はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2014年05月

明日から「菖蒲まつり」です

いよいよ明日から「菖蒲まつり」が始まります。
 明日は「大和太鼓」等のデモンストレーションや抹茶のサービス?(一部有料?)やお琴の演奏があります。
園内の花も段々咲いてきました。
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正門の前です。飾りも終わりました。
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何時もの場所です。
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少し奥の場所です。
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更に奥の方で、藤棚を望みます。
大体、三分咲きでしょうか!? 暑いので、来週の土日が見頃になるかも知れません。

花菖蒲大分咲いてきました

やっと咲き出した花菖蒲ですが、いくらか他の種類も咲き始めました。
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園に入って一番最初の田圃です。色々な種類がります。
ここには200種類の花菖蒲があります。
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少し奥の方です。固まって咲いています。
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更にその奥です。良く見ると雑種の黄金菖蒲が咲いています。
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ちょっと違った角度で……

見頃はやはり六月の10日前後になりそうです。7〜10日とか良いかも知れません。

花菖蒲が咲き始めました

5月も後わずかとなりまして、我が菖蒲園も花菖蒲が咲き始めました。これからひと月ほど、我々の目を楽しませてくれます。
未だほんの少しですが咲いている田圃の一部です。
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中側から正門を見たところです。
寄ってみます。
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白い花で「五月晴」でしょうか!?
薄紫の花も咲きました
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暑い太陽の下では何となく見すぼらしく見えますが、雨に濡れるとまた違って見えます。
「堀切菖蒲まつり」は六月一日から二五日迄です。
見頃は十日前後の雨の日です。

「今戸の狐」と言う噺

20040825003537 今朝ほどですが小三治師が「お茶汲み」を落語研究会で演じたのを放送していましたね。
志ん朝師や志ん生師がやった型とはちがってテンポがゆっくりでしたね。
悪く無かったですが、小三治師こそ生で見て欲しい噺家さんです。

 と言う訳で、今日は「今戸の狐」です。
戸中期の名人・乾坤坊良斎(1769〜1860)が、自らの若いころの失敗話を弟子に聞かせたものをもとに創作したとされます。
良斎は神田松枝町で貸本屋を営んでいましたが、初代三笑亭可楽門下の噺家になり、のち講釈師に転じた人で、
本業の落語より創作に優れ、「白子屋政談」(髪結新三)等のの世話講談をものしました。

明治期の初代三遊亭円遊の速記が残りますが、戦後は五代目志ん生師しか演じ手がなかったそうです。
その後、馬生師と志ん朝師が継承して手掛けていたため、現在でもこの一門を中心に聴かれます。

安政のころ。乾坤坊(けんこんぼう)良斎というの噺家の弟子で、良輔という男。
どう考えても作者では食っていけないので、一つ噺家に転向しようと、大看板で、三題噺の名人とうたわれている初代・可楽に無理に頼み込み、弟子にしてもらいました。

ところが、修行は厳しいし、場末の寄席にしか出してもらえないので、食う物も食わず、これでは作者の方がましだったという体たらく。
内職をしたいが、師匠がやかましく、見つかればたちまちクビです。
もうこのままでは餓死しかねないありさまだから、背に腹は代えられなく内職を始めます。

「今戸焼」と言う素焼きの土器や人形の本場なので、器用な処で、今戸焼きの、狐の泥人形の彩色を、
こっそりアルバイトで始め、何とか糊口をしのいでいました。
良輔の家の筋向かいに、背負い小間物屋の家があり、そこのかみさんは千住(通称骨=コツ)の女郎上がりだが、なかなかの働き者で、これも何か手内職でもして家計の足しにしたいと考えていた矢先、
偶然、良輔が狐に色づけしているところを見て、外にしゃべられたくなければあたしにも教えてくれ
と強談判してきました。

仕方がないので、紹介し一生懸命やるうちにかみさんの腕も上がり、けっこう仕事が来るようになりました。

一方、可楽の家では、師匠の供をして夜遅く帰宅した前座の乃楽が、夜中に寄席でクジを売って貰った金を、
楽しみに勘定していると、軒下に雨宿りに飛び込んできたのが、グズ虎という遊び人です。
博打に負けてすってんてんにされ、腐ってると、前座の金を数える音が聞こえてきたので、
これはてっきりバクチを開帳していると思い込み、これは金になると思い込みます。

翌朝、可楽のところに押しかけ、お宅では夜遅く狐チョボイチをなさっているようだが、
しゃべられたくなかったら金を少々お借り申したいと、強請ます。
これを聞いていた乃楽、虎があまりキツネキツネというので勘違いし、
家ではそんなものはない、狐ができているのは今戸の良輔という兄弟子のところだと教える。

