らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2019年01月

e5546d7f『橋場の雪 』
正月の三日に地元と言っても良い亀有で落語を聴いて来ました。出演者は、昇也、左龍、菊之丞、三三、権太郎と言ったメンバーでした。顔ぶれでは豪華ですね。トリの権太楼師は「笠碁」でした。かなり作り変えていましたね小さん師とも違いましたね、サゲも変えていました。正直イマイチでしたね。昇也さんが面白かったですね。
 という訳で今日はこの噺です。

【原話】
大元は「雪の瀬川」と言う人情噺が元の噺で、この噺を直して文楽師が十八番「夢の酒」として演じました。
更に「隅田(すみだ)の夕立」「夢の後家」の二通りに改作されました。
それの「夢の後家」を文楽師が昭和10年ごろに「夢の酒」に改作しました。

【ストーリー】
商家の奥の離れに若旦那がいます。 こっそりと幇間の一八が忍んで来て、今日は瀬川花魁と会う約束だったじゃあないか、向島の料亭で瀬川が待っている、と言ます。 瀬川は、吉原で全盛の花魁。 
 女房のお花に内緒で抜け出した若旦那、瀬川の片えくぼのことなど考えている内に、吾妻橋を通り過ぎて、橋場の渡しの所まで来てしまいました。 
ちょうどその時、渡し舟が出たばかりで、土手の上の吹きざらし、寒いと思ったら、雪が降り出し、あたり一面真っ白。 
なのに自分だけ雪がかからないので、ふと見ると傘を差しかけてくれていたのが、お湯の帰りだという女中連れの三十に手がとどきそうな、いい女で、若旦那が三年前に亡くなった亭主に、よく似ている、近くなのでお茶でも差し上げたい、と言う。 丁度そこへ、渡し舟が戻って来てしまい、ここはこれまで。
 向島の料亭では、花魁はつい今しがた廓に戻ったという。
なんだと帰ろうとすると、渡し舟はあるが船頭がいません。 
そこへ小僧の貞吉が傘と足駄を持って迎えに来て、対岸の二階で先ほどの女が手招きしているのを目敏く見つけます。
 定吉は親父が深川の船頭だったから、渡し舟ぐらい漕げるのです。
石垣の間に蝙蝠傘を挟んだりすることはないという。 
貞吉に駄賃を一円、漕ぎ返すのにもう一円やって、女の家へ寄る事にします。 
「一献召し上がって」「じゃあ一杯だけ」 差しつ差されつやっているうちに、頭が痛くなって、次の間にとってあった布団に横になる。 
長襦袢になった女が、布団の隅の方にだけと入ってきました・・・
……「あなた、あなた」と女房のお花に起されると、 離れの炬燵の中で、夢を見ていたのでした。 
話を聞いて女房は泣き、若旦那は笑い、親父は怒る始末。 さっき駄賃を二円やったじゃあないかと言われて、釈然とせずに若旦那の肩を叩いていた貞吉が、居眠りを始めます。
 焼餅焼きのお花は「若旦那が橋場に出かける何よりの証拠、貞吉がまた舟を漕いでおります」

【演者】
これは最近では柳家三三師が落語研究会などで演じていますね。
昔のことですが、三代目柳家小さんの、明治29年の速記があります

【注目点】
「隅田の夕立」の方は円遊師が、夢の舞台を向島の雪から大川の雨に代え、より笑いを多くしたそうです。
「夢の後家」の方は、「夢の酒」と大筋は変りませんが、夢で女に会うのが大磯の海水浴場、それから汽車で横須賀から横浜を見物し、東京に戻って女の家で一杯、と、当時の明治らしさです。

『能書』
人情噺「雪の瀬川」(松葉屋瀬川)が「橋場の雪」として落し噺化され、それを鼻の園遊師が、現行のサゲに直し、「隅田(すみだ)の夕立」「夢の後家」の二通りに改作しました。
されに、「夢の後家」の方を、文楽師が昭和10年前後に手を加え、「夢の酒」として磨き上げました。

『ネタ』
文楽師も「夢の酒」を演じる以前はこの「橋場の雪」をしていたそうです。

ebe801d2『かつぎや 』
皆様、あけましておめでとうございます! 本年も相変わりませずよろしくお願いいたします。
 昨年もこの噺を取り上げたのですが、今年も取り上げます。と言うよりお正月のそれも三ヶ日だけしか出せない噺ですね。

