らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2018年10月

「子は鎹」(子別れ 下)について考えてみた。

 昨日、浅草の昼席のトリに個人的に好きな茶楽師が出るので休日ということもあり見に行きました。
最近の浅草の昼席はかなり混んでいるので、立ち見を予想していましたが、13時過ぎに行っても空いてる席が少しあり座ることが出来ました。
 芸協としては助に、寿輔師や桂 伸治などが出るかなり力が入った番組だと思ったのですが、意外でした。まあ、座れて良かったのですがね(^^)
 桂 伸治師は「替わり目」でした。結構やるのですが、やりなれていると言うかこの人のは女将さんが良いですね。寿輔師は例のごとくお客さんをいじったのですが、逆にイジられてペースが崩れメロメロになりました。まあ、それも計算の内なんでしょうけどね。
 期待していた茶楽師は「子別れ」の下でした。「子は鎹」という奴ですね。
 師の「子別れ 下」は三回目です。トリとしては初めてですね。この人の特徴は兎に角粋に噺をすること。良い変えれば軽いのです。勿論、重いシーンはそれなりにやりますが、臭くはやりません。その塩梅が良いのです。
 で、三回目ではっきりと判ったことがあります。それは亀が母親に怒られて金槌でぶつと言った時に他の噺家なら泣くのですが、泣きません。泣きそうになりますが、泣かないのです。
 そこを物足りないと思うか、実際に二年近く母子だけで過ごして来たのですから、こんな場面では泣けないと成長したのかも知れません。
 あるいは、独楽を当てられて額に血を流した過去から見ると母親の愛情ある言葉では泣くことでは無いという事かも知れません。
 他の噺家の演出でも泣いてもすぐに泣き止むので嘘泣きかも知れませんね。最近は寄席でも臭くやる噺家が多いので返って印象に残りました。

「親子酒」という噺

ea9415b4『親子酒』
今日は寄席でも良く掛かるこの噺です。

【原話】
宝永4年(1707)刊、露の五郎兵衛作の笑話本「露休置土産」中の「親子共に大上戸」で、「親子茶屋」と並んで飲兵衛噺としては最古のものです

【ストーリー】
ある商家に、共に酒好きな大旦那と若旦那の親子が居ました。
息子の酒癖が非常に悪いということで、父親である大旦那が心配し、「お前だけに酒を止めろとは言わない。共に禁酒をしよう」と話をします。
 息子も承知し、しばらくは何事もなかったのですが、2週間ほど経つと、他に楽しみのない大旦那は酒が恋しくて仕方がなくなります。
 息子が出かけていたある晩、女房に何とか頼み込み、遂に酒に手を出してしまのですが、
ホンの一杯のつもりが、 したたかに酔い、気分も良くなっているところへ、息子が帰ってきます。
 さあ大変。慌てて場を取り繕い、父親は「酔っている姿など見せない」と、息子を迎えるのですが、帰ってきた息子も同様にしたたかに酔っている有様で、呆れた父親が
「何故酔っているんだ」
 と問うと、出入り先の旦那に相手をさせられたと言い、
「酒は止められませんね」
 などと言います。父親は怒り、女房に向かい、
「婆さん、こいつの顔はさっきからいくつにも見える。こんな化け物に身代は渡せない」  すると息子は、
「俺だって、こんなぐるぐる回る家は要りません」

【演者】
三遊亭圓朝師が「親子の生酔い」として速記を残している他は、独立した演目となったのは大正になってからだそうです。
戦後の演者では、志ん生師、小さん師、可楽師、馬生師等がいます。まあ今では多くの噺家が演じています。

【注目点】
この噺の眼目はやはり飲む仕草でしょうね。
それから親父さんが段々酔っ払って、口調が怪しくなる処とか、肴の烏賊の塩辛を美味しそうに食べる処何んかも見所ですね。
今では芸協の寿輔師がよく演じています。

