らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2019年03月

365d4828『三人旅』
今日は旅の噺です。春の噺だと思うのですが……。

【原話】
上方落語の「東の旅」「西の旅」シリーズに相当する、江戸っ子の「三人旅」シリーズです。
記録的には十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が出た後から、旅ものの滑稽噺が語られるようになったそうです。上方落語では1861年の桂松光の「風流昔噺」に「伊勢道中あわてもの三人なぐさみ参り」とあるそうです。
以前はかなり噺があった。と言われていますが、現在では「発端・神奈川」(別名 びっこ馬)と「鶴家善兵衛」
「京見物」(「東男」「三都三人絵師」「祇園祭」「およく」の4つに別れます)だけが残っています。

【ストーリー】
ある男が無尽に当たり思わぬ大金が入ったので、友達二人を誘い、伊勢参りに行く事にします。
途中で疲れて馬に乗ったら馬子さんにからかわれたり、馬子さんから頼まれた鶴屋善兵衛と言う宿に泊まったりします。
さてその晩、飯盛女の事を尋ねると女中さんが2人しか居ないといいます。
後一人何とかならないか、と云うと「居ることは居る」といいます。
「居れば良いんだよ」「でもちょっと年増ですが・・・」「年増結構!でいくつだ?」「去年米の祝いをしました」
「え〜なんだそりゃ」と思ったものの、一人だけ場所が離れだと聞き、これを源ちゃんにあてがわせ様とします。
それを知らない源ちゃんは、江戸の粋な年増と聞き、それを選んで仕舞います。
さてそれから、源ちゃんにどんな悦楽の一夜が訪れるたのか?

【演者】
明治の三代目蝶花楼馬楽師と四代目橘家円喬師が得意としたそうです。
馬楽師は行きを中山道でいくので、多少違っています。
今でも中山道での噺として演じる噺家さんもいます。
戦後では金馬師、圓生師や、小さん師が有名でした。
通常はこのあらすじの「おしくら」は小田原の噺として演じられます。

【注目点】
圓生師では三人が宿に着いた後の宿の女将さんを登場させています。その部分と宿の主が茶代の礼を言いに来るところはオリジナルだそうです。
もし今、その部分を演じていれば圓生流ということですね。

『能書』
「三人旅」の中でもこの部分は艶笑色の強い噺です。
上方落語ではこの部分を『浮かれの尼買い』という題名で演じています。

『ネタ』
「飯盛女」とは、宿屋が本業の宿泊のほかに、夜のサービスを行う、という体裁でした。
やっぱり色んなとこをおしくらするからでしょうねえ。
「おしくら」の本来の意味は中山道の熊谷宿から碓氷峠あたりまでの宿に居た飯盛り女の総称だそうです。

aefe929c『竹の水仙 』
季節的には少し疑問ですが水仙が春の花なので取り上げました。

【原話】
元は講釈ネタですので、基本的にはオチはありません。左甚五郎物として有名なのは三木助師の「ねずみ」が有名ですね。
「ねずみ」は浪曲師の広沢菊春師に「加賀の千代」と交換にネタを譲ってもらい、脚色して落語化したものです。

【ストーリー】
左甚五郎が江戸へ下る途中、名前を隠して、藤沢宿の大松屋佐平という旅籠(はたご)に、宿をとった。
ところが、朝から酒を飲んで管をまいているだけで、宿代も払おうとしないので、
たまりかねた主人に追い立てを食うが、甚五郎、平然としたもので、ある日、中庭から手頃な大きさの竹を一本切ってくると、それから数日、自分の部屋にたてこもる。

心配した佐平がようすを見にいくと、なんと、見事な竹造りの水仙が仕上がっていた。
この水仙は昼三度夜三度、昼夜六たび水を替えると翌朝不思議があらわれるが、その噂を聞いて買い求めたい
と言う者が現れたら、町人なら五十両、侍なら百両、びた一文負けてはならない、と言い渡す。

佐平が感嘆していると、なんとその翌朝、水仙の蕾が開いたと思うと、たちまち見事な花を咲かせたから、
一同仰天。
そこへ、たまたま長州公がご到着になり、このことをお聞きになると、ぜひ見たいとのご所望。
見るなり、長州公
「このような見事なものを作れるのは、天下に左甚五郎しかおるまい」
ただちに、百両でお買い上げになった。
五郎、また平然と「毛利公か。あと百両ふっかけてもよかったな」

