はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2019年03月

1-C-KSH264『不動坊』
今日は「不動坊」です。
この噺は本来は春先の噺なのですが、東京では夏に演じられる事が多い様です。
本来は上方落語ですが、最近は東京でも定着していますね。

【原話】
二代目林家菊丸師の作とされています。三代目柳家小さん師が東京に移植しました。

【ストーリー】
長屋に住む講釈師、不動坊火焔が旅先で急死し、未亡人のお滝に再婚話が持ち上がる。
同じ長屋に住む吉が、不動坊の残した借金を肩代わりするという条件で、お滝をもらうことになった。
もともとお滝に思いを寄せていた吉は、降ってわいた話に夢見心地。銭湯で新婚生活の稽古をしているところを町内の連中に目撃されてしまう。
じつは町内の男どもは、みなひそかにお滝に惚れていたのだ。悔しくて成らない鉄、萬、徳の三人組はお滝の祝言を破談にさせようと計画を思案。売れない噺家を雇い、不動坊火焔の幽霊が恨み言を言いにくる筋立てを考える。
 そして、真夜中に四人連れで吉公の家にやってくる。
屋根に登って、天井の引き窓から幽霊をつり下ろす算段だが、
万さんが、人魂用のアルコールを
餡コロ餠と間違えて買ってきたりの騒動の後、噺家が
「四十九日も過ぎないのに、嫁入りとはうらめしい」
と脅すと、吉公少しも動ぜず、
「オレはてめえの借金を肩代わりしてやったんだ」
と逆ねじを食わせたから、幽霊は「墓なんか要らないから、10円もくれれば良い」と交渉。
結局、計画はおジャン。
 怒った三人が屋根の上から揺さぶったので、幽霊は手足をバタバタ。
「おい、十円もらったのに、まだ浮かばれねえのか?」
「いえ、宙にぶら下がってます」

【演者】
上方では米朝一門、東京では小さん一門の噺ですね。
上方では、ほとんどはマクラで「遊芸稼ぎ人」の説明を仕込んだ上でオリジナルの通りにサゲています

【注目点】
とにかく聴いていて楽しい噺ですが、湯屋での独り言のシーンで笑いを取らねばならず、
演じるには難しい噺なうえに、最後の幽霊のシーンっでは中腰で演じなければならないので、
あまり高齢だと出来ないとも云われています。

『能書』
本来のサゲは、「幽霊(遊芸)稼ぎ人です」と言いました。
上方ではこのサゲで演じています。
これは、明治時代、落語家が「遊芸稼ぎ人」という鑑札を受けていたことがあり、
これを持っていないと商売が出来なかったからです。

『ネタ』
「源兵衛人玉」という噺の改作と言う説もあります。
東京では「樟脳玉」ですね。

4688d04e『道具屋』
 今日は与太郎噺の王道のこの噺です。

【原話】
古くからある小咄を集めて、こしらえた噺です。記録としては1807年の喜久亭 寿暁(きくてい じゅぎょう)が書いた「滑稽集」に「小便無用 道具屋」とあります。

【ストーリー】
神田三河町の大家・杢兵衛の甥の与太郎。三十六にもなるが頭は少し弱いみたいです。仕事もしないで年中ぶらぶらしています心配した叔父さんは、自分の副業の屑物を売る道具屋をやっているので、商売のコツを言い聞かせ、商売道具一切持たせて送りだします。
その品物がまたひどくて、おひなさまの首が抜けたのだの、
火事場で拾った真っ赤に錆びた鋸だの、「ヒョロビリの股引き」だので、ろくな物がありません。まあ、元帳があるからそれを見て、倍にふっかけて後で値引きしても二、三銭のもうけは出るから、それで好きなものでも食いなと言われたので、
与太郎もその気になります。
 やってきたのが蔵前の質屋・伊勢屋の脇。煉瓦塀の前に、日向ぼっこしている間に売れるという、昼店の天道干しの露天商が店を並べています。
すると、杢兵衛さんの甥と判ると、親切に商売のやり方を教えてくれます。
 最初の客は大工の棟梁。
釘抜きを閻魔だの、ノコが甘いのと、符丁で言うので判りません。
火事場で拾った鋸と聞き、棟梁は怒って行ってしまいます。
「見ろ、小便されたじゃねえか」つまり、買わずに逃げられることだと教えます
 次の客は隠居。
「唐詩選」の本を見れば表紙だけ、万年青(おもと)だと思ったらシルクハットの縁の取れたのと、ろくな代物がないので渋い顔。毛抜きを見つけて髭を抜きはじめ、
「ああ、さっぱりした。伸びた時分にまた来る」
 その次は車屋。
「股引きを見せろ」と言う。
「あなた、断っときますが、小便はだめですよ」
「だって、割れてるじゃねえか」
「割れてたってダメです」
 これでまた失敗。
 お次は田舎出の壮士風。
「おい、その短刀を見せんか」
 刃を見ようとするが、錆びついているのか、なかなか抜けません。与太郎も手伝って、両方から一生懸命。
「抜けないな」
「抜けません」
「どうしてだ」
「木刀です」
 呆れて、鉄砲を手に取って「これはなんぼか?」
「一本です」
「鉄砲の代じゃ」
「樫です」
「金じゃ」
「鉄です」
「馬鹿だなきさま。値(ね)じゃ」
「音はズドーン」

