『居残り佐平次 』
コロナウイルス騒動の影響でアチコチの施設が閉鎖になっておりますが、寄席は国立を除いて通常通り営業していますね。最もお客の数は少ないようです。
先日の浅草の昼席で、市馬、喬太郎、一之輔、その他豪華な顔ぶれが並んだそうですが、日曜でも満員にはならなかったそうです。という訳でこの噺です。
【原話】
江戸後期の初代柳枝師の作による江戸落語です。
有名なネタですから、大抵の噺家は一度はやりますね。ちゃんと出来てるかは別にしてね。
【ストーリー】
右を向いても左を向いても貧乏人が集まったとある長屋。
その輪にいた佐平次という男が
「品川にある遊郭に繰り出そう」
と言い出した。金もないのにどうやって?と思いながらも一同、品川へ。
一泊して後、佐平次は
「実は結核に罹って医者から転地療養を勧められていた。だからここに残る」
と言い出し、ほかの仲間を帰した。その後若い衆に
「勘定はさっきの仲間が持ってくる」
といい居続け。翌日も
「勘定勘定って、実にかんじょう(感情)に悪いよ」
とごまかし、その翌日も居続け、しびれを切らした若い衆に、
「金?持ってないよ」
と宣言。店の帳場は騒然。 佐平次少しも応えず、みずから店の布団部屋に篭城した。
やがて夜が来て店は忙しくなり、店は居残りどころではなくなった。佐平次頃合を見計らい、客の座敷に上がりこみ、
「どうも居残りです。醤油もってきました」
と客に取り込み、あげくに小遣いまでせしめる始末。花魁がやってきて、
「居残りがなんで接待してんの?・・ってやけに甘いな、このしたじ(醤油)」
「そりゃあ、蕎麦のつゆですから」
「おいおい・・・」 などと自分から客をあしらい始め、謡、幇間踊りなど客の接待を始めた。それが玄人はだしであり、しかも若い衆より上手かったから客から「居残りはまだか」と指名がくる始末。
これでは彼らの立場がない。
「勘定はいらない。あいつに出て行ってもらおう」
となった。佐平次は店の店主に呼び出され、
「勘定はもういいから帰れ」
といわれ追い出された。しかもその折に店主から金や煙草をせびり、もらっていく始末。 心配でついてきた若い衆に、
「てめえんとこの店主はいい奴だがばかだ。覚えておけ、俺の名は遊郭の居残りを職業にしている佐平次ってんだ」
と捨て台詞を残して去っていった。 若い衆は急いで店主に報告する。すべてを知り、激怒する店主。
「ひどいやつだ。あたしの事をおこわにかけやがったな」
そこで、若い衆が一言。
「旦那の頭がごま塩ですから」
【演者】
圓生師をはじめ志ん生師や正蔵師等そうそうたる名人上手が演じています。かの三代目柳好師も演じています。(個人的は結構好き!)