甚五郎は半金の五十両を宿に渡し江戸に向かいました。
上野寛永寺の昇り龍という後世に残る名作を残すなど、いよいよ名人の名をほしいままにしたという、
「甚五郎伝説」の一説。

【演者】
五代目柳家小さん師の十八番で、小さん師のオチのない人情噺は珍しいですね。
寄席等では桂歌丸師、柳家喬太郎師などが演じるほか、若手でも手掛ける者が増えているようです。
圓生師は「三井の大黒」とセットで演じてもいます。
演者によって、甚五郎の雰囲気が違ってくるのも面白いですね。

【注目点】
この噺や「抜け雀」は宿屋の主が脇役でありながらも主役級の活躍をしていますね。この宿屋の主をどう演じるかが重要なんだそうです。

『能書』
オチが無いのですが、調べるとこんなのがありました。夫妻は宿を去ろうとする甚五郎を止め、「どうかこのあとも、300両の竹の水仙をこの宿で作り続けてもらえないか」と聞くが、甚五郎はそれを拒む。理由を聞くと、「竹に花を咲かせると、寿命が縮まるから」というサゲもありますが、これは数十年から百数十年に一度花を咲かせ、竹ごと枯れてしまう事に掛けたものですね。

『ネタ』
実際の左甚五郎は東照宮の「眠り猫」や維新で燃えてしまいましたが、上野寛永寺の「登り龍」は有名ですが落語の世界の彫刻の名人伝説は創作なんだそうです。

9b438ca8『山号寺号』
今日はこの噺です。先日寄席で市馬師が歌入で演じていました。

【原話】
かなり古い噺で、かの京都で辻噺をしていた、初代露の五郎兵衛師までさかのぼります。
最近では八代目柳枝や談志師が演じていました。
記録的には1707年の「露休置土産」の「はやるものには山号寺号」が原話です。

【ストーリー】
幇間の一八が、贔屓の若旦那に出会いました。
「若旦那どちらへ?」 
「ちょっと観音様にお参りにな。」
「浅草寺ですな」「いや観音様だ」
「若旦那、観音様とおっしゃいますが、本当は、金龍山浅草寺って言うんですよ。成田山景徳寺とかいう具合に、どこにでも山号寺号ってものがあります」
 「ほう、どこにでもあるのか? ここにもあるのなら一円のご祝儀をあげよう」
 「若旦那無茶を言っちゃいけませんや。お寺があればってことですが、せっかくだから考えましょうかね」
「車屋さん広小路ってのはどうですか? 山号寺号になってるでざんしょ」
「分かったよ、一円やるよ」
 この後、女将さん拭き掃除、乳母さん子が大事、床屋さん耳掃除、蕎麦屋さん卵とじ、と次から次と一円をせしめました。
 金がなくなった若旦那が、あたしもやってみたいね。そのお金をそっくり懐に入れて、
「一目散随徳寺」
「ああ、南無三仕損じ」

【演者】
まあ短いし長さも調整出来るのは寄席では良く掛かります。
八代目柳枝や談志師が有名ですかね。

【注目点】
このあらすじは談志師のものですが市馬師もこれでやってました。本来は成田山にお参りに行く途中で出会うのです。

『能書』
いくらでも新しいシャレが加えられるため演者によって自由自在で「看護婦さん赤十字」などと言うのもあります。
幇間の一八は涙ぐましい努力ですが、若旦那の方が一枚上手でしたね。(^^)

『ネタ』
山号寺号とは、古くからある言葉遊びの一種で、江戸で名高い医者のあだ名を「医王山薬師寺」等と洒落て遊んだのだそうです。

※昨日、芸協の噺家の三遊亭金遊師がお亡くなりになりました。急な事だったそうです。69歳とか、早いですね。師は結構、浅草でトリを取っており結構な大ネタも聴かせて頂きました。さっぱりとした淡々と語る芸風でした。
慎んでご冥福をお祈り致します。
https://news.goo.ne.jp/article/dailysports/entertainment/20190325113.html

IMG_89872『稽古屋』
今日はこの噺です。
【原話】
今は絶滅したといっていい、音曲噺(おんぎょくばなし)の名残りをとどめた、貴重な噺です。音曲噺とは、高座で実際に落語家が、義太夫、常磐津、端唄などを、下座の三味線付きで賑やかに演じながら進めていく形式の噺で、昔は噺家出身の”音曲師”と呼ばれる方がこの噺とか「豊竹屋」等を演じていました