乃楽から道を聞き出し、今戸までやって来た虎、早速、良輔に談じ込むが、どうも話がかみ合わない。
「どうでえ。オレにいくらかこしらえてもらいてえんだが」
「まとまっていないと、どうも」
「けっこうだねえ。どこでできてんだ?」
「戸棚ん中です」
ガラリと開けると、中に泥の狐がズラリ。
「なんだ、こりゃあ?」
「狐でござんす」
「間抜けめっ、オレが探してんのは、骨の寨だっ」
「コツ(千住)の妻なら、お向こうのおかみさんです」

狐チョボイチとは、寨を三つ使い、一個が金を張った目と一致すれば掛け金が戻り、二個一致すれば倍、
三個全て一致すれば四倍となるという、ギャンブル性の強いバクチです。

江戸時代の寄席では、中入りの時、
前座がアルバイトで十五、六文のくじを売りにきたもので、
前座の貴重な収入源でした。
明治になり圓朝師が前座に定給を与える事にして、この制度を辞めさせました。
ちなみにクジがあったのは東京だけで、上方はボリと言うシステムがありました。
ボリとは、噺家が普段の噺とは違い、特別な噺をするので別にお客から少額の金額を募る制度です。
生半可な腕では客はソッポを向いてしまうので、噺家にとっては真剣だった様です。
どうしてもお金が入用な時等にやったそうです。続きを読む

「碁泥」という話

igo今日は「碁泥」です。

上方落語の「碁打ち盗人」を三代目小さん師が、大阪の桂文吾師に教わり、大正2年ごろ、東京に移しました。
小さん師は、初め「芝居道楽」などのマクラとして演じ、後に独立させ一席の噺としました。
門弟の四代目小さん、孫弟子の五代目小さんと継承され、代々の小さん、柳派伝統の噺となりました。
柳家以外では6代目柳橋師、それに馬生師や志ん朝師の高座がありますね。
上方では現在はあまり演じられない様です。

碁仇のだんな二人。
両方とも、それ以上に好きなのが煙草で、毎晩のように夜遅くまでスパスパやりながら熱戦を展開するうち、
畳に焼け焦げを作っても、いっこうにに気づきません。

火の用心が悪いと、かみさんから苦情が出たので、どうせ二人ともザル碁だし、一局に十五分くらいしかかからないのだから、碁は火の気のない座敷で打って、終わるごとに別室で頭がクラクラするほどのんでのんでのみまくろう、と話を決めます。

ところが、いざ盤を囲んでみると、夢中になってそんな約束はどこへやら。
「マッチがないぞ」「たばこを持ってこい」

閉口した女将さんは、一計を案じ、煙草盆に紅生姜を入れて出します。
二人とも全く気がづかないので、かみさんは安心して湯に出かけます
そうとは知らぬ二人、碁に夢中である。煙草をつけようとしても紅生姜だから点きません。
「あれ!?おかしいなあ。つかねえ」と言いながらも、碁盤ばかり見つめています。。

そのすきに入り込んだのが、この二人に輪をかけて碁狂いの泥棒。
誰もいないようなので安心してひと仕事済ませ、大きな風呂敷包みを背負って失礼しようとすると、
聞こえてきたのがパチリパチリと碁石を打つ音がします。
矢も楯もたまらくなり、音のする奥の座敷の方に忍び足。
風呂敷包みを背負ったまま中に入り込むと、見ているだけでは物足らず、いつしか口出しを始めます。

「うーん、ふっくりしたいい碁石だな。互先ですな。
こうっと、ここは切れ目と、あーた、その黒はあぶない。それは継ぐ一手だ」
「うるさいな。傍目八目助言はご無用、と。
おや、あんまり見たことのない人だ、と。
大きな包みを背負ってますねッと」
「おまは誰だい、と、一つ打ってみろ」
「それでは私も、おまえは誰だい、と」
「へえ、泥棒で、と」
「ふーん、泥棒。泥棒さん、よくおいでだねッ、と」

碁とか将棋とか云うのは、凝ると「親の死に目に会えない」等といわれた位の中毒性のあるゲームですね。
私は将棋はてんで駄目ですが、囲碁は昔務めていた職場が全員囲碁好きでして、覚えました。
やってみると中々面白く、「こりや夢中になるのも無理は無い」と思いました。
そう云った事は昔から沢山あったのでしょうね。続きを読む
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