はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2019年04月

img_4 今日は「噺の解説」は一休みして普段、思ってる事を書いて見たいと思います。
 それでお前の考えは間違ってるとか、勘違いしてるなどご意見がありましたらコメントを戴けると嬉しいです。
 
 ブログには書かなくなりましたが、普段から寄席や落語会に行っています。芸協の芝居だったり、落語協会の芝居だったり様々ですが、書き忘れましたが、寄席の興行の事を「芝居」と呼びます。落語協会の芝居だったら、その寄席の10日間の興行を指します。

 面白いのは協会が違うとその寄席のプログラム的なものも違って来るという事ですね。一番違うのは、これは私が感じた事ですから皆さんに当てはまるという事ではありませんが、笑いに対する考えがこの2つの協会では違っている気がします。
 落語協会の方では、あくまでも落語で笑って貰う。という考えが浸透してる気がします。そして江戸前を重視してること。言い換えれば粋を目指してる噺家さんが多く居ると感じます。
 
 対する芸協ですが、こちらは兎に角、お客さんに楽しんで帰って貰おうという考えが見える事ですね。少々泥臭くても良い。笑わなければ、お客さんの脇の下をくすぐってでも笑って貰う……。そんな考えが見て取れます。確かに江戸前を意識してる噺家さんもいますが、自分なりの個性を打ち出してお客さんを自分の世界に引き込む噺家さんも居ます。後者の代表が桃太郎師と寿輔師ですね。この二人は芸協の看板という事もありファンも多いです。その下ですと遊雀師ですね。この方は芸協に移ってから弾けましたね。良かったと思います。あと若手では個人的に期待してるのが遊馬師ですね。かっての市馬師を彷彿させるものを感じます。それと芸協には今、寄席で一番好きな茶楽師もいますね。この人は粋な語り口をするので好きですね。

 落語協会には才能のある噺家さんが大勢いますね。三三師、一之輔師、白酒師を始め若手でも有望な噺家さんが育っています。
 落語協会の芝居でたまにですが、噺家さんが噺を投げてしまってる時がありますね。一時はこれ芸協が多かったのですが、末広亭の席亭の意見により改革が行われ今では殆どなくなりました。でも落語協会の方では未だに偶にありますね。見ていてはっきりと判ります。私が判るぐらいですから殆どの方は気が付くでしょうね。すぐには修正できなくても。これは良くないですね。

 立川流はたまにですが見に行きます。見ていて気がつくのは柳家の噺家さんだなと感じる事ですね。これは理屈では無いと思います。総帥の談志師が柳家小さん一門でしたから。当たり前なんですね。それでも個性的な方が育っていますね。
 圓楽一門会ですが、正直、少し小粒ですかね。若手の噺家さんで、噺を聴いていて底が見える方がいますね。これはプロとしてどうなのかと言う感じですね。それでも兼好師を始め素敵な噺家さんも居ますね。

 ま、こんな感じです。独断と偏見ですので、余り気にしないでください。次回からは噺の解説に戻ります。

1231kuwai07『百川』
 やっと良い陽気になってきました。春盛りですが、噺の方ではこんなのも良いのではないかと思い取り上げました。
今日は、CM落語の原点ともいう噺の「百川」(ももかわ)です。

【原話】
実在の江戸懐石料理の名店・百川が宣伝のため、実際に店で起こった事件を落語化して流布させたとも、創作させたともいわれます。
似たような成り立ちの噺に「王子の狐」があります。こちらも料理屋「扇屋」の宣伝とも云われています。

・【ストーリー】
 田舎者の百兵衛さんが、料亭、百川に奉公に上がったのですが、初日のお目見えから、羽織りを来たまま客の注文を聞くことになりました。
 向かった先は魚河岸の若い衆の所です。最初に
「儂、シジンケ(主人家)のカケエニン(抱え人)だ」と言いましたが、田舎訛りなので河岸の若い衆は「四神剣の掛合人」と勘違いします。

昨年のお祭りで遊ぶ銭が足りなくなり「四神剣」を質に入れたことについて、隣町から掛合いに来たのだと。
その後、言葉の行き違いで、百兵衛がクワイの金団を丸呑みする事になり、何とかこれをこなします。
再び呼ばれ、本当の事が判り、常磐津の歌女文字師匠に「若い衆が今朝から四、五人来てる山王祭」と伝えるように言われたが、名前を忘れたら「か」が付く有名な人だと云われます。

長谷川町まで行って「か」の有名な人だと訪ねると、鴨池医師だと教えられ「けさがけで四、五人きられた」と伝えたので、先生は慌てて往診の準備に取替かかります。
とりあえず、伝言を貰って帰ってきて伝えるのですが、若い衆は何だか判りません。
 その内に、鴨池医師が来て様子が判ると「お前なんか、すっかり抜けている抜け作だ」と怒鳴られます。
しかし、百兵衛さん「抜けてるって、どの位で」「どの位もこの位もねえ、端から終いまでだ!」
そんなことはねえ、カモジ、カメモジ・・・ハア抜けてるのは一字だけだ!」

