らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2014年04月

「猫忠」と言う噺

kitune_tadanobu今日は「猫忠」と言う噺です。
これは上方では「猫の忠信」といいます。東京では詰めて「猫忠」

古い上方落語で、大阪の笑福亭系の祖とされる、松富久亭松竹師の創作といわれてきましたが、
よく調べると、文政12(1829)年江戸板の初代林屋(家)正蔵著「たいこの林」中の「千本桜」とほとんど同じです。

この松竹と言う師匠ですが、今の映画や歌舞伎の松竹とは関係無いと思われます。
色々な噺をこさえており、「初天神」「松竹梅」「千両みかん」「たちぎれ」など、ほとんど現在でも、東西でよく演じられる噺ばかりです。

浄瑠璃に通っている次郎吉は、師匠のお静さんといい仲にならないかと妄想しています。
が、六さんの情報によるとお静さんには既に相手がいて、それは友達の常吉だとのこと。
今、稽古屋に寄って来て、ぼそぼそ話し声がするから、障子の破れ目から覗いてみたら、中で常吉とお静さんがベタベタしていたのだと言う半信半疑で次郎吉が稽古屋に行ってみると、本当にそれらしきものが見えます。

常吉の嫁さんのところに行ってその話をしてみると、常吉は今奥で寝ているという。
いや、確かに稽古屋で見たともめているうちに、常吉が目を覚まして起きてきました。

それで常吉ではないとわかったのですが、あまりにも似ているのでちょっと一緒に見に来てくれと、次郎吉が常吉の女房を連れて稽古屋に行きます。

稽古屋に着いて、また破れ目から中を覗くと、女房でさえ常吉と思うほどのそっくりの男が師匠と口移しで飲んだり食べたりしています。
そこに常吉もやってきて、こんなに似ているのは狐狸妖怪ではないかと取りおさえます。
取り押さえた男を問いただすと、ネコが化けていたという。自分の両親の皮を使った三味線がこの家にあることを知り、常吉の姿を借りてこの家に忍びこんできたのだとか。

すると、次郎吉が「これで今度お披露目する浄瑠璃の成功は間違いなしだ。
次の出し物の「義経千本桜」の義経が常吉、次郎が次郎吉、六郎が六兵衛、狐の忠信が猫のただ飲む、静御前が師匠のお静さん」と言います
師匠は「私みたいなお多福に、静御前が似合うものかね」するとネコが「にあう〜」

芝居噺の名手だった、六代目文治師が明治中期に上方の型を東京に移植しました。
初めは「猫の忠信」の題で演じられましたが、東京ではのちに縮まって「猫忠」とされ、
それが現代では定着しました。
東京では六代目圓生師が有名ですね。

この噺は歌舞伎・浄瑠璃の『義経千本桜四段目』のパロディなので、それがわかんないと聴いていても
面白さは半減ですね。
『義経千本桜四段目』と言うのは超簡単に云うと、
源義経が、妻・静御前に預けた初音の鼓が、宮廷の重宝で、雨乞いの時千年の却を経た雌雄の狐の皮で作られ、その鼓の皮の子が、佐藤忠信に化けた狐であった。と言う芝居です。続きを読む

「試し酒」の謎

d6ad29a915184cffdaa25757c733e6d5小三治師が落語協会の会長の座を降りる事を表明しました。次期会長は市馬師だそうです。一気に若返りますね。副会長の人事に注目が集まります。
 という事に関係無く今日は「試し酒」です。

今村信雄氏(1894〜1959)の新作落語で、昭和初期に創作されました。
原型は、中国の笑い話だそうです。

ある大家の主人が、客の近江屋と酒のみ談義となります。
お供で来た下男久造が大酒のみで、一度に五升はのむと聞いて、とても信じられないと言い争いが始まります。
その挙げ句に賭けをすることになって仕舞います。
もし久造が五升のめなかったら近江屋のだんなが二、三日どこかに招待してごちそうすると取り決めた。
久造は渋っていたが、のめなければだんなの面目が丸つぶれの上、散財しなければならないと聞き
「ちょっくら待ってもらいてえ。おら、少しべえ考えるだよ」
と、表へ出ていったまま帰らない。

さては逃げたかと、賭けが近江屋の負けになりそうになった時、やっと戻ってきた久蔵
「ちょうだいすますべえ」
一升入りの盃で五杯を呑み始めます。
なんだかんだと言いながら、息もつかさずあおってしまいました。

