『鰍沢』
今日は冬の噺でも大物と言える、三遊亭圓朝師作の「鰍沢」です。
【原話】
圓朝師が「酔狂連」の会合で「卵酒・鉄砲・毒消しの護符」の題で作った三題噺です。
原話は道具入り芝居噺として作られ、その幕切れは、「名も月の輪のお熊とは、食い詰め者と白浪の、深きたくみに当たりしは、のちの話の種子島危ないことで(ドンドンと水音)あったよなあ。まず今晩はこれぎり」
となっています。
【ストーリー】
身延山の参詣の帰りに大雪で道に迷った旅人が、山中の一軒家に宿を頼む。そこにいたのは妙齢の美人でした。
卵酒を勧められて話をするうち、お熊と名乗るその女が吉原の遊女であったことが分かります。
旅人は疲れて横になると、お熊は外に出ていって仕舞います。
そこに帰ってきたのがお熊の亭主、残された卵酒を飲んだのですが、苦しみ出します。
そこへお熊が帰って来て言うには、、旅人に毒入りの酒を飲ませて殺し金を奪い取る算段との事でした。
それを聴き、毒が回った身体で必死に逃げる旅人。
たまたま持ち合わせていた身延山の毒消しの護符を雪とともに飲み込み身体の自由が利くようになりましたが、そこへお熊が胸まである雪の中を鉄砲を持って追いかけて来ます。
吹雪の中、鰍沢の断崖に追い詰められ、もはやもうこれまでと思った時、雪崩が起こり旅人は谷底へ、運よく川につないであった筏に落ち、その反動で綱が切れ、筏は急流を下ります。
材木に掴まりお題目を旅人が唱えていると、お熊の放った鉄砲の弾が襲うが、近くの岩に当たり窮地を脱する。
「この、大難を逃れたも、お祖師さまのご利益。お材木(お題目)で助かった」
【演者】
何と言っても圓朝師の高弟で、名人と呼ばれた四代目橘家圓喬師が得意とし、その高座は伝説となっています。
八代目文楽師に「よると「今でも耳にこびりついているから、演れったてとても出来はしませんよ。特に急流のところでは本当に激 しい水の流れが見え、筏が一本になってしまうのも見えた。」
五代目志ん生師「さっきまで晴れていたのが雨音がする。『困ったな』と思ってたら師匠が鰍沢の急流を演ってた。」
等枚挙にいとまがありません。
わずかにSPで残された圓喬師の音源を聴いても立て板に水な事は分かります。
【注目点】
やはりお熊との雪の中を追いかけっこする下りですかね。お熊の凄まじいばかりの気迫をどう表現するかでしょうね。
『能書』
この噺の最大の矛盾点について書きましょう。
最初に毒を飲んだ旅人が毒消しのお陰とは言え、蘇生したのに、後から飲んだ亭主が亡くなってしまうと言うのは何故なのか?
毒は底にあった方が濃いから重くなるのか?
そこがまいち判りませんね。
それから、胸まである雪の中を、体が満足に利かない旅人と女性でしかも鉄砲を持ったお熊が追いかけっこ出来るのでしょうか?
