らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

カテゴリ: 噺の話

b77d3331『坊主の遊び』
コロナがかなり感染拡大して来ましたね。私は糖尿なので感染るとヤバいかも知れませんね。という訳で、今日は「坊主の遊び」です
「坊主の遊び」と言っても、お寺のお坊さんが山を降りて、廓に遊びに行く噺じゃありません。まして、そこらへんの坊主のガキ大将のメンコやベーゴマ遊びの噺でもありません。

【原話】
中国の笑話集の「笑符」に原話があります。
更に1728年の「軽口御機嫌賽」の「水にうつる面影」あたりとも言われています。

【ストーリー】
坊主頭の隠居が吉原に遊びに出かけるが、自分一人で郭に行く勇気も無いので、酒癖の悪い職人を連れて出かける。
職人は悪酔いをして酒席の雰囲気は悪くなってくる。すっかりしらけムードになって仕方が無いので「お引け」ということに。
ところが、待てど暮らせど部屋には花魁がいっこうに来ない。
女郎がなかなか部屋にやってこないので面白くない。
夜が更けて、やっと女郎がやってきたと思ったら「わたしゃ寝にきたんだよ。体に触らないでおくれ」などと言って布団にもぐりこむ。
おまけに「わたしゃ坊主は嫌いだよ」と言うのであたまに来た隠居、懐にあった剃刀で、寝込んだ女郎にいたずらをする。
女郎の頭をきれいさっぱり剃り落としてしまったのだ。ふと我に返った隠居はことが発覚する前に、女郎屋をあとにする。
翌朝、店の者に声をかけられて目を覚ました女郎は、やっと目がさめて、寝ぼけて自分の頭に手をやり、
「あらやだ、坊さんまだいるじゃないの……」


上方落語では「坊主茶屋」と言う題で掛けられていて、オチが違っています。
紹介いたしますと……。

朝起きると、頭が寒いので頭に髪が無いのに気がつきます。女中さんがやってきて、
客を怒らせたのではないかと思うのですが、女郎さんの顔を見ると、鼻が落ちています。どこぞに転がっているのではと探しても見当たらない。
 医者に行って取れないようにしてもらいなさいと言いますと、お女郎さん。
「医者に行ってるけどさじを投げられている」と言う。
「医者がさじを投げたら、後は坊主に決まっている。」というオチです。

【演者】
三代目 三遊亭圓歌師がやってましたね。個人的には志ん朝師の軽い感じ(粋な)が好きでした

【注目点】
噺の設定で、上方版では、かなりの安い店の設定なので、多分瘡をかいてると思われるような凄まじい描写もありますね。東京はそこらへんは変えていますね。
写実で現実的な上方とあくまで粋を重んじる江戸と言う訳でしょうか。

『ネタ』
江戸時代、齢をとった男性は髷を落として坊主頭にすることがあったそうです。
この噺に登場する隠居もそのうちの一人で、だから頭を剃るための剃刀が日常必需品であったということですね。
この辺を仕込んでおかないと辛いかな……。
 それと隠居と言っても今よりも若い訳で四十あたりで隠居になった人も居たそうですからね。

追記……落語とは関係ありませんが、私のところも明日二日より一二日まで営業を休止することになりました(><) 
仕方ありませんね……。

10c67346『粗忽の使者』
  コロナで外出が制限されている今日ですが、何やら東京二十三区でも西の方は雪になっているそうです。
 そういう訳で今日は「粗忽の使者」です。


「原話」
 原話は、元禄14年(1701年)に出版された笑話本『軽口百登瓢箪』の第二巻の「そそうな寄合い」からです。
 同じ原話から成立した上方落語があり、そちらの方は『月並丁稚』というタイトルで故春團治師が演じていました。

「ストーリー」
 杉平柾目之正の家臣、地武太治部右衛門が、殿の使者として赤井御門守の屋敷を訪れました。
 使者の間に通され、田中三太夫が使者の口上を問うが思い出せません。
切腹すると言い出したが、説得すると、幼い頃より父に居敷を抓られて思い出すのが癖になっているので、三太夫に居敷を抓ってくれるように頼みます。
 三太夫がつねるが、蝿が留った程にも感じない、指先に力量のある御仁はおられぬか?
 と、これを聞いていたのが大工の”留っこ”で、素手じゃ敵わねえが、道具を使えば大丈夫とばかりに名乗り出ました。
 困っていた三太夫は、大工のままでは都合が悪いので、中田留太夫と侍の名を付けて羽織りに着替えさせます。留公が、踵みたいなタコになっている尻を閻魔でつねると、おお思い出しそうだ、もそっと手荒にと。尻の柔らかいところを探して全力で抓ると、
「おお、思い出した」
 すかさず次の間の三太夫が
「してご口上は」
「聞かずに参った」

「演者」
 志ん生師を始め、小さん師など多くの噺家さんが演じています。個人的には志ん朝師ですかねえ。現役では市馬師がよくやってますね。

「注目点」
今では演じられませんが、この後、治部右衛門が使者に失敗した申し訳に腹を切ろうとし、九寸五分の腹切刀と扇子を間違えているところに殿様が現れ、
「ゆるせ。御門守殿には何も用がなかった」
と、ハッピーエンドで終わる続きがあります。

