今回からは寄席によく出演していて、寄席ならではの芸を見せてくれる噺家さんを取り上げたいと思います。
まずは春風亭一朝師です。
【春風亭一朝】 1950年12月10日生まれ
・1968年3月 五代目春風亭柳朝に入門。
・1970年4月 前座になる。名は朝太郎。
1973年9月 二つ目昇進し、一朝に改名。
この名前は大師匠正蔵が、若い頃に世話になった三遊亭一朝の名前を与えたもので、最初は正蔵の所にに入門志願に来たのを当時更に弟子を取る余裕が無かった為、一番弟子の柳朝を世話したから、自分が世話になり、また晩年は逆に世話をした一朝の名前を与えたそうです。
・1980年3月 弟弟子春風亭小朝が一朝よりも先に真打昇進する。この時はかなりショックだったみたいですね。
・1982年12月 真打昇進。師匠柳朝師が脳梗塞に倒れる。このため真打昇進披露に師匠の柳朝師は出席出来ませんでした。
【芸風】
何と言っても、江戸前の噺をする本格派です。それでいて、笑いの多い噺も得意です。安心して聴いていられる噺家さんの一人です。
【得意演目】
片棒、二番煎じ、花見の仇討、大山詣り、青菜、目黒のさんま、尻餅 他多数
【エピソード】
弟子の育成には定評があり、一番弟子は六代目柳朝を襲名しています。また二番弟子は今や将来を嘱望されている一之輔師です。
【ネタ】
柳朝師の「江戸前」の芸風を見事に受け継いでいます。啖呵を切る威勢の良さは天下一品、「江戸っ子」を演じたらこれほど似合う噺家も珍しいですね。まさに「粋でいなせな江戸落語」の典型だと思います。これを見ると、芸と言うものが確実に弟子に受け継がれて行くものだと実感出来ます。
まずは春風亭一朝師です。
【春風亭一朝】 1950年12月10日生まれ
・1968年3月 五代目春風亭柳朝に入門。
・1970年4月 前座になる。名は朝太郎。
1973年9月 二つ目昇進し、一朝に改名。
この名前は大師匠正蔵が、若い頃に世話になった三遊亭一朝の名前を与えたもので、最初は正蔵の所にに入門志願に来たのを当時更に弟子を取る余裕が無かった為、一番弟子の柳朝を世話したから、自分が世話になり、また晩年は逆に世話をした一朝の名前を与えたそうです。
・1980年3月 弟弟子春風亭小朝が一朝よりも先に真打昇進する。この時はかなりショックだったみたいですね。
・1982年12月 真打昇進。師匠柳朝師が脳梗塞に倒れる。このため真打昇進披露に師匠の柳朝師は出席出来ませんでした。
【芸風】
何と言っても、江戸前の噺をする本格派です。それでいて、笑いの多い噺も得意です。安心して聴いていられる噺家さんの一人です。
【得意演目】
片棒、二番煎じ、花見の仇討、大山詣り、青菜、目黒のさんま、尻餅 他多数
【エピソード】
弟子の育成には定評があり、一番弟子は六代目柳朝を襲名しています。また二番弟子は今や将来を嘱望されている一之輔師です。
【ネタ】
柳朝師の「江戸前」の芸風を見事に受け継いでいます。啖呵を切る威勢の良さは天下一品、「江戸っ子」を演じたらこれほど似合う噺家も珍しいですね。まさに「粋でいなせな江戸落語」の典型だと思います。これを見ると、芸と言うものが確実に弟子に受け継がれて行くものだと実感出来ます。