「まあ、そういう処を突っついてはイケないんだ!」
と、云われればそうなんですが……
『ネタ』
最初の疑問については、実はこの噺には続編がありまして、歌舞伎作者の黙阿弥が、「花火」「後家」「峠茶屋」
と言う題で三題噺を作りました。
正式な題は、「晦(みそか)の月の輪」と言うのだそうです。
筋は、毒から蘇生した亭主が、お熊と信濃・明神峠で追剥を働いているところへ、偶然旅人が通りかかり、
争ううちに夫婦が谷底へ転落するという筋立てですが、明治以後ではあまり、演じられた形跡もなく、
芝居としての台本も無いそうです。
最近では柳家小満ん師が演じてくれていて、CDも出しています。師の熱演には申し訳無いのですが、正直、噺そのものが、それほどではありません。
今日は冬の噺でも大物と言える、三遊亭圓朝師作の「鰍沢」です。
【原話】
圓朝師が「酔狂連」の会合で「卵酒・鉄砲・毒消しの護符」の題で作った三題噺です。
原話は道具入り芝居噺として作られ、その幕切れは、「名も月の輪のお熊とは、食い詰め者と白浪の、深きたくみに当たりしは、のちの話の種子島危ないことで(ドンドンと水音)あったよなあ。まず今晩はこれぎり」
となっています。
【ストーリー】
身延山の参詣の帰りに大雪で道に迷った旅人が、山中の一軒家に宿を頼む。そこにいたのは妙齢の美人でした。
卵酒を勧められて話をするうち、お熊と名乗るその女が吉原の遊女であったことが分かります。
旅人は疲れて横になると、お熊は外に出ていって仕舞います。
そこに帰ってきたのがお熊の亭主、残された卵酒を飲んだのですが、苦しみ出します。
そこへお熊が帰って来て言うには、、旅人に毒入りの酒を飲ませて殺し金を奪い取る算段との事でした。
それを聴き、毒が回った身体で必死に逃げる旅人。
たまたま持ち合わせていた身延山の毒消しの護符を雪とともに飲み込み身体の自由が利くようになりましたが、そこへお熊が胸まである雪の中を鉄砲を持って追いかけて来ます。
吹雪の中、鰍沢の断崖に追い詰められ、もはやもうこれまでと思った時、雪崩が起こり旅人は谷底へ、運よく川につないであった筏に落ち、その反動で綱が切れ、筏は急流を下ります。
材木に掴まりお題目を旅人が唱えていると、お熊の放った鉄砲の弾が襲うが、近くの岩に当たり窮地を脱する。
「この、大難を逃れたも、お祖師さまのご利益。お材木(お題目)で助かった」
【演者】
何と言っても圓朝師の高弟で、名人と呼ばれた四代目橘家圓喬師が得意とし、その高座は伝説となっています。
八代目文楽師に「よると「今でも耳にこびりついているから、演れったてとても出来はしませんよ。特に急流のところでは本当に激 しい水の流れが見え、筏が一本になってしまうのも見えた。」
五代目志ん生師「さっきまで晴れていたのが雨音がする。『困ったな』と思ってたら師匠が鰍沢の急流を演ってた。」
等枚挙にいとまがありません。
わずかにSPで残された圓喬師の音源を聴いても立て板に水な事は分かります。
【注目点】
やはりお熊との雪の中を追いかけっこする下りですかね。お熊の凄まじいばかりの気迫をどう表現するかでしょうね。
『能書』
この噺の最大の矛盾点について書きましょう。
最初に毒を飲んだ旅人が毒消しのお陰とは言え、蘇生したのに、後から飲んだ亭主が亡くなってしまうと言うのは何故なのか?
毒は底にあった方が濃いから重くなるのか?
そこがまいち判りませんね。
それから、胸まである雪の中を、体が満足に利かない旅人と女性でしかも鉄砲を持ったお熊が追いかけっこ出来るのでしょうか?
「まあ、そういう処を突っついてはイケないんだ!」
と、云われればそうなんですが……
『ネタ』
最初の疑問については、実はこの噺には続編がありまして、歌舞伎作者の黙阿弥が、「花火」「後家」「峠茶屋」
と言う題で三題噺を作りました。
正式な題は、「晦(みそか)の月の輪」と言うのだそうです。
筋は、毒から蘇生した亭主が、お熊と信濃・明神峠で追剥を働いているところへ、偶然旅人が通りかかり、
争ううちに夫婦が谷底へ転落するという筋立てですが、明治以後ではあまり、演じられた形跡もなく、
芝居としての台本も無いそうです。
最近では柳家小満ん師が演じてくれていて、CDも出しています。師の熱演には申し訳無いのですが、正直、噺そのものが、それほどではありません。