はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2018年01月

「厄払い」という噺

b9c2969c『厄払い』
節分が過ぎると暦の上では春になります。早く暖かかくなって欲しいですね。

【原話】
この噺は黒門町の十八番で有名ですね。
原話は不詳で、文化年間(1804〜18)から口演されてきました。
東西ともに演じられますが、上方の方はどちらかというとごく軽い扱いで、厄払いのセリフを地口オチで演じる噺ですね。


【ストーリー】
与太郎が二十歳になってもぶらぶらしているので、叔父さんが厄払いの口上を教えます。
自分で稼いだ銭で、おっかさんに小遣いでもやってみろ、泣いて喜ぶからと、早速厄払いに出掛けさましたが、
「えー、厄払い」と口ごもっているところへ、「御厄払いましょう、厄落とし」と本職が出てきました。

本職に邪魔だと怒られて路地に入ったら、面白そうな厄払いだと呼び止められました。
 厄払いの前に銭を催促して、豆をもらっていよい口上を始めたのですが、
「あぁら、目出度いな目出度いな」と始めたのは良いが、後が分からなくなったので、叔父さんが書いてくれた紙を懐から出して読み始めます・・・
「……鶴は十年」「鶴は千年だろう」
「あそうか点が付いてるから千年だ」
「亀は……読めねえ、おや裏の店と同じ字だ、裏の店は何ていうんだい」「よろずやだ」
「鶴は千年、亀はよろず年」

ここまで読むと、与太郎、めんどうくさくなって逃げ出してしまいます。
「おい、表が静かになった。開けてみな」
「へい。あっ、だんな、厄払いが逃げていきます」
「逃げていく? そういや、いま逃亡(=東方)と言ってた」

【演者】
これはもう黒門町にとどめを刺すでしょう。現役では小三治師ですかね。

【注目点】
節分は本来は各季節の始まりでして、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを指します。江戸時代以降では、立春(2月4日)の前日である2月3日を節分とする場合がほとんどで、旧暦では、立春が一年の始まり(元旦)だったとされています。つまり、2月3日の節分は、今で言うところの「大晦日(おおみそか)」にあたるわけです。節分の日には、神社やお寺で「節分絵」「節分祭」や「厄除け祈願祭」などが行なわれますが、これは、旧暦の大晦日にあたる2月3日に一年の厄を祓って新しい一年を迎えましょうという古くからの風習が今に残ったものです。

『能書』
厄払いはもうかなり行われなくなりましたが、その昔は、祝儀等は江戸では十二文、明治では一銭から二銭をおひねりで与え、節分には、それに主人の年の数に一つ加えた煎り豆を、他の節季には餅を添えてやるならわしでした。
今では、「ひとがた」の紙に名前と年を書いて神社に奉納して厄払いをしてもらう処もあります。

『健二のネタ』
古くは節分だけの営業でしたが、文化元(1804)年以後は正月六日と十四日、旧暦十一月の冬至、大晦日と、年に
計五回、夜に廻ってくるようになりました。この噺では、前に述べた通り大晦日の設定ですが今の大晦日ではありません。

寒いので今夜は葱鮪にしようか?

0d0d9374『ねぎまの殿様』
東京では久しぶりに雪が積もりまして大変でした。そうしたら今冬一番の寒波だそうです。
そこで今日はこの噺です。寒い冬ならではの噺だと思います。

【原話】
明治時代に、先々代立川談志師の作を今輔師が直した噺です。ある意味新作落語なのかもしれませんが、同じ時期に出来た圓朝師のは噺が古典扱いされてるので、こちらも古典でいいのかもしれません。
「目黒のさんま」と同じたぐいの噺ですが、こちらはそれほど高座には掛けられません。
最近は志ん輔師を初め色々な噺家さんが演じる様です。