『能書』
アルコール飲料のとりすぎによる病的症状は「急性酩酊」と呼び、アルコール依存症とは区別されるそうです。


『ネタ』
五代目小さん師は「この親子はお互いを認め合っていて息子は父親を尊敬しているし、父親は愛情を持って息子に接している。そのあたりをちゃんと演じて出さないと駄目」と語っていたそうです。

「御神酒徳利」という噺

859b2b3d『御神酒徳利』
 え〜寒くなって参りました。そろそろ冬の噺でも良かろうと思いこの演題を上げました。

【原話】
この噺には占い八百屋」と言う題名もあり、柳家の噺家さんは題名は同じでもこちらの型で演じます。
三遊派は今日紹介するやり方で、圓生師が御前口演で演じた噺です。
元は上方落語で、三代目小さん師が移植しました。これが「占い八百屋」です。

【ストーリー】
日本橋馬喰町の大店の旅籠刈豆屋吉左衛門で働く通い番頭の善六さん。
年に一度の十二月十三日大掃除の時、先祖が徳川様から頂いた銀の葵のご紋の入った一対の家宝の御神酒徳利が台所に転がっているのを見つけました。
しまうところがないので水瓶の中に入れ、そのまま忘れてしまったのです。
このお神酒徳利で大神宮様にお神酒を上げるのが慣わしになっているんもですが、後で徳利が無いと大騒ぎ。善六さん家に帰ってから思い出したが、今更自分がしたとは言えません。
すると 、おかみさんは父親が易者だったので、徳利のあるところは判っているからソロバン占いをして、出せばいいと言ます。
生涯に三度だけ占う事が出来るという触れ込みで、占う事にしました。無事徳利が見つかったというので、ご主人は大喜び。
 この見事な、不思議な占いを宿に泊まっていた鴻池の支配人が知り、実は鴻池の一人娘が難病にかかり、その原因がどうしてもわからない、それを何とか占って欲しいと依頼をします。
善六さんは本当に占いが出来るわけがないので、引き受けたくないのですが、おかみさんにそそのかされて、こんなチャンスはめったにない上に三十両が貰える、占いは適当にやればいいからと大阪にしぶしぶ行くことになりました。
 善六さん、支配人と大阪に向かう道中、神奈川宿で、滝の橋の新羽屋 (にっぱや)源兵衛という鴻池の定宿に泊まろうと立ち寄った のですがどうも様子がおかしいのです。
訳を聴くと、女将は四,五日前に薩摩武士が泊り、金七十五両と幕府への密書が入っている巾着が無くなったので、内部の者に嫌疑がかけられ、主人源兵衛は取調中で連れていかれているとの事です。。
 これを聞いた支配人、じゃここにおいでになる占いの善六先生に見てもらったらいい、まだ1回あるからお願いしますという。
もとより占いを知らない善六さんは 、お供えにハシゴだワラジだ大きなおむすびだと夜逃げの算段。
すると夜中に女中が善六の部屋にやって来て「自分が親の病気を治したいばっかりに盗んだ」と白状しました。隠し場所は嵐で壊れた庭の稲荷の社 (やしろ)の床板に隠したと聞いて女を帰します。
早速宿の女将を呼んで、あたかもソロバン占いに掛が出たと、在りかを当てたので宿中大喜び。新羽屋から礼にもらった三十両の内女に5両与え、女将には稲荷の社を直すように諭し大阪に。
 三度目の占いに掛かった時は、苦しい時には神頼みで、水垢離を続けた処、満願の日に神奈川宿の稲荷大明神が夢に現れ、稲荷の社の修復と信心が戻った事への感謝をあらわし、「鴻池家の乾(いぬい=北西)の隅の柱の四十二本目の土中に観音像が埋もれているから、これを掘りだして崇めれば娘の病気はたちどころに治る」と教示されます。
早速掘ってみると夢の通り観音像が出てきたので鴻池家ではこれを機に米蔵を開いて大阪三郷の貧民に施しをしたので、慈善の徳で娘の病気は全快しました。
 善六さんは鴻池から金を出してもらって馬喰町に立派な旅籠屋を建て、いままでの貧乏暮らしが一躍大金持ちになりました。
もともとソロバン占いで成功したので、生活が桁違いに良くなった・・・