【ストーリー】
少し間の抜けた男、隠居のところに、女にもてるうまい方法はないかと聞きに来ます。
「おまえさんのは、顔ってえよりガオだね。女ができる顔じゃねえ。鼻の穴が上向いてて、煙草の煙が上ェ出て行く」
そう云われ、顔でダメなら金。
「金なら、ありますよ」
「いくら持ってんの?」
「しゃべったら、おまえさん、あたしを絞め殺す」
「何を言ってんだよ」
お婆さんがいるから言いにくい、というから、わざわざ湯に出させ、猫まで追い出して、
「さあ、言ってごらん」
「三十銭」
どうしようもありません。
隠居、こうなれば、人にまねのできない隠し芸で勝負するよりないと、横丁の音曲の師匠に弟子入りするよう勧めます。
「だけどもね、そういうとこィ稽古に行くには、無手じゃ行かれない」
「薪ざっぽ持って」
「けんかするんじゃない。膝突ィ持ってくんだ」
膝突き、つまり入門料。
強引に隠居に二円借りて出かけてい来ます。
押しかけられた師匠、芸事の経験はあるかと聞けば、女郎買いと勘違いして「初会」と答えるし、
何をやりたいかと尋ねてもトンチンカンで要領を得ないので頭を抱えるが、とりあえず清元の「喜撰」を
ということになりました。
「世辞で丸めて浮気でこねて、小町桜のながめに飽かぬ……」と、最初のところをやらせてみると、まるっきり調子っ外れ。
これは初めてでは無理かもしれないと、短い「すりばち」という上方唄の本を貸し、持って帰って、高いところへ上がって三日ばかり、大きな声で練習するように、そうすれば声がふっ切れるから
と言い聞かせます。
「えー、海山を、越えてこの世に住みなれて、煙が立つる……ってとこは肝(高調子)になりますから、声をずーっと上げてくださいよ」と細かい指示を出されます。
男はその晩、高いところはないかとキョロキョロ探した挙げ句、大屋根のてっぺんによじ登って、早速声を張り上げます。大声で
「煙が立つゥ、煙が立つーゥ」とがなっているので、近所の連中が驚いて
「おい辰っつあん、あんな高え屋根ェ上がって、煙が立つって言ってるぜ」
「しようがねえな。このごろは毎晩だね。おーい、火事はどこだー」
「煙が立つゥー」
「だから、火事はどこなんだよォー」
「海山越えて」
「そんなに遠いんじゃ、オレは(見に)行かねえ」

【演者】
かっては音曲師の三桝屋勝次郎師や三遊亭圓若等の師匠が有名だったそうです。
志ん生師や志ん朝も演じていましたね。
上方では文枝師が有名ですね。米團治師もやっています。
「豊竹屋」は山遊亭の噺なのでしょうか、圓生師や一門の圓丈師も演じています。

【注目点】
東京の型でも上方の型でもお師匠さん(女性)を上手く演じられないと駄目ですね。
芸協に居た小文治師などは見事でした。

『能書』
本来は自分で三味線を持たず扇子を持って高座に登場し、下座の伴奏に合わせて歌ったそうです。
元が噺家なので噺の部分もきっちりとやっていたそうです。

『ネタ』
ここに登場するのは、義太夫、長唄、清元、常磐津と何でもござれの「五目の師匠」です。
「五目講釈」という噺もありますが、「五目」は上方ことばでゴミのことで、
転じて、色々なものがごちゃごちゃ、ショウウインドウのように並んでいる様をいう様です。
こういう師匠は、邦楽のデパートのようなもので、、蕎麦屋なのに天丼もカツ丼も出す(大抵の蕎麦屋はそうですが)という類の店と同じく、素人向きに広く浅く、何でも教え、町内では重宝がられたそうです。

Image005『長屋の花見』
今日、隅田川の汐入の辺りに植えられている緋寒桜が満開でした。ソメイヨシノももうすぐ開花するでしょうね。という訳でこの噺です。

【原話】
元々は上方落語の演目で「貧乏花見」です。それを明治37年ごろ、三代目蝶花楼馬楽師が東京に移し、明治38年3月の、日本橋常磐木倶楽部での第一次の第四回落語研究会に、二つ目ながら「隅田の花見」と題したこの噺を演じました。
これが事実上の東京初演で、大好評を博し、以後、この馬楽の型で多くの演者が手掛けるようになりました。

