はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2014年11月

浅草演芸ホール11月下席五日目夜の部

4cca5763今日は仕事が休みなので浅草に一之輔さんを聴きに行きました。
 実は先週も芸協の芝居を見に行ったのですが、特に書くこともありませんでした。楽しかったですけど、顔ぶれから見るとこれぐらいはして貰わねばと思いました。

前座さんから書いて行きます。
前座は今月から前座になった一朝師のお弟子さんで一花さんです。可愛い娘でした。演目は「転失気」でした。これは女流の方が多くやる演目ですね。やりやすいのでしょうね。同じ一門なのでぴっかりさんと似ていました。

次が、同じ一朝師の一門で一蔵さんでした。「猫と金魚」でしたが、何か具合が悪いような感じでした。
次が三語楼さんで「幇間腹」でした。可もなく不可もなしでしたね。
 そして、とんぼ、まさみの上方の漫才の次が今月から二つ目に昇進して柳家フラワーから花飛(かっとび)と名を改めた花飛くんです。「出来心」でしたが良い出来でした。噺にセンスの良さを感じました。
 次はいよいよ川柳師でおなじみの「ガーコン」でした。さすがにお歳を感じさせますが、何時迄も元気で居て欲しいです。
 ぺぺ桜井さんのギター漫談の後は代演で志ん橋師で「無精床」でした。
その次は白鳥さんで高座で急遽「ネタを変えました」と言って「「戦え、おばさん部隊」を演じてくれました。面白かったですこのネタは。
 世津子さんの手品の後は仲入りで一朝師で季節のネタ「尻餅」でした。ぺったんぺったんいい音が高座に響きました。

くいつきは柳朝師でしたが、やはり痩せていましたね。元々細い人でしたが、体が薄くなった気がします。演目は元気に「宗論」で色々なシーンを追加してかなり長い噺になっていました。
 その後は林家あずみさんで三味線漫談です、この方見るの二回目です。頑張って欲しいですね。
 そして、いよいよ本日のお目当ての一人三三師です。演目は「浮世床」から「洒落将棋」のくだりを丁寧にやって笑いを取っていました。やっぱり良いですね。この人は……

 次が文楽師で「替り目」でした。この半年何回か文楽師の高座を見ていますが、「替り目」が多いです。もう三回連続です。でも、今日のは良かったです。いい出来でした。これぐらい出来れば文楽の名は重くないと思いました。それぐらい良かったのです。恐らく師匠も「今日はよく出来た」と思っているでしょう。

 そして、あした順子さんと昭和のいるさんの漫才でした。のいるさんがボケでなくツッコミという珍しい漫才でした。でも順子師匠お元気です。
 その次が小里ん師で「手紙無筆」でした。先代の小さん師を思わせる出来でした。益々似てきましたね。
 鏡仙三郎社中の太神楽の後はいよいよお目当ての一之輔さんです。演目は「明烏」でした。

 この日の「明烏」はいい出来でしたね。源兵衛と多助が生き生きと描写されていて、一之輔師がこの噺をこの二人を中心に描くことにより、吉原を知らない世代や、女郎買いの噺を女性にも納得させるものに仕上げていました。私の中では文楽、志ん朝、に次ぐ「明烏」でした。真打昇進からこの人が大きく前進したことが本当に良く判る高座でした。
 生憎の雨模様でしたが、この日の噺家さん達は皆、一生懸命にやってくれたと思います。八割ほどの入りでしたが、お客は皆満足して帰ったと思います。
 こんな日もあるから寄席通いは止められませんね(^^)
 
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「柳田格之進」という噺

 0929自分の周りで色々なことがありまして、更新が遅れてすいません。
 今日は「柳田格之進」です。

誇り高い武士の生きざまを描いた人情噺の傑作ですが元は講談の「柳田の堪忍袋」とも云われています。
志ん生師が講談時代に覚えて人情噺にしたのかと思いきや、明治25年、「碁盤割」で「百花園」に掲載された
三代目柳枝師の速記があるそうです。ほかは古い口演記録がなくいので詳し事は不明です。

根の城主井伊氏のご家来で柳田格之進という文武両道に優れ品性正しく潔癖な浪人がました。
正直すぎて人に疎まれて浪人をしていて、浅草阿倍川町の裏長屋に娘”きぬ”と二人で住んでいます。
娘の助言で碁会所に顔を出すと、馬道一丁目に住んでいる質屋、万屋源兵衛と気が合っていつも二人で対局をしていました。

それなら私の家でと言うことになり、万屋源兵衛の家のはなれで指す様になり懇意になります。
終わると二人は一献傾けて楽しんでいて、毎日を過ごしていましたが、8月15日の中秋の名月十五夜の晩に月見としゃれながら夢中で指して、一杯ご馳走になり帰ってきました。

万屋源兵衛の店ではその晩に集金したばっかりの50両の金子が紛失して仕舞います。
二人が指している時に無くなったのだから、相手の柳田様が「もしかしたら・・」と番頭が言うのを振り切って話を納めた主人ですが、収まらないのは番頭・徳兵衛。
 
番頭の一心で、翌日柳田の長屋を訪ねて、事の次第を話し、「もしかしたら柳田様がご存じかと・・」「拙者が盗んだというのか」「思い違いではと・・」「私はどんなことがあっても、人の物を盗むという事はない!」「お上に届けて裁いてもらいますが・・」「それでは私が50両作りましょう。明日昼に来なさい」。
番頭が帰った後、娘の忠告で「裁きになれば潔白は晴れるが、その汚名は拭えないので、腹を切る」と言うところ、「私が身を沈めてお金を作ります」。
 