柳家の型では主人公は八百屋さんで、出入りの大店で女中さんに嫌がらせを受けた腹いせに、徳利を隠して、その後占いで当てた様に演じます。ほとんど同じですが、三島の宿での出来事で、困って夜中に逃げ出して仕舞います。
【演者】
この型では六代目圓生師が有名ですね。昭和天皇の御前口演もしました。
他に「占い八百屋」で小三治師が演じています。

【注目点】
日本橋馬喰町は江戸随一の宿屋街で、東海道筋からの旅人はもとより、江戸に全国から集まった「お上りさん」はほとんど、ここの旅宿にワラジを脱ぎました。
噺中の「刈豆屋吉左衛門」は馬喰町の総取り締まりで、実在の人物です。
「御神酒徳利」とは、神前に備える対になった徳利のことで、神社等では錫制で、他には伊万里や備前・丹波・瀬戸等があります。噺では圓生師は銀、小三治師は錫製です。

『能書』
圓生師がこの噺を御前口演に選んだのは、悪人が出てこない、トントン拍子に事が運んでおめでたい等の理由だったそうです。

『ネタ』
圓生師は上方からやって来た五代目馬生師から教わったそうです。だから元の型なんですね。

「井戸の茶碗」という噺

3672764f『井戸の茶碗』
 今日はこの噺です。秋の噺かと問われると怪しいのですが……。

【原話】
講談ネタの「細川茶碗屋敷の由来」を落語に移したものと言われています。
志ん生師は一時講談をやっていた事もあるので、その時に仕入れたのでは、と云われています。でも代々の柳枝師に受け継がれていたそうです(初代から三代目は確認が取れています)

【ストーリー】
 麻布茗荷谷に住むくず屋の清兵衛さん、人呼んで正直清兵衛と呼ばれています。
ある時、清正公様脇の裏長屋で器量の良い質素ながら品のある十七,八の娘に呼ばれます。
貧乏浪人の千代田卜斎から普段扱わない仏像を、それ以上に売れたら折半との約束で、二百文で預かります。
 その後、白金の細川家の屋敷で呼び止められ、仏像が気に入ったと、細川家の家来・高木佐久左衛門が三百文で買い上げてくれます。
 高木が仏像をぬるま湯で洗っていると、底に張ってあった紙がはがれ、中から五十両の金が出てきました。
「仏像は買ったが五十両は買った覚えはない。自分の物ではないので、売り主に返してやれ」
と、清兵衛に渡すがのですが、卜斎は、
「売った仏像から何が出ようとも自分の物ではない」
と受け取りません。清兵衛が、高木と卜斎の間を行ったりきたりするがらちがあきません。困った挙げ句家主に相談すると、家主は「高木に二十両、卜斎に二十両、清兵衛に十両」の案を出します。高木は納得するが、どうしても卜斎は納得しません。
 「どんな物でも先方に渡し金を受け取れば、貰った事にはならない」
と、家主が勧め、やっと納得した卜斎はいつも使っている古く茶渋で汚れた茶碗を渡し二十両の金を受け取ります。
 この美談が細川の殿様の耳に入り、「茶碗が見たい」と言う。高木が茶碗をお見せすると、たまたま、出入りの目利きが拝見し、これが何と名器「井戸の茶碗」だと判り、殿様が三百両で買い上げる事になります。
 このお金を見て高木は考え込んでしまいました。清兵衛も困ったが、先例にならい半分の百五十両を卜斎の元に届けると、卜斎も困ったが考えたあげく、
「もう渡す物もない。独身の高木殿は正直なお方の様だから娘を嫁に差し上げ、結納代わりなら金を受け取る」
と、言います。さっそく清兵衛が高木にこの事を伝えて、
「良い娘だからお貰いになりなさい。今は貧乏でひどいナリをしているが、高木様の手で磨いてご覧なさい、美人になりますよ」
 すると高木、
「いやぁ、もう磨くのはよそう。また小判が出るといけない」。

