はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

この噺家さんのこの噺を聴け!

「源平盛衰記」はこの男から変わった

DB022-0201E_001_rl1今日は「源平盛衰記」を取り上げてみたいと思います。

この噺は古典の「平家物語」から題を録ったと言うより、「平家物語」をそのままダイジェストにした地噺ですね。
地噺と言うのは会話より説明が多い噺で演者のセンスが問われます。

大雑把なあらすじは、平家はあまりにも権力を欲しいままにしたので、反乱が起こります。
「驕る平家は久しからず」と言われ、源氏が立ち上がります。
まず、木曽義仲による倶利伽羅峠での火牛の計から始まり、
源義経の鵯越の逆落とし、屋島の合戦で那須与一が扇を射落とす話が続き、
最後は壇ノ浦の最後に至りますが、そこは落語で、平家の最後なので、時子姫が入水して自害しようとして、
辞世の句を読みますが、その時、平家方の武士、能登守教経が踊り出します。踊る平家は久からず・・・

この噺は談志前と談志後で別れる噺だと思います。
談志師はこの噺を三平師から習い、そこに当時の世相や時事問題をねりこみ、
早口でスピーディーな展開で、お客を圧倒しました。
それは、かの文楽師や圓生師も褒めたと言われています。

ところが、本人には中々伝わらなかった様で、逆に文楽師から怒られたそうです。
談志師の談話

文楽師匠に頭」から怒鳴られた。
「あんなものをやっちゃイケない」と言うのだ。
何故イケないのか、私には理解出来なかったが、兎に角イケないの一点ばり、
こっちは悔しいけど、相手が文楽師匠じゃ仕方がない。泣き寝入だ。
のちになって、聞いてみたら、「あいつは、近頃生意気になっているので、一度どこかでこっぴどく小言を言ってやろうと思っていたので、私言いました。

たまりませんね。でもそれだけ目立っていたのでしょうね。
評論家の虫明亜呂無氏も小ゑん時代のこの噺を聴いて絶賛しています。

ちなみに我が家の祖先は平家方の武士で、この戦いに負けて仲間6人と今の地に逃げてきたのだそうです。

今でも新文治師や小朝師等多くの噺家が演じていますが、談志師以降は全て談志師のやり方を参考にしている、と言っても良いと思います。続きを読む

「会長への道」はもう聴けない!

_SL500_AA300_今日は、今となっては聴けなくなってしまった噺の「会長への道」です。

漫談なのですが、内容は皆さんご存知で、「将来は落語協会の会長になることが目標」という野望の元、
各先輩方を一人ひとり、誰々は高血圧だとか噺の上で殺してゆくというブラックな噺ですが、
最初は香盤が上の噺家さんが沢山いましたが、段々少なくなってしまい、
ついには、自分が本当に会長になってしまったので、出来なくなって仕舞いました。

馬風を襲名した当初は先代と同じ様に「よくきたな」とかやってましたが、
当人いわく、「どうも自分には合わない」と思いやめて、試行錯誤の結果、このキラーコンテンツを生み出しました。

しかし、出演の度にこれを演ってくれといわれ、放送全体でも楽屋受けを狙う風潮を生み出し、芸がなくとも仲間の失敗や悪口で受けるという安易な姿勢を世に認めさせることになってしまった様です。
この噺以前は「禁酒番屋」「紙入れ」「風呂敷」「短命」等柳家の滑稽噺をよく放送でも寄席でもやっていたのですが、これ以降は大分少なくなって仕舞いました。

今、市馬師が高座で歌いますが、以前は馬風師が「峠の唄」というネタがあり、美空ひばりさんの唄をメドレーで唄ったり、前座を皆出させて踊らせたりしていました。
今でも美空ひばりメドレーはやりますね。

ちなみに、「笑点」の山田くんは馬風師の弟子で、鈴々舎鈴丸という名を持っています。

最後に経歴を・・・・

代目鈴々舎 馬風 1939年12月19日生、出囃子は『本調子のっと』、本名 寺田 輝雄
1956年5代目小さんに入門、小光、1960年3月 - 二つ目昇進 かゑる、
1973年3月 - 真打昇進。1976年5月 - 5代目鈴々舎馬風襲名
2006年6月 - 3代目三遊亭圓歌の後任で落語協会会長就任。
2010年6月 - 落語協会会長を退任。続きを読む

芸協の実力者 瀧川鯉昇師

rakugo-dl-00137s落語協会から続いたので、今日は芸術協会の実力者、瀧川鯉昇師匠です。

1953年静岡県浜松市生まれ、本名は山下 秀雄と言います。
1975年4月、8代目春風亭小柳枝に入門、柳若(りゅうじゃく)となる。
1977年師匠が廃業した為、柳昇門下となる。
1980年2月、二つ目昇進。愛嬌(あいきょう)となる。
1990年5月、真打昇進。春風亭鯉昇となる。
2005年1月、亭号を改め、「瀧川鯉昇」となり現在に至る。

江戸っ子の啖呵を切る様な調子ではなく、飄々とした独自のテンポが楽しい師匠です。
マクラ等は自分の事や世間話に言葉遊びを散りばめたり、噺の伏線をはったりといった部分が強く、まくらから噺のサゲまで言葉とくすぐりを綿密に選択していると言われています。

奇人変人といわれた8代目小柳枝師の弟子であった為、前座時代に食べられる草を積んで、実際に師匠と一緒に食べていたそうです。でも本人は落語家の修行は皆、こういう事をするのだと思っていたそうです。

