はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2015年02月

浅草演芸ホール 二月下席 夜の部 六日目

asakusa今日はホームグラウンドの浅草の夜席を見て来ました。

到着すると可龍さんが「桃太郎」を演じていて下げにかかるところでした。気のせいかも知れませんが何か痩せた感じがしました。
 一階はほぼ満員でしたので二階に行くと数える程しかいませんでした。中央の一番前に座ります。
 次は幸丸さんで漫談でしたね。健康診断のネタでした。ひでや、やすこさんの夫婦漫才の後は遊雀さんの登場です。今日は「締め込み」に似た「夫婦喧嘩」のネタでした。切れっぷりが凄かったです。

 次が代演で圓丸師で「後生うなぎ」でしたが、女将さんが投げ込まれるバージョンでした。残念です。これは赤ん坊が投げ込まれるから、うなぎ屋と隠居の二人の狂気が浮かび上がるのだと思うのです。これではナマクラな刀と言った感じです。

 初音さんの太神楽の後は仲入り前の高座で雷蔵さんでした。演目は「粗忽長屋」でしたが、ちょっと「死んでる」と言い過ぎでしたね。もう少し言葉を選んだ方が良いと思いました。出来が悪く無かったので残念です。

仲入り後の喰い付きはやはり代演で歌助さんで「都々逸坊や」でした。先日のバージョンとは違いオリジナルのままでした。
 そしてコントD51さんのコントが終わると、これも代演で南なんさんで「転宅」でした。これは南なんさんの持ち味が出ていて良かったと思います。泥棒が良かったですね。

 お次が楽輔さんで、漫談でした。今日は花粉症なのかやたらに鼻を触るのが気になりました。年中触っていたのが気になり噺に集中出来ませんでした。

 京丸京三さんの漫才の後が桃太郎さんで「浮世根問」でした。お魚バージョンでしたね。
 膝代わりはボンボンブラザースさんです、何回見ても見事ですね!

 そしてトリの歌春さんです。例によってマクラをたっぷりやり「鮑のし」に入りました。トリなのでキッチリ時間を掛けて下げまでやり、大熱演でしたね。

 総じて今日は天気が悪かったせいか、噺を投げる人はいませんでした。皆さんかなりの熱演でした。
 やはり通い慣れてる浅草はくつろげますね。

新宿末廣亭 二月下席 夜の部

img_4昨日は、仕事が終わってからtoshiさんに戴いた招待券で久しぶりに末廣亭に行きました。落語初心者の知人と一緒でした。寄席が始めてのかたなので末廣亭は丁度良いと思ったのです。

 夜六時を過ぎていました。入りは六割ほどの入り。高座には吉窓さんが上がっていて、係の女性に「高座が終わるまでは席につかないでください」と注意を受け、一番後ろで丸いすを出してくれたので、それに座って噺が終わるのを待ちました。
吉窓さんの噺は「都々逸坊や」でした。この噺最近は結構寄席にかかりますね。

次は栄枝師で漫談でした。浅草で良く聴くネタでしたね。師匠はもう古典をやらないのでしょうか? いい味を持っているのですがねえ……
次はペーさんでした。浅草だとギターを抱えているのですが、今日は無手でした。自分の持ち歌を歌って高座を降りました。
 その次が朝馬師で「六尺棒」でした。ちょっと間を詰めた感じでしたね。ペーさんが思ったより長くやったので、調整したのかも知れません。
 そして仲入りの圓丈師です。マクラで色々と客席を探っていましたが「強情灸」でした。探ってる時間が長くて噺の時間が無くなってしまった感じです。
 仲入りの休憩にトイレに行きましたが、末広は一箇所しか無いので並んでいましたね。

 食付きは順番が入れ変わって、歌奴さんでした。演目は何と「胴乱の幸助」でした。舞台を江戸に変えていましたが、やはり何か合わない感じでしたね。途中で落としてしまったので、その点も余り印象が良く無かったです。
 笑組の達者な漫才の後が彦いちさんで「掛け声指南」でした。新宿が舞台という事で良く受けていました。次は種平さんで「ぼやき酒屋」でしたが、はん治 師のよりも入れ事が多かったですね。その為下げまで行きませんでした。はん治師のを聞き慣れているとやや物足りなかったです。上手い噺家さんなので惜しかったです。

