はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

噺の話

「黄金餅」という噺

204887ac『黄金餅』
 やっと暖かくなって来ましたので、今日は「黄金餅」という噺をやります。

【原話】

三遊亭圓朝師の創作と言われています。かなりダークな噺ですが、古今亭志ん生師が言い立ての道中等を入れて今のような飄逸味溢れる噺にしました。

【ストーリー】
 下谷の山崎町の裏長屋に、薬を買うのも嫌だというケチの”西念”という乞食坊主が住んで居ました。
 隣に住む金山寺味噌を売る”金兵衛”が、身体を壊して寝ている西念を見舞い、食べたいという餡ころ餅を買ってやりますが、家に帰れと言います。隣に帰って壁から覗くと、西念があんこを出して、そこに貯めた2分金や1分金を詰め込んで、一つずつ全部、丸飲みしてしまいます。
 その後、急に苦しみだしてそのまま死んでしまいました。
 金兵衛は飲み込んだ金を取り出したく工夫をするが出来ず。焼き場で骨揚げ時に、金を取り出してしまおうと考えます。
 長屋一同で、漬け物ダルに納め、貧乏仲間なもので夜の内に、葬列を出して、下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違(すじかい)御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。みんな疲れたが、私(志ん生)もくたびれた。

 何とか麻布絶口釜無村の木蓮寺へ着きます。貧乏木蓮寺で、葬儀の値段を値切り、焼き場の切手と、中途半端なお経を上げて貰い、仲間には新橋に夜通しやっている所があるから、そこで飲って、自分で金を払って帰ってくれ言い返して仕舞います。
 桐ヶ谷の焼き場に一人で担いで持って来て、朝一番で焼いて、腹は生焼けにしてくれと脅かしながら頼み、新橋で朝まで時間を潰してから、桐ヶ谷まで戻り、遺言だから俺一人で骨揚げするからと言い、持ってきたアジ切り包丁で、切り開き金だけを奪い取って、骨はそのまま、焼き場の金も払わず出て行ってしまいます。

 その金で、目黒に餅屋を開いてたいそう繁盛したという。江戸の名物「黄金餅」の由来でございます。

【演者】
 これは志ん生師に止めをさすでしょう。談志師が言い立てを一旦言った後に現代の道順に替えてもう一度言い直した高座がひかります。それでも、今でも志ん生師を越える高座は出て居ないと思います。

【注目点】
 この噺は、幕末を想定しているそうですが、金兵衛や西念の住む長屋がどれほどすさまじく貧乏であるかを感じさせてくれます。当時は、芝新網町、下谷山崎町、四谷鮫ヶ橋が、江戸の三大貧民窟だったそうです。

『能書』
 この噺の眼目は、金兵衛が最初は普通の人間だったのが、西念のお金を見てから人格が変わって行く所ですね。その点に注目してください。笑いも多いですが、本当は人間の本質を描いたかなり怖い噺なのです。それを志ん生師が面白く変えたのですね。ちなみに「黄金餅」という餅菓子は実際は無かったそうです。

『ネタ』
 道中付けと並んで楽しいのが、木蓮寺の和尚のいい加減なお経です。
「金魚金魚、みィ金魚はァなの金魚いい金魚中の金魚セコ金魚あァとの金魚出目金魚。虎が泣く虎が泣く、虎が泣いては大変だ……犬の子がァ、チーン。」
「なんじ元来ヒョットコのごとし君と別れて松原行けば松の露やら涙やら。アジャラカナトセノキュウライス、テケレッツノパ」
 と言う実にいい加減で楽しいお経です。

 桐ケ谷の焼き場(斎場)は今でもあります。東京博善社という会社の経営です。
 博善社は私の地元の四ツ木を初め都内各地にありますが、落合の斎場は皇室の為の特別な場所があります。一般人は入ることが出来ません。
 それと落合の火葬場は「らくだ」に出て来ます。

 以前、ヌーベルハンバーグさんのコメントに教わったのですが、この噺の続きもあるのだそうです。とても陰惨で十代目馬生師が教わったそうですが遂に高座に掛けることは無かったそうです。

「竹の水仙」という噺

aefe929c『竹の水仙 』
季節的には少し疑問ですが水仙が春の花なので取り上げました。

【原話】
元は講釈ネタですので、基本的にはオチはありません。左甚五郎物として有名なのは三木助師の「ねずみ」が有名ですね。
「ねずみ」は浪曲師の広沢菊春師に「加賀の千代」と交換にネタを譲ってもらい、脚色して落語化したものです。

