
「風邪引いてまっしゃろ。二日分読んで、へへ…明日休みますのン。」
となります。
 また、かっては「明日はお盆で休みます」という下げもあったそうです。

『ネタ』
上方では最後はちゃんと理論的な説明がついてます(風邪ひいたと言う事で休む)
江戸では只、お菊さんが休みたいだけ!
東西の違いって面白いですね。

しかしどれだけの美人だったのでしょうね?
一度見てみたいですよね?

17a522e1『元犬』
 今日はこの噺です
楽しい噺で、今でもよく寄席に掛かります。

『原話』
原話は、文化年間に出版された笑話本「写本落噺桂の花」の一編である「白犬の祈誓」だそうです。

『演者』
志ん生師を始め色々な噺家さんが演じます

『ストーリー』
蔵前八幡の境内に1匹の純白の野良犬が参詣客に大変可愛がられていました。
 参拝客の一人から「しろ、おまえのような純白な犬は人間に近いという。次の世には人間になるのだぞ」と言われ続けていた。
しろも考えて、人間に御利益があるのなら、この俺にだって叶うはずと、三・七、21日の裸足参り。満願の日風が吹いてくると、体中の毛が抜けて人間になったのですが、素っ裸で立っていると、上総屋の吉兵衛さんに出会い、話をして羽織を着せて貰い店まで連れていって貰います。
 部屋に上がれと言えば、汚い足で上がろうとし、雑巾で足を拭いてからと言えば、口にくわえて振り回すし、女房を紹介すれば、「知ってます。こないだ台所に来たら、水をぶっかけられた」。女房と相談して、とぼけた人が良いという、ご隠居に紹介することにしました。そこで、着物も着込んで出掛けようとすれば、履き物を四つ足に履いてしまう始末。お隠居の所に着いて、待たせている彼を呼ぶと、玄関の敷居に顎を乗せて寝ちゃているので、大慌て、何とか紹介して、吉兵衛さんはさっさと帰って仕舞います。そこで御隠居、「生まれは?」
「蔵前の掃き溜めの裏で生まれた」
「え!・・そうか、卑下をして言うとは偉い」
「両親は?」
「両親て何ですか」
「男親は?」
「あー、オスですか」
「オイオイ」
「鼻ずらの色が似ているからムクと違うかと思います」
「女親は?」
「メスは毛並みが良いと、横浜から連れられて、外国に行っちゃいました」
「ご兄弟は?」
「三匹です。一匹は踏みつぶされてしまいました。もう一匹は咬む癖があるので、警察に持って行かれました」
「お前さんの歳は?」
「三つです」
「そうか、二十三位だろうナ」
「名前は?」
「しろ、です」
「白〇〇と有るだろう」
「いえ、只のしろです」
「そうか、只四郎か、イイ名前だ」
「お前がいると、夜も気強い」
「夜は寝ません。泥棒が来たら、向こうずねを食らいついてやります」
「気に入った。居て貰おう。ところで、のどが渇いたから、お茶にしよう。チンチン沸いている鉄瓶の蓋を取ってくれ、・・・早く」
「ここでチンチンするとは思わなかった」
 と犬の時のチンチンをします。
「用が足りないな。ほうじ茶が好きだから、そこの茶ほうじを取ってくれ。茶ほうじダ」「?」
「茶ほうじが分からなければ、ほい炉。ホイロ」「うー〜」
「ホイロ!」
「ワン」
「やだね。(女中の)おもと〜、おもとは居ないか、もとはいぬか?」
「今朝ほど人間になりました」


【注目点】
志ん生師は上総屋の旦那が、しろを犬だとは知らない設定ですが、戦後この噺をよく高座に掛けた八代目柳枝師は、全て旦那が知ってる設定でした。
だから、上総屋の旦那のハラハラがこちらにも伝わってきました。
今は殆ど、知らない方ばかりが高座に掛かりますね。誰かやらないかな?

