はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

落語あれこれ

寄席案内 5 国立演芸場

 70387792寄席紹介の最後は国立演芸場です。ここは、千代田区隼町の国立劇場の一部として
1979年(昭和54年)に開場した国立の演芸場です。その為国立劇場の隣と言うか裏手にあり、最高裁判所は隣となります。およそ寄席らしくない環境です。

 兼ねてから寄席演芸の関係者が陳情をおこなったり署名を集めたりして開設にこぎつけました。
座席数は300席で寄席としても丁度よい大きさで、舞台端から最後列座席まで13.6mと近く、寄席の醍醐味を満喫することができます。

公演形態は上席(1日〜10日)と、中席(11日〜20日)でこの辺は通常の寄席と同じですが、基本的には、寄席にはある下席(21日〜30日)はありません。(貸出となっています)
原則的に昼の部のみですが、金曜等には夜の部が行われる事もあり、昼の部と同じ出演者が二回目も勤めます。
開設当初は独特の顔付けを行っていましたが、今は落語協会と落語芸術協会がそれぞれ上席と中席を分け合っています。
 但し、月に一度行われる「国立名人会」は独特の顔付けを今でも行っていて、落語協会の噺家さんの後に立川流の噺家さんが出る事もあります。
 一人の持ち時間が長いのも特徴で、噺そのものを楽しむ事が出来ます。

1階には演芸資料館があり寄席演芸ファンなら覗くのも面白いと思います。



所在地 〒102-8656 東京都千代田区隼町4-1
TEL 03-3265-7411
最寄り駅 [地下鉄] 半蔵門線 「半蔵門駅」 1番 出口より徒歩8分
有楽町線・半蔵門線・南北線 「永田町駅」 4 出口より徒歩5分
    [都バス]都03 「晴海埠頭―四谷駅」 三宅坂下車徒歩1分

料金
 公演により変わって来ますが、定席の場合の料金を書いておきます。
 大人 2100円
 学生 1500円
 シニア1300円
 小学生1100円    
国が補助するので料金は安いのだそうです。                    
尚、全ての公演で中入り後は三割引となっています。

寄席案内 4 池袋演芸場

img_2511a_1_1_1今回は池袋の西口にある池袋演芸場です。昔からお客が入らない寄席として有名でした。平成5年に建て替えられて近代的なビルの地下になりましたが、それ以前は映画館の三階にあり、お客より出演者の方が多いと言う有様でした。
 若き立川談志師が熱演していたのを思い出します。畳敷きだったので常連は寝転んで噺を聴いていましたね。

 歴史
1951年(昭和26年)に開場。
客が全く入らず、1970年(昭和45年)に席亭は閉鎖を検討するも、落語協会・6代目三遊亭圓生会長の説得により存続が決まり、以降は落語協会専門の定席となる。
1990年(平成2年)2月28日建て替えのため閉鎖。周辺の再開発のため建物は解体される。
1993年(平成5年)9月再開場。改装前と所在地は同じながら入口の通りが異なり、路地裏(現在のエビス通り)から駅前(西一番街中央通り)に進出した。現在はビルの地下に位置する。地下に位置する定席としては当席が唯一である。改築を機に、全席椅子席となる。

再開場時より、旧来のように落語芸術協会・落語協会両方の番組が組まれるようになりました。
座席数は93席であり、他の都内3件の落語寄席に比べ狭いので、どこに座っても演者の息遣いが分かります。また、定席以外でも下席夜の部に独特の企画を興行します。

客席はすべて椅子席であり座席には飲み物などを置く組み立て式のテーブルが付属しています。
近年になって固定席の端に追加する形でパイプ椅子が置かれるようになったため、上記よりも20席ほど多いですね。それでも混雑することがあり、その場合は立ち見することになります。