【ストーリー】
雨戸まで外して焚き付けにするという貧乏長屋の店子連中に大家さんからの呼び出しがかかります。
すわ、店賃の催促かと思いのほか「そうじゃあない。花も見頃、今日は貧乏を追い出すために皆で花見に行こう」と大家さん。

酒も肴も用意したというので、店子連中は「花見だ花見だ」「夜逃げだ夜逃げだ」などといいながら上野の山へ向かいます。
満開の桜がならぶ上野の山。店子連中は、毛氈とは名ばかりのむしろを敷いて、物乞いの真似をしようとしたり、ほかの花見客が落とした食べ物を拾おうとしたりの大騒ぎ。
そのうちに、大家さんが用意した酒と肴で宴がはじまるが、じつはこれ本物ではありません。
お酒は番茶を水で割ったもの。かまぼこは大根の漬け物で、卵焼きは沢庵という始末。
「かまぼこ」を薦められた店子は「ちかごろ歯が弱くなったから食べづらい」とこぼしたり、「卵焼き」を食べようとする店子は「尻尾じゃないところをくれ」などと言い出す始末。
薄い番茶を「灘の酒」に見立てて飲み出すが、アルコール成分がないから酔おうにも酔えません。
そのうちに「灘の酒」を飲んでいた一人が、変なことを言い出します。
「大家さん、近々長屋にいいことがあります」
「そんなことがわかるかい?」
「酒柱が立ちました」

【演者】
柳家を初め多くの噺家さんが演じています。寄席でも時期になりますと必ず掛かる噺です。

【注目点】
上方のものは、筋はほぼ同じですが、大家のお声がかりでなく、長屋の有志が自主的に花見に出かけるところが、
江戸と違うところですし、持っていくごちそうや酒も自らが誂えて持って行きます。
この辺に江戸と上方の考えの違いが現れていると思います。

『能書』
どの演者でも、「長屋中歯を食いしばる」の珍句は入れますが、これは馬楽師が考案したくすぐりです。
馬楽--四代目小さん--五代目小さんと受け継がれていった噺です。
今でも柳家始め多くの噺家さんが演じています。

『ネタ』
この噺の問題点は舞台を上野としている処ですね。
江戸時代は上野の山は寛永寺の敷地内だったので、花見と言っても飲食や歌舞音曲は禁止です。(どうも座って花を眺めるぐらいは許されていたそうです)
完全に許されたのは明治からですので、明治期とするかですが、この辺りは、余りうるさく言わないで、噺を楽しんだ方が良いですね。
昔のお客は、飲食や歌舞音曲が許されていた向島や飛鳥山じゃ臨場感に乏しいと感じたのでしょうね。

「考察」
このほか、上方のサゲを踏襲して、長屋の一同がほかの花見客のドンチャン騒ぎを馴れ合い喧嘩で妨害し、向こうの取り巻きの幇間が酒樽片手になぐり込んできたのを逆に脅し、幇間がビビって
「ちょっと踊らしてもらおうと」
「うそォつけ。その酒樽はなんだ?」
「酒のお代わりを持ってきました」
とサゲる噺家さんもいます。

「私見」
今現在東京で演じられている古典落語のかなりの数が上方から輸入されたものだとは皆さんも御存知だと思います。
場所などを変えてほとんど同じにした噺もあれば、かなり変えている噺もあります。
この噺もかなり変えている訳でして、その違いが東西の笑いの考えの違いになっていると思います。
あくまで個人的にですが、総じて上方落語は理論的だと言う事です。
つまり、設定に曖昧な所が余り無く、噺の筋が理論立っている事です。この噺の場合も長屋の連中から自発的に花見に向かいます。だから持って行く物(大根や沢庵、お茶け)にリアリテイがあります。
一方江戸では、そこら辺は余り重要視されません。この噺でも大家さんから花見に誘います。理由も何となく曖昧です。だから大家さんなのにお酒も用意できないのはちょっと疑問でもあるのですが、そこら辺は江戸では重要視されないのです。あくまでも花見に行った先での行動に視点が移っています。
 この噺を聴きながら東西の文化の違いも見えるのが面白いですね。

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