はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2014年08月

「小烏丸」という噺

tumblr_l25fqoLGst1qbn3ato1_500今日は「小烏丸」という噺です。
ここの処、スパムメールというのでしょうか、正体不明のコメントの荒らしにあっていまして、その対策などをしていました。
上方では「竹光」という名で演じられ、またの名を「孝行娘」とも云います。

聴いていてお分かりかとも思いますが、「小烏丸」という刀のエピソードは上方落語「八橋船」でも登場します。

神田石町に伊勢屋と言う大きな質屋があり、主の幸右衛門は妻に先立たれたが、仏の幸右衛門と呼ばれる人で、
望も名誉も財産もありましたが、一人娘のお照の成長だけを楽しみに暮らしていましたが、
”おかじ”という女身の回りを世話をしていて、よく尽くしてくれていました。
ある時、酒の勢いで手を付けて仕舞い、後添えに貰う事にしました。

ところが、イザなってみると、朝から大酒をくらい、何もしなくなって仕舞いました。
その上、元旗本三男くずれの出入り按摩針医・松崎貞按(まつざきていあん)と深い仲になってしまいます。
周りの者は口を閉ざしていましたが、義侠心が強い、出入りの頭、勝五郎は、伊勢屋を訪れて川柳の本を読まして
主にそれとなく教えようとしましたが、一向に気が付きません。
その上、「お茶がダメなら、台所で水なんて飲まないで、二階で貞按とおかじが酒をやっているから、飲んで行けばいいじゃないか」と進められる始末です。

その時、台所で娘のお照から声を掛けられます。
「頭の言っていた事が本心なら、私も本心であの二人を何とかしたいので、力を貸して下さい」
と頼みまして、二人は何やら相談を始めます。

 その後、酔った貞按は水を飲みに台所に来て、お照に出くわします。
お照は色仕掛けで貞按が好きだから連れて逃げてほしいと打ち明けます。
すると貞按は、逃げるからには百両の金と小烏丸の名刀を蔵から出して持って来てくださいと云います。
小烏丸とは、抜くと回りに烏が集まって来るという、昔、信濃国戸隠山で平維茂(たいらの これもち)が鬼を退治したという名刀なのです。
今晩八つの鐘で裏木戸から忍んでくださいという事になりました。

 裏木戸から出て駕籠で王子まで行く事になりました。
王子の手前、飛鳥山で駕籠屋が駄賃をふっかけ始めたので刀で追い払い、お照は歩き始めました。
そこで、100両と小烏丸を渡し、手切れ金代わりに一人でどこにでも行きなさいと、貞按を突き放します。
力ずくでも連れて行き、最後は売り払ってしまうぞと、もみ合いになったところに、勝五郎が割って入ってきます。
貞按は懐の小刀を抜いてもみ合いになりましたが、勝五郎は小手を打つと貞按は刀を落としました。
貞按はさすが元侍、慌てず小烏丸を抜いてかざすと、烏が群れ集まってくるかと思いきや、雀ばかりが集まってきます。
おかしいと、よ〜く見ると竹光ででした。

オチの所は「八橋船」と同じですね。どちらが先かは分かりませんが・・・

小烏丸という刀ですが、wiki等によると、
桓武天皇の時代、大神宮(伊勢神宮)より遣わされた八尺余りある大鴉によってもたらされたと伝えられ、小烏丸の名はその大鴉の羽から出てきたとの伝承に由来する。刀工「天国」作と伝えられる。
後に平貞盛が平将門、藤原純友らの反乱を鎮圧する際に天皇より拝領し、以後平家一門の家宝となる。壇ノ浦の合戦後行方不明になったとされている。
後に江戸時代になって伊勢家で保管されていることが判明し、明治維新後に対馬の宗家に渡った後、明治天皇に献上された。
現在は宮内庁委託品として宮内庁で保管保存されています。

石町は現在では日銀のある所ですが、三越の裏にあたります。
お金の博物館等があります。続きを読む

「身投げ屋」という噺

20080801え〜暑くて更新をサボっていました。申し訳ありません。今日は「身投げ屋」という噺です。

 元は上方落語だったそうですが、それをを元にして柳家金語楼師が創作した新作落語です。
余り演じられない噺ですが雲助師と芸協の夢吉さんが高座に掛けます。
 雲助師は師匠の馬生師匠ゆずりだと思われます。

 金がなくて地見屋なんて商売をしている男が、知人から「そんなのよりいい商売がある」と教えられます。
それが「身投げ屋」と言う商売で、橋の上から身投げをすると見せかけて、止めてくれた人に、
「実は金がなくなって困っています」と言えば、その人が必ず「いくらあれば死なずにすむんだ」と聞いてくれると云う訳です。