【ストーリー】
あるお殿様、三太夫を連れて向島の雪見にお忍びで出掛けました。
本郷三丁目から筑波おろしの北風の中、馬に乗って湯島切り通しを下って上野広小路に出てきますと、ここにはバラック建ての煮売り屋が軒を連ねています。
冬の寒い最中でどの店も、”はま鍋”、”ねぎま”、”深川鍋”などの小鍋仕立ての料理がいい匂いを発していますので、殿様 その匂いにつられて、下々の料理屋だからと止めるのも聞かず、一軒の煮売り屋に入って仕舞います。
醤油樽を床几(しょうぎ)がわりに座ったが、何を注文して良いのか分かりません。
小僧の早口が殿様にはチンプンカンプンで、隣の客が食べているものを見て聞くと”ねぎま”だと言うが、殿様には「にゃ〜」としか聞こえません。
さて、ねぎまが運ばれ見てみると、マグロ は骨や血合いが混ざってぶつ切りで、ネギも青いところも入った小鍋でした。
三色で三毛猫の様に殿様には見えたのですが、食べるとネギの芯が鉄砲のように口の中で飛んだので驚き。
酒を注文すると、並は36文、ダリは40文で、ダリは灘の生一本だからというので、ダリを頼みます。
結局向島には行かず、2本呑んで気持ちよく屋敷に戻ってしまった。
 その様な食べ物を食べたと分かると問題になるので、ご内聞にと言う事になったが、この味が忘れられぬ有様です。

 昼の料理の一品だけは殿様の食べたいものを所望できたので、役目の留太夫が聞きに行くと「にゃ〜」だと言います。
聞き返す事も出来ず悩んでいると、三太夫に「ねぎまの事である」と教えられます。
料理番も驚いたが気を遣って、マグロは賽の目に切って蒸かして脂ぬきし、ネギは茹でてしまった。
それで作った”ねぎま”だから美味い訳はないのです。
「灰色のこれは『にゃ〜』ではない」の一言で、ブツのマグロとネギの青いところと白いところの入った 本格的な三毛(ミケ)の”ねぎま”が出来てきた。満足ついでにダリを所望。
三太夫に聞いて燗を持参。大変ご満足の殿様、
「留太夫、座っていては面白くない。醤油樽をもて」。

【演者】
先代古今亭今輔師の十八番でしたが、今は一門を初め色々な噺家さんが演じます。
芸協では春雨や雷蔵師が有名ですね。
【注目点】
江戸時代の中頃まではマグロは江戸っ子はあまり食べなかった様です。
鮨が発明されて、ヅケが流行ると赤身は好んで食べられる様になりましたが、トロは捨てていました。つい戦前まではそうだった様です。
そこで、このトロや筋の多い部分をぶつ切りにしてネギの青味とで小鍋仕立てにしたのが「ねぎま鍋」です。やや醤油を効かせた味は東京ならではの味ですね。

『能書』
やはり熱々のねぎま鍋を食べる仕草でしょうね。目の前にそんな光景が浮かんで来たら成功だと思います。

『ネタ』
小鍋仕立てとは、小さな鍋に二種類くらいの材料を入れてさっと煮て食べる料理の形態で、粋な食べ物ですね。
小鍋の向こう側に美人でもいれば、なお美味しく戴けますね。(^^)

「初天神」という噺

maxresdefaultえ〜日本各地で雪が凄いので「鰍沢」にしようかと思ったのですが、やはりこの噺にしました。
『初天神』
今回は「初天神」です。本当はその年の最初の天神様の縁日の1月25日の噺なのですが、今では一年中寄席で聴くことが出来ますが今月はかなり多く掛かると思います。そんな点も注意して下さい。

【原話】
元々は上方落語の演目の一つで、毎年1月25日に天満宮で行なわれる年の初めの祭りに出かけた、父親と息子の絆を描いています。松富久亭松竹師の作と伝わっており、三代目圓馬師が大正期に上方落語の作品を東京落語に移植しました。
また、上方落語でもこの演目は演じられ続けています。