翌日番頭に50両を渡し「その金ではないので、後日金が出たらどうする」「そんなことはないが、その時は私と主人源兵衛の首を差し上げます」。その事を源兵衛に報告すると、源兵衛は謝りに番頭を連れて安倍川町の裏長屋に来てみると、すでに柳田は家を引き払った後で、落胆して戻る源兵衛。
店の者にも、出入りの者にも頼んで柳田を捜したが見つかりませんでした。

 煤払いの日、額縁の裏から50両が出てきました。「そうすると、あの柳田様の50両は・・・」。
どんなことがあってもと源兵衛は柳田様を捜させたのですが、見つかりませんでした。
 
年が改まって、4日、山の手の年始挨拶に番頭は出入りの頭を連れての帰り道、雪が降り始めた湯島の切り通しにさしかかった時、籠屋をいたわって歩いて坂を登ってくる侍が目に入ります。
蛇の目傘の内の贅沢なこしらえが目に止まって、見とれてやり過ごそうとしたその時、侍から声をかけられました。

何とその侍が柳田格之進で、今では300石に取り上げられていると言います。
「湯島の境内に良い店があるから」と連れて行くが番頭は閻魔様に連れて行かれるようで人心地もしません。
店で50両が見つかったことを話し、許しを請うが、明日昼頃万屋に伺うので、体をよく洗って置けと言い残します。
 
翌朝、源兵衛は番頭を使いに出して、柳田を迎え非礼を詫びたが、使いに出ないで待っていた番頭は「私がしたことだから」と主人をかばうが、娘の手前勘弁出来ないと二人を並べて切り捨てると言います。
刀を振り下ろすと、床の間の碁盤が真っ二つになって二人は一命を取り留めます。
二人の主従の真心が心に響いて手元が狂ったと言います。
 
さっそく、半蔵松葉から”きぬ”さんを身請けしてきて、娘に詫びたが、娘も父上の為ならと快く応じます。
 前よりも柳田と源兵衛は深い付き合いをするようになり、番頭の徳兵衛ときぬは夫婦となり万屋の夫婦養子になりめでたく収まります。
二人は仲が良くてまもなく男の子を産んだ。その男の子を柳田が引き取り、家名を継がせたと言う「柳田の堪忍袋の一席」でした。

娘さんが気が触れてしまったり、亡くなっていたりと悲しい終わり方をさせる噺家さんもいますが、志ん朝師はハッピ−エンドに終わらせています。このほうが後味はいいですね。
変わった所では圓楽師が、、越前屋がお花を身請けし、久兵衛とめあわせた上、産まれた長男が越前屋を、
次男が柳田家を継ぐというハッピーエンドで終わらせています。

仕官がかなったのに、娘を身請けしないのがスッキリしないなど今の感覚だと理解できない部分もある噺ですね。(それが武士の清さに繋がるのでしょうか?)

それから、柳田格之進の名前も角之進と表す時もあります。
そんな違いも楽しみの一つですね。

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「中村仲蔵」という噺

003_640すいません久しぶりの更新です。
今日は「中村仲蔵」です。そろそろこんな噺も良いのではないかと思いました。

この噺は、江戸末期〜明治初期の名脇役だった三世仲蔵(1809〜85)の自伝的随筆「手前味噌」の
中に初代の苦労を描いた、ほとんど同内容の逸話があるので、それをもとにした講談が作られ、
さらに落語に仕立てたものと思われます。

芝居修行を続けて名題に昇格した中村仲蔵が、どんな大役がもらえるかと期待していると、
与えられた役は、つまらない場面なので客が食事をする弁当幕と呼ばれると、忠臣蔵五段目の端役、定九郎だった。
気落ちして上方修行に出るという仲蔵に女房が、あんたにしか出来ない定九郎を演じろって言う期待じゃないのかいと励まします。
ある日、妙見様にお詣りに行った帰りに、雨に振られ蕎麦屋に駆け込む。
そこに後から来た侍の姿に衝撃を受け、役作りの参考にします。
それから、衣装と見栄に工夫を重ね、斬新な定九郎を作り上げて演じます。
見事な演技に、観客は掛け声も忘れて、ただうなるだけだった。客席が静かなので、ウケなかったと勘違いし、また上方修行へと旅立とうとします。
途中で「昨日の定九郎を見たかい、素晴らしかった」との話を小耳に挟み、これを女房に伝えるために家に戻る。
 そこで親方に呼ばれ、昨日の芝居は良かったと褒められ、褒美に煙草入れをもらって家に戻り、女房に礼を言います。
失敗したの、うまくいったのって、私しゃ煙に巻かれちまうよ。
 「おお!もらったのが煙草入れ」

 このサゲは八代目正蔵師のサゲです。その他にも噺家さんによって色々とあります。
 この中村仲蔵が、名作仮名手本忠臣蔵の五段目で斧定九郎を工夫して現在の型にしたという実録談で、
それまではつまらない役でした。
 ”稲荷町”から”名題”になった稀代なる名優で屋号を栄屋、俳名を秀鶴。江戸時代に、中村仲蔵ほどの出世をしたものはなく、他に幕末になって市川小団次しかないという名優であった。寛政二年(1790)4月23日死去。享年55歳。墓は谷中霊園に有ります。
仲蔵の生涯については、松井 今朝子さんの「仲蔵狂乱」に詳しく書かれています。
かなり面白い本ですので、興味のある方は一読をオススメします。

元々の話は、座頭と立作者が当時は役を決めたようで、立作者の金井三笑は芸の上での喧嘩から仲蔵に五段目の斧定九郎一役だけといういじわるしたのがそもそもの話の始まりと言う事です。
 圓生師の「圓生百席」では詳しく語っていますが、その為時間が長くなってしまってます。CDと言う自由に聴ける媒体ならではですね。生の高座だと時間の関係で無理でしょうね。

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