はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2019年07月

ede3b4ab『二十四孝』
これも夏の噺ですので今のうちにやっておきます。

【原話】
安永9(1780)年刊の笑話本「初登」中の「親不孝」。
これは、中国・元代(1271〜1368)の教訓的説話から、王祥と孟宗の逸話を採ったものを主にし、それらに呉孟のくだりほか、いくつかの話を加えて作られました。

【ストーリー】
乱暴者の熊。のべつ女房や母親とケンカをしています。
見かねた大家が、中国の親孝行者・二十四人の行いを伝える「二十四孝」から例をとって説教します。
池の氷の上にねそべって氷を溶かし継母のために鯉をとった王祥や、寒中に涙で雪を溶かし母親にタケノコを食べさせた孟宗の話などなど。
孝行すれば大家が小遣いをくれることになった熊、これを機会に小遣いを稼ごうといさんで家に帰りますが、途中で会った友達にはとんちんかんな説教を始めます。

そんな中、呉猛(ごもう)の「自分が裸になって親のそばにいて自分が刺され続けることで親を蚊から守り続けた」という話に、「酒の匂いに蚊は誘われる」といううわさを合わせたものとして「全身に酒を吹き付けて母上のそばにいることで母上を蚊から守ろう」という少しはマシな行動に出ようとするのですが、
口に含んだお酒を間違えて飲んでしまってからはついつい歯止めがきかなくなり、挙げ句の果てには酔いつぶれて寝てしまいます。

あくる朝、八五郎が目を覚ますとあれだけ酒まみれでしかも裸で寝ていたというのに、蚊に刺されている箇所は一ヶ所もありませんでした。
これも「親孝行の徳」だと思い、喜んでいると、そばにいる母親が
「何言ってるの。私が一晩中寝ないであなたを仰いでいたんだよ」

【演者】
六代目圓生師、八代目正蔵師や三代目好柳師を始め、故喜多八師や十代目文治師とか三代目金馬師や五代目柳朝師等数多くの演者が演じています。

【注目点】
取り入れる逸話の取捨選択や順番は、演者によってまちまちですが、総じて親孝行の噺です。

『能書』
江戸時代は儒教の教え(朱子学)が盛んだったので、この噺の故事は皆馴染み深い事柄だったので、
笑いも多くとれたそうです。
今はどうなんでしょうね?

『ネタ』
今では寄席でもそれほど掛かる演目ではない気がしますが、それも時代に合わなくなったのなら、少し悲しいですね。

1ad88560『応挙の幽霊 』
梅雨は明けませんが今日はこの噺です。
【原話】
明治の新聞記者で、遊芸的文芸作者もしていた鶯亭金升の作と伝われています。「明日までに起きるかしらん」という落ちが原作だそうです。これを二代目林家染丸師か桂文之助師が上方に移し、七代目春風亭柳枝師が東京に逆輸入したそうです。

【ストーリー】
書画骨董屋が客に、「応挙の絵だと思うんですがね」と、勧める。客は「オウキョでもラッキョでもいい。気に入った。明日届けてくれ」と、内金を払う。仕入れ値の10倍以上で売れて、「これだから、この商売やめられねえ」 これも掛け軸の幽霊のおかげだと鰻と酒を供える。「かかあがいたら、喜ぶだろうなあ」と、歌を一節唄うと、あれ?その鰻と酒が減っている。 急にあたりが暗くなり、涼しくなった。三味線の音とともに掛け軸から女幽霊が出てきた。
「こんばんわ、私は幽霊です。久しぶりに酒と鰻をいただいて、あたしゃ、嬉しくて…、そばに行ってもいい?」と彼女は骨董屋の横に来て、「もう一杯ちょうだい」と酒をせがむ。
 彼女いわく、どこでも幽霊の絵は三日か四日は掛けて眺められても後は女子供に怖がられてお蔵入り、ここでは認められて嬉しいというわけだ。「もう一杯」と女幽霊は骨董屋と差しつ差されつ、幽霊のつま弾く三味線に合わせて都々逸など唄って酒酌み交わす。明るく色っぽい幽霊はやがて酔っぱらって掛け軸に戻ったが、手枕で向こう向いて眠り込んでしまった。
 「明日の朝までに、この酔いが醒めれば良いが…」
すると幽霊が「明日の丑三つ時迄寝かせて下さい」

実はこの後もあり、
そのうちに朝になっても幽霊はまだ眠ったまま。
お得意先の旦那は、古道具屋が朝に掛け軸を届けるというのに持ってこないのでやきもきしている。
そこへ、古道具屋が来る。掛け軸は持ってきていないという。
旦那 「どうして持ってきてくれなかった。店に置いておいてもしょうがないだろう」
古道具屋 「もう少し寝かせておきとうございます」

【演者】
私がこの噺を最初に聴いたのは六代目蝶花楼馬楽師でした。その後入船亭扇橋師でも聴きましたね。私が大好きだった桂文朝師も演じていました。

【注目点】
当初は滑稽幽霊噺として高座に上っていたのもが新内節としてしたてられ、歌舞伎として大劇場で上演されたのは平成四年の「第四回宗十郎の会」でのことだったそうです。