【ストーリー】
良く晴れた1月25日の天神様の縁日の日、親父が天神様に参拝に出掛けようとしています。
すると女房は息子も連れていってくれと頼むのですが、親父は息子が物を買ってくれとうるさくせがむのが分かっており、乗り気ではなかったのですが、運悪く外から息子が帰って来ます。
どうしても付いていきたいと懇願する息子をつっぱねると、ヘソを曲げた息子は隣の親父のうちへ出かけて行く。『面白い話聞きたくな〜い?あのね、昨日の夜の、うちのおとっつぁんとおっかさんの、おはなし』そんな事を外で話されては堪らないと、大慌てで息子を連れ戻した男は、渋々息子を初天神に連れていくのでした。(今では東京ではこの部分はあまり演じられません)

天神様への道を歩きながら、父は息子に買い物をねだるなと念を押す。しかし息子は「ね、おとっつぁん、今日はおいらあれ買ってくれーこれ買ってくれーっておねだりしないでいい子でしょ」「ああ、いい子だよ」「ねっ。いい子でしょ。ごほうびに何か買っておくれよ!」これではいつもと同じである。様々な果物を買えと催促するが、父は「体に毒だから」と無理な理屈で拒否する。
しかし、息子が余りに煩いので口塞ぎの為に、止むを得ず飴玉を買い与える。
店先で売り物の飴を散々ねぶり回して吟味する父に飴屋の親父もあきれ顔。
飴を与えられて御機嫌の息子は、飴を舐めながら歌を歌う。
同じように今度は団子屋の前で団子を買ってくれとせがむ息子に根負けして買って与えると「蜜」が良いと言うので仕方なく与えると親父は蜜を皆舐めてから息子に渡します。嫌がる息子を見て親父は団子屋に蜜の壺を開けさせ、その中に団子を突っ込むのでした。

二人は天満宮の参拝を終えた帰り道。今度は凧を買ってくれるよう催促します。
「あの一番大きいのがいい」「馬鹿だな、ありゃあ店の看板だい」「売り物ですよ。
坊ちゃん、買ってくんなきゃあすこの水溜りに飛び込んで着物汚しちまうってお言いなさい」「変な入れ知恵すんねえ!」しぶしぶ凧を出店で買い与え、天満宮の隣に有る空き地に息子を連れて行く。

凧揚げに関しては子供時代腕に覚えがあったと息子に自慢しつつ、父はまず自分がと凧を揚げる。そのうちすっかり夢中になってしまい、凧を揚げさせてくれと脇から催促する息子を「うるせえっ!こんなもなァ、子供がするもんじゃねえんだい!」と一喝して凧を渡そうとしない。無邪気に遊ぶ父の姿を見て呆れた息子は
「こんな事なら親父なんか連れてくるんじゃなかった」

【演者】
東京では小三治師を始め多くの噺家さんが得意としています。

【注目点】
東京では息子は金坊か亀ちゃんと相場が決まっています。
上方では、大阪天満宮、通称「天満の天神さん」で東京では普通は「亀戸天神」です。
たまに、湯島天神で演じる噺家さんもいます。
親子が天神さんに行く道の描写がわずかに違います。
道すがらに亀の描写があると「亀戸」です。
お聴きになるときは、そんな処も注意して聴いてください。

『能書』
本当はこの親子は中が良く、息子は父親が好きで、父親も息子を何だかんだ言っても可愛いのです。そんな感じが出れば、良いと思います。
偶に、金坊がやたら理屈っぽくて父親を凹ます事が嬉しい様な描写をしている噺家がいますが、
何も分かってないと思いますね。

『ネタ』
上方版では最初にみかんを買う場面が出て来ます。六代目松鶴師も演じていましたが、ここも聴き所です。東京版ではカットされています。団子のシーンなど東西で多少違いがあります。

「藪入り」という噺

b536272eえ〜正月沿早々、メインのPCが逝ってしまいまして、サブのノートを何とかメイン代わりに使えるように環境を構築してこの記事を書いております。(非力なので使い難いです)
でも、そろそろ時候の記事を上げないとならないと思い、今回は「藪入り」にしました。
(16日までは更新しないと暗に言ってるみたいですが(笑)
 時間があれば更新します。宜しくお願い致します!

