はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2014年03月

「小言幸兵衛」という噺

f7973dcb桜も咲き出しまして、いよいよ春本番とんばりましたが、今日はこの噺。

この噺は六代目圓生師が得意にしていて、他の師匠方も演じていました。
志ん生師は「搗屋幸兵衛」と言う方を演じていました。これは、「小言幸兵衛」の前段と一応されています。
麻布の古川に住む大家の田中幸兵衛さんで、一応同じ人物となっていますが、今では完全な別バージョンと考えた方が良いのでは無いでしょうか。
元々は、『借家借り』という上方落語の演目でしたが、かなり古くから江戸でも演じられていました。

 麻布の古川に住む田中幸兵衛さんと言う人、朝、長屋を一回りして、小言を言って来ないと気が済まない気性で、親切心からつい小言が出るのだが、その度が過ぎるきらいがあり、中々店子が長続きしません。
しかし、造作が良いので、借りたい者は次から次へとやって来ます。
今日も豆腐屋さんが来たのですが、口の効き方が気に食わない事から始まって、色々と言います。
ついに豆腐屋さん切れて、啖呵を切って出て行って仕舞います。
次に来たのが仕立屋さんですが、始めは良く、上機嫌で話していたのですが、息子さんの事になると一変。
貸せないと言い出します。
理由を聴くと、「長屋に心中がでるから」と言う事。訳を聴いてみると・・・・

 自分の所から心中なぞ出ようモノなら、大家さんの責任になりますので、うっかりとは貸せないのですがね。
大家さんは、普通は地主に雇われた家作(長屋を含む借家)の管理人ですが、
町役を兼ねていたので、絶大な権限を持っていました。
万一の場合、店子の連帯責任を負わされますからその選択に神経質になるのは当たり前で、
幸兵衛さんの猜疑心は、異常でも何でもなかったわけです。

 こうやって考えると、幸兵衛さんは、親切で責任感の強い、イザとなったら頼りになる人物とも思えますね。
でもそれじゃ噺にならないので、少しエキセントリックにそして妄想癖がある様に描いていますね。

 落語に出て来る大家さんでも「髪結新三」に出て来る大家さんは少し”ワル”で、新三が無宿者と知ってても、
店を貸しています。噺の中でも新三に向かって「江戸中で無宿人に貸す大家がいると思っているのか・・・」
の様な台詞を言っています。知ってて貸している”ワル”なんでしょうね。
幸兵衛さんだったら、絶対貸さないでしょうね。続きを読む

「花見の仇討」と言う噺

130330_1005~02-1「今日は花見の仇討」です。開花予想が明日あたりなので、この噺にしました。

仲の良い三人が花見の趣向を考えていて、一人がいい案が浮かんだ様です。
「仇討ちの芝居をやって受けようじゃねえか、筋書きはこうだ。」
二人の巡礼が上野の山で親の仇に出会って「やあ珍らしや、お主は親の仇、尋常に勝負しろ」
「何をこしゃくな、返り討ちだ」と仇討ちの果し合いを始める。
 競り合っているところへ、六部が仲裁に入り、お芝居だったと明かすって寸法だ。

 四人が夫々、敵役の浪人、巡礼二人、六部の役に別れて、現場で落ち合うことになりました。
 当日、六部役の男が上野の山へ上ろうかという時にうるさ型の叔父さんに捕まって説教を食らい、
酒を飲まされて寝てしまいます。
 
一方、巡礼には成行きで、助太刀の侍が着いてしまったから、話が更にややこしくなって仕舞いました。
 筋書き通り果し合いを始たが、いつまで経っても六部の仲裁が入りません。
、場が持たなくなった三人が揃って逃げ出すと、助太刀の侍が
「逃げるには及ばない、勝負は五分だ」
「勝負は五分でも肝心の六部が来ない」

柳家と三遊亭系は舞台を上野でやってます。古今亭系は飛鳥山が多いかな。
江戸時代、遊興が許されていたのは、向島と飛鳥山です。
ここで疑問、なぜ向島で演じる噺家さんがいなかったのだろう?
まあ、当時の都心から上野以外は離れていました。
飛鳥山は一日がかりの行楽地であった訳で、向島は通常は船で行く所。
そうすると叔父さんの話や何かで、噺にボロがでて、辻褄が合わなくなる恐れがあります。
それに明治になると上野の山でも遊興が許可されたので、設定を作り直したのでしょう。

正蔵師匠も飛鳥山で演じていました。
明治になって敵討ちが禁止になり、舞台がどうしても江戸時代限定となりました。
上方落語では「桜ノ宮」と言います。
騒動を起こすのが茶番仲間ではなく、
浄瑠璃の稽古仲間という点が東京と異なりますが、後の筋は変わりません。
五代目笑福亭松鶴師が得意とし、そのやり方が子息の六代目松鶴師や桂米朝師に伝わりました。

