『馬のす』
今日はこの噺です。枝豆が出て来るので夏の噺でしょう。
【原話】
1775年の「花笑顔」の「馬の尾」が元と思われますが、今の形は1795年の「詞葉の花」の「馬のす」が一番近いと言われています。
ちなみに上方落語では「馬の尾」です
【ストーリー】
釣好きの男、今日も女房に文句を言われながら、今日も釣りに行こうとして、道具の点検です。
オモリよし、浮きよし、ところが肝心のテグスがダメになっています。
どうしようか困っていると、馬方が馬を連れてきて軒先に繋いでいって仕舞います。
「ああ、ダメだよ。おい、そんなところに……あああ、行っちまいやがった」
舌打ちしたが、何の気なしに馬の尻尾を見て、名案が浮かびます。
こいつは使えそうだと引っ張ると、なかなか丈夫そう。
三本、釣糸代わりに頂戴したところへ、友達の勝ちゃんが、馬の尻尾を抜いたと聞くと、
いやに深刻な顔をして「おまえ、えれえことをした。馬の尻尾を抜いたらどういうことになるか知らないな」
と思わせぶりに言います。
不安になって、教えてくれと頼んでも「オレだってタダ習ったんじゃねえんだから、
親しき中にも何とやらで、酒でも一杯ご馳走してくれれば教えてやる」と条件をつけられます。
酒はないと言っても、今朝かみさんがよそからもらった極上の一升瓶をぶらさげているのを見られているのです。
知りたさと不安はつのるばかりなので、しかたなく承知して、
勝ちゃんに枝豆付きでごちそうします。
なんだかんだとイ言いながら酒を飲み始めます。
酒はのみ放題枝豆は食い放題。
じれた相棒がせっついても、話をそらして一向に教えようとしません。
そればかりか、オレも同じように馬の尻尾の毛を抜いてると、年配の人に、これこれこういう祟りがあると聞いて、恐ろしさに震え上がっただの、気を持たせるだけ持たせ、ついに酒も枝豆もきれいに空けて仕舞いました。
「ごちそうさん。さあ、馬の尻尾のわけ、教えてやろう」
「どうなるんだい」
「馬の尻尾……抜くとね」
「うん」
「馬が」
「馬がどうするんだい」
「痛がるんだよ」
【演者】
この噺は三代目円馬師の直伝で、八代目文楽師が得意にしていました。
でも、大ネタの十八番と違って、夏場の、客が「セコ」なときなどに、短く一席やってお茶をにごす、いわゆる「逃げの噺」と言えるかもしれませんが、枝豆を食べる仕草は一級品です。円生師の「四宿の屁」などもこれに当てはまりますね。
大看板は必ずこうした「逃げ噺」を持ってたそうで、志ん生師は「義眼」だったそうです。
文楽師も、ある夏はトリ以外は毎日「馬のす」で通したこともあったといいます。
【注目点】
どこがどうということもない、他愛ないといえば他愛ない噺なのですが、なんだかあっけなくもあり、この後実は何かあるのでは? と思って仕舞います。
この噺、もともとは上方の噺ですが、小品といえども、後半の枝豆を食べる仕種に、伝説的な「明烏」の甘納豆を食べる場面同様、文楽師の巧緻な芸が発揮されていました。
『能書』
短い噺で、本来は小ばなしとしてマクラに振られるに過ぎなかったのを、
三代目円馬師が独立した一席に仕立て、文楽師が磨きをかけたものです。
本当は馬のすは「馬尾毛」と書き、白馬の尻尾だそうです。
この場合は荷馬なので白馬では無いでしょうね。
『ネタ』
実は以外な事に釣りと言うのは江戸時代までは、武芸と同じ様に武士のたしなみで、娯楽では無かったのです。
ですから、「野ざらし」は明治の噺となっています。
今日はこの噺です。枝豆が出て来るので夏の噺でしょう。
【原話】
1775年の「花笑顔」の「馬の尾」が元と思われますが、今の形は1795年の「詞葉の花」の「馬のす」が一番近いと言われています。
ちなみに上方落語では「馬の尾」です
【ストーリー】
釣好きの男、今日も女房に文句を言われながら、今日も釣りに行こうとして、道具の点検です。
オモリよし、浮きよし、ところが肝心のテグスがダメになっています。
どうしようか困っていると、馬方が馬を連れてきて軒先に繋いでいって仕舞います。
「ああ、ダメだよ。おい、そんなところに……あああ、行っちまいやがった」
舌打ちしたが、何の気なしに馬の尻尾を見て、名案が浮かびます。
こいつは使えそうだと引っ張ると、なかなか丈夫そう。
三本、釣糸代わりに頂戴したところへ、友達の勝ちゃんが、馬の尻尾を抜いたと聞くと、
いやに深刻な顔をして「おまえ、えれえことをした。馬の尻尾を抜いたらどういうことになるか知らないな」
と思わせぶりに言います。
不安になって、教えてくれと頼んでも「オレだってタダ習ったんじゃねえんだから、
親しき中にも何とやらで、酒でも一杯ご馳走してくれれば教えてやる」と条件をつけられます。
酒はないと言っても、今朝かみさんがよそからもらった極上の一升瓶をぶらさげているのを見られているのです。
知りたさと不安はつのるばかりなので、しかたなく承知して、
勝ちゃんに枝豆付きでごちそうします。
なんだかんだとイ言いながら酒を飲み始めます。
酒はのみ放題枝豆は食い放題。
じれた相棒がせっついても、話をそらして一向に教えようとしません。
そればかりか、オレも同じように馬の尻尾の毛を抜いてると、年配の人に、これこれこういう祟りがあると聞いて、恐ろしさに震え上がっただの、気を持たせるだけ持たせ、ついに酒も枝豆もきれいに空けて仕舞いました。
「ごちそうさん。さあ、馬の尻尾のわけ、教えてやろう」
「どうなるんだい」
「馬の尻尾……抜くとね」
「うん」
「馬が」
「馬がどうするんだい」
「痛がるんだよ」
【演者】
この噺は三代目円馬師の直伝で、八代目文楽師が得意にしていました。
でも、大ネタの十八番と違って、夏場の、客が「セコ」なときなどに、短く一席やってお茶をにごす、いわゆる「逃げの噺」と言えるかもしれませんが、枝豆を食べる仕草は一級品です。円生師の「四宿の屁」などもこれに当てはまりますね。
大看板は必ずこうした「逃げ噺」を持ってたそうで、志ん生師は「義眼」だったそうです。
文楽師も、ある夏はトリ以外は毎日「馬のす」で通したこともあったといいます。
【注目点】
どこがどうということもない、他愛ないといえば他愛ない噺なのですが、なんだかあっけなくもあり、この後実は何かあるのでは? と思って仕舞います。
この噺、もともとは上方の噺ですが、小品といえども、後半の枝豆を食べる仕種に、伝説的な「明烏」の甘納豆を食べる場面同様、文楽師の巧緻な芸が発揮されていました。
『能書』
短い噺で、本来は小ばなしとしてマクラに振られるに過ぎなかったのを、
三代目円馬師が独立した一席に仕立て、文楽師が磨きをかけたものです。
本当は馬のすは「馬尾毛」と書き、白馬の尻尾だそうです。
この場合は荷馬なので白馬では無いでしょうね。
『ネタ』
実は以外な事に釣りと言うのは江戸時代までは、武芸と同じ様に武士のたしなみで、娯楽では無かったのです。
ですから、「野ざらし」は明治の噺となっています。