 翁屋社中の太神楽ですが、和楽師が亡くなってからはやはり寂しいですね。
そしてトリの百栄さんです。演目は「船越くん」でした。この噺何回か聴いてますが、聴く度にインパクトが無くなって行く感じです。噺の笑いの構造が単純だからでしょうね。正直もう一捻り欲しいですね。

 という訳で久しぶりの末廣亭は新作が多かったですね。それとお客さんが浅草より上品でしたね(笑

一緒に行った知人も盛んに末廣亭の全景をスマホに納めていました。
「こんなに近いならまた来よう」
 そう言っていたのが印象的でした。
 

 ちなみに明後日、浅草に行く予定です!続きを読む

「不動坊」と言う噺

1-C-KSH264今日は「不動坊」です。
此の噺は本来は春先の噺なのですが、東京では夏に演じられる事が多い様です。
本来は上方落語ですが、最近は東京でも定着していますね。
2代目林家菊丸師の作とされています。三代目柳家小さん師が東京に移植しました。

長屋に住む講釈師、不動坊火焔が旅先で急死し、未亡人のお滝に再婚話が持ち上がる。
同じ長屋に住む吉が、不動坊の残した借金を肩代わりするという条件で、お滝をもらうことになった。
もともとお滝に思いを寄せていた吉は、降ってわいた話に夢見心地。銭湯で新婚生活の稽古をしているところを町内の連中に目撃されてしまう。
じつは町内の男どもは、みなひそかにお滝に惚れていたのだ。悔しくて成らない鉄、萬、徳の三人組はお滝の祝言を破談にさせようと計画を思案。売れない噺家を雇い、不動坊火焔の幽霊が恨み言を言いにくる筋立てを考える。

そして、真夜中に四人連れで吉公の家にやってくる。
屋根に登って、天井の引き窓から幽霊をつり下ろす算段だが、
万さんが、人魂用のアルコールを
餡コロ餠と間違えて買ってきたりの騒動の後、噺家が
「四十九日も過ぎないのに、嫁入りとはうらめしい」
と脅すと、吉公少しも動ぜず、
「オレはてめえの借金を肩代わりしてやったんだ」
と逆ねじを食わせたから、幽霊は「墓なんか要らないから、10円もくれれば良い」と交渉。
結局、計画はおジャン。

怒った三人が屋根の上から揺さぶったので、幽霊は手足をバタバタ。
「おい、十円もらったのに、まだ浮かばれねえのか?」
「いえ、宙にぶら下がってます」

本来のサゲは、「幽霊(遊芸)稼ぎ人です」と言いました。
上方ではこのサゲで演じています。
これは、明治時代、落語家が「遊芸稼ぎ人」という鑑札を受けていたことがあり、
これを持っていないと商売が出来なかったからです。

上方では米朝一門、東京では小さん一門の噺ですね。
上方では、ほとんどはマクラで「遊芸稼ぎ人」の説明を仕込んだ上でオリジナルの通りにサゲています

とにかく聴いていて楽しい噺ですが、湯屋での独り言のシーンで笑いを取らねばならず、
演じるには難しい噺なうえに、最後の幽霊のシーンっでは中腰で演じなければならないので、
あまり高齢だと出来ないとも云われています。続きを読む

「らくだ」という噺

idotyawan12月も節分を過ぎて立春となりました。
ここの所体調を崩していまして、未だ本調子ではありませんが、更新を余りサボっても(充分サボってますがw)いけませんので春の噺を取り上げる事にします。
 そこで「らくだ」です。
乱暴者で町内の鼻つまみ者のらくだの馬がフグに当たってあえない最期を遂げた。
兄弟分の、これまた似たような男がらくだの死体を発見し、葬式を出してやろうというわけで、らくだの家にあった一切合切の物を売り飛ばして早桶代にすることに決めた。
そこに通りかかった紙屑屋を呼び込んで買わせようとしたが、一文にもならないと言われる。