『能書』
現代では「焙炉」が既に判らなくなっていますので演者は結構苦労するようです。
「炮烙」と言い換えたりしてるようですね。

『ネタ』
あんまり難しい事は知らないのですが、この噺は、仏教の輪廻転生を少しもじった感じがします。
普通は悪い事をした人間が畜生に転生させられるという話が多いですが、これは逆ですね。
これは凄い発想だと思います。

IMG_6240『湯屋番』
今日は「湯屋番」です。若旦那の妄想ににわか雨が降る描写があるので、夏でも良いだろうと思いました。

『原話』
江戸時代から続く古い話で、明治の、初代三遊亭圓遊師(鼻の圓遊)が得意としていたそうです。
出て来る湯屋の名が柳家は「奴湯」三遊亭は「桜湯」となっています。
最も最近は「松の湯」だとか勝手な名前を付ける噺家さんもいます。
上方でも仁鶴師が大阪に持ち帰りそのまま『湯屋番』の演目で演じています。

『演者』
三遊、柳家に関わらず広く演じられています。

『ストーリー』
勘当になった若旦那が知り合いの職人の家で居候になっています。しかし、このままではいけないと湯屋(銭湯)に働きに行くことになり出かけて行きます。
紹介の手紙を見せて働くことになり、運良く番台に座る事が出来ます。
そこで、若旦那は妄想に取り憑かれ、楽しい白日夢を見るのですが、
妄想が過ぎて、番台からオチたり、お客は面白がって顔を軽石でこすってしまったり大変です。
終いにはお客の履物が無いと言う苦情が上がります。
すると、「そこの柾目の通った下駄を履いてお帰りなさい」
「あれは、誰のだい?」「あそこで体を洗ってる方のです」
「どうすんだ?」「順に順に履かして最後は裸足で帰します」

【注目点】
初代圓遊(鼻の圓遊)師が改作したのが「桜風呂」
四代目小さん師が改作したのが「帝国浴場」です。

『能書』
この若旦那の妄想にお客を引きずり込むのが大事なんですが、
最近の若手の中には「それが難しいんですよね」等と言う噺家さんもいます。
だったら、ヤメちまえと思ったりしますねホント、情けないですね。

『ネタ』
現在は勘当は法律上は出来ませんが、江戸時代はちゃんと法に則って勘当と言う制度がありました。
WiKiから引用しますと
親類、五人組、町役人(村役人)が証人となり作成した勘当届書を名主から奉行所(代官所)へ提出し(勘当伺い・旧離・久離)、奉行所の許可が出た後に人別帳から外し(帳外)、勘当帳に記す(帳付け)という手続きをとられ、人別帳から外された者は無宿と呼ばれた。これによって勘当された子からは家督・財産の相続権を剥奪され、また罪を犯した場合でも勘当した親・親族などは連坐から外される事になっていた。
許す時はこれの逆を行う訳ですが、勘当の宣言のみで実際には奉行所への届け出を出さず、戸籍上は親子のままという事もあったという。

正式には旧離(久離)勘当とも呼ばれていました。何かの噺の中でも「旧離切っての勘当で・・・」と言う下りがありましたね。
落語の噺の中で、若旦那がこの旧離勘当になつたのは「船徳」の徳さんだけですね。
後の、この「湯屋番」「紙屑屋」「唐茄子屋政談」は単に勘当の宣言のみですね。
ですから、回りの者が何か真面目に仕事をしていれば、そのウワサが親の耳に入り、勘当が許されるかもしれないと思い、仕事の世話をする訳ですが、「船徳」の徳さんは本当の勘当なので、自分から仕事を見つけるのですね。そうしないと食って行けませんからね。ある意味真剣なんですよね。

20150701214715『酢豆腐』
 今日は夏の噺の「酢豆腐」です。
 尤も最近では本当にそういう名の豆腐料理があるかの如く扱う所がありますが、本来はそんな料理はありません。ある辞典にはちゃんと載ってしまっていますが、これは編集者が石頭なのでしょうね。