【演者】
今では各一門でも演じますが、古今亭の噺です。

【注目点】
五代目柳朝師はこの噺を演じるにあたって「欲を出さずに演じる事が大事」と語っていました。個人的には圓菊師のが好きです。

『能書』
この登場する「井戸の茶碗」は朝鮮半島で作られた茶碗で、「一井戸、二楽、三唐津」と言われ、古くから最上の茶碗として重宝されたそうです。

『ネタ』
戸詰めの勤番侍の住居は、上屋敷の「長屋」で、二階建てが普通でした。
下は中間や小者が住み、上に主人(武士)が住んでいます。
 行商人等からものを買うときには、表通りに面した高窓から声をかけ、そこからざる等を下ろして品物を引き上げます。これは、「石返し」にも登場します。

「王子の狐」という噺

05c31680-s『王子の狐』
10月に入ったこともありますので「王子の狐」です。

【原話】
 1712年の「笑眉」の「初心なきつね」です。これが上方の噺家さん達によって「高倉狐」と言う噺になりました。これを初代三遊亭圓右が東京に移植し、設定や題名を東京に合うように変えたのです。
 落語の噺にはこのように西から東に移植された噺が多くあります。(逆も少しですがあります)
 もうひとつは、「百川」と同じように噺に出て来る「扇屋」の宣伝用の噺ではないか?とも言う説があります。これはこの当時宣伝効果を兼ねて噺が作られ、寄席で演じられ宣伝の役目を担ったからです。

【ストーリー】
ある男が王子稲荷に参詣した帰り道、一匹の狐が美女に化けるところを見かけます。
よく見るとお、これから人を化かそうというつもりの様です。
そこで「ここはひとつ、化かされた振りをしてやれ」と思い狐に声をかけます。
「お玉ちゃん、俺だよ、よければ、そこの店で食事でも」と声を掛けると、
「あらお兄さん、お久しぶり」と狐も合わせてきます。
そして近くの料理屋・扇屋に上がり込んだ二人、天ぷらなどを注文し、よろしくやっていると、
狐のお玉ちゃんはすっかり酔いつぶれ、すやすやと眠ってしまいます。そこで男、
土産に卵焼きまで包ませ、「勘定は女が払う」と言い残すや、狐を置いてさっさと帰ってしまいます。
しばらくして、店の者に起こされたお玉ちゃん、男が帰ってしまったと聞いて、びっくりしたあまり、
耳がピンと立ち、尻尾がにゅっと生え正体を表してしまいます。
正体露見に今度は店の者が驚いて狐を追いかけ回し、狐はほうほうの体で逃げ出します。
狐を化かした男は友人の家に行き、吹聴するが「ひどいことをしたもんだ。狐は執念深いぞ」と脅かされ、
青くなって翌日、王子まで詫びにやってくる。巣穴とおぼしきあたりで遊んでいた子狐に「昨日は悪いことをした。謝っといてくれ」と手土産を渡します。
穴の中では痛い目にあった母狐がうんうん唸っています。子狐、「今、人間がきて、謝りながらこれを置いていった」と母狐に手土産を渡します。
警戒しながら開けてみると、中身は美味そうなおはぎ。
「母ちゃん、美味しそうだよ。食べてもいいかい?」
「ああ食べるんじゃない!馬の糞かもしれない」

【演者】
 個人的に好きなのは八代目春風亭柳枝師です。他では十代目金原亭馬生師が良いですね。その他小さん師や志ん朝師等、色々な噺家さんが演じています

【注目点】
 やはり、男よりも女の子に化けた狐をどう演じられるかでしょう。なるべくなら愛嬌良く演じて欲しいです。それと最後の子狐も可愛く演じて欲しいですね。

『能書』
王子稲荷は関東の稲荷社の総元締で、格式があります。
「紋三郎稲荷」の中でも、「行く先は王子稲荷」と言っている様に大晦日には関八州の稲荷神社から狐たちが集まりまり狐火を炊いたと言われています。