【演者】
この噺は圓生師が存命の頃は圓生師にトドメを指すと云われていた噺です。
当時でも、志ん生師や馬生師が演じ、録音も残っています。
現在ではさん喬師や小三治師を始め多くの噺家さんが演じています。
でも正直、圓生師を凌ぐ噺家さんは居ないと言うのが私の感想です。
(さん喬師は2月あたりからやっていますね)
【注目点】
 文字で書いてるとピンと来ませんが、実際に音で聴くと、その可笑しさが感じられる噺です。
また、江戸の祭りの風習が噺の中に出て来るので、その意味でも楽しいです。

『能書』
料亭「百川」は日本橋浮世小路にあった店で、江戸でも有数の料理屋で、向島にあった「八百善」と並んで幕末のペリーの来航の際には、料理の饗応役を御仰せつかり千人分の料理を出したそうです。その時の値段が一人前3両だったとも言われています。
献立は今でも残っていて、私も見た事がありますが、今の人の口に合うかどうか疑問ですね。一つだけ、良いなと思ったのは、「柿の味醂漬け」と言うもので、果物の柿を皮を剥いて、本味醂を掛けたものです。
これは中々乙な味がしました。かの池波正太郎先生もお気に入りだったそうです。

『ネタ』
よく、江戸の三大祭と云いますが、実際は「江戸の二大祭り」です。と言うのも、江戸の祭りで、神田明神の「神田祭」と、赤坂日枝神社の「山王祭」が江戸の二大祭りなのです。
 それは何故かと言うと、この二つの祭りだけが、将軍家から祭りの支度金として百両を賜ったからです。
 その為、この二つの祭りの山車や神輿は江戸城内に入る事が許されました。その山車や神輿を将軍が上覧をしました。
ある記録によると、未明に山下御門に山車や神輿が集まり、江戸城内に入場して練り歩き、将軍が上覧して、最後の山車が常盤橋御門から出て行ったのが日が暮れた頃だったと言います。
それぐらい盛大に行われたので、この二つの祭りは交互に隔年で行われる事になりました。

 神田祭は、江戸幕府開府以前に徳川家康が会津征伐において上杉景勝との合戦に臨んだ時や、関ヶ原の合戦においても神田大明神に戦勝の祈祷を命じ、神社では毎日祈祷を行っていたそうです。、9月15日の祭礼の日に家康が合戦に勝利し天下統一を果たしたのでそのため特に崇敬するところとなり、神田祭は徳川家縁起の祭として以後盛大に執り行われることになったと言います。

山王祭は、江戸の町の守護神であった神田明神に対して日枝神社は江戸城そのものの守護を司ったために、幕府の保護が手厚かったので将軍も上覧をしたと言うことです。

9dd31674-s『短命』
今日はこの噺です。またの名を「長命」とも言います。

【原話】
享保12年の『軽口はなしどり』の中の一編です。
この噺は簡単そうですが、実は鸚鵡返し等が難しい事や変に下品になってもイケナイので真打の噺とされているそうです。

【ストーリー】
ご隠居のところに八五郎が訪れて、三度死んだ伊勢屋の旦那の葬式の手伝いだという。不思議に隠居さんが思って尋ねると、伊勢屋のお嬢さんと最初に一緒になった色白の婿殿が亡くなり、二人目はごつい男だったがこれも亡くなり、三人目の亭主が一年足らずでこの間亡くなったので、
これで三度死んだと言うでしょ。どうしてこうも続けて死んじゃうのかねぇ、と八五郎。
 話を聞いたご隠居が、解説を始めます。
 店の方はすべて番頭が見ているので亭主は月に一、二回帳簿を見るだけで、普段やることがなく暇だ。
目の前には震付きたくなる様ないい女。
飯時には手と手が触れる。冬は炬燵で脚が触れる。周りを見ても誰もいない。となればやることは一つ。
短命だろう。
説明を受けた八五郎は、指から毒が移るのかとか、いい女を見つめて飯を食い忘れるとかトンチンカンなことを言うが、どうにか意味を理解して家に帰ります。
 女房に給仕をさせて、ご飯茶碗を渡す時に手と手が触れる。目の前には震付きたくなる様な、、、。
「あぁ、おれは長生きだ」 

【演者】
小さん一門を始め、色々な噺家さんが演じています。
小さん師のは七代目か可楽師から六代目蝶花楼馬楽師に伝えられたそうです。
歌丸師は「長命」で演じていましたね。

【注目点】
いわゆる『艶笑落語(バレ噺)』の範疇に入る噺でしょうが、戦時中なら禁演でしたが、今はこれくらいは、どうって事ありませんね。
この噺の聴き所は「遠まわしに説明する隠居と、なかなか理解できない八五郎都のやり取りですが、コレに限らず、実際の事でも鈍い人なんて居るものですね。

『能書』
伊勢屋の旦那の病気は昔は、「腎虚(じんきょ)」と言われました。
つまりはアッチの方が過ぎ、精気を吸い取られてあえなくあの世行きという訳ですね。

『ネタ』
志ん生師版では、最後のかみさんとの会話にくすぐりを多く用いるなど面白く工夫し、
サゲは「おめえとこうしてると、オレは長生きができる」というオチでした。

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