「ネタ」
落語に出て来る殿様(大名)は赤井御門守と大体決まっていますが、
石高は、123,456石7斗8升9合半と言われています。
赤い御門があるので、将軍家とは姻戚関係があります。
ご先祖は公卿・算盤数得卿玉成で、任官して「八三九九守」となった人とか・・・ホントかよww
結構、いい暮らしをしてるとみえ、火焔太鼓を買ったりして気前の良い処もありますし、
「初音の鼓」ではしっかり負けさしています。
「妾馬」では八五郎を面白がって士分に取り立てています。

296a220c『二人旅』
今日は「二人旅」です。
気楽な二人連れの道中噺ですね。談志師は逃げの噺と言ってましたね。寄席で時間の無い時とかにやる噺で、何処でも切れるし、あまり力を入れなくて良い噺だと言ってました。

【原話】
1708年「かす市頓作」の「ふた道下り酒屋」が原型。尤もこれは上方落語の「煮売り屋」の元の軽口噺です。
後にも書きますが四代目柳家小さん師が東京に移したものです。

【ストーリー】
のんきな二人連れの旅人・・・
一人が腹が減って、飯にしようとしつこく言うのを、
謎かけで気をそらす。
例えば「二人で歩いていると掛けて、何と解く?」
「豚が二匹と犬っころが十匹と解く」
「その心は?」
「豚二ながらキャンとう者(二人ながら関東者)」
等とヤッてると、そのうち即興の都々逸(どどいつ)になり
「雪のだるまをくどいてみたら、何にも言わずにすぐ溶けた」
「山の上から海を眺めて桟橋から落ちて、泳ぎ知らずに焼け死んだ」
と、これもひどい代物。
ぼうっとした方が人に道を尋ねると、それが案山子だったりして、散々ぼやいて、やっととある茶店へ。
行灯(あんどん)に何か書いてある。
「一つ、せ、ん、め、し、あ、り、や、な、き、や」
「そうじゃねえ。一ぜんめしあり、やなぎ屋じゃねえか」
茶店の婆さんに酒はあるかと聞くと
「いいのがあるだよ。じきさめ、庭さめ、村さめとあるだ」
「へえっ、変わった銘だな。何だいそのじきさめってのは」
「のんだ先から直に醒めるからじきさめだ」
「それじゃ、庭さめは?」
「庭に出ると醒めるんだ」
村さめは、村外れまで行くうちに醒めるから。
まあ、少しでも保つ方がいいと「村さめ」を注文したが、肴が古いと文句を言いながらのんでみると、えらく水っぽい。
「おい、婆さん、ひでえな。水で割ってあるんだろう」
「何を言ってるだ。そんだらもったいないことはしねえ。水に酒を落としますだ」


【演者】
柳家の噺家さんを始め色々な噺家が演じていますが、最近は余り聴かないですね。
柳家のお家芸みたいな噺なのに……。

【注目点】
小さん師以前に、三代目圓馬師が「七度狐」を主人公を江戸っ子にして演じた記録があり、その時に二人が珍俳句をやりとりするくだりがあるので、その辺りもヒントになっていると思われます。

『ネタ』
上方落語の東の旅の「煮売屋」の部分を四代目柳家小さん師が東京に移したもので、東京で演じられるようになったのは、早くても大正後期以後と云われてます。
謎掛けや都々逸を入れたのは小さん師の工夫だと云われています。
これによって、元の噺の感じがかなり変わりました。
のんびりと田舎の道を歩く噺になりましたね。


※3月27日の浅草夜席の市馬師は「二人旅」でした。案山子の後の都々逸の下りで降りました。

903b2d43『源平盛衰記』
季節的な噺ではありませんが、壇ノ浦の合戦が旧暦3月なので取り上げてみたいと思います。

【原話】
この噺は古典の「平家物語」から題を録ったと言うより、「平家物語」をそのままダイジェストにした地噺ですね。
地噺と言うのは会話より説明が多い噺で演者のセンスが問われます。

【ストーリー】
平家はあまりにも権力を欲しいままにしたので、反乱が起こります。
「驕る平家は久しからず」と言われ、源氏が立ち上がります。
まず、木曽義仲による倶利伽羅峠での火牛の計から始まり、
源義経の鵯越の逆落とし、屋島の合戦で那須与一が扇を射落とす話が続き、
最後は壇ノ浦の最後に至りますが、そこは落語で、平家の最後なので、時子姫が入水して自害しようとして、
辞世の句を読みますが、その時、平家方の武士、能登守教経が踊り出します。踊る平家は久からず……。


【演者】
この噺は談志前と談志後で別れる噺だと思います。
談志師はこの噺を三平師から習い、そこに当時の世相や時事問題をねりこみ、早口でスピーディーな展開で、お客を圧倒しました。
それは、かの文楽師や圓生師も褒めたと言われています。