【ストーリー】
左甚五郎が江戸へ下る途中、名前を隠して、藤沢宿の大松屋佐平という旅籠(はたご)に、宿をとった。
ところが、朝から酒を飲んで管をまいているだけで、宿代も払おうとしないので、
たまりかねた主人に追い立てを食うが、甚五郎、平然としたもので、ある日、中庭から手頃な大きさの竹を一本切ってくると、それから数日、自分の部屋にたてこもる。

心配した佐平がようすを見にいくと、なんと、見事な竹造りの水仙が仕上がっていた。
この水仙は昼三度夜三度、昼夜六たび水を替えると翌朝不思議があらわれるが、その噂を聞いて買い求めたい
と言う者が現れたら、町人なら五十両、侍なら百両、びた一文負けてはならない、と言い渡す。

佐平が感嘆していると、なんとその翌朝、水仙の蕾が開いたと思うと、たちまち見事な花を咲かせたから、
一同仰天。
そこへ、たまたま長州公がご到着になり、このことをお聞きになると、ぜひ見たいとのご所望。
見るなり、長州公
「このような見事なものを作れるのは、天下に左甚五郎しかおるまい」
ただちに、百両でお買い上げになった。
五郎、また平然と「毛利公か。あと百両ふっかけてもよかったな」

甚五郎は半金の五十両を宿に渡し江戸に向かいました。
上野寛永寺の昇り龍という後世に残る名作を残すなど、いよいよ名人の名をほしいままにしたという、
「甚五郎伝説」の一説。

【演者】
五代目柳家小さん師の十八番で、小さん師のオチのない人情噺は珍しいですね。
寄席等では桂歌丸師、柳家喬太郎師などが演じるほか、若手でも手掛ける者が増えているようです。
圓生師は「三井の大黒」とセットで演じてもいます。
演者によって、甚五郎の雰囲気が違ってくるのも面白いですね。

【注目点】
この噺や「抜け雀」は宿屋の主が脇役でありながらも主役級の活躍をしていますね。この宿屋の主をどう演じるかが重要なんだそうです。

『能書』
オチが無いのですが、調べるとこんなのがありました。夫妻は宿を去ろうとする甚五郎を止め、「どうかこのあとも、300両の竹の水仙をこの宿で作り続けてもらえないか」と聞くが、甚五郎はそれを拒む。理由を聞くと、「竹に花を咲かせると、寿命が縮まるから」というサゲもありますが、これは数十年から百数十年に一度花を咲かせ、竹ごと枯れてしまう事に掛けたものですね。

『ネタ』
実際の左甚五郎は東照宮の「眠り猫」や維新で燃えてしまいましたが、上野寛永寺の「登り龍」は有名ですが落語の世界の彫刻の名人伝説は創作なんだそうです。

「不動坊」という噺

1-C-KSH264『不動坊』
今日は「不動坊」です。
この噺は本来は春先の噺なのですが、東京では夏に演じられる事が多い様です。
本来は上方落語ですが、最近は東京でも定着していますね。

【原話】
二代目林家菊丸師の作とされています。三代目柳家小さん師が東京に移植しました。

【ストーリー】
長屋に住む講釈師、不動坊火焔が旅先で急死し、未亡人のお滝に再婚話が持ち上がる。
同じ長屋に住む吉が、不動坊の残した借金を肩代わりするという条件で、お滝をもらうことになった。
もともとお滝に思いを寄せていた吉は、降ってわいた話に夢見心地。銭湯で新婚生活の稽古をしているところを町内の連中に目撃されてしまう。
じつは町内の男どもは、みなひそかにお滝に惚れていたのだ。悔しくて成らない鉄、萬、徳の三人組はお滝の祝言を破談にさせようと計画を思案。売れない噺家を雇い、不動坊火焔の幽霊が恨み言を言いにくる筋立てを考える。
 そして、真夜中に四人連れで吉公の家にやってくる。
屋根に登って、天井の引き窓から幽霊をつり下ろす算段だが、
万さんが、人魂用のアルコールを
餡コロ餠と間違えて買ってきたりの騒動の後、噺家が
「四十九日も過ぎないのに、嫁入りとはうらめしい」
と脅すと、吉公少しも動ぜず、
「オレはてめえの借金を肩代わりしてやったんだ」
と逆ねじを食わせたから、幽霊は「墓なんか要らないから、10円もくれれば良い」と交渉。
結局、計画はおジャン。
 怒った三人が屋根の上から揺さぶったので、幽霊は手足をバタバタ。
「おい、十円もらったのに、まだ浮かばれねえのか?」
「いえ、宙にぶら下がってます」