『藪入り』
藪入りとは一月の十六日と七月の十六日に奉公人が休みを貰えて実家等に帰れる日の事で、古くは宿入りといい、商家の奉公人の特別休暇のことです。
奉公人だけはなく、お嫁さんも小遣いやおみやげを貰えて実家に帰れました。
最も近頃は近所に住んで、毎日帰ってる方が多い様ですが……。

【原話】
元々は「お釜様」と言うバレ噺だったのを、初代小せん師がバレの部分を取り、「鼠の懸賞」と言う題に替えました。それを三代目金馬師が練り直し人情味を加えて「藪入り」と言う噺に仕上げました。
演者には、金馬師を始め今輔師、五代目圓楽師、や小三治師等多くいます。

【ストーリー】
明日息子が藪入りで初めて帰ってくるというので、熊さんは気もそぞろ。鰻を食わせてやろう、御大師様へ連れて行こうと一睡もしないで帰りを待っていると入り口に人の気配。「めっきりお寒くなりまして……。お父ッつぁん、おッ嬶さんにもお変わりなく」という挨拶をしたのは、まだ子供だと思っていた亀坊。さっぱりして来なと風呂に行かせて荷を片付けると紙入れから十五円という大金が出てきます。
心配性のかみさんが、子供に十五円は大金で、そんな額をだんながくれるわけがないから、
ことによると魔がさして、お店の金でも……
と言いだしたので、気短で単純な熊は、帰ってきた亀を、いきなりポカポカ。
かみさんがなだめでわけを聞くと、このごろペストがはやるので、
鼠を獲って交番に持っていくと一匹十五円の懸賞に当たったものだと、わかる。

だんなが、子供が大金を持っているとよくないと預かり、今朝渡してくれたのだ、という。
へえ、うまくやりゃあがったな。この後ともにご主人を大切にしなよ。
これもやっぱりチュウ(=忠)のおかげだ」

【演者】
今では本当に多くの演者が高座に掛けますが、やはり三代目金馬師がいいですね〜 笑わせて最後はしっかりと泣かせてくれます。
先代圓楽師もやりましたし、最近は小三治師も演じますね。
【注目点】
やはり前半の熊さんの子供の亀ちゃんを思う親心ですが、これがやり過ぎで笑いを誘います。
一転して後半の人情噺の部分ではしっかりと泣かせてくれます。この泣き笑いのメリハリが大事だと思います。

『能書』
今では奉公等したこと無い方ばかりですが、それでも別れて暮らす親子の情愛は伝わると思います。
兎に角、前半の熊さんの妄想のおかしさと、後半のやり取りといい、味わい深い噺だと思います。

『ネタ』
その昔は奉公に出ると三年〜五年は家に帰して貰えませんでした。ですから、家に帰る事が許されて新品の着物一式や真新しい草履を履けて家に帰れる前の晩は、嬉しくて眠られ無かったそうです。
そんな時代のお噺ですが、子を思う親の気持ちは何時の時代でも同じだと思います。

お正月に演じられる噺「かつぎや」

218427113『かつぎや 』
皆様、あけましておめでとうございます! 本年も相変わりませずよろしくお願いいたします。
 最初はおめでたいこの噺です。

【原話】
原典は、寛永5(1628)年刊の安楽庵策伝著「醒睡笑」巻一の、「祝ひ過ぎるも異なもの」と題した一連の小咄とみられます。
古くは、円朝師の速記もあります。明治22年の二代目柳家小さん師の速記では「かつぎや五平」と題していますが、これは、「御幣かつぎ(=縁起かつぎ)」のシャレでしょう。
上方では「正月丁稚」と言います。