「瀧川」という亭号は、元々、音曲師の初代瀧川鯉かんが滑稽本作者の滝亭鯉丈と知り合ったことをきっかけとして名乗り始めたそうです。
鯉昇師は昭和初期から途絶えていたこの亭号を継ぎ、現在は瀧川一門を築きあげています。

高座に上がると、その特徴ある目で客席を見渡します。この時すでに鯉昇師のつかみにハマってしまっているのです。
そこに脱力系の言葉が発せられて、一気に鯉昇ワールドに連れていかれます。

ファンの間では「時そば」が有名で、進化していってるのです。
最近では「これが時そばかな?」というまで進化しています。
寄席で聞く機会も多いと思うので、是非鯉昇ワールドを体感してください。
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寄席で一番の美声、柳亭市馬師

20101215_1678278今日は寄席で一番の美声、市馬師についてです。

一応、柳亭としては四代目ですが三遊亭でも襲名している名前なので、合わせると8代目だそうです。
確か八代目正蔵師の所に預かり弟子で市馬という方がいましたね。
談志師に、自分の名前を「英語だと、スリープレイハンド・・・」と言って煙にまいたとか逸話が有る方ですね。
落語協会事務員となっていました。

1961年生まれ、大分県豊後大野市緒方町出身で、本名は右藤泰幸。
1980年3月 5代目柳家小さん師に入門して小幸。
1984年5月 - 二つ目昇進で「柳家さん好」と改名。
1993年9月 - 真打昇進で4代目(8代目)柳亭市馬を襲名。
2010年12月 - 落語協会理事会にて副会長に決定。
出囃子は「吾妻八景」
と経歴はこの通りです。

とにかく、歌が上手いので、またお客さんも求めるのか、噺の中に唄を入れる事が多いですね。
相撲甚句から歌謡曲まで何でも来いですね。

肝心の噺はというと、これが本格派で、正に柳家の王道を歩んでいます。
個人的には次の小さんはこの人しかいない、と思っています。
なんなら今、名前を変えても良いと思いますがwww

スケールの大きさを感じさせる噺家さんです。
前から注目されていたのですが、ここ5.6年に噺に色気が出てきました。
一皮むけたという事ですね。
正直、その前はスケールの大きさは伺えるけど、色気に乏しい感じがしていました。
それが、今では登場すると高座が明るくなるのです。

一皮むけたのは師匠が亡くなった事も関係していると思います。
下の世代と上の世代に挟まれて、奮起したのかもしれません。

当たり前の落語を、誰よりも心地好く聴かせてくれる柳亭市馬師です。
一般的にイメージされる「面白い古典落語」を楽しみたい、という人には真っ先にお勧めしたですね。
何とも素敵な噺家さんです。
よく寄席にも出ていますので、機会のある方は是非御覧になって下さい。

先輩の権太楼師によると、色々と不思議な事を知ってるそうです。
王子の「扇屋」の卵焼きは一子相伝であるとか、以前は店で食べるのと持って帰るのは焼き方が違う、
なんて事を権太楼師に話していたそうです。


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鯔背な噺家、春風亭一朝師

40175967f970c1b3bace0339e6f34c15今日は春風亭一朝師について書いてみたいと思います。

1950年東京足立区生梅田まれ。
私の所のすぐ側です。
1968年3月に 入門しました。五代目柳朝師の一番弟子です。
1970年4月 前座になる。名は朝太郎。
1973年9月 二つ目昇進し、一朝に改名しました。
出囃子は「菖蒲浴衣」ですが、あのこぶ蔵とは違う処を使っています。(こぶ蔵はやく出囃子を変えなさい!)
この時、師弟で大師匠、正蔵師宅に挨拶に行った時に、正蔵師が若い頃に稽古をつけて貰っていた三遊一朝師の「一朝」の名を貰っています。
この時師匠柳朝が「ホントなら俺が欲しかった」と言ったとか・・・
これは、最初正蔵師に処に弟子入りをお願いしたのですが、すでに前座が二人いるので、一番弟子の柳朝師を紹介された事を踏まえて、送られたと思います。
1982年12月 真打昇進

趣味とする笛は、歌舞伎や落語での囃子を担当する程の名手で、実際歌舞伎でお囃子を担当していました。
私も師匠の笛の演奏を生で聴いた事がありますが、音楽オンチの私でさえ感動しましたね。

前座時代のエピソードですが、その時に楽屋では三遊亭円生師匠等大師匠がいました。
すっかり舞い上がってしまった朝太郎さん(一朝師匠の前座名)は、ついお茶が通るという声を掛けるのを忘れて仕舞います。
間が悪いことに師匠のひとりがヒョイと立ち上がり、お盆にドーン。
乗せた茶碗をひっくり返してしまったのです。お茶が柳朝師匠の着物にバシャッと掛かりました。
脂性の人は手を洗ってからでなければ触るなというくらい着物は噺家にとって大切な商売道具です。
それを、ダメにしてしまいまって、その場で師匠に『声を掛けて通れと何回も教えたはずだ』とはり倒されましたそうです。
半べそをかいていると、言い過ぎたと思ったのか、『まぁ、仕方がねえや』といった具合に一生懸命フォローしてくれたそうです。
その師匠の優しさが身に染みて、うれし涙を流したそうです。

弟弟子の小朝師に真打昇進を抜かれて仕舞いますが、腐らず地道に芸を磨いて、いまでは
落語界一の粋で鯔背な噺家さんになりましたね。
もちろん噺も江戸前で、この点は師匠の芸風を色濃く受継でいます。
NHKのドラマでは江戸弁の指導もしていましたね。

弟子には六代目柳朝さんや今、真打披露している一之輔さんをはじめ、朝也、一左、朝呂久さんと居ます。

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