らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2015年01月

『なぜ「小三治」の落語は面白いか?』を読んで……

kosannji toshiさんに勧められていた『なぜ「小三治」の落語は面白いか?』を読み終わりましたので、拙い感想などを書いてみたいと思います。

 前半はインタビューとなっています。「週刊現代」の企画でインタビューしたものの完全版となっています。これはファンには嬉しいですね。その中でもいい言葉が沢山ありました。
 例えば、内緒話をする時に、圓生師は「最初大きく声を出して段々小さくすれば、内緒話に聞こえる」と教えてくれたそうですが、師匠小さん師は「そんなものその人間の了見になれば自然と聞こえるんだ」と言ったそうです。
 前者は話術について、後者は心構えについて語っていると思うのですが、どちらも納得させられます。
 面白かったのは噺に対しての心構えが小三治師と志ん朝師で全く違っていたことでしたね。笑わせなければ駄目だという志ん朝師と正反対の小三治師、きっとそれはそれぞれの師匠の教えなんでしょうね。
 それからインタビューで10年前と語っていましたが、GWの浅草の芝居でトリで10日間「天災」を掛けた話が出ましたが、私、その時の芝居に行っています、今でも良く覚えています。特別に悪い出来ではなかったとは思いますが、師としては満足いかなかったのでしょね。
 浅草で印象使いのは、秋のトリを取った時に8時半に高座に上がって、30分はまくらでした。はちみつの話なんか中心でそれはそれで面白かったです。
「ああ、今日はまくらで終わりか、でも良かったからいいか」
 そう思っていた時でした。もう9時になろうかという時刻から「小言幸兵衛」をやりだしました。いや、その出来の素晴らしい事。
 終わったのはもう9時40分になろうとしてましたが、誰も途中で帰る人はいませんでした。皆椅子に磁石がついて動けなくなった感じで高座の師匠の噺に注目していました。
 終わった後は割れんばかりの拍手だったことは言うまでもありません。

 インタビューの後半はDVDの発売の時に広瀬さんが尋ねていたことを収録したものです。これにも色々といい話が載っています。

 本の後半は発売されている90の音源や映像の演目の解説と複数発売されている演目については広瀬さんがお勧めする媒体を紹介してくれています。
 この演目を見て私が生の高座やCDやTV、それにDVDなども含めて一度も聴いたことが無い演目がありました。それは「明烏」だけです。と言うより私は柳家小三治師の「明烏」は聴いた事ないです。それ以外の89演目は聴いています。
 広瀬さんは噺の完成度の高さから若い時に収録されたバージョンよりも後年の熟されたバージョンを勧めています。特にDVD収録演目については、ほぼこちらを勧めています。
 それに異を唱えることはしませんが、若い頃に収録されたCDなどは、まさに伸び盛りの小三治師が聴けます。今とは全く違った小三治師がCDには居るんです。
 それと出囃子が鳴る寸前の緊張感も耳だけに頼っているからこその想像力を生み出します。決して劣っている訳ではありません。そんな楽しみ方もあると理解して下さい。
 今日はこんなところで……続きを読む

生で見た噺家さんの日常の思い出

f8cfac694a75da07d4568cdde2883017え〜今年に入って更新出来ずにすいません。
今回は思ったより色々と忙しくて、すべてに於いて儘なりません。

先日、toshiさんから紹介された、『なぜ小三治の落語は面白いのか?』広瀬和生著を図書館で借りることが出来ました。今読み始めたところです。読み終わりましたら、感想などを書いてみたいと思っております。

小三治師というと学生時代に高田馬場駅で良く拝見しました。
記憶として残っているのは夏で、師匠は少し丈の短い一重の着物を着て苦虫を噛み潰したような顔で荷物を持ったお弟子さんに語りかけていました。
 あの時のお弟子さんは誰だったのだろう? 師匠よりも背が高かったので喜多八師ではないと思いますが……
 勿論、穏やかな顔をなさっていた時のほうが多かったのですが、兎に角本当にあの頃良く見かけました。
 きっと、師匠の行動する時間と、私が通学していた時間がシンクロしていたのでしょうね。あの頃は代々木まで二年半通っていましたからね。
 当時の師匠は若手真打で当確を表して来た頃で、TV等やラジオの出演も多かった頃です。。本を読みながらそんな事を思い出していました。

もう一人良く見かけたのは、先代の文治師で、こちらは我が菖蒲園に良く見に来られました。
イメージとして覚えているのは、茶色の羽織に黒の紋付きを着て頭にはカンカン帽を被って、こうもり傘をステッキがわりにしていました。
 やはり、お弟子さんに何か小言を言いながら歩いていました。かなり年配になられてもいらしてました。
 後年、浅草で右團次さんと一緒に歩いていたのを良く見ました。
 いずれも高座とは違った感じで新鮮でした。

※URL(ドメイン)変わりました!

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます!

皆様、あけましておめでとう御座います。本年も宜しくお願い致します。
と言う事で、お目出度い噺を。

837cca0f今日は「一目上がり」です。この噺は別名「七福神」とも言われています。

隠居の家に年始の挨拶に訪れた八五郎。
建て増しをした部屋を見せてもらうと、書や色紙が掛けてありまる。
誉め方を知らない八五郎に隠居は「これはいい賛(さん)ですな」といって誉めれば周りが尊敬してくれると教えてくれました。

早速大家のところに行って試してみるが、賛ではなく詩(し)だという。
続いて医者の先生のところに行っていい詩だと誉めると「これは一休禅師の悟(ご)」だと言われます。
さん・し・ごと来たから次は六だと先回りをしてみたのたが、芳公のところで一本しかない掛け軸が出ました。
「賑やかな絵だな。男の中に女が一人混じっているが、間違いはないだろうな。」「バカ言うなよ」。
「なんて書いてあるんだ」、「上から読んでも、下から読んでも同じめでたい文なのだ。”ながき夜の とをの眠りの みなめざめ 波のり舟の 音のよきかな”」。「結構な六だな」と言うと「いいや、これは七福神の宝船だ」。

ここでは七までで終わっていますが、そのあと芭蕉の掛け軸を「結構な八で」と誉めると「いや、これは芭蕉の句(九)だ」と続くやり方もあります。

文字で表してしまうと賛・詩・悟・句と明白ですが、そこを話芸で聴かせるのが落語の面白いところですね。
いかにも「落語らしい落語」で、しかもおめでたい噺なので、初席等によく掛かります。続きを読む
 
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