らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2018年07月

4e1c12c8『馬のす』
今日はこの噺です。枝豆が出て来るので夏の噺でしょう。

【原話】
1775年の「花笑顔」の「馬の尾」が元と思われますが、今の形は1795年の「詞葉の花」の「馬のす」が一番近いと言われています。
ちなみに上方落語では「馬の尾」です

【ストーリー】
釣好きの男、今日も女房に文句を言われながら、今日も釣りに行こうとして、道具の点検です。
オモリよし、浮きよし、ところが肝心のテグスがダメになっています。
どうしようか困っていると、馬方が馬を連れてきて軒先に繋いでいって仕舞います。
「ああ、ダメだよ。おい、そんなところに……あああ、行っちまいやがった」
舌打ちしたが、何の気なしに馬の尻尾を見て、名案が浮かびます。
 こいつは使えそうだと引っ張ると、なかなか丈夫そう。
三本、釣糸代わりに頂戴したところへ、友達の勝ちゃんが、馬の尻尾を抜いたと聞くと、
いやに深刻な顔をして「おまえ、えれえことをした。馬の尻尾を抜いたらどういうことになるか知らないな」
と思わせぶりに言います。
 不安になって、教えてくれと頼んでも「オレだってタダ習ったんじゃねえんだから、
親しき中にも何とやらで、酒でも一杯ご馳走してくれれば教えてやる」と条件をつけられます。
酒はないと言っても、今朝かみさんがよそからもらった極上の一升瓶をぶらさげているのを見られているのです。
知りたさと不安はつのるばかりなので、しかたなく承知して、
勝ちゃんに枝豆付きでごちそうします。
なんだかんだとイ言いながら酒を飲み始めます。
酒はのみ放題枝豆は食い放題。
じれた相棒がせっついても、話をそらして一向に教えようとしません。
 そればかりか、オレも同じように馬の尻尾の毛を抜いてると、年配の人に、これこれこういう祟りがあると聞いて、恐ろしさに震え上がっただの、気を持たせるだけ持たせ、ついに酒も枝豆もきれいに空けて仕舞いました。
「ごちそうさん。さあ、馬の尻尾のわけ、教えてやろう」
「どうなるんだい」
「馬の尻尾……抜くとね」
「うん」
「馬が」
「馬がどうするんだい」
「痛がるんだよ」

【演者】
この噺は三代目円馬師の直伝で、八代目文楽師が得意にしていました。
でも、大ネタの十八番と違って、夏場の、客が「セコ」なときなどに、短く一席やってお茶をにごす、いわゆる「逃げの噺」と言えるかもしれませんが、枝豆を食べる仕草は一級品です。円生師の「四宿の屁」などもこれに当てはまりますね。
大看板は必ずこうした「逃げ噺」を持ってたそうで、志ん生師は「義眼」だったそうです。
文楽師も、ある夏はトリ以外は毎日「馬のす」で通したこともあったといいます。

【注目点】
どこがどうということもない、他愛ないといえば他愛ない噺なのですが、なんだかあっけなくもあり、この後実は何かあるのでは? と思って仕舞います。
この噺、もともとは上方の噺ですが、小品といえども、後半の枝豆を食べる仕種に、伝説的な「明烏」の甘納豆を食べる場面同様、文楽師の巧緻な芸が発揮されていました。

『能書』
短い噺で、本来は小ばなしとしてマクラに振られるに過ぎなかったのを、
三代目円馬師が独立した一席に仕立て、文楽師が磨きをかけたものです。
本当は馬のすは「馬尾毛」と書き、白馬の尻尾だそうです。
この場合は荷馬なので白馬では無いでしょうね。