【演者】
前座の噺とされていますが、圓朝師の速記も残っているそうです。
本当に演じたのでしょうか?
もし本当なら、ぜひ聴いてみたかったところです。
五代目小さん師では、隠居が髭を剃りながら与太郎の身の上を「おやじの墓はどこだ」まで長々聞くのですが、
これを二回繰り返し、与太郎がそっくり覚えて先に言ってしまうというパターンもあります。
【注目点】
この他にも、「お雛様の首が抜ける」や台の足がたらないを「後ろの塀ごと買ってください」等
愉快な顛末が笑えます。

『能書』
噺の都合上、どこでも切れる構成になっており、また入れごとも簡単に入るので、
数々のサゲがあります。
珍しいのは、八代目正蔵師等がやった、家まで金を取りに行き、
格子に首をはさんで抜けなくなったので、「そちの首と、身どもの指で差っ引きだ」
と言うヤツでした。

『ネタ』
かって六代目圓生師はこの噺を
「本当は与太郎で演じてはいけないんです」
 と語っていたそうです。
それは馬鹿者として演じてると主人公が洒落等を連発するからだそうです。
だから与太郎=馬鹿者では無いという事ですね。

 え〜私はこのライブドアのブログと全く同じものをヤフーブログで「菖蒲園」の名前で挙げています。この度、ヤフーブログが閉鎖になる事になりました。
そこで、ヤフーの方にコメントを頂いている方々がこちらに来てくださるようになりました。皆様改めてよろしくお願いいたします。
という訳で今日はこの噺です。

4f0ffd67『あたま山 』
今日は少し早い気もしますがこの噺です。
「あたま山」というのは江戸落語での名称で、上方落語では、「さくらんぼ」の題名で演じられています。枝雀師が演じていましたね。

【原話】
原話は安永2年(1773)刊『坐笑産』の「梅の木」や、同年刊『口拍子』の「天窓(あたま)の池」。類話として安永10年(1782)刊『いかのぼり』の「身投」、享和3年刊の黄表紙『いろ見草 浮世の頭木』などがあるそうです。

【ストーリー】
 けちんぼの吝兵衛さんは、花見に行くとみんなが旨いものを食っているので、自分も食いたくなり金がかるからと、時期をずらして葉桜になってから花見に出掛けた。
桜の枝になっているさくらんぼをひとつ食べたら美味いし、只なので続けて沢山食べた。
 翌年になると、頭から桜の樹が生えて来てやがて満開になった。
今年は吝兵衛さんの頭山で花見をしようと人が集まって来て、歌ったり踊ったり、花火を上げる奴までいて、
うるさくてしょうがない。
堪り兼ねた吝兵衛さんは桜の樹を引っこ抜いてしまった。
 その跡には池ができて、鮒や鯉などの魚が泳ぎはじめた。
鯰の大物が釣れたとか噂が広まり、大勢の人が頭山の池に釣りに来た。
頭の上はいつもうるさいし、時々釣り針が鼻に引っ掛かって痛い。
 自分ほど不幸な奴はいないと世を儚んで、吝兵衛さんは、自分の頭の池に身を投げて死んでしまったとさ。

【演者】
東京では八代目正蔵師の得意な噺でしたし、志ん生師も「庚申待」のマクラで演じています。
鈴々舎馬桜師が器用なところを見せて色々な落語の一部を引っ張って来て噺に入れています。これはこれで楽しいですね。

【注目点】
2002年、山村浩二によって短編アニメ化され色々な映画祭で受賞・入賞を果たしたのは有名ですね。動画はyoutubeで見られます。語りは国本武春さんです。

『能書』
これは志ん生師や正蔵師のあらすじですが、大体同じで、細部を膨らませているかどうかですね。
荒唐無稽と言えばそうですが、SFぽい噺ですね。
アニメにもなり、映画祭等で賞を受賞していますね。
白鳥師匠が以前、「この噺は、腕がないと喋れない。だから、今はやる人がいない。」と言っていましたね

