はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2014年10月

「堀の内」と言う噺

99dd89c506ef8a680f11903b1d772320ここの所、体調は崩すわ、仕事以外の用事が重なるわで更新できずにいました。お詫び申し上げます。
で、今日は、兎に角笑って貰おうと「堀の内」を取り上げました。

古くからある噺で、大元は宝暦2年(1752)刊の笑話本「軽口福徳利」や寛政10(1798)年刊「無事志有意」等にも見られます。上方では「いらちの愛宕詣り」と言いまして「いらち」とは「あわてもの」の意味です。

下駄と草履を片っ方ずつ履いて、足の長さが変わったと騒ぐあわて者が、お祖師様に願をかけると粗忽が治ると聞いて歩いてお参りに行くことにし、カミさんに弁当を作って貰い、お賽銭も用意して出掛けます。
 しばらく歩いて、お祖師様は何処かと聞くと、ここは両国だ、神田から来たならまるで反対だと教えられ、
やっとのことでお祖師様に着いて賽銭を投げ入れたが、財布ごと投げて一文無しに。弁当を食べようと広げてみるとカミさんの腰巻きで包んだ枕と言う有様。
 家に辿り着いて文句を言うと、なんと隣の家。
伜の金坊を連れて湯に行けと言われ、おぶってやろう、やけに重いな、あたしだよ。
 子供をおぶって歩いていると、おとっつぁん湯屋を通り過ぎたよ。湯に浸かって尻を掻いても感じないと思ったら、隣の男が誰だい人の尻をいじっているのは、という始末。
 伜の背中を流してやろう、やけに広い背中だな。おとっつぁん、風呂場の腰板だよ。

十代目文治師は「あわてもの」の題でお詣り先を浅草の浅草寺として話していました。
もうね、伸治時代の爆笑編が忘れられません。
可笑しくて、可笑しくて、本当にお腹かが痛くなりました。
文治になってからは落ち着いて仕舞いましたね。

上方は噺の筋そのものが違っていて、前半は東京と少し違っていて、
いらちの喜六が京の愛宕山へ参詣に行くのに、正反対の北野天満宮に着いてしまったりのドタバタの後、
賽銭は三文だけあげるようにと女房に言い含められたのに、間違えて三文残して
あと全部やってしまう、というように細かくなっています。
最後は女房に「不調法いたしました」と謝るところで終わらせます。

堀の内と言うのは、現・東京都杉並区堀の内3丁目の日円山妙法寺の事で、日蓮宗の名刹で、
「お祖師さま」と古くから云われ、江戸っ子は「おそっさま」と言います。

湯に行く途中に間違えて八百屋に入り、着物を脱いでしまうくすぐりや朝起きて、笊で水を汲んだり、猫で顔を拭いたり、電柱に挨拶したり、ストーリーにあまり関係ないを入れることもあります。
伸縮自在なので、時間がないときにはサゲまでいかず、途中で切ることもよくあります。
ですから今でも寄席でよく掛かる演目の一つです。

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「神田連雀亭」と「夕立勘五郎」

741ddcf7昨日から、神田須田町に古今亭志ん輔師のプロデュースによる「神田連雀亭」と言う二つ目専門の寄席が出来ましたね。
 少し画像が小さいかも知れませんが拡大して見て下さい。場所が少し分かり難くい場所ですが神田藪の傍みたいですね。私も今度行ってみたいと思います。協会に関係なく出演出来るので、圓楽党や立川流の噺家さん達も楽しみです。

で話は「夕立勘五郎」です。
場末の寄席に登場する訛りの強い浪曲師が「夕立勘五郎」の一席をやるという一席です。
オリジナル?はもちろん志ん生師で初代馬の助師もやったそうです。
現役では談志師と志ん輔師が演じています。
志ん輔師は私も寄席で二回ほど見たことがあります。
とぼけた感じが何ともいいんですねえ〜

よく、こう言う噺を聴いて田舎モノを馬鹿にしていると言う方がいますが、
それは違いますね。
田舎者を馬鹿にしているのではなく、野暮な俗人に田舎言葉を喋らせて、
面白がっているのです。
だから、何処の地方だか判らない言葉なのです。

まあ、この浪曲師はかなりぶっ跳んでいますが(^^)
お断りしておきますが、講談の方ではちゃんと、侠客の夕立勘五郎を描いた話があります。

粗筋はわざわざ書くほどの事も無いのですが、
田舎浪曲師が、浪曲「夕立勘五郎」を演ると、ひどい訛りに客がクレームをつけると言うだけのことなんです。
でもこれがなんか可笑しいんですよね。
志ん生師が講談の方にいらした時に作ったのでしょうか?
面白いですねえ(^^)


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