『能書』
円山応挙と言う方は幽霊画で余りにも有名ですが、本来は動物や花鳥等を書いていました。
子犬の絵など、可愛くて私は好きです。
また、丸山派と言われる流派の祖でもありました。
幽霊の絵では、足元に明かりを灯すことで顔に陰影を付け、そのために足元がぼやけた幽霊を描きました。これが足のない幽霊の始まりだといわれています。
『ネタ』
六代目蝶花楼馬楽師はこの方は四代目小さん師の弟子で、五代目小さん師の弟弟子です。小さん師曰く「正面が切れねえ・・」と言ってました。

82d5987f『夏泥』
 東京では明日13日からお盆(盂蘭盆会)です。その間は記事を更新しませんので今日更新しておきます。申し訳ありませんが、コメントの返事も少し遅れるかも知れません。
別名「置泥」とも言います。

【原話】
1776年の「気の薬」に「貧乏者」という噺がありこれが大元だと思われます。
1807年の喜久亭壽曉のネタ帳「滑稽集」に「夏どろぼう」とあります。また、上方では『打飼盗人』と言う噺になります。

【ストーリー】
夜中に、まぬけなこそ泥が長屋のきたない家に忍び込む。中で寝ていた男に金を出せと脅すが男は一向に動じない。
あいくちで脅すと、「さあ殺せ」という。男は大工で道具箱を質に入れてしまって仕事に出られず、生きていてもしょうがないから殺してくれという。
こそ泥は質料2円を男に渡し、道具箱を受け出し仕事に行けという。大した泥棒じゃないと見破った男は利息が3円ついているといいまた金をせびる。そして、着物の質料3円、食い物代も1円せしめる。
あげくの果てに家賃が5つ分溜まっていて払えないから殺してくれという始末だ。
仕方なく泥棒は残りの持ち金の11円まで男に巻き上げられてしまう。
すっからかんになった泥棒が帰ろうとすると男が呼び止める。
泥棒 「ふざけんな、この野郎。まだなんか用か」
男 「すまねえ、季節の変り目にまた来てくんねえ」
ここを「晦日に来てくんねえ」と下げる場合もあります。

【演者】
やはり五代目小さん師が一番ですねえ。柳家の噺家さん達を始め広く演じられています。
若手では橘家文左蔵さんの評価が高いですね。

【注目点】
柳家小さん(五代目)は、煙草入れを忘れていった泥棒を男が追いかけて行って返そうとするところでサゲています。こちらの男のほうが少しは良心的?かもしれません。

『能書』
そここそこ金を持ってると言うのはちゃんと仕事もできる泥棒なんですね。
この場合は男のほうが一枚上手なのか、泥棒がお人好しなのかですね。

『ネタ』
三代目小圓朝師は「この噺は特に目の使い方が難しい」と語っていたそうです。

6ef91cc6『素人鰻』
東京の淺草では四万六千日でほおずき市ですね。そこで、この噺です。

【原話】
原話は噺本『軽口大矢数』(安永2年:1773年)の『かば焼』、または『大きにお世話』(安永9年:1780年)の『蒲焼』からです。
【ストーリー】
元旗本の武士がしる粉屋をやろうと店を探していると「神田川の金」という、ひいきにしていた鰻さきの職人に出会います。
金さんの勧めで鰻屋を開業することにしました。いわゆる士族の商法というやつですね。
腕がいいが、酒癖の悪い金さんですが、酒を断って店を手伝うというので殿様も安心です。

さて、最初は良かったのですが、開店の日に祝いの酒だと主人の友達が金さんに飲ませたところ、だんだん悪い酒癖が出てきて暴れ出し、店を飛び出してしまいます。
翌日、職人がいなくなって困っていると、金さんは吉原から付き馬を引いて帰ってきた。
昨日のことは、何も覚えていないという。
黙って遊び代を払ってやると、今度は金さんは酒を飲まず一生懸命働きだし、腕はいいので店も順調になります。

主人はすっかり喜び、ある日閉店の後、酒を出してやるが飲まないで寝てしまう。
ところが家の酒を盗み飲みして、またもや悪口雑言の末、店を飛び出してしまう。次の日も同じで、
仏の顔も三度やらでもう帰って来ません。

困った主人は仕方なく自分で鰻をさばこうとし、捕まえにかかるが捕まらない。
糠をかけたりしてやっと一匹捕まりかかるが指の間からぬるぬると逃げて行くきます。
なおも鰻を追って行く主で、それを見て女房がどこへ行くのかと声をかけます。
「どこへ行くか分かるか。前に回って鰻に聞いてくれ」

