はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2013年11月

中村仲蔵と言う噺

2d43192f先日は「淀五郎」だったので今日は「中村仲蔵」です。

の噺は、江戸末期〜明治初期の名脇役だった三世仲蔵(1809〜85)の自伝的随筆「手前味噌」の
中に初代の苦労を描いた、ほとんど同内容の逸話があるので、それをもとにした講談が作られ、
さらに落語に仕立てたものと思われます。

芝居修行を続けて名題に昇格した中村仲蔵が、どんな大役がもらえるかと期待していると、
与えられた役は、つまらない場面なので客が食事をする弁当幕と呼ばれると、忠臣蔵五段目の端役、定九郎だった。
気落ちして上方修行に出るという仲蔵に女房が、あんたにしか出来ない定九郎を演じろって言う期待じゃないのかいと励まします。
ある日、妙見様にお詣りに行った帰りに、雨に振られ蕎麦屋に駆け込む。
そこに後から来た侍の姿に衝撃を受け、役作りの参考にします。
それから、衣装と見栄に工夫を重ね、斬新な定九郎を作り上げて演じます。
見事な演技に、観客は掛け声も忘れて、ただうなるだけだった。客席が静かなので、ウケなかったと勘違いし、また上方修行へと旅立とうとします。
途中で「昨日の定九郎を見たかい、素晴らしかった」との話を小耳に挟み、これを女房に伝えるために家に戻る。
 そこで親方に呼ばれ、昨日の芝居は良かったと褒められ、褒美に煙草入れをもらって家に戻り、女房に礼を言います。
失敗したの、うまくいったのって、私しゃ煙に巻かれちまうよ。
 「おお!もらったのが煙草入れ」

この中村仲蔵が、名作仮名手本忠臣蔵の五段目で斧定九郎を工夫して現在の型にしたという実録談で、
それまではつまらない役でした。
 ”稲荷町”から”名題”になった稀代なる名優で屋号を栄屋、俳名を秀鶴。江戸時代に、中村仲蔵ほどの出世をしたものはなく、他に幕末になって市川小団次しかないという名優であった。寛政二年(1790)4月23日死去。享年55歳。墓は谷中霊園に有ります。
仲蔵の生涯については、松井 今朝子さんの「仲蔵狂乱」に詳しく書かれています。
かなり面白い本ですので、興味のある方は一読をオススメします。

元々の話は、座頭と立作者が当時は役を決めたようで、立作者の金井三笑は芸の上での喧嘩から仲蔵に五段目の斧定九郎一役だけといういじわるしたのがそもそもの話の始まりと言う事です。
圓生師の「圓生百席」では詳しく語っていますが、その為時間が長くなってしまってます。
CDと言う自由に聴ける媒体ならではですね。
生の高座だと時間の関係で無理でしょうね。
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淀五郎と言う噺

75fc956f今日はそろそろ十二月も近いのでこの噺です。

江戸時代の歌舞伎の世界を背景に、芸に生きる役者の哀歓を描いた名作と言われています。
圓生師を始め正蔵師、志ん生師等歴代の名人、上手が演じてきました。
話術もさながら、淀五郎演ずる判官の切腹の様が、仲蔵のアドバアイスにより見違えるように上手くなる様子がお客さんにも判る様に演じる必要があるので、歌舞伎の知識と、演技力が問われますので、難しい演目と言われています。

初日を前に「仮名手本忠臣蔵」の塩冶判官の役者が急病で出られなくなりました。
座頭の市川團蔵は、前から見込みがあると目をつけていた若手の澤村淀五郎を抜擢する事にします。

淀五郎はここぞと張り切るが、自分では解らないものの、他から観ると演技が上手く行きません。
その為、肝心の四段目「判官切腹の場」になると、大星由良之助役の團蔵は舞台に来ないで花道で平伏したまま。
そんな事が2日続き、評判が悪くなって仕舞います。

皮肉屋の團蔵ならではの叱咤激励なのですが、淀五郎には分かりません。
「親方、どのように判官を勤めたらよろしゅうございますか」と團蔵に聞くも、「お前は役者だろ。そんな事も分からないなら、本当に腹を切れ!お前みてえな下手な役者は腹を切って死んじまえ」と言われて仕舞います。