そこで、長屋の連中に香典を出させようと思い立ち、紙屑屋を脅し、月番のところへ行かせた。
みんならくだが死んだと聞いて万々歳だが、香典を出さないとなると、らくだに輪をかけたような凶暴な男のこと、何をするかわからないのでしぶしぶ、赤飯でも炊いたつもりでいくらか包む。

それに味をしめた兄弟分、いやがる紙屑屋を、今度は大家のところに、
今夜通夜をするから、酒と肴と飯を出してくれと言いに行かせたが、
「店賃を一度も払わなかったあんなゴクツブシの通夜に、そんなものは出せねえ」
と突っぱねられる。
「嫌だと言ったら、
らくだの死骸にかんかんのうを踊らせに来るそうです」と言っても
「ぜひ一度見てえもんだ」と、大家は一向に動じない。

紙屑屋の報告を聞いて怒った男、それじゃあというので、紙屑屋にむりやり死骸を背負わせ、
大家の家に運び込んだので、さすがにけちな大家も降参し、酒と飯を出す。

横町の豆腐屋を同じ手口で脅迫し、早桶代わりに営業用の四斗樽をぶんどってくると、
紙屑屋、もうご用済だろうと期待するが、なかなか帰してくれない。
酒をのんでいけと言う。
女房子供が待っているから帰してくれと頼んでも、俺の酒がのめねえかと、すごむ。

モウ一杯、モウ一杯とのまされるうち、だんだん紙屑屋の目がすわってきて、逆に、
「やい注げ、注がねえとぬかしゃァ」と酒乱の気が出たので、さしものらくだの兄弟分もビビりだし、
立場は完全に逆転。

完全に酒が回った紙屑屋が「らくだの死骸をこのままにしておくのは心持ちが悪いから、
俺の知り合いの落合の安公に焼いてもらいに行こうじゃねえか。
その後は田んぼへでも骨をおっぽり込んでくればいい」

相談がまとまり、死骸の髪を引っこ抜いて丸めた上、樽に押し込んで、
二人差しにないで高田馬場を経て落合の火葬場へ。

いざ火葬場に着くと、死骸がない。
どこかへ落としたのかともと来た道をよろよろと引き返す。
途中で、願人坊主が一人、酔って寝込んでいたから、死骸と間違えて桶に入れ、
焼き場で火を付けると、坊主が目を覚ました。
「アツツツ、ここはどこだ」
「ここは火屋(ひや)だ」
「冷酒(ひや)でいいから、もう一杯くれ」

もとは上方落語の「らくだの葬礼」言う噺です。
三代目小さん師が東京に移植したものです。
噺の冒頭でらくだがふぐに当たって死んだと言う描写がありました。春先のふぐには毒が強くなる種類もいますので、この噺が春の噺だと言う訳です。それに春なら道端で酔って寝ても風邪を引かない可能性もあると言う訳です。(寒いとは思いますがねえ?)

上方版では登場人物に名前がちゃんとあり、死人は「らくだの卯之助」、兄弟分は「脳天熊」です。
屑屋さんはない様ですね。

東京でも可楽師や志ん生師、圓生師等大師匠が得意にしました。
大抵は前半の屑屋さんが酒を飲んで、立場が逆転する処で切ります。

上方では何と言っても松鶴師でしょうね。志ん朝師と談志師が若い頃、松鶴師の「らくだ」を見て、
あまりの凄さに絶句したという有名な事がありました。
ちなみに、終盤に登場する火屋(火葬場)の所在地は、江戸では落合、上方では千日前となっています。
落合の博善社の火葬場には皇室専用の所もあります。

噺の中に登場する、”かんかんのう”は「かんかん踊り」ともいい、清国のわらべ唄「九連環」が元唄です。
九連環は「知恵の輪」のこと。
文政3年(1820)から翌年にかけ、江戸と大坂で大流行。
飴屋が面白おかしく町内を踊り歩き、禁止令が出たほどです。続きを読む
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