『ネタ』
実は以外な事に釣りと言うのは江戸時代までは、武芸と同じ様に武士のたしなみで、娯楽では無かったのです。
ですから、「野ざらし」は明治の噺となっています。

45467ee4『藁人形』
今日はこの噺です。暑いのでね、涼しくなる噺をやりましょう。

【原話】
1773年の「挫楽産」の「神木」だそうです。

【ストーリー】
舞台は四宿の一つ千住です。
 乞食坊主の西念に女郎のお熊が身の上話をします。
「実家は糠問屋で大事に育てられたが、実家は燃えて両親は死んだ。
今、身受話があり、絵草紙屋を買うつもりだ。
あんたの死に水を取ってやるから父親代わりに一緒に暮らさないかい」と言います。
「ありがたい」と西念は喜ぶ。
 その後、訪れる度に小遣いを貰います。
ある日、「旦那が旅から戻ってくるまで、誰か四十両貸してくれないかねぇ」
絵草紙屋を他に売られると聞き、貯めた銭を西念が出した。
後日、西念が風邪薬を買いたいと頼みに行くと、騙されたと知って怒るが、
逆に叩き出されて顔に大怪我をします。
 家に引きこもった西念を甥の甚助が訪ねると、
「鍋を開けるんじゃねぇぞ」と言われたが、鍋の中には藁人形が油で煮られています。
「騙した女を呪い殺そうと七日間飲まず食わずの願をかけたが、お前に見られちゃもう駄目だ」
「呪の藁人形なら五寸釘を打つもんだろう」
「釘が利かねえ、糠屋の娘だ」


【演者】
八代目正蔵師や五代目古今亭志ん生師が有名ですね。今輔師もよく演じました。
今輔師の演出は凄いですよ、完全に怪談噺として演じています。
この噺は怖く無い筋なのに、怖く聴かせるのがチョイト大変ではなかろうかと・・・
個人的には人情噺風の演出の志ん生師がいいですね。

【注目点】
「黄金餅」で有名な西念さんが登場します。
って違う西念さんですね。
元鳶で、纏持ちだったそうです。
願人坊主と火消しの纏持ちじゃ天と地ほど違いますね。

『能書』
江戸時代に主に女子が嫉妬して人を呪うあまり神社等に丑三つ時に参拝して藁人形の急所に五寸釘を打ち込む「丑の刻参り」という風習が出来たそうです。

『ネタ』
個人的にですがこの噺の作者は「糠に釘」というオチが言いたいばかりに
これだけの噺を考えたと感じますねえ。
作者は完全に江戸っ子だと思います

ps_aasa0004_0001_01『南瓜屋』
今日はこの噺です。

【原話】
ご存じ与太郎噺で、大阪の「みかん屋」を、四代目柳家小さん師が大正初年に東京に移植しました。
小さん師も当初は「みかん屋」でしたが、第一次落語研究会で、売り物を唐茄子に変えました。
「みかん屋」で与太郎が「今年のみかんは唐茄子のように大きい」と言うくすぐりがあり、また当時の大看板・初代三遊亭円右師が人情噺の「唐茄子屋政談」を得意にしていたこともあり、洒落で変えてみたそうです。
「みかん屋」の元は1776年の「軽口駒さらゑ」からだそうです。

【ストーリー】
 与太郎が二十歳を過ぎてもブラブラしているのはいけないと、叔父さんが商売物の天秤を貸し、南瓜を与えて売って来いと言います。
「大きいのが十三銭、小さいのが十二銭、これは元だ、売る時には上を見ろ」
「分かった上を見る」と出掛けて行きます。
袋小路で、天秤が引っ掛かって回れなくなった時に
「天秤を外して体だけ回せ」 
と注意してくれた人が出てきます。そのおかげで回れるのですが、
その人の世話で上を見ている間に全部売れたのですが、元値で売って仕舞います。 
帰ってから叔父さんに「馬鹿野郎、上を見ろとは、掛け値をしろってことだ。
掛け値ができねぇで女房子を養えねぇだろう、もう一度行って来い」
で、さっきの路地に戻ると先程の男が居ます。
「唐茄子ばっかり食っちゃいられねえ。まあ安いから、八銭のをまた三つ」
 と頼むと与太郎
「今度は十銭」
「はあ?」
掛け値の意味を教わったと聞き、
「ぼんやりだな。お前、いくつだ?」
「六十だ」
「見たとこ二十歳ぐれえだな」
「二十は元値で、四十は掛け値だ」

