e9ec23b0.jpg夏休みで娘が、「友達が遊びに来るから、カレーを作って欲しい」と
私に言うじゃありませんか。母親に頼まず父親に頼む処が、我が家のいびつな関係を表していますな・・・
先日、「子供の頃、正楽師匠に切って貰ったピカチューは如何した?」
と聞いた処、「大事にしまいすぎて、しまった場所を忘れた」
と言い、「将来、子供が出来たら落語好きに育て、自慢して見せびらかして
やるんだ」と言っておりました。あー早く夏休み終わんないかな・・・
 
落語論で、小三治師匠の事を「客が自分もその世界に居るような錯覚を抱かせる」と言っていましたが、何回も高座に触れた身としては、「あれは錯覚だったの?」と言いたいですね。
 小三治師匠の高座は、長いマクラの間は”小三治ワールド”に入っても
たいした事はありません。他の噺家さんと大差はありません。そりゃ面白さは天と地位違いますが、本格的には錯覚は見ません。
しかし、一旦噺が始まると、回りの寄席の景色は消え、噺の世界に入って
しまいます。
たとえば、今なら「青菜」なんかを聞くと、自分が旦那の庭に居ると思ってしまうのです。旦那と植木屋のやり取りを庭の隅で聞いている自分がいるのです。
水を撒いた青々とした庭が眼前に広がるのです。
その点、CDやTV、ラジオで小三治師匠の噺を聞いても、錯覚までは見せてくれません。あってもライブに比べると弱いものです。
その意味では小三治師匠こそライブを体験しておかないと、本当の価値が
判らないと思います。
 まあ芸能はみんなそうですけどね。