【演者】
上方では米朝一門、東京では小さん一門の噺ですね。
上方では、ほとんどはマクラで「遊芸稼ぎ人」の説明を仕込んだ上でオリジナルの通りにサゲています

【注目点】
とにかく聴いていて楽しい噺ですが、湯屋での独り言のシーンで笑いを取らねばならず、
演じるには難しい噺なうえに、最後の幽霊のシーンっでは中腰で演じなければならないので、
あまり高齢だと出来ないとも云われています。

『能書』
本来のサゲは、「幽霊(遊芸)稼ぎ人です」と言いました。
上方ではこのサゲで演じています。
これは、明治時代、落語家が「遊芸稼ぎ人」という鑑札を受けていたことがあり、
これを持っていないと商売が出来なかったからです。

『ネタ』
「源兵衛人玉」という噺の改作と言う説もあります。
東京では「樟脳玉」ですね。

「道具屋」という噺

4688d04e『道具屋』
 今日は与太郎噺の王道のこの噺です。

【原話】
古くからある小咄を集めて、こしらえた噺です。記録としては1807年の喜久亭 寿暁(きくてい じゅぎょう)が書いた「滑稽集」に「小便無用 道具屋」とあります。

【ストーリー】
神田三河町の大家・杢兵衛の甥の与太郎。三十六にもなるが頭は少し弱いみたいです。仕事もしないで年中ぶらぶらしています心配した叔父さんは、自分の副業の屑物を売る道具屋をやっているので、商売のコツを言い聞かせ、商売道具一切持たせて送りだします。
その品物がまたひどくて、おひなさまの首が抜けたのだの、
火事場で拾った真っ赤に錆びた鋸だの、「ヒョロビリの股引き」だので、ろくな物がありません。まあ、元帳があるからそれを見て、倍にふっかけて後で値引きしても二、三銭のもうけは出るから、それで好きなものでも食いなと言われたので、
与太郎もその気になります。
 やってきたのが蔵前の質屋・伊勢屋の脇。煉瓦塀の前に、日向ぼっこしている間に売れるという、昼店の天道干しの露天商が店を並べています。
すると、杢兵衛さんの甥と判ると、親切に商売のやり方を教えてくれます。
 最初の客は大工の棟梁。
釘抜きを閻魔だの、ノコが甘いのと、符丁で言うので判りません。
火事場で拾った鋸と聞き、棟梁は怒って行ってしまいます。
「見ろ、小便されたじゃねえか」つまり、買わずに逃げられることだと教えます
 次の客は隠居。
「唐詩選」の本を見れば表紙だけ、万年青(おもと)だと思ったらシルクハットの縁の取れたのと、ろくな代物がないので渋い顔。毛抜きを見つけて髭を抜きはじめ、
「ああ、さっぱりした。伸びた時分にまた来る」
 その次は車屋。
「股引きを見せろ」と言う。
「あなた、断っときますが、小便はだめですよ」
「だって、割れてるじゃねえか」
「割れてたってダメです」
 これでまた失敗。
 お次は田舎出の壮士風。
「おい、その短刀を見せんか」
 刃を見ようとするが、錆びついているのか、なかなか抜けません。与太郎も手伝って、両方から一生懸命。
「抜けないな」
「抜けません」
「どうしてだ」
「木刀です」
 呆れて、鉄砲を手に取って「これはなんぼか?」
「一本です」
「鉄砲の代じゃ」
「樫です」
「金じゃ」
「鉄です」
「馬鹿だなきさま。値(ね)じゃ」
「音はズドーン」

【演者】
前座の噺とされていますが、圓朝師の速記も残っているそうです。
本当に演じたのでしょうか?
もし本当なら、ぜひ聴いてみたかったところです。
五代目小さん師では、隠居が髭を剃りながら与太郎の身の上を「おやじの墓はどこだ」まで長々聞くのですが、
これを二回繰り返し、与太郎がそっくり覚えて先に言ってしまうというパターンもあります。
【注目点】
この他にも、「お雛様の首が抜ける」や台の足がたらないを「後ろの塀ごと買ってください」等
愉快な顛末が笑えます。

『能書』
噺の都合上、どこでも切れる構成になっており、また入れごとも簡単に入るので、
数々のサゲがあります。
珍しいのは、八代目正蔵師等がやった、家まで金を取りに行き、
格子に首をはさんで抜けなくなったので、「そちの首と、身どもの指で差っ引きだ」
と言うヤツでした。