【原話】
原典は、寛永5(1628)年刊の安楽庵策伝著「醒睡笑」巻一の、「祝ひ過ぎるも異なもの」と題した一連の小咄とみられます。
古くは、円朝師の速記もあります。明治22年の二代目柳家小さん師の速記では「かつぎや五平」と題していますが、これは、「御幣かつぎ(=縁起かつぎ)」のシャレでしょう。
上方では「正月丁稚」と言います。

【ストーリー】
呉服屋の五兵衛旦那は、大変な縁起かつぎ。正月元旦ともなると、縁起かつぎもすさまじいのです。
 下働きの清蔵を呼ぶと「まずは井戸神様にダイダイを入れて和歌を供えて若水を汲んでおくれ」と言いつけ和歌を教えます。
「新玉の 年とちかえる あしたより 若柳水を 汲み初めにけり。
 ところが、こう教えられた清蔵は、「目の玉の でんぐり返る あしたより 末期の水を 汲み初めにけり。 これは、わざっとお人魂。」とやらかします。
 怒った五兵衛旦那は清蔵にクビを言い渡す。清蔵は「ついでだから後九日置いてれ、丁度三十五日になるから・・・」。
 庭に降りて頭を下げる清蔵に、五兵衛旦那が「お前は何をしてるんだ。」と聞くと、「草葉の陰から手を合わせている。」
 早桶屋の白兵衛がやってきました。「正月はそんなにめでたくはないよ、一休さんも『門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』と言っています。
 縁起の悪い事をさんざん言って、歌を唄います「五兵衛さんの家の周りを福の神が取り巻いた」。
 機嫌を直しましたが、これには下の句があるという「これじゃぁ〜、貧乏神が出られない〜」。
 店の者とお雑煮を食べ始めると餅の中から釘が出ました。定どんが
「旦那、縁起がいいです。餅の中からカネが出たので金持ちになります」。
小遣いを増やしてもらう定どんに清蔵は「身代は持ちかねる」と悪態をつきます。

 さて、そうこうするうち、二日の晩、お宝船売りがやって来ました。番頭に声をかけさせ、お宝船売りを呼び込むと、一枚四(し)文、十枚で四十(しじゅう)文というので、縁起でもないといって追い返します。
 次にやってきた宝船売りに番頭が、
「うちの旦那は大変な縁起かつぎだから…。」と言って入れ知恵をする。宝船売りは、店に入るやいなや、「お宝の入り船です」と言う。
 五兵衛旦那は喜んで、全部買うという。「何枚あるんだ」と聞くと、「へい、旦那の年ほどもございます。」
「何枚だ」
「千万枚でございます。」
 五兵衛は、縁起がいいと大喜び、しかも酒をを勧めると
「亀の子のように・・・」。
 酒を注ぐと
「黄金色のよう・・・」
「こんなイイ酒で酔うと宝船に乗っているようだ」
 喜んだ五兵衛旦那、
「いつでも遊びにおいで」、で、「何処に住んでいますか」
「本郷の蓬莱町にいましたが浅草寿町に、そこから下谷の長者町に移りました」
「それ以上引越させないでください」
 その都度ご祝儀をはずんでもらい、反物まで貰いました。
 宝船売りは、ご機嫌になり
「旦那の姿は大黒様、美しいお嬢様は弁天様。七福神がお揃いで、おめでとうございます」と帰りかけた。五兵衛が「それじゃぁ、二福じゃないか。」と言うと、
「いいえ、それでよろしいのです。ご商売が、呉服(五福)でございます。」

【演者】
お正月に寄席に行くとかなりの噺家がこの噺を演じます。特に柳家の噺家さんが多い様な気がします。

【注目点】
兎に角、おめでたい言葉が沢山出て来ます。それだけの噺なのですが、昔から人々がお正月に対してどんな思いを抱いていたのかが判ります。

『能書』
その昔は正月になると、宝船売りが、七福神の乗った船の図に、廻文歌
「長き夜のとをのねぶりの皆目覚め波のりぶねの音のよきかな」を書き添えた刷り物を売り歩きました。
上から読んでも下から読んでも同じですね。
正月二日の夜、これを枕の下に引き、吉夢の初夢を見るようにとのまじないでした。

『ネタ』
江戸には古くから、元旦には箒(ほうき)を持たない(=掃除をしない)慣習がありました。
明和2(1765)年刊のの「川柳評万句合勝句刷」に「箒持つ下女は叱られはじめをし」とあります。
サゲは今は「和服」と言う呼び方が一般的な着物ですが、昔は「呉服」と呼びました。それが判らないとサゲが判らないですね。

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