らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2013年09月

img2007090800101-sanma今年はサンマが何故か高いのですが、皆さんはもう食べられましたでしょうか?
私は先日、やっと食べました。高かったけど美味しかったです。

そこで今日は「目黒の秋刀魚」です。

と言う屁理屈を付けて、もう9月ですのでこの噺と言う事になります。
かなり古くから語られている噺で、生粋の江戸落語です。大体、武士が出て来る噺は江戸が多いですね。

江戸城に居る上様が不意に野駆に出かけると言い出し、さっさと馬に乗り出かけて仕舞います。
中目黒あたり迄来たのですが、弁当を持ってこなかったので、昼時になると腹が減ってしかたありません。
その時どこからか、魚を焼くいい匂いがします。聞くと秋刀魚と言う魚だと言う。

供は「この魚は下衆庶民の食べる下衆魚、決して上様のお口に合う物ではございません」と言う。
上様は「こんなときにそんなことを言っていられるか」と言い、供にさんまを持ってこさせた。これはサンマを直接炭火に突っ込んで焼かれた「隠亡焼き」と呼ばれるもので、上様の口に入れるようなものであるはずがない。
とはいえ食べてみると非常に美味しく、上様はさんまという魚の存在を初めて知り、かつ大好きになります。

それ以来、寝ても覚めても秋刀魚の事ばかりが頭に浮かびます。
ある日、御三家が揃っている処で、上様は秋刀魚の事を聞きますと、水戸様が「我が領地は秋刀魚の産地です」と答えるのを聴いて、「ではさる重陽の節句の時に皆に馳走してくれ」と頼みます。
当日、城内は秋刀魚の山ばかり、これを焼いたものだから、凄い煙が火事だと思い、火消しが来る始末です。
思い通りに秋刀魚を食べた、上様ですが・・・
「これが水戸の本場か?」と訪ねます。
「はい、御意にございます」
「いや〜秋刀魚は目黒に限る」

この筋は、正蔵師のパターンです。他の噺家さんとは違っています。
普通の筋はhttp://blog.livedoor.jp/isogaihajime/archives/1529208.html#more

目黒に限らず、江戸の郊外は将軍家の御鷹狩の場所でした。
ですので、鷹狩と言うと大げさになるので、お忍びでの野駆けと言うのが本当の処でしょうね。

上様が食べた秋刀魚ですが、江戸時代には目黒は芋の産地で行商が盛んに行われていたそうです。
「目黒のいも」の大需要地が、東海道品川宿と、大きな魚市場が当時存在していた芝であったので、
目黒を朝早く出て両地にて芋を売り、その代金で「芝のサンマ」を買って、昼過ぎに歩いて目黒に帰るのが行商人のパターンの一つだったという事です。
ですから、昼過ぎには間に合ったのですね。

秋刀魚は当時は、保存の為、産地(銚子等)で塩を軽く振り、鮮度の維持に努めました。その後船で一昼夜かけて、日本橋に運び込まれたので、一般の人々が食べる頃は、塩味が付いていて、
そのまま焼いても美味しかったそうです。続きを読む

d3d3a271今日は大相撲で把瑠都関が引退と言う事なので、「佐野山」です。

横綱・谷風は実在した力士ですが、佐野山に関しては?居なかったという説もあるそうですが、
佐野山は確かに実在の力士で、この噺のモデルは江戸時代の文化頃に活躍した人物だと思います。

江戸時代の大横綱で谷風梶之助は名人を通り越して人格者でした。その
谷風が生涯一回だけ八百長相撲をヤッタという噺ですが・・・創作ですw

江戸の相撲取り、佐野山は幕内にまで入った力士でしたが、、母親が病気になり、看病に時間を費やすうち、相撲の成績がジリ貧に。
とうとう幕下の一番下まで下がってしまいました。
「ああ、これでおれの相撲もおしまいか」そんな佐野山の嘆きを耳にした横綱・谷風は佐野山との取り組みを希望します。
当時全盛の横綱・谷風と連敗続きの佐野山の取り組みに相撲贔屓は驚きます。
「あんなに実力差があったんでは勝負になるまい」という声や、
「明日の取り組みは遺恨相撲で、女をとられた谷風が佐野山を投げ殺すらしい」などという噂が飛び交います。
魚河岸や大旦那連中は100両、200両、花柳界のお姉さんまで佐野山に祝儀約束をします。
それもそのはず、勝てる見込みは無いから、みんな言いたい放題、無責任に言っている始末。 
さて、いよいよ千秋楽結びの一番。
谷風には思惑があったのでした・・・・・