【演者】
何と言っても黒門町こと文楽師の名演が光ります。

【注目点】
後半の部分だけを演じたのが「鰻屋」だと思われていますが、「鰻屋」は元が上方落語なので、成立が違います。
この「素人鰻」は昭和29年に芸術祭賞を受けました。
平素は猫のようにおとなしい神田川の金が、酒が入りだんだんと酔っていき、ついには虎になり悪口雑言の大暴れをするくだりがこの噺の眼目ですね。
その豹変ぶりが物凄いですね。
この噺の元は、三遊亭円朝の「士族の商法(御膳汁粉)(素人汁粉)」だと云われています。

『能書』
この噺の職人金さんは、実在の人物で、「神田川」に居た職人で、中々腕の良い職人で、
「金が居るなら今日は鰻を食べて行こう!」
と言う客が曳きも切らずに訪れたと言うくらいの名人だった様です。
当時の食通の間では、”金”と追えば”神田川の金”だったと言う事です。
あの榎本滋民先生が、「素人鰻」の解説で言われていたので、本当なのでしょうね。

『ネタ』
「ニホンウナギ」は絶滅危惧種」になったそうですが、天然の鰻なんてのはかなり前から絶滅を言われていましたね。
稚魚も不良でここ数年は価格も高くなっていましたが、落ち着いたみたいですね。(高値安定というヤツですね)

d2d5c115皆様には色々とご心配をおかけして申し訳ありません。何とか更新してみました。そこで今日は「お化け長屋」です。
「原話」
江戸後期の滑稽本作者、滝亭鯉丈が文政6年(1823)に出版した「和合人」初編の一部をもとにして、自ら作った噺とされます。
上方落語では、「借家怪談」として親しまれ、初代小南師が東京に移したともいわれますが、
すでに明治40年には、四代目橘家円蔵の速記もあり、そのへんははっきりしません。

【ストーリー】
 長屋にある一軒の空き家。そこを長屋の連中は物置に使っていると、大家から家賃を払うか荷物をどかせと言われます。そこで、長屋の古株、通称古狸の杢兵衛さんが一計を案じます。
 借り手が訪ねてきたら、家主は遠方に住んでいるので自分が長屋の差配をまかされているといって杢兵衛の家へ来させて、借り手をおどして空き家に借り手がつくのを防ごうという算段を立てます。
 早速、借り手がやってきますが、お化けが出るとか、ある事無い事を言って脅かして、返してしまうのですが
あまつさえ忘れた財布を手に入れて、鮨(弥助)を食べに行こうと言う算段まで立てます。
 次にやって来た男は一向に恐がらず、話の間にちょっかいを入れる始末で、
困った杢兵衛さんは、濡れ雑巾で男の顔をひと撫でしようとすると、男に雑巾をぶん取られ、逆に顔中を叩かれこすられてしまいます。
男はすぐに引越して来るから掃除をしておけといい帰ってしまう。
先ほど置いてった財布も持っていかれて仕舞います。

とここまでが上で、最近はほとんどここで演者は切っています。
この先の下はその男を仲間が脅かすと言う筋なのですが、あまり演じられていません。
下のあらすじは以下の様になります。

 この男、早速明くる日に荷車をガラガラ押して引っ越して来ます。男が湯に行っている間に現れたのが職人仲間五人。日ごろから男が強がりばかり言い、今度はよりによって幽霊の出る長屋に引っ越したというので、本当に度胸があるかどうか試してやろうと、一人が仏壇に隠れて、折りを見て鉦をチーンと鳴らし、二人が細引きで障子を引っ張ってスッと開け、天井裏に上がった一人がほうきで顔をサッ。仕上げは金槌で額をゴーンというひどいもの。
 作戦はまんまと成功し、口ほどにもなく男は親方の家に逃げ込みました。
 長屋では、今に友達か何かを連れて戻ってくるだろうから、もう一つ脅かしてやろうと、表を通った按摩(あんま)に、家の中で寝ていて、野郎が帰ったら「モモンガア」と目を剥いてくれと頼み、五人は蒲団の裾に潜って、大入道に見せかける。
 ところが男が親方を連れて引き返してきたので、これはまずいと五人は退散。按摩だけが残され「モモンガア」。
「みろ。てめえがあんまり強がりを言やあがるから、仲間に一杯食わされたんだ。それにしても、頼んだやつもいくじがねえ。えっ。腰抜けめ。尻腰がねえやつらだ」
「腰の方は、さっき逃げてしまいました」

【演者】
 圓生師や金馬師などの録音が残っています。特に「下」は志ん生師の録音もあります。その他小三治師や志ん朝師を初め多くの噺家さんが演じています。

【注目点】
オチの前の「尻腰がねえ」は、東京の言葉で「いくじがない」という意味だそうですが、
昭和初期でさえ、もう通じなくなっていたようです。

『能書』
この噺に登場する長屋は、落語によく出る九尺二間、六畳一間の貧乏長屋ではなく、
それより一ランク上で、もう一間、三畳間と小庭が付いた上、造作(畳、流し、戸棚などの建具)も完備した結構な物件だったようです。

『ネタ』
 噺の中の「弥助」とは寿司のことです。八代目正蔵師も噺の中で語っていましたね。
 ちなみに上方で、稲荷寿司の事を信太寿司と言うそうです。

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