相手のだんな、すっかり感服して小遣いを与えましたが、どうしても納得出来ません。
「おまえにちょっと聞きたいことがあるが、さっき考えてくると言って表へ出たのは、あれは酔わないまじないをしに行ったんだろう。それを教えとくれよ」
「いやあ、なんでもねえだよ。おらァ五升なんて酒ェのんだことがねえだから、
心配でなんねえで、表の酒屋へ行って、試しに五升のんできただ」

この噺には筋がそっくりな先行作があり、明治の英国人落語家・初代快楽亭ブラック師が
明治24年3月、「百花園」に速記を残した「英国の落話(おとしばなし)」がそれで、
主人公が英国ウーリッチ(?)の連隊の兵卒ジョンが呑む酒がビールになっている以外、まったく同じです。
このときの速記者が今村の父・次郎氏ということもあり、このブラックの速記を日本風に改作したと思われます。
さらに遡ると中国に行きつくという訳です。

作者の今村氏は著書「落語の世界」で、「今(s31年現在)『試し酒』をやる人は、柳橋、三木助、小勝、小さんの四人であるが、中で小さん君の物が一番可楽に近いので、
今、先代可楽を偲ぶには、小さんの『試し酒』を聞いてくれるのが一番よいと思う」
と、書いています。

私はこの久蔵はどうして五升も酒屋で飲むお金を持っていたのか?と言う事です。
五升というと現代でも一万円を越すと思います。当時の奉公人としては大金だと思うのです。
日常からそんな大金を持ち歩いていたのでしょうか?続きを読む

浅草演芸ホール四月中席 4日目 夜の部 前半

4cca5763今日は休みなので、浅草の夜席を仲入りまで見てきました。

前座の柳家フラワーくんが下がるといよいよ始まりです。
先ずは、歌太郎さんで「やかん」です。最初という事でお客を探っていたようですが、つまらない枕が長すぎ!
肝心の噺が「茶碗―土瓶―やかん」と乱暴この上無いです。いくらなんでも酷い……

次は多歌介さんで「漫談」客席は笑っていましたが、私はクスリともしませんでした。
ここで近藤志げるさんが登場です。痩せましたねえ〜アコーディオンが重そうでしたし、リクエストを採るのに客席の声が良く聞こえない感じです。大丈夫でしょうか?心配ですねえ……
 
次は川柳師ですが、怪我をしてからイマイチ元気がありません。今日も気持ちよく軍歌を歌っていましたが、以前の様な狂気じみた感じは影を潜めつつあります。何時までもお元気でいて欲しいですね。

そして菊丸師です。私、この人は結構好きなんです。というのも噺を投げた事が無いからです。本当は判りませんが、少なくとも私の見ている時はありません。今日は「豆屋」でした。

和楽社中の大神楽を見た後はお待ちかね白酒さんです。
また、太った? なんかそんな感じです。大丈夫なのかな? で演目は「平林」でした。まともな「平林」を久しぶりに聴きました。
 
その後が扇遊師で「浮世床」の夢のくだりです。達者なものでした。
そして小菊姐さんの三味線と唄を聴いた後は仲入りの金時さんです。
演目は「花筏」でした。親方が関西弁でない「花筏」でした。

ここで今日は帰りです。だってこの後膝前にこぶ蔵が出るから帰りなのです。
本当は調子が悪くなったので帰りました。続きを読む

三十石夢の通い路と言う噺

09031705-thumbやっと目の状態も回復して来ましたので、ボチボチと更新して行きたいと思います。
 世間の話題は昨日の小保方さんの記者会見で持ちきりですが、私は昨日の会見は弁護士の作戦通りだったのでは無いかと思いました。感情が高ぶって涙を流したのは本当なのでしょうが、全体としては弁護士の立てた作戦の通りにしたのだと思いました。
 後感じたのは、彼女の陰に誰か別の研究者の存在が見えた感じがしました。だから、具体的な事はあそこでは一切言えなかっただと思います。(これも弁護士の作戦かも知れませんが)

 という訳で今日は全く関係無く「三十石」です。
 この噺は上方落語の「東の旅」の最後の噺で、、伊勢参りの最終部、京から大坂の帰路の部分を描いています。
正式には「三十石夢乃通路」と言います。
明治初期の初代文枝師が前座噺を大ネタにまで仕上げ、その後、2代目小文枝師や5代目松鶴師が得意とたそうです。
その後、6代目松鶴師や、5代目文枝師、米朝師、枝雀師なども得意としました。
東京では六代目圓生師が得意にして演じていました。圓生師は5代目松鶴師に教えを請うたとそうです。

あらすじは他愛無い船の道中の出来事です。
主人公二人が京からの帰途、伏見街道を下り、寺田屋の浜から夜舟に乗り、大坂へ帰るまでを描きます。
前半は宿の描写、船が出る時のにぎわい、美人が乗ると思い込んだ好色な男の妄想等が描かれます。