亡くなった十代目桂文治師は「ここは昔なら端席と呼んだんですよ」等と高座で語っていましたが、本当にお客が入らない寄席でした。個人的にですが良く経営が成り立っていたと思います。
各種披露興行等も定席としては一番最期になります。また座席数が少ない為、出演者が少ないのも特徴です。その為、一人の持ち時間が多く、噺をたっぷりと楽しめます。演者もここでは手を抜く訳には行かず。熱の篭った高座を見せてくれます。
お客も、落語好きが多く、通が通う寄席とも言えます。

アクセス

東京メトロ副都心線・丸ノ内線/東武東上線 池袋駅12番出口またはC10出口(副都心線)より徒歩1分
JR池袋駅北口より徒歩1分

西武池袋線、東京メトロ有楽町線の池袋駅の改札口からは少し離れています。

寄席案内  第1回 上野鈴本演芸場

 今回から暫くは都内にある寄席(落語定席)を紹介したいと思います。何時か行かれる時の参考にして下さい。
%97%E9%96%7B
・上野鈴本演芸場
 歴史
軍談席本牧亭が、江戸期・安政四年(1857年)に開設。
創業者は現席亭の祖先で、三代目本牧屋仙之助(またの名を龍助)という。明治維新後、平民苗字許可令・龍助を含む一族は鈴木姓を名乗る。
その後、住民の宗教信者によるお題目大声唱で、営業妨害を受け続けた。
初代席亭は一計を案じ、「本牧亭」を閉鎖し、別の落語・色物の席を造った。席の名称は鈴木と本牧を合せて、「鈴本亭」とした。「鈴本演芸場」への改称時期は不明だが、「東京演芸場組合員名簿」1926年には「鈴本亭」の記述がある。
関東大震災後に現在地に移転。

 中央通り沿いにあるビルの中に入っています。切符を買うと奥のエスカレーターで三階に上がり、そこが客席の入り口になっています。
昼夜入れ替え制になっています。完全入れ替え制はここと国立演芸場だけですね。尤も国立は昼間が殆どなので入れ替えそのもがありません。
 真打ち昇進披露とか襲名披露などがある場合、一番最初に掛けられるのがここです。それだけ格式のある寄席でもあります。
 席はゆったりしていて、段差もあるので見易く作られています。席には折りたたみのテーブルもあるので飲食や、パンフレットを見たりメモも録りやすくなっています。

 現在はこの寄席だけ、落語協会だけが興行を行っています。と言うのも以前、鈴本の席亭が落語芸術協会に対して「お客の入が良くないのと、出演する噺家の層が薄いので、落語協会の噺家を1〜2人入れて芝居をしたい」と言った所、当時の会長の桂米丸師が激昂して、「それなら鈴本には芸人を派遣しない。芝居も行わない」と通告して、それ以来芸協はここでは芝居を行っていません。
今の会長は歌丸師ですが米丸師の弟子ですので、師匠の意向には逆らえないでしょうね。
 確かに芸協は落協に比べ芸人の数が少ないので、層が薄くなるのは仕方ないのです。
現に出演者が多い浅草や末広亭ではメンバーがかなり固定されています。その辺を席亭は憂いたのでしょうが、一時芸協の入が悪かったのは本当の事でした。やる気の無い噺家が出てきては詰まらない芸を披露すると言う感じでした。今はそんな事もなく皆一生懸命に演じていて、お客の入も悪くありません。今なら和解出来ると思うのですが、米丸師が存命の内は難しいでしょうね。

芸人の数がそれほど多くないので比較的たっぷりと噺が聴けます。落語をちゃんと聴きたいと思う人はおすすめです。

通常興行の料金

一般 2800円
学生 2400円(中学生以上。大学や専門学校もすべて含む。ただし24歳まで)
シニア 2400円(65歳以上)
小人 1500円(3歳以上)
全席自由席
設備

座席数285。すべて椅子席、飲食用テーブル付属。
2Fに自動販売機(酒あり)、3Fが客席と売店。
エレベーター(1基のみ)で行き来可(1Fから3Fへ上がるエスカレーターもある)。