【演者】
やはり柳家の噺ですね。小さん一門を始め広く演じられています。

【注目点】
この噺の最大のくすぐりは「ライスカレーはシャジで食う」でしょうね。
「みかん屋」もこの噺も売ってるものが違うだけで全く同じです。
『能書』
唐茄子は当初のかぼちゃを小型化して、甘味を強くした改良品で、明和年間の頃からから出回りました。(1764〜72)
実は隠語で「かぼちや野郎」言う意味には
「安っぽい間抜け野郎」という意味があったそうです。だから与太郎がかぼちゃを売るのは洒落でもあった訳です。

『ネタ』
かぼちゃはカンボジアから来たかだとの説もありますが、どうなんでしょうね?
調べた所これは勘違いから来てるそうです。
当時のポルトガル船で運ばれて来たのですが、その船の中継地がカンボジアだったそうで
「どこから来た?」
「カンボジアから」
となったとか。これもどれほど正しいのかは判りません。

8044bfee『鰻の幇間』
明日が土用丑の日なので鰻の噺を出そうと思ったのですが「素人鰻」は昨年も出しているので久しぶりにこの噺を取り上げます

【原話】
明治の中期に実際にあった話を落語化したそうです

【ストーリー】
炎天下の街を幇間の一八があちらこちらと得意先を回って、なんとかいい客を取り込もうとするのですが、何しろ夏は辛い季節。金のありそうな上客は、避暑だ湯治だと、東京を後にしてしまっていて捕まりません。
今日も一日歩いて、一人も客が捕まりません。このままだと幇間の日干しが出来上がるから、こうなったら手当たり次第と覚悟を決め、向こうをヒョイと見ると、見覚えのある旦那。でもその浴衣姿の旦那が誰だか思い出せなません。せめて昼飯でも御馳走になろうと企んで、よいしょを始めます。
 旦那が言うには、湯屋に行く途中だから長居はできないので近くの鰻屋に行こう。自慢の下駄を脱いで二階に上がり、香香で一杯始め、鰻が出てきた。旦那がはばかりに立ったので、お供しようとすると、いちいち付いて回るのが鬱陶しい、はばかりくらい一人で行けると言うので、部屋で待つことにした。
 いつまで経っても旦那が戻らないので迎えに立つと、便所をのぞくとモヌケのから。
偉い! 粋なもんだ、勘定済ましてスーッと帰っちまうとは。と思いますが、仲居が「勘定お願いします」と来ます。仲居が言うには
「お連れさんが、先に帰るが、二階で羽織着た人が旦那だから、あの人にもらってくれと」
「じょ、冗談じゃねえ。どうもセンから目つきがおかしいと思った。家の事訊くと。とセンのとこ、センのとこってやがって……なんて野郎だ」
その上、勘定書が九円八十銭。「だんな」が六人前土産を持ってったそう。
一八、泣きの涙で、女中に八つ当たりしながら、
なけなしの十円札とオサラバし、帰ろうとするとゲタがない。
「あ、あれもお連れさんが履いてらっしゃいました」

【演者】
これは黒門町の十八番でした。それ以前には初代小せん師が得意にしていたそうです。
六代目圓生師はこの噺を「圓生百席」に入れました。それほど得意ではなかったこの噺を入れた理由は、「文楽師のは一八が何処に行ってもアテが外れてしまって目論見が狂って次第に焦って行く過程が省かれていた。一八だってベテランの幇間だからそう簡単にはあんなに簡単に騙されはしない」と語っていました。「その心理面が描かれていないと最後の一八の悔しさが薄れてしまう」という事でした。この意見に私も賛成です。

【注目点】
やはり羊羹を二棹抱えて炎天下を歩く一八と、騙されてから仲居に色々な能書きを言うシーンでしょうね。特に文楽師の「この紅生姜……」のくだりが好きです。

『能書』
因みにこの男は落語国三大悪人の一人だそうです。
後の二人は、「付き馬」の男、「突き落とし」の連中だそうです。(異説もあり、付き馬、突き落とし、居残り)