旅の道中に出会ういろいろなものに触れての軽妙な会話、船頭の物まね、などが続きます。
後半では船中で五十両の金が盗まれる騒動が起きるが、船頭の機転で盗んだ男がつかまり、噺はめでたく結ばれる。
本来のサゲは、その船頭が、礼金を貰い、泥棒は骨折り損だったので、「権兵衛ごんにゃく船頭(辛労)が利」と言う地口オチでしたが、現在では使われていません。
現在のサゲは、ろくろ首のくだりで、薬を飲むと長〜く苦しむ、となっていますが、ここまでもやらず。
単に船頭の舟歌のあとで、「三十石は夢の通い路でござます」と切る事が多いです。

圓生師によると、この船頭の唄は3つとも調子が違うので演じる時に唄の調子から噺の口調に戻る時が難しいそうです。続きを読む

「近日息子」という噺

7b818098先日来「角膜ヘルペス」という眼病に侵されまして、モニターを見るのが辛いのでお休みしていましたが、代理の者に頼み記事をUPする事にしました。

で、今日は「近日息子」です。
もともと上方落語で、東京で口演されるようになったのは明治40年ごろからですが、
東京の落語家はほとんど手掛けず、大阪からやってきた、二代目三木助師などが、大阪のものをそのまま
演じていた程度だったそうです。
大阪での修行時代に二代目春団治師から、この噺を伝授された三代目三木助師が磨きをかけ、
独特の現代的(?)ギャグをふんだんに入れて、十八番に仕上げました。

三十歳近くになる、ぼんくらな一人息子に、父親が説教しています。
芝居の初日がいつ開くか見てきてくれと頼むと、帰ってきて明日だと言うから、
楽しみにして出かけてみると「近日開演」の札。

バカヤロ、近日てえのは近いうちに開けますという意味だと叱ると、
「だっておとっつぁん、今日が一番近い日だから近日だ」
普段から、気を利かせるということをまるで知りません

「おとっつぁんが煙管(きせる)に煙草を詰めたら煙草盆を持ってくるとか、
えへんと言えば痰壺を持ってくるとか、それくらいのことをしてみろ、
そのくせ、しかるとふくれっ面ですぐどっかへ行っちまいやがって、」
とガミガミ言っているうち、
父親が、用を足したくなったので、紙を持ってこいと言いつけると、出したのは便箋と封筒と言う始末です。

「まったくおまえにかかると、良くなった体でも悪くなっちまう、」
と、また小言を言えば、プイといなくなってしまいました。

しばらくして医者の錆田先生を連れて戻ってきたから、訳を聞くと
「お宅の息子さんが『おやじの容態が急に変わったので、あと何分ももつまいから、早く来てくれ』と言うから、
取りあえずリンゲルを持って」
「えっ? あたしは何分ももちませんか?」
「いやいや、一応お脈を拝見」
というので、みても、せがれが言うほど悪くないから、医者は首をかしげる。

それを見ていた息子、急いで葬儀社へ駆けつけ、ついでに坊主の方へも手をまわしたから、大騒ぎに。
長屋の連中も、大家が死んだと聞きつけて、
「あの馬鹿息子が早桶担いで帰ってきたというから間違いないだろう、そうなると悔やみに行かなくっちゃなりません」と、相談する始末です。

そこで口のうまい男がまず
「このたびは何とも申し上げようがございません。長屋一同も、生前ひとかたならないお世話になりまして、
あんないい大家さんが亡くなるなん」と、言いかけてヒョイと見上げると、
ホトケが閻魔のような顔で、煙草をふかしながらにらんでいる。
「へ、こんちは、さよならっ」

「いい加減にしろ。おまえさん方まで、ウチの馬鹿野郎といっしょになって、あたしの悔やみに来るとは、どういう料簡だっ」
「へえ、それでも、表に白黒の花輪、葬儀屋がウロついていて、忌中札まで出てましたもんで」
「え、そこまで手がまわって……馬鹿野郎、
表に忌中札まで出しゃがって」と怒ると、
「へへ、長屋の奴らもあんまし利口じゃねえや。
よく見ろい、忌中のそばに近日と書いてあらァ」

江戸時代の芝居興行では、金主と座主のトラブルや、資金繰りの不能、
役者のクレームや、ライバル役者同士の序列争いなど、さまざまな原因で、
予定通りに幕が開かないことがしばしばだったそうです。
そこで、それを見越して、初日のだいぶ前から、「近日開演」の札を出して予防線を張っていました。

上方では春團治師が有名ですね。続きを読む
 
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