思い余った淀五郎は、舞台で本当に腹を切ろうと思い込みます。そして、その前に憎い團蔵を殺してしまおうと心に決め、世話になった初代中村仲蔵のもとに暇乞いに行くのですが、様子を察した仲蔵に諭されます。
おまけに、判官切腹の正しい演じ方まで教えてくれます。
仲蔵の有難い忠告を胸に淀五郎は徹夜で稽古するのでした・・・
その甲斐あって、翌日、淀五郎は見違える様に上達し、團蔵も「大したもんだ!富士のお山は一晩で出来たっていうが、あの野郎、一晩で判官を作りやがった」と感心し、舞台に来て淀五郎の判官の傍で平伏します。それに気づいた淀五郎「ウ〜ム、待ちかねた!」

この噺はよく、「團蔵より、仲蔵がいいね〜」等と言われますが、團蔵の心の内側まで聴いている者に悟れる様にしなくってはならず、かなりの技量を要求されます。
オチは仮名手本忠臣蔵 四段目の判官と由良助のシーンから来ています。
聞き手も歌舞伎を知らないと楽しめませんね。

江戸時代の芝居小屋は上演中でも客が出入り自由だったのですが、誰も何も言いませんでした。
でも、ひとつだけ例外がありました。それが忠臣蔵の四段目で「由良之助はまだか」とまちかねる塩冶判官が自らの腹に刀を突き立てたその時に、由良之助が早駕篭で到着するという緊張感満点の大見せ場は、「出物止め」、上方では「通さん場」と言って、決して途中入場、退場を許さなかったそうです。

この頃の芝居は朝早くから幕が開きました。観客も通しで熱心に見ている訳ではなく、飲み食いしながら、
時には観客同士が語らいながらの観劇でした。
芝居の中での見せ場が来ると、顔を照らす黒子が登場し、観客によく判る様にしました。
この時は、熱心に見たそうで、時には掛け声も掛かったそうです。

役者の階級は 下立役(稲荷町)−中通り(チュウドオリ)−相中(アイチュウ)−相中見習い−相中上分−名題下−名題(ナダイ)と格が上がっていったので、淀五郎は相中上分・名題下を飛び越え名題に抜擢されたので、やはり舞い上がるほど喜んだのでしょうね。
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今日は談志師の命日ですね

ed370120今日は立川談志師の三回忌ですね。

今週と来週ラジオ日本で深夜に特番が組まれています。
「ラジカントロプス2.0」と言う番組です。
番組HRより
11月18日(月)、25日(月)は2週連続特別企画を放送します。11月21日で立川談志師匠は三回忌を迎えます。そこで、生前、談志師匠と深い御つきあいがあった春風亭小朝師匠、そして、立川談志師匠の直弟子の立川左談次師匠、立川ぜん馬師匠をゲストに、「立川談志三回忌特別番組」をお送りします。談志師匠を偲んで、天才噺家談志師匠の芸、今だから話せる意外な師匠の素顔など。

ネットでも聴けます。興味のある方はこちらから
http://www.jorf.co.jp/PROGRAM/radio.php

で今日は最後の演目と言われた「蜘蛛駕籠」です。
元は上方落語の「住吉駕籠」で、住吉大社が舞台ですが、明治時代に3代目柳家小さん師が東京に持ち込み舞台を鈴が森に変えて演じました。

