58d37706.jpg一昨日買った堀井憲一郎さんの「落語論」を読み終えました。
そこで感想を、長くなるのでこちらに書きます。

ひとことで言うと、落語と言う演芸に接している時は、
ライブである限り無意識に
この様な事は殆どの人が、感じ又思っているのでは無いでしょうか?
まあ、それをこうも鮮やかに文書化してくれると改めて「凄いな」と思ってしまう訳ですが、急いで書いたそうで少し足らない所が在るのが惜しかったですね。
たとえば、第2章の所で「人物の描き分けに声のトーンを変えてはいけない」
と書いて有りましたが、じゃ、金馬師は如何なのと?思った方は居ませんでしょうか。
 私が思うに、金馬師は声のトーンを変えていたのではなく、声質そのものを変えていた様に聞こえます。
ですから、その人物一人一人の声に低音から高温まで自在に
操っていたとではないでしょうか?そこの所を解らないダメな評論家が貶していたと。
しかし、仲間内の噺家はそれが如何に難しいかを判っていたので、評価が高かったのではないか。
 と言うのが私の考えです。金馬師についても書いてほしかったなあ。
まあ死んだ噺家は評価出来ないと。

生前、志ん朝師が落語の聞き方について、
一番はライブ、次は音のみ、CDやラジオかな。
テレビはダメだね、テレビの落語は、落語じゃない!
落語という芸を記録しているだけだと、記録的な価値は認めるが、
あれは落語ではありません・・・そう言ってたのを思い出しました。

それから小朝師について、彼が36人抜きで真打に昇進し、
その高座を見た10代の私は衝撃を受けました。
20代でこの完成度、鮮やかさ、噺に引き込む上手さ。
どれをとっても将来は
歴史に残る名人になるに違いない!と。圓朝を継ぐかも?とも。
 でもここ数年彼の落語は進歩をとげた様には見えませんでした。
しかしそれは誤りでした。
 この前のNHKの「落語ライブ2009」で彼は「紀州」を演じました。
私は、彼のこの噺はかなり聞いています。寄席でも数回、放送でも何回か聞いて、判ったつもりでした。
当然また同じだろうと、思っておりました。
しかし、小朝師は私の思いをものの見事に砕いてくれました。
彼の「紀州」が若い頃と特別変った訳ではありません。
でもあの放送は素晴らしかったです。少し枯れた感じもしましたが、
それが良い味を出していました。
 お客全体を包む空気が、以前より優しく丸くなった様な気がしたのです。
堀井氏は小朝師の評価の低さを嘆いていましたが、私もその評価の低い一人でした。
きっと彼は低評価を覆し名人になるでしょう。先日の放送から、そんな気がしました。
又、軽く演じてみせるゆえに、後輩がやり易いとか言ってましたね。
今迄はその軽さが鼻についたのですが、この日は違いました。
孤高の天才・・・納得しました。
 一回だけ堀井ちゃんを浅草で見た事がありますが、目立ちましたね。
ノート取ってる人っていないから。
けっこう昔から彼の事はラジオ等で知っていましたが、これを読んだ後は、
ものすごく身近に感じられました。

感想にはなりませんでしたね。こんな処で。