寄席で聴きたい 古今亭志ん輔師

 shinsuke2今日は志ん朝師匠のお弟子さんで、寄席に良く出ている古今亭志ん輔師匠です。
1972年3月に3代目古今亭志ん朝に入門、前座名は朝助。
1977年3月に二つ目に昇進。師匠志ん朝の前名古今亭朝太に改名。
1985年9月に真打に昇進して志ん輔を襲名
 早くから将来を嘱望されていました。
出囃子 は「越後獅子」です。

【芸風】
 師匠の志ん朝師の芸風を良く受け継いでいます。単に受け継いでいるだけではなく、自分の個性を加味しているのは言う間でもありません。明るく陽気で、少し惚けた芸風が寄席の空気を明るいものに変えてくれます。

【得意演目】
 師匠同様幅広いですが、寄席でよく演じるのは「紙入れ」「替り目」「犬の災難」
 「豊竹屋」「夕立勘五郎」他多数

【エピソード】
 若手の育成に力を入れていて、自身でも「たまごの会」という会を作り協会に関係無く門戸を開いている。また神田に「連雀亭」という二つ目専門の寄席を拵え(協力者あり)これも広く開放している。(運営は二つ目に任せている)

【健二のネタ】
弟子になった頃はそれだけで目的が達した様な気分になり、あらゆる面で師匠の真似ばかりしていたそうです。
その時は何も言われなかったが、真打になって色々な事を言われる様になり。大変ありがたかったと……
弟子を持って判る事は如何に自分に弟子に伝えられる事が無いかを実感したことだそうです。
もう、師匠は亡くなってるから恩返しがしたくても出来無いので、その分噺を一つ一つ完成させて行く事だと
思いそして後輩達に自分が出来るかぎりの事をして恩返しをしたいと語っていました。

また、以前の事ですが、寄席や落語会で噺をしていると、突然、師匠の志ん朝師が降りて来たりしたそうです。

八代目 可楽師匠のこと

vol_pict06今日は可楽師匠のことです。

【八代目三笑亭可楽】1898年〈明治31年〉1月3日 – 1964年〈昭和39年〉8月23日
今回は、いぶし銀のような芸風が光った八代目可楽師です。ちなみに三笑亭可楽というのは噺家の名前で一番古い名前で「山椒は小粒でピリリと辛い」の洒落です。
・「出囃子」『勧進帳』

・「芸風」
一見苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながらぼやくように噺を勧めます。この話しっぷりが本当に可笑しく、ボヤけばボヤくほど笑いの渦が巻き起こります。
最初は、極めて地味で動作が少なく、一般大衆受けする華やかなものではなかったのですが少数ながら熱烈な愛好者がおり「可楽が死んだらもう落語は聞かない」とまで語る者もいた。それがジャズマンの人々です。可楽師の話すリズムがまるでジャズのようだった。と言われています。熱狂的とも言えるファンでした。フッランク永井さんは特に有名です。

・「芸歴」
1915年に初代三遊亭圓右に入門して「右喜松」
1922年に翁家馬之助で真打昇進
1940年4月に6代目春風亭小柳枝となり、
1946年5月に8代目可楽を襲名
次々と師匠を変えていたので長いこと売れませんでした。

.「エピソード」
独特の渋い低音と妙に舌足らずの語り口。「べらんめえ」口調ながら、不思議と礼儀正しく、客との距離感は絶妙戦後芸が開花しました。
そもそも噺家になろうと思ったのも、上野黒門町の経師屋の家に生まれ、家業を継ぐべく修行していたのですが、父親の家作に出入りしていた五代目古今亭志ん生の呑気な生活ぶりに憧れを抱き、噺家になったというのが真相だそうです。
曰く「噺家は夕方から仕事すれば良いので楽そうだ」と思ったとか。

・「得意演目」
『らくだ』『今戸焼』が絶品。『二番煎じ』『反魂香』『うどんや』『岸柳島』『鰻の幇間』
『芝浜』『子別れ』も演じました。
記事検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