また志ん朝師も良いですね。無論小三治師もやっています。
圓生師はこの噺を初代の小せん師から17、8の頃に教わったそうですが、なかなか上手く出来ずに苦労したそうです。
【注目点】
オチの「おこわにかける」は古い江戸言葉で、すでに明治末年には死後になっていたそうです。
語源は「おおこわい」から来ていて、人を陥れる意味でした。
それを赤飯のおこわと掛けたものだったのです。
また別の意味で「美人局」の隠語でもあったそうです。
個人的にはこのサゲは替えて欲しく無いですね。
『ネタ』
サゲが判りにくにので、殆どの噺家が改悪しています。
個人的にはこれだけ皆失敗してるんだから変えなきゃ良いと思うのですが・・・
あの談志師からして事後談までこしらえています。
そうなると、別の噺みたいですね。
個人的にはサゲが解りづらかろうと、この噺の素晴らしさは変わらないと思います。
いっそ、サゲを無くして、若い衆が声を掛ける処までやり、
「この後、佐平次の言う事が真っ赤な嘘と判り、騙されたと気がつくと言う、居残り佐平次と言う噺でございます」
とやった方がスッキリする気もしますが……。
コロナウイルス騒動の影響でアチコチの施設が閉鎖になっておりますが、寄席は国立を除いて通常通り営業していますね。最もお客の数は少ないようです。
先日の浅草の昼席で、市馬、喬太郎、一之輔、その他豪華な顔ぶれが並んだそうですが、日曜でも満員にはならなかったそうです。という訳でこの噺です。
【原話】
江戸後期の初代柳枝師の作による江戸落語です。
有名なネタですから、大抵の噺家は一度はやりますね。ちゃんと出来てるかは別にしてね。
【ストーリー】
右を向いても左を向いても貧乏人が集まったとある長屋。
その輪にいた佐平次という男が
「品川にある遊郭に繰り出そう」
と言い出した。金もないのにどうやって?と思いながらも一同、品川へ。
一泊して後、佐平次は
「実は結核に罹って医者から転地療養を勧められていた。だからここに残る」
と言い出し、ほかの仲間を帰した。その後若い衆に
「勘定はさっきの仲間が持ってくる」
といい居続け。翌日も
「勘定勘定って、実にかんじょう(感情)に悪いよ」
とごまかし、その翌日も居続け、しびれを切らした若い衆に、
「金?持ってないよ」
と宣言。店の帳場は騒然。 佐平次少しも応えず、みずから店の布団部屋に篭城した。
やがて夜が来て店は忙しくなり、店は居残りどころではなくなった。佐平次頃合を見計らい、客の座敷に上がりこみ、
「どうも居残りです。醤油もってきました」
と客に取り込み、あげくに小遣いまでせしめる始末。花魁がやってきて、
「居残りがなんで接待してんの?・・ってやけに甘いな、このしたじ(醤油)」
「そりゃあ、蕎麦のつゆですから」
「おいおい・・・」 などと自分から客をあしらい始め、謡、幇間踊りなど客の接待を始めた。それが玄人はだしであり、しかも若い衆より上手かったから客から「居残りはまだか」と指名がくる始末。
これでは彼らの立場がない。
「勘定はいらない。あいつに出て行ってもらおう」
となった。佐平次は店の店主に呼び出され、
「勘定はもういいから帰れ」
といわれ追い出された。しかもその折に店主から金や煙草をせびり、もらっていく始末。 心配でついてきた若い衆に、
「てめえんとこの店主はいい奴だがばかだ。覚えておけ、俺の名は遊郭の居残りを職業にしている佐平次ってんだ」
と捨て台詞を残して去っていった。 若い衆は急いで店主に報告する。すべてを知り、激怒する店主。
「ひどいやつだ。あたしの事をおこわにかけやがったな」
そこで、若い衆が一言。
「旦那の頭がごま塩ですから」
【演者】
圓生師をはじめ志ん生師や正蔵師等そうそうたる名人上手が演じています。かの三代目柳好師も演じています。(個人的は結構好き!)
また志ん朝師も良いですね。無論小三治師もやっています。
圓生師はこの噺を初代の小せん師から17、8の頃に教わったそうですが、なかなか上手く出来ずに苦労したそうです。
【注目点】
オチの「おこわにかける」は古い江戸言葉で、すでに明治末年には死後になっていたそうです。
語源は「おおこわい」から来ていて、人を陥れる意味でした。
それを赤飯のおこわと掛けたものだったのです。
また別の意味で「美人局」の隠語でもあったそうです。
個人的にはこのサゲは替えて欲しく無いですね。
『ネタ』
サゲが判りにくにので、殆どの噺家が改悪しています。
個人的にはこれだけ皆失敗してるんだから変えなきゃ良いと思うのですが・・・
あの談志師からして事後談までこしらえています。
そうなると、別の噺みたいですね。
個人的にはサゲが解りづらかろうと、この噺の素晴らしさは変わらないと思います。
いっそ、サゲを無くして、若い衆が声を掛ける処までやり、
「この後、佐平次の言う事が真っ赤な嘘と判り、騙されたと気がつくと言う、居残り佐平次と言う噺でございます」
とやった方がスッキリする気もしますが……。