鈴が森で客待ちをしている駕籠(かご) 屋の二人組。
ところが、前棒がおめでたい野郎で、相棒がはばかりに行っている間に、茶店のおやじをつかまえて
「だんな、へい駕籠」と遣る始末です。
次に来たのが身分のありそうな侍で、「ああ駕籠屋、お駕籠が二丁じゃ」「へい、ありがとう存じます」
「前の駕籠がお姫さま、後ろがお乳母殿、両掛けが二丁、お供まわりが四、五人付き添って」
と言うから、てっきり上客と思い、喜び勇んで仲間を呼びに行きかけたら
「そのような駕籠が通らなかったか」・・・
その次は酔っぱらい。
女と茶屋に上がり、銚子十五本空にして、肴の残りを竹の皮に包んで持ってきたことや、
女房のノロケをえんえんと繰り返し、おまけにいちいち包みを懐から出して開いてみせるので、
駕籠屋は閉口。
今度は金を持っていそうなだんなが呼び止めるので、二人は一安心。
酒手もなにもひっくるめて二分で折り合いがつき、天保銭一枚別にくれて、
出発前にこれで一杯やってこいといってくれたので、駕籠屋が大喜びで姿を消したすきに、なんともう一人が現れて、
一丁の駕籠に二人が乗り込みます。
帰ってきた駕籠屋、やせただんなと見えたのにいやに重く、なかなか棒が持ち上がらないので変だと思っていると、中からヒソヒソ話し声が聞こえるから、簾をめくるとやっぱり二人。
文句を言うと、江戸に着いたらなんとでもしてやるからと頼むので、しかたなくまたヨロヨロと担ぎ出します。
ところが、駕籠の中の二人、相撲の話になり、ドタンバタンと取っ組み合いを始めたからたまららない。
たちまち底が抜け、駕籠がすっと軽くなります。
下りてくれと言っても、修繕代は出すからこのままやれ、オレたちも中で歩くからと、とうとう世にも不思議な珍道中が出現します。
これを見ていた子供が、
「おとっつぁん、駕籠は足何本ある?」
「おかしなことォ聞くな。前と後で足は四本に決まってる」
「でも、あの駕籠は足が八本あるよ」
「うーん、あれが本当のクモ駕籠だ」

籠の底が抜けて、客が歩く部分の原話は享保12年の笑話本「軽口初賣買」中の「乗手の頓作」ですが、
実在した大坂・船場の豪商で奇人として有名だった河内屋太郎兵衛の逸話をもとにしたものともいわれます。

雲助は芝居や時代劇では悪く描かれていますが、事実は落語の様に善良な人が多く、米朝師も噺の中で、
「こういう(住吉街道のような人通りの多い)ところの駕籠屋は、街中の辻駕籠同様、いたってタチがよかったもので」と語っています。
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浅草演芸ホール11月下席後半 8日目

4cca5763今日は仕事も休みで、体調も大分回復してきたので、浅草に行きました。今月は始めてです。家族サービスやら痛風の発作で唸っていたりで行けなかったのです。

2時半頃に到着すると、栄馬師が高座に上がり、マクラを話始めた処でした。その後「変わり目」に入って行きました。
手慣れたものでした。師の「変わり目」は何回も聴いていますが、旦那さんがちょっと気弱なのが特徴です。
芸協では好きな噺家さんの一人です。

続きは圓満さんで「金明竹」の前半「傘骨」の下りでした。この人は明るい芸風で将来楽しみな噺家さんです。
その次は助六師「春雨宿」でした芸協の噺家さんはこの噺を結構やりますね。でも桃太郎師が一番笑えますね。
その次は笑三師で「異母兄弟」でした。もう楽屋から高座までの歩き方が危なげです。大丈夫なんだろうか?

鏡味正二郎さんの太神楽ですが、この方結構個性的な曲芸をなさって新鮮でした。
昼の部のトリは圓師匠で、「近日息子」でした。マクラが長く、談志師の思い出等を話していて、昔話で終わりかな?と思いましたが、きちんと一席やりました。

10分休憩の後は夜の部です。
前座には笑福亭鶴光師の弟子の希光さんでした。
この人なんと、見台に膝隠を用意して小拍子で「タカタン」と打ちながら本格的な上方落語をやり始めました。
演目は「東の旅・発端」です。まあ、前座噺なので、その通りなのですが、あの小拍子はリズム良くやらないと駄目だという事が良く判りました。流れる様な言葉の中に「あ〜」とか「う〜」とか入ると返って聞きづらいですね。
まあ、でも珍しいものが見られて満足です。
あの見台と膝隠、それに小拍子は真新しかったですが、どうしたのだろう? 寄席側で用意したのか、協会で用意したのか、それとも彼が個人で用意したのか……謎です。