『原話』
原話は、1763年(宝暦13年)に発行された『軽口太平楽』の一遍の「酢豆腐」と言う話。
これを、初代柳家小せん師、(あの盲の小せんですね)が落語として完成させました。
ですので、この噺を大正の初め頃だという方もいます。
歴史家の方によれば、庶民の生活は関東大震災までは、電気が点いても、汽車が走っても、
そう変わり無かったそうです。のんびりとした時代だったのですね。

『演者』
小せん学校に通っていた六代目圓生師や黒門町、志ん朝師などに引き継がれました。今では多くの噺家さんが演じています。

『ストーリー』
ある夏の昼下がり。暇な若い衆が寄り集まり暑気払いの相談をしていますが、江戸っ子たちには金がありません。
 困った一同、酒はどうにか都合するとしても(これもいいかげん)、ツマミになる肴が欲しいので必死に考えますが良いアイデアが浮かびません。知恵者が「糠味噌桶の糠床の底に、古漬けがあるだろう。そいつを刻んで、かくやの香こはどうだい?」
と妙案を出しますが、古漬けを引き上げる者は誰もいません。
 困ってしまった時に運良く(悪く)たまたま通りかかった半公をおだてて古漬けを取らせようとしますが、結局駄目ですが肴を買う金銭を巻き上げます。
 その時、与太郎が昨夜豆腐を買ってあったのを出して来ます。でも豆腐は夏場にもかかわらず、鼠入らずの中にしまったせいで、腐ってしまっていました。手遅れの豆腐を前に頭をかかえる一同。
 と、家の前を伊勢屋の若旦那が通りかかります。この若旦那、知ったかぶりの通人気取り、気障で嫌らしくて界隈の江戸っ子達からは嫌われ者。シャクだからこの腐った豆腐を食わせてしまおうと一計を案じます。
 呼び止めておだて上げて引き入れ、
「舶来物の珍味なんだが、何だかわからねえ。若旦那ならご存知でしょう」
 と腐った豆腐を出します。すると若旦那は知らないとも言えず
「これは酢豆腐でげしょう」
 と知ったかぶる。うまいこともちあげられた末に食べることになります。もう目はぴりぴり、鼻にはツンとしながらとうとう食べます。何とも言い難い表情。
「いや食べたね。偉いね若旦那、もう一口如何ですか?」
「いや、酢豆腐は一口に限りやす」

【注目点】
この噺に出てくる「かくやのこうこ」は美味しいですよね。
飯に良くて酒に良い!と文句はありません。
糠だって、ちゃんとかき混ぜていれば、臭く無いんですよ。
私なんか商売上、糠味噌は別にイヤじゃ無いので、ここまで嫌われると、
糠味噌が可哀そうに思えてきます。
 この噺を聴いていて思うのは、のんびりとした時代だったと言う事ですねえ。
我々が忘れてしまった世界なのかも知れません。

『能書』
この噺が初代柳家小はんと言う方が上方へ持って行って「ちりとてちん」が生まれました。
でも私はは「ちりとてちん」よりこちらの方が好きです。
夏の暑い盛り、いい若者が皆で集まってクダまいててという設定からして好きですね。
それに最後は若旦那を仲間として認める処が好きですね。
若旦那も「「いやあ、酢豆腐は一口にかぎる」と粋に言って逃げるのも上手いですね。
長屋の皆も「若旦那大した者だ!」と言って褒めていますね。
きっと、これで若旦那は皆の仲間になれたと思うのです。
皆も認めたと言う意味でですね。

『ネタ』
落語を解説しているサイトでもこの噺と「寄合酒」を混同している所がありますが、
元々の噺が違うので、間違いですね。
「寄合酒」は「ん廻し」(田楽喰い)に繋がる噺ですからね。

個人的にはこの後「羽織の遊び」に繋がると思っています。

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