『ネタ』
かって六代目圓生師はこの噺を
「本当は与太郎で演じてはいけないんです」
 と語っていたそうです。
それは馬鹿者として演じてると主人公が洒落等を連発するからだそうです。
だから与太郎=馬鹿者では無いという事ですね。

「百年目」という噺

Image005『百年目』
 三月になりましたが雨が続いて寒い日が続きます。今日はこの噺です。

【原話】
元は上方落語の演目で、後に東京に移植されました。
遡ると1804年「滑稽集」に「百ねんめ」として出ています。
一説には東西とも同じ原話があり偶然に作られたという説もあります。
上方では米朝師が極め付きです。東京では、桂小文治師や小南師も演じましたが、圓生が素晴らしいですね。

【ストーリー】
ある大店の一番番頭・冶兵衛。
四十三になりますが、まだ独り身で店に居付きです。
この年まで遊び一つしたことがない堅物で通っています。

今日も、二番番頭が茶屋遊びで午前さまになったのをとがめて、芸者という紗は何月に着るのか、
タイコモチという餠は煮て食うか焼いて食うか教えてほしいと皮肉を言うほど、
小僧や手代にうるさく説教した後、番町のお屋敷をまわってくると言い残して出かけます。

ところが、外で待っていたのは幇間の一八で、今日は、柳橋の芸者や幇間連中を引き連れて向島へ花見に繰り出そうという趣向なのです。
船に乗って目的地迄着いたのはいいが、すっかり酔っ払ってしまい、陸に上がるつもりが無かったのに上がって、扇子をおでこに縛りつけて顔を隠し遊び始めます。
悪いことは出来ないもので、そこでこれまた花見に来ていた旦那と鉢合わせしてしまいます。
「お、お久しぶりでございます。ごぶさたを申し上げております。いつもお変わりなく……」

酔いもいっぺんで醒めた冶兵衛、逃げるように店に戻ると、風邪をひいたと寝込んでしまいます。
旦那が何と言うか、もうそればかりが気になりろくろく眠れません。
翌朝旦那に呼び出されます。
恐る恐る旦那の前に進み出た冶兵衛に旦那は、普段の苦労を労り感謝します。
そして翌年には暖簾分けすることを約束します。
さらに、冶兵衛の昔の話や旦那の語源を話し、店の者にも労わって欲しいと言います。

さらに、旦那は昨夜、店の帳面を全て調べた事を告げます。
一つの過ちも無かった事を告げ、冶兵衛の遊びの話しをします。
商売の切っ先が訛ったらイケナイので、商売の金は思う存分に使って欲しいと告げます。
ところで、「何であの時、しばらくぶりなんて言ったんだ?」
冶兵衛「はい、堅いと思われていた番頭がこんな姿を晒してしまったので、
ここはもう百年目と思いました。」

【演者】
上方では桂米朝師、東京では六代目圓生師が抜けていると個人的には思います。

【注目点】

旦那の風格をどう出すかと、番頭の描き方ですね。と言うのも番頭さんは旦那が登場するまでは旦那然として振る舞っているので、その辺を出さないとなりません。後半の描き方とどう演じ分けるかが重要ですね。

『能書』
昔の商家では、小僧から手代を経て、番頭に昇格するのですが、普通、中規模の商家で二人、
大店になると三人以上いることもありました。

居付きの番頭と通い番頭があり、後者は所帯を持った若い番頭が、裏長屋に住み、そこから店に通ったものです。
普通、番頭になって十年無事に勤めあげると、別家独立させるしきたりが、東京でも大阪でもありましたが、この噺の治兵衛は、四十を越してもまだ独身で、しかも、主人に重宝がられて別家が延び延びになり、店に居ついている珍しいケースです。

大番頭ともなると、店の金の出納権限を握っているので、株式などの理財で個人的にもうけることも可能だったと言う事ですね。

『ネタ』
さてこの噺ですが、米朝師の旦那はいいですねえ。聴いていてこちらもホロリとさせられます。本当に心の底からの言葉だと感じます。
一方、圓生師ですが、もちろんこちらも旦那の懐の大きさを感じて、素晴らしいのですが、心の底の底では100%の内5%くらいは未だ許していない部分がある様な感じがします。
これは私だけかも知れませんが、ホンの僅かな部分、未だわだかまりが有るように感じるのです。
そう感じさせる圓生師が凄いのか、単な私がアホなのか(^^)
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