『健二のネタ』
噺に出て来る王子の「扇屋」ですが、慶安元年(1648)三代家光公の時代に初代弥左衛門が農業のかたわら
掛け茶屋をしていたのが始まりで、卵焼きが名物の割烹料理屋です。
丸く、ケーキの様な形です。
今では料理屋は止めて卵焼きのみを売っています。確かデパートにも降ろしていたと思います。

この辺一帯は江戸時代、特に八代吉宗公の時に開発された地域で、この時に隅田川の桜や飛鳥山の桜等と一緒に開発されました。
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「火焔太鼓」という噺

a690f138『火焔太鼓』
少し間が空いてしまいまいした。申し訳ありません。で、今日はこの噺。これが秋の噺かというと少し疑問ですが、とりあえず取り上げます。

【原話】
江戸時代から伝わる小さな噺を、明治末期に初代遊三師が少し膨らませて演じていたそうです。
この高座を修行時代に楽屋で聴き覚えた志ん生師が、後に独自のくすぐりを入れるなどして志ん生師の創作といってもよい程に仕立て直し、現在の形としました。

【ストーリー】
女房に叱られてばかりの道具屋の甚兵衛さん。
今日行ってきた市では、時代物の太鼓を買ってきたといって自慢をしている。
ところが、それを聞いてあきれる女房。一見しても分かるような埃だらけで汚い太鼓なんぞ売れる訳がないと、亭主の商売下手についてあれこれ言い始める。
 それに懲りない甚兵衛さんは、少しでも太鼓を綺麗に見せたいからと、小僧に埃をはたかせていると、太鼓の音が鳴り、その音を聞きつけた殿様の命を受けた供の者が店を訪れる。
太鼓を見せるために殿様の屋敷を訪ねる甚兵衛さん。こんな汚い太鼓を買ってくれるはずがないと思っていたら、何と300両で買い上げてくれるという。
その訳を聞いてみると、持参したのは「火焔太鼓」という高価な品物だという。早速、金子を受け取り、家に帰り、早速女房に50両ずつたたきつけて溜飲を下げる。おかみさん、仰天して危うく気絶しそうになる。
 味をしめた甚兵衛さんが、音がするものだから良かった、次は景気よく半鐘を仕入れようとおかみさんに言うと、おかみさんそれを押しとどめ、
「半鐘? いけないよ、おジャンになるから」

【演者】
やはり志ん生師ですが、志ん朝師も良かったですね。十代目文治師や八代目圓蔵師得意にしていました。今でも多くの噺家さんが演じます。

【注目点】
志ん生師は、お正月等に演じる時は「オジャン」では縁起が良くないと、「どんどん儲かる」とサゲていました。

『能書』
この噺のもう一つの眼目はこの夫婦の会話の味ですね。
ここに重点を置いて噺を構成する噺家さんもいます。(先代柳朝師や現権太楼師)
志ん生師の晩年の録音ではやはりここに重点を置いていました。なんだか志ん生師夫婦の会話を思わせる描写もありましたね。
 噺の中で、甚平衛さんが切り餅を五十両ずつ出すのは、武士からお金を受け取ってきたからですね。
商人だとまた、違ってきます。
そんな処も芸の細かさ確かさですね。

『ネタ』
 火焔太鼓とは雅楽で使われる大太鼓の一つで、火焔形の装飾があります。
直径180cm位の大きさなので本来はとても持てるものではありません。
 馬生師は噺で、大八車でお屋敷に運んだがのですが、志ん生師は
「それだから噺が下手なんだ。実際の大きさなんてどうでも良いんだ」
と言ったそうです。実証すると馬生が正しいのですが、噺のおもしろさから言うと、志ん生の解釈なのでしょう。そして落語の世界ではそんな火焔太鼓もあったという事なんですね。
 
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