【ストーリー】
呉服屋の五兵衛旦那は、大変な縁起かつぎ。正月元旦ともなると、縁起かつぎもすさまじいのです。
 下働きの清蔵を呼ぶと「まずは井戸神様にダイダイを入れて和歌を供えて若水を汲んでおくれ」と言いつけ和歌を教えます。
「新玉の 年とちかえる あしたより 若柳水を 汲み初めにけり。
 ところが、こう教えられた清蔵は、「目の玉の でんぐり返る あしたより 末期の水を 汲み初めにけり。 これは、わざっとお人魂。」とやらかします。
 怒った五兵衛旦那は清蔵にクビを言い渡す。清蔵は「ついでだから後九日置いてれ、丁度三十五日になるから・・・」。
 庭に降りて頭を下げる清蔵に、五兵衛旦那が「お前は何をしてるんだ。」と聞くと、「草葉の陰から手を合わせている。」
 早桶屋の白兵衛がやってきました。「正月はそんなにめでたくはないよ、一休さんも『門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』と言っています。
 縁起の悪い事をさんざん言って、歌を唄います「五兵衛さんの家の周りを福の神が取り巻いた」。
 機嫌を直しましたが、これには下の句があるという「これじゃぁ〜、貧乏神が出られない〜」。
 店の者とお雑煮を食べ始めると餅の中から釘が出ました。定どんが
「旦那、縁起がいいです。餅の中からカネが出たので金持ちになります」。
小遣いを増やしてもらう定どんに清蔵は「身代は持ちかねる」と悪態をつきます。

 さて、そうこうするうち、二日の晩、お宝船売りがやって来ました。番頭に声をかけさせ、お宝船売りを呼び込むと、一枚四(し)文、十枚で四十(しじゅう)文というので、縁起でもないといって追い返します。
 次にやってきた宝船売りに番頭が、
「うちの旦那は大変な縁起かつぎだから…。」と言って入れ知恵をする。宝船売りは、店に入るやいなや、「お宝の入り船です」と言う。
 五兵衛旦那は喜んで、全部買うという。「何枚あるんだ」と聞くと、「へい、旦那の年ほどもございます。」
「何枚だ」
「千万枚でございます。」
 五兵衛は、縁起がいいと大喜び、しかも酒をを勧めると
「亀の子のように・・・」。
 酒を注ぐと
「黄金色のよう・・・」
「こんなイイ酒で酔うと宝船に乗っているようだ」
 喜んだ五兵衛旦那、
「いつでも遊びにおいで」、で、「何処に住んでいますか」
「本郷の蓬莱町にいましたが浅草寿町に、そこから下谷の長者町に移りました」
「それ以上引越させないでください」
 その都度ご祝儀をはずんでもらい、反物まで貰いました。
 宝船売りは、ご機嫌になり
「旦那の姿は大黒様、美しいお嬢様は弁天様。七福神がお揃いで、おめでとうございます」と帰りかけた。五兵衛が「それじゃぁ、二福じゃないか。」と言うと、
「いいえ、それでよろしいのです。ご商売が、呉服(五福)でございます。」

【演者】
お正月に寄席に行くとかなりの噺家がこの噺を演じます。特に柳家の噺家さんが多い様な気がします。

【注目点】
兎に角、おめでたい言葉が沢山出て来ます。それだけの噺なのですが、昔から人々がお正月に対してどんな思いを抱いていたのかが判ります。

『能書』
その昔は正月になると、宝船売りが、七福神の乗った船の図に、廻文歌
「長き夜のとをのねぶりの皆目覚め波のりぶねの音のよきかな」を書き添えた刷り物を売り歩きました。
上から読んでも下から読んでも同じですね。
正月二日の夜、これを枕の下に引き、吉夢の初夢を見るようにとのまじないでした。

『ネタ』
江戸には古くから、元旦には箒(ほうき)を持たない(=掃除をしない)慣習がありました。
明和2(1765)年刊のの「川柳評万句合勝句刷」に「箒持つ下女は叱られはじめをし」とあります。
サゲは今は「和服」と言う呼び方が一般的な着物ですが、昔は「呉服」と呼びました。それが判らないとサゲが判らないですね。

追伸……「トークメーカー」と言うサイトで、私が監修をした「お菊の皿」がアイコン入の会話形式の作品で公開されています。宜しかったら一度訪れて読んでみてください。
『トークノベルで読む落語』シリーズ
http://talkmaker.com/works/d7c63126bf66d46be1b4a3aa515a8abb.html

「お菊の皿」

http://talkmaker.com/works/episode/ce2e1fa9e92aef1d6f98e91f26c4dcbc.html
まんぼうと言う名前で監修をしています。
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