明治期に「花見の趣向」「八笑人」の題で演じた四代目橘家円喬師が、「桜の宮」を一部加味して十八番とし、
これに三代目三遊亭円馬師が立ち回りの型、つまり「見る」要素を付け加えて完成させました。
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お茶汲みと言う話

お茶くみ今日は「お茶汲み」です。

上方落語の「涙の茶」を東京に移入したものです。その元は、狂言の『墨塗女』と言う事です。
この狂言の「黒塗女」から、「黒玉つぶし」と言う噺が出来、そこから墨をお茶に変えて「涙の茶」と言う噺になり、
これを初代小せん師が明治末期に東京に移植し、廓噺として、客と安女郎の虚虚実実のだまし合いをリアルに描写し、現行の東京版「お茶くみ」が完成しました。

吉原から朝帰りの松つぁんが、仲間に昨夜のノロケ話をしています。
今で言う、サービスタイムだから七十銭ポッキリでいいと若い衆が言うので、揚がったのが「安大黒」(安大国と言う説あり)という小見世。

そこで、額の抜け上がった、目のばかに細い花魁を指名したのですが、女は松つぁんを一目見るなり、アレーッと金切り声を上げて外に飛び出しました。
仰天して、あとでわけを聞くと、紫というその花魁、涙ながらに身の上話を始めたというのです。

話というのは、自分は静岡の在の者だが、近所の清三郎という男と恋仲になり、噂になって在所にいられなくなり、親の金を盗んで男と東京へ逃げてきたのだそうです。
 そのうち金を使い果たし、どうにもならないので相談の上、吉原に身を売り、その金を元手に清さんは商売を始めたそうです。
 それからは、清さんに手紙を出すたびに、
「すまねえ、体を大切にしろよ」
 という優しい返事が来ていたのに、そのうちパッタリと来なくなったので、人をやって聞いてみると、病気で明日をも知れないとのこと。
 苦界の身で看病にも行けないので、一生懸命、神信心をして祈ったが、その甲斐もなく、清さんはとうとうあの世の人に・・・

 でも、どうしてもあきらめきれず、毎日泣きの涙で暮らしていたのですが、今日障子を開けると、清さんに瓜二つの人が立っていたので、思わず声を上げた、という次第とか。
「もうあの人のことは思い切るから、おまえさん、年季が明けたらおかみさんにしておくれでないか」
 と、花魁が涙ながらにかき口説くうちに、ヒョイと顔を見ると、目の下に黒いホクロが出来ています。
「よくよく眺めると、涙の代わりに茶を指先につけて目の縁になすりつけて、その茶殻がくっついていやがった」
 馬鹿にしやがる。と怒っています。
 
 これを聞いた勝ちゃん、ひとつその女を見てやろうと、「安大黒」へ行くと、早速、その紫花魁を指名。
 女の顔を見るなり勝さんが、ウワッと叫んで飛び出します。
「ああ、驚いた。おまえさん、いったいどうしたんだい」
「すまねえ。わけというなあこうだ。花魁聞いてくれ。
 おらあ静岡の在の者だが、近所のお清という娘と深い仲になり、噂になって在所にいられず、親の金を盗んで東京へ逃げてきたが、そのうち金も使い果たし、どうにもならねえので相談の上、お清が吉原へ身を売り、その金を元手に俺ァ商売を始めた。手紙を出すたびに、あたしの年季が明けるまで、どうぞ、辛抱して体を大切にしておくれ、と優しい返事が来ていたのに」

 勝さんがいい調子で喋って、涙声になったところで花魁が、
「待っといで。今、お茶をくんでくるから」

 小せん師から志ん生師に受け継がれて、志ん生師は客にわからなくなったところを省き、すっきりと粋な噺に仕立てました。
「初会は使わないが、裏は使うよ」等と言うセリフは志ん生師ならではと云われています。

 本家の「黒玉つぶし」の方は、東京で上方落語を演じた小文治師が得意にしていたそうです。、続きを読む

「悋気の火の玉」と言う噺

91d25d39明後日からお彼岸が始まるのでこの噺です。
本来は夏の噺かも知れませんが、お彼岸という事で、取り上げました。

安永年間(1772〜81)に、吉原の大見世の主人の身に起きた実話をもとにしていると言われます。
原話は、天保4(1833)年刊、桜川慈悲成(1762−1833)作の笑話本「延命養談数」中の「火の玉」です。

これは文楽師の十八番でしたが、五代目圓楽師も文楽師亡き後はよく演じていました。

浅草は花川戸の、鼻緒問屋の主人。
堅物を画に描いたような人間で、女房のほかは一人として女を知らなかったが、ある時、
付き合いで強引に吉原へ誘われ、一度遊んでみると、遊びを知らない者の常ですっかりのめり込んでしまい、
通ったあげくにいい仲になった花魁を身請けして妾宅に囲うことになってしまいます。