『ネタ』
この時代の「さくらんぼ」は今のとは違い、中国原産の「桃桜」とかヨーロッパ原産の「チェリー」だったそうです。今、日本で栽培されているのは明治期にフランス原産のヨーロッパ系のものがアメリカよフランスあたりから輸入されたもので品質改良されたものだそうです。

Image005『百年目』
 三月になりましたが雨が続いて寒い日が続きます。今日はこの噺です。

【原話】
元は上方落語の演目で、後に東京に移植されました。
遡ると1804年「滑稽集」に「百ねんめ」として出ています。
一説には東西とも同じ原話があり偶然に作られたという説もあります。
上方では米朝師が極め付きです。東京では、桂小文治師や小南師も演じましたが、圓生が素晴らしいですね。

【ストーリー】
ある大店の一番番頭・冶兵衛。
四十三になりますが、まだ独り身で店に居付きです。
この年まで遊び一つしたことがない堅物で通っています。

今日も、二番番頭が茶屋遊びで午前さまになったのをとがめて、芸者という紗は何月に着るのか、
タイコモチという餠は煮て食うか焼いて食うか教えてほしいと皮肉を言うほど、
小僧や手代にうるさく説教した後、番町のお屋敷をまわってくると言い残して出かけます。

ところが、外で待っていたのは幇間の一八で、今日は、柳橋の芸者や幇間連中を引き連れて向島へ花見に繰り出そうという趣向なのです。
船に乗って目的地迄着いたのはいいが、すっかり酔っ払ってしまい、陸に上がるつもりが無かったのに上がって、扇子をおでこに縛りつけて顔を隠し遊び始めます。
悪いことは出来ないもので、そこでこれまた花見に来ていた旦那と鉢合わせしてしまいます。
「お、お久しぶりでございます。ごぶさたを申し上げております。いつもお変わりなく……」

酔いもいっぺんで醒めた冶兵衛、逃げるように店に戻ると、風邪をひいたと寝込んでしまいます。
旦那が何と言うか、もうそればかりが気になりろくろく眠れません。
翌朝旦那に呼び出されます。
恐る恐る旦那の前に進み出た冶兵衛に旦那は、普段の苦労を労り感謝します。
そして翌年には暖簾分けすることを約束します。
さらに、冶兵衛の昔の話や旦那の語源を話し、店の者にも労わって欲しいと言います。

さらに、旦那は昨夜、店の帳面を全て調べた事を告げます。
一つの過ちも無かった事を告げ、冶兵衛の遊びの話しをします。
商売の切っ先が訛ったらイケナイので、商売の金は思う存分に使って欲しいと告げます。
ところで、「何であの時、しばらくぶりなんて言ったんだ?」
冶兵衛「はい、堅いと思われていた番頭がこんな姿を晒してしまったので、
ここはもう百年目と思いました。」

【演者】
上方では桂米朝師、東京では六代目圓生師が抜けていると個人的には思います。

【注目点】

旦那の風格をどう出すかと、番頭の描き方ですね。と言うのも番頭さんは旦那が登場するまでは旦那然として振る舞っているので、その辺を出さないとなりません。後半の描き方とどう演じ分けるかが重要ですね。

『能書』
昔の商家では、小僧から手代を経て、番頭に昇格するのですが、普通、中規模の商家で二人、
大店になると三人以上いることもありました。

居付きの番頭と通い番頭があり、後者は所帯を持った若い番頭が、裏長屋に住み、そこから店に通ったものです。
普通、番頭になって十年無事に勤めあげると、別家独立させるしきたりが、東京でも大阪でもありましたが、この噺の治兵衛は、四十を越してもまだ独身で、しかも、主人に重宝がられて別家が延び延びになり、店に居ついている珍しいケースです。

大番頭ともなると、店の金の出納権限を握っているので、株式などの理財で個人的にもうけることも可能だったと言う事ですね。

『ネタ』
さてこの噺ですが、米朝師の旦那はいいですねえ。聴いていてこちらもホロリとさせられます。本当に心の底からの言葉だと感じます。
一方、圓生師ですが、もちろんこちらも旦那の懐の大きさを感じて、素晴らしいのですが、心の底の底では100%の内5%くらいは未だ許していない部分がある様な感じがします。
これは私だけかも知れませんが、ホンの僅かな部分、未だわだかまりが有るように感じるのです。
そう感じさせる圓生師が凄いのか、単な私がアホなのか(^^)

このページのトップヘ