次は春雨や一門の風子さんで「桃太郎」でした。前半カットで時間が無いとはいえ乱暴ですね。
それからは、ピロキさんで受けていましたね。

その次は鯉橋さんで「犬の目」でした。時に印象に残りませんね。
遊史郎さんで「ふぐ鍋」でした。たしか小南師が冬になるとやっていました。
珍しい噺で始まりが「ちりとてちん」と似ているので三遊で「ちりとてちん」か?と思いました……まさかね(^^)

新山真理さんの慢談の後は文治師で「粗忽長屋」でした。
いや〜それまでの噺家さんが大人し目だったので、声が大きく賑やかな文治さんで客席が一気に湧きましたね。
楽しんだ処で腰が痛くなって来たので帰宅しました。
仲入りが圓馬師だったので見て居たかったのですが、痛風の他に腰も痛めているので大事を取りました。続きを読む

「棒鱈」と言う噺

k0200a今日は「棒鱈」です。

かなり古くからある噺らしいのですが、噺の内容からすると幕末あたりですかねえ?

代々小さん一門に伝わっている噺です。八代目柳枝師が特にしていました。
現役では小三治師、さん喬師を始めかなりの噺家さんが演じています。

江戸っ子の二人連れが料理屋の隣座敷で、田舎侍が大騒ぎする声を苦々しく聞いています。
「琉球へおじゃるなら草履ははいておじゃれ」などという間抜けな歌をがなっていて、静かになったと思ったら、
芸者が来た様子で、隣の会話が筒抜けに聴こえてくるので、余計腹が立って来ます。
芸者が、「あなたのお好きなものは?」と聞くと
「おいどんの好きなのは、エボエボ坊主のそっぱ漬、赤ベロベロの醤油漬けじゃ」等と言う始末。
何の事かと思ったら、タコの三杯酢と鮪の刺し身だと言う。
「おい、聞いたかい。あの野郎の言いぐさをよ。マグロのサムスだとよ。……なに、聞こえたかってかまうもんか。あのバカッ」
と大きな声を出して仕舞います。
芸者が、侍が怒るのをなだめて、三味線を弾きますから何か聞かせてちょうだい
と言うと、侍
「モーズがクーツバシ、サーブロヒョーエ、ナーギナタ、サーセヤ、カーラカサ、タヌキノハラツヅミ、ヤッポコポンノポン」と、歌い出す始末。
あきれかえっていると、今度は「おしょうがちいが、松飾り、にがちいが、テンテコテン」とやりだします。
気の短い江戸っ子が、我慢ならなくなって、隣を覗こうと立ち上がります。
相棒が止めるのも聞かずに出かけていくと、酔っているからすべって、障子もろとも突っ込みます。
驚いたのが田舎侍。
「これはなんじゃ。人間が降ってきた」
「何ォ言ってやがるんでえ。てめえだな。さっきからパアパアいってやがんのは。酒がまずくならあ。マグーロのサスム、おしょうがちいがテンテコテンってやがら。ばかァ」
「こやつ、無礼なやつ」
「無礼ってなあ、こういうんだ」
と、いきなり武士の面体に赤ベロベロをぶっかけたから
「そこへ直れ。真っ二つにいたしてくれる」
「しゃれたたこと言いやがる。さ、斬っつくれ。
斬って赤くなかったら銭はとらねえ、西瓜野郎ってんだ。さあ、斬りゃあがれッ」と、大喧嘩。
そこへ料理人が、客のあつらえの鱈もどきができたので、薬味の胡椒を添えて上がろうとしたところへけんかの知らせ。
あわてて胡椒を持ったまま、それを振り掛けたからたまりません。
ハックション、ハックションの連続です。
さすがに静かになり、「どうなりました?」
丁度、胡椒(故障=邪魔)が入ったところ・・・

まあ、江戸っ子は地方の藩の武士が江戸に出て来て努めていても「浅葱裏」と言ってバカにしていたそうです。
それにこの噺の時期はどうも幕末から明治の初めと推定されますので、薩摩出身の武士には余計反感があったのかも知れません。
その点でも「首提灯」と似ている処がありますね。
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