『ネタ』
時間の関係か、向こうからくる風呂へ行く、浴衣姿の男を取り巻くところから入る落語家さんが多いようです。個人的にですが、それではこの噺を初めて聴く人はこの噺の面白さを半分も理解出来ないでしょうね。

6402bdf0『反魂香』
東京はお盆も終わりですが、地方ではこれからなのでこの噺を取り上げます。

【原話】
享保18年(1733年)に出版された笑話本『軽口蓬莱山』の一遍である「思いの他の反魂香」で、
元は「高尾」という上方落語です。「反魂香」は江戸落語の演題です。

【ストーリー】
 夜中にカネを叩いて回向をしている長屋の坊主の所に、八五郎が夜、便所にも行けないと言いに来ました。 
坊主は名を道哲と言い元・島田重三郎と言う浪人でした。
吉原の三浦屋の高尾大夫と末は夫婦にとお互い惚れあっていたのですが、伊達公が横から見初めて大金を積んで身請けしてしまいました。
だが、高尾は重三郎に操を立てて決して生きてはいないと言い、時取り交わした魂を返す”反魂香”で、回向をしてと言い残し亡くなります。
それ以来、これを焚くと高尾が出てくると言うのです。

見せてくれと八五郎が言うので、火鉢のなかに香をくべると高尾の幽霊が出てきて、
「香の切れ目がえにしの切れ目、無駄に使うな」と言い消えます。
八五郎は亡くなった女房のために、この香を分けてくれと言うが、私と高尾だけのための物だから、貴方には役に立たないからと断られます。
 
それなら、自分で買うと、生薬屋を起こしてみたが、名前を忘れたので、いろいろ吟味して、見つけたのは越中富山の反魂丹。
これだとばかり三百買って帰ってきました。
家の火を熾し直し反魂丹をくべながら女房”お梅”のことをあれこれ考えていたのですが、中々出てこないので、足して全部をくべたが出ません。
あまりの煙でむせていると、表から「ちょっと、八つぁん」という声。
煙の中からではなく、堂々と表から来たのかと思いきや、
「そちゃ、女房お梅じゃないか」、「いえ、裏のおさきだけれども、さっきからきな臭いのはお前の所じゃないの」

【演者】
やはり八代目可楽師ですね。弟子の夢楽師も夏になると良く演じていました。
寄席でも鳴り物が入っていました。

【注目点】
反魂香は、焚くとその煙の中に死んだ者の姿が現れるという伝説上の香で、もとは中国の故事にあるもので、中唐の詩人・白居易の『李夫人詩』によれば、前漢の武帝が李夫人を亡くした後に道士に霊薬を整えさせ、玉の釜で煎じて練り、金の炉で焚き上げたところ、煙の中に夫人の姿が見えたという言い伝えのよるものです。

日本では江戸時代に入り、『好色敗毒散』『雨月物語』等で取り上げられました。その節には平安時代の陰陽師・安倍晴明から伝わるものという設定になっています。

『能書』
反魂丹は越中富山の当時有名な薬で霍乱(かくらん=暑気あたり)・傷・食傷・腹痛などに効くといわれています。
主人公道哲は、因州鳥取の浪人島田重三郎と言いある晩友人に誘われて吉原に始めて足を踏み入れたが、そこで出会った高尾にぞっこん惚れて、高尾も重三郎に惚れて、二人は末は夫婦にと誓い合いましたが、伊達公に横取りされてその上、殺されてしまいます。その回向をする為、出家して名を道哲と改め、吉原遊女の投げ込み寺西方寺に住みついて、高尾の菩提を弔らっていたら、それが噂になり、吉原通いの遊客からは土手の道哲と呼ばれる様になったそうです。

『ネタ』
噺に出てくる高尾太夫は俗に「仙台高尾」と呼ばれる大夫です。
この仙台候と高尾太夫の噺は三代目金馬師が「仙台高尾」として演じています。

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