そこでその人にふさわしいだけの額を言えば、きっとその人はお金をくれると言うのです。
それを聴いたこの男は早速試してみようと、両国橋に12時過ぎにやってきて、
身を投げるふりをすると、運良く人が止めてくれたのですが、最初はお巡りさんでダメ。
次を探すと、外套を着た恰幅の良い紳士がやってきた。止めてくれて、経緯を話すとお金なら何とかしようと言う有り難い話。金持ちそうだからと値踏みをして200円と言ったら、支払いを済ませた後だからと100円を出した。100円ではダメだと言うと名刺をくれて明日残りを取りにおいでと言われて初仕事は成功。

 次の人が来たので「南無阿弥陀仏」と唱え欄干に手を掛けたところ、職人に殴られてしまいます。
金がないなら死ぬと言うがいくらだと言う言葉に、相手が相手なので、20銭だというと、
「そんな子供の小遣いだろう」といいます。
そのうちに、大家に、酒屋に、米屋にと重なって、40銭が1円になって、2円が3円になりますが、お金は無いと言われます。
「助けてもらっただけ有り難いと思え。市電の回数券が有るからやる」と渡されましたが、使用済みでした。

 次に来たのが親子連れで、見ていると帯を結びあって、「南無阿弥陀仏」と唱え欄干に足をかけたので、慌てて止めに入った。
聞くと、母親は死んで、父親は目が見えず、子供も母親のところに一緒に行きたいと云うのです。
国に帰るお金もないので死ぬと言い張ります。
遠くてはいけないが、赤羽ぐらいなら面倒見ようと云いますが、100円無ければどうしようもないと・・・・
そこで、やむなく先程の100円を渡してしまいます。

 父親は息子にこの金は先程の人に返してきなさいと言ったが、既にその場には居なく、見当たりません。
「本当に居ないか?」
「それじゃ〜。今度は吾妻橋でやろう」。

昔は吾妻橋と言うと自殺の名所でした。って本当ですかねえ?
落語では相場ですが、事実はどうだったのでしょうね。

地見屋とは、地面を見て、金目の物を拾い集めて生計を立てたる商売と言う事ですが、何でも拾ったのでしょうねえ。釘等の金属も貯まれば買い取ってくれるのでしょうね。
今は瓶等只ですが、私が子供の頃は酒屋に持って行くと5円〜10円(瓶の種類によって金額が違う)になりました。

両国橋は江戸時代から何回も流失や崩落してきたそうですが、明治8に西洋風の木橋が出来ました。
ところがこの橋は明治30年の8月の花火大会の見物人の多さに耐え切れず、10m以上に渡って
欄干が崩れ落ち、10名以上の犠牲者がでました。それを期に明治37年に鉄橋へと架け替えられました。
現在のはその後昭和7年に架け替えられた橋です。
この噺の両国橋は鉄橋の橋かも知れませんね。続きを読む

酢豆腐は大人の味!

7fa9fb48毎日お暑うございます。
本当に暑くて、嫌になります。そこで、今日は「酢豆腐」です。
辞典を開くとちゃんと載っています。最もかなり怪しい解説ですが。・・・…

画像は「酢豆腐」です。梅酢に豆腐を付けたものです。
これなら若旦那もたんと食べれたかもしれませんね。

原話は、1763年(宝暦13年)に発行された『軽口太平楽』の一遍の「酢豆腐」と言う話。
これを、初代柳家小せん師、(あの盲の小せんですね)が落語として完成させました。
ですので、この噺を大正の初め頃だという方もいます。
歴史家の方によれば、庶民の生活は関東大震災までは、電気が点いても、汽車が走っても、
そう変わり無かったそうです。のんびりとした時代だったのですね。

落語を解説しているサイトでもこの噺と「寄合酒」を混同している所がありますが、
元々の噺が違うので、間違いですね。
「寄合酒」は「ん廻し」(田楽喰い)に繋がる噺ですからね。

この噺が初代柳家小はんと言う方が上方へ持って行って「ちりとてちん」が生まれました。
でも私はは「ちりとてちん」よりこちらの方が好きです。
夏の暑い盛り、いい若者が皆で集まってクダまいててという設定からしていいなぁ〜(^^)
それに最後は若旦那を仲間として認める処が好きですね。
若旦那も「「いやあ、酢豆腐は一口にかぎる」と粋に言って逃げるのも上手いですね。
長屋の皆も「若旦那大した者だ!」と言って褒めていますね。
きっと、これで若旦那は皆の仲間になれたと思うのです。
皆も認めたと言う意味でですね。

この噺に出てくる「かくやのこうこ」は美味しいですよね。
飯に良くて酒に良い!と文句はありません。
糠だって、ちゃんとかき混ぜていれば、臭く無いんですよ。
私なんか商売上、糠味噌は別にイヤじゃ無いので、ここまで嫌われると、
糠味噌が可哀そうに思えてきます。

この噺を聴いていて思うのは、のんびりとした時代だったと言う事ですねえ。
我々が忘れてしまった世界なのかも知れません(^^)
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