古くは初代遊三師、七代目正蔵師が有名です。現六代目文枝師が大阪に移植しました。
今では芸協の文治師が得意にしていますね。

【注目点】
談志師が黒門町に怒られた話
談志師の談話
文楽師匠に頭」から怒鳴られた。
「あんなものをやっちゃイケない」と言うのだ。
何故イケないのか、私には理解出来なかったが、兎に角イケないの一点ばり、
こっちは悔しいけど、相手が文楽師匠じゃ仕方がない。泣き寝入だ。
のちになって、聞いてみたら、「あいつは、近頃生意気になっているので、一度どこかでこっぴどく小言を言ってやろうと思っていたので、私言いました。

たまりませんね。でもそれだけ目立っていたのでしょうね。
評論家の虫明亜呂無氏も小ゑん時代のこの噺を聴いて絶賛しています。

『ネタ』
先程も書きましたが、今でも新文治師や小朝師等多くの噺家が演じていますが、談志師以降は全て談志師のやり方を参考にしている、と言っても良いと思います

0a8f3635『居残り佐平次 』
 コロナウイルス騒動の影響でアチコチの施設が閉鎖になっておりますが、寄席は国立を除いて通常通り営業していますね。最もお客の数は少ないようです。
先日の浅草の昼席で、市馬、喬太郎、一之輔、その他豪華な顔ぶれが並んだそうですが、日曜でも満員にはならなかったそうです。という訳でこの噺です。

【原話】
江戸後期の初代柳枝師の作による江戸落語です。
有名なネタですから、大抵の噺家は一度はやりますね。ちゃんと出来てるかは別にしてね。

【ストーリー】
 右を向いても左を向いても貧乏人が集まったとある長屋。
その輪にいた佐平次という男が
「品川にある遊郭に繰り出そう」
 と言い出した。金もないのにどうやって?と思いながらも一同、品川へ。
一泊して後、佐平次は
「実は結核に罹って医者から転地療養を勧められていた。だからここに残る」
 と言い出し、ほかの仲間を帰した。その後若い衆に
「勘定はさっきの仲間が持ってくる」
 といい居続け。翌日も
「勘定勘定って、実にかんじょう(感情)に悪いよ」
 とごまかし、その翌日も居続け、しびれを切らした若い衆に、
「金?持ってないよ」
 と宣言。店の帳場は騒然。 佐平次少しも応えず、みずから店の布団部屋に篭城した。
 やがて夜が来て店は忙しくなり、店は居残りどころではなくなった。佐平次頃合を見計らい、客の座敷に上がりこみ、
「どうも居残りです。醤油もってきました」
 と客に取り込み、あげくに小遣いまでせしめる始末。花魁がやってきて、
「居残りがなんで接待してんの?・・ってやけに甘いな、このしたじ(醤油)」
「そりゃあ、蕎麦のつゆですから」
「おいおい・・・」 などと自分から客をあしらい始め、謡、幇間踊りなど客の接待を始めた。それが玄人はだしであり、しかも若い衆より上手かったから客から「居残りはまだか」と指名がくる始末。
 これでは彼らの立場がない。
「勘定はいらない。あいつに出て行ってもらおう」
 となった。佐平次は店の店主に呼び出され、
「勘定はもういいから帰れ」
 といわれ追い出された。しかもその折に店主から金や煙草をせびり、もらっていく始末。 心配でついてきた若い衆に、
「てめえんとこの店主はいい奴だがばかだ。覚えておけ、俺の名は遊郭の居残りを職業にしている佐平次ってんだ」
 と捨て台詞を残して去っていった。 若い衆は急いで店主に報告する。すべてを知り、激怒する店主。
「ひどいやつだ。あたしの事をおこわにかけやがったな」
 そこで、若い衆が一言。
「旦那の頭がごま塩ですから」


【演者】
圓生師をはじめ志ん生師や正蔵師等そうそうたる名人上手が演じています。かの三代目柳好師も演じています。(個人的は結構好き!)
また志ん朝師も良いですね。無論小三治師もやっています。
圓生師はこの噺を初代の小せん師から17、8の頃に教わったそうですが、なかなか上手く出来ずに苦労したそうです。

【注目点】
オチの「おこわにかける」は古い江戸言葉で、すでに明治末年には死後になっていたそうです。
語源は「おおこわい」から来ていて、人を陥れる意味でした。
それを赤飯のおこわと掛けたものだったのです。
また別の意味で「美人局」の隠語でもあったそうです。
個人的にはこのサゲは替えて欲しく無いですね。

『ネタ』
サゲが判りにくにので、殆どの噺家が改悪しています。
個人的にはこれだけ皆失敗してるんだから変えなきゃ良いと思うのですが・・・
あの談志師からして事後談までこしらえています。
そうなると、別の噺みたいですね。
個人的にはサゲが解りづらかろうと、この噺の素晴らしさは変わらないと思います。
いっそ、サゲを無くして、若い衆が声を掛ける処までやり、
「この後、佐平次の言う事が真っ赤な嘘と判り、騙されたと気がつくと言う、居残り佐平次と言う噺でございます」
とやった方がスッキリする気もしますが……。

このページのトップヘ