こうなると面白く無いのが本妻で、ちくりちくりといやみを言い、だんなが飯を食いたいといっても
「あたしのお給仕なんかじゃおいしくございますまい、ふん」という調子でふてくされるので、
亭主の方も自分に責任があることはわかっていても、おもしろくありません。
次第に本宅からの足が遠のき、月の大半は根岸泊まりとなってしまいます。

そうなると、ますます収まらない本妻、あの女さえ亡き者にしてしまえば、と物騒にも、愛人を祈り殺すために「丑の時参り」を始めます。
それを知った妾も負けじとやり返します。
向うが5寸釘ならこちらは6寸でとエスカレトして行き、ついにはお互いが念が通じたのか、同時刻に亡くなってしまいます。

自業自得とはいえ、ばかを見たのはだんなで、葬式を一ぺんに二つ出す羽目になり、泣くに泣けません。
それからまもなく、また怪奇な噂が近所で立つ様になりました。
鼻緒屋の本宅から恐ろしく大きな火の玉が上がって、根岸の方角に猛スピードですっ飛んで行き、根岸の方からも同じような火の玉が花川戸へまっしぐら。
ちょうど、中間の大音寺門前でこの二つがぶつかり、火花を散らして死闘を演じる、というのです。
困った旦那は叔父の谷中の木蓮寺で和尚に相談して、お経で成仏させてもらうことにします。

時刻は丑三ツ時。
番頭と話しているうちに根岸の方角から突然火の玉が上がったと思うと、フンワリフンワリこちらへ飛んできて、
三べん回ると、ピタリと着地。
「いや、よく来てくれた。いやね、おまえの気持ちもわかるが、そこはおまえは苦労人なんだから、なんとかうまく下手に出て……時に、ちょっと煙草の火をつけさしとくれ」と、火の玉の火を借りて、スパスパ。

まもなく、今度は花川戸の方から本妻の火の玉が、ロケット弾のような猛スピードで飛んでくる。
「いや、待ってました。いやね、こいつもわびているんで、おまえもなんとか穏便に……時に、ちょいと煙草の火……」
「あたしの火じゃ、おいしくございますまい、ふん」

この噺の元になった実話というのは、安永ごろ、吉原遊郭内の張り見世である上総屋の主・逸磨の妻と妾の間に起きた騒動のことだそうです。

大音寺って?よく噺に出てきますが、現・台東区竜泉一丁目で、浄土宗の正覚山大音寺のことです。
「文七元結」や「蔵前駕籠」にも登場しますが、大音寺門前は夜は人通りが少なく、物取り強盗や辻斬りが出没した物騒なところだったそうです。

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浅草演芸ホール3月上席千秋楽昼の部

4cca5763久しぶりに寄席のレポートを……
朝から行こうと思っていたのですが、用事が重なり昼過ぎになってしまいました。
おまけに夜も用事があるので昼席のみとなって仕舞いました。

2時半頃に行くと正楽師が高座に出ていまして、注文に応じて切っていました。
「ミッキーマウス」「烏賊釣り」「土俵入り」と切っていました。

吉窓さんが次に上がり、「動物園」でした。この演目も必ず掛かりますね。多くの噺家さんがやりますので、
自分の個性を出すのが難しいですね。

次が仲入りでこぶ蔵で「読書の時間」でした。
全く正蔵という名が泣きます。最近結構彼の高座に出会いますが、これか「ハンカチ」のみ。
古典落語に出会った事がないです。
時間の関係かと思いましたが、今日なんて長々と「松村」ネタで時間を潰しています。
今日は前と違い声もかからず、拍手もまばらでした。
この事をもっと考えて欲しいです。
名前返上しろ! と思いました。

食いつくきは天どんさんで、「TVショッピング」でした。彼は圓丈師に何か似て来ましたね。

次が、ひびきわたるさんで、変わった漫談でキセルとフルートを演奏しました。

その次が問題の三平です。
もうひどい、聴いているのが辛い!
漫談ですが父親の完全に劣化コピーです。
存在価値もないと思います。
小朝師があんなに稽古したのが完全に無駄になっています。
名前は返さなくても良いから廃業して欲しいです。

次は一朝師の代わりに小燕枝師でした。演目はやはりこの人は判っています「長屋の花見」でした。
いい出来でした。やっとまともな古典落語が聴けました。

仙三郎車中の太神楽が、アッという間に終わり圓丈師の途上ですが、今日はひどかった!
演目は「ランゴランゴ」でしたが、前に聴いた時よりひどい、もう今日はよれよれでした。
トチリもあり言い直しもあり、今日は最低の出来でした。
お客も呆れていて、下げを言っても拍手すら無い状態でした。
九割ぐらいは埋まっていたのですがね。

ここで私も帰りました。用事が無くてもこの酷さなら聴き続ける気が無くなっていたでしょうね。
落語はあきらかに劣化していますね。
一部の噺家さんはレベルを保っていますが、今日の様な状態ならお客は去っていくと思います。
と言う訳で……続きを読む
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