当時の相撲興行は晴天十日でしたから、十日で終わる事は少なかった様です。
雨が続くと10日が2倍にも3倍にも興行日が延びてしまうのですね。
もちろん会場は両国の回向院で開催されました。
続きを読む

oomon今日は「付き馬」です
吉原で「今は持ち合わせがないが、お茶屋のツケを集金すれば金ができるので、明日払いで良けりゃ遊んでってやるよ」ということでどんちゃん騒を始めます。
 翌朝、郭の中のお茶屋だから一緒に集金に行こうと、若い衆を連れ出し、ちょっと大門の外の空気を吸ってみようと、更に外に引っ張り出す。この後、風呂に入り飯を食って若い衆に払わせ、浅草の雷門まで来てしまいました。

 ここから中まで戻るのは面倒だから、近くの早桶屋の叔父さんに金をこしらえて貰おうと言い出します。
付き馬の牛太郎を外に待たせたまま、早桶の注文をして、外に聞こえるように「早くこしらえておくれ」と云います。
若い衆を呼んで「出来たら叔父さんから受け取ってくれ」と言い残して男は、帰ってしまいました。
「出来たけど、どうやって運ぶ」と聞かれて、早桶を注文したことを知らさせるが後の祭り。
棺桶代を請求されて金が無いというと、「おい奴(やっこ)、中まで馬に行け」

原話は元禄5年(1692年)に出版された笑話本・「噺かのこ」の第四巻、「薬屋にて人参を騙りし事」です。
又の題を「早桶屋」とも云い、圓生師はこの名で演じていました。

もともとは、薬屋で朝鮮人参をだまし取るという内容だったものですが、廓噺に変わりました。

私が最初に聴いた時(圓生師でしたが)疑問に思ったのは、早桶屋の事でした。
時代は「花やしき」等があり、どう見ても明治から大正です。
「図抜け一番小判型」等と言う座棺がそのころでも使っていたのかどうか?でした。
てっきり江戸時代迄だと思っていたのですが、違いました。
よく調べると、寝棺は火葬、座棺は土葬用と書いてありますが、一概にそうでも無いようです。
ある調べでは昭和21年の京都市では火葬の74%が座棺を使用していたそうです。
最も25年には半分に下がりますが・・・
つまり、戦後もある時期迄は座棺が結構使用されていたと言う事です。
小三治師は若い頃銭湯で、この早桶の職人だったお爺さんと仲良くなり、
色々と教わったそうです。
「そのうち、こうゆうのも話しておかないと忘れさられてしまうからな」
そう言ってたそうで、正にその通りですね。

付き馬の由来は、昔は吉原の馬子さんが其の物の家まで取りに行って」たのですが、
そのうちに、集金した金を持ち逃げする馬子が多くなったので、馬子じゃなくて、店の若い者に集金させる様になりました。そこから「付き馬」という様になりました。
続きを読む

f0004905_2003237今日は「しわい屋」です。

落語「位牌屋」の冒頭部分が独立して出来た噺です。
サゲの部分は1776年の「夕涼新話集」の「金もち」です。

ある吝嗇家の処にこれまたケチな男がケチの極意を教わりにやってきます。
まず扇子の使い方から始まって、ご飯のおかず梅干しを食べていると聞くと
それは勿体無い、私なら見ていて酸っぱい唾液が口に一杯になったら、そこでご飯を食べる。
梅干しは減らない。
醤油を箸ですくって挟んで口に持っていく。醤油の香りでご飯を食べる。だのろくなのはありません。

本当の極意、秘伝を教えてくれと言われて、それならと裏庭に連れ出します。
大きな木があり、その木に掛かってる梯子を登る様に言います。
登り木にぶら下がると梯子を外して仕舞います。
「左の手」を離す様に言います。
言われた通りにすると、右も離すように言います。
「冗談じゃない、これを離したら死んじゃう!」
「だから、一旦握ったものは離しちゃいけない」

この他にもいわゆるケチの小咄を寄せ集めた噺ですので、
色々なパターンがある様です。
天井から大きな石をぶる下げて、その下で暮らすと、ハラハラの連続で汗をかくので着物が要らないだの、
色々あります。
上方では「始末の極意」とも言います。

サゲがもう一つあり、帰ろうとすると、部屋が暗くて足元が解らない。吝嗇家にマッチを借りようとすると、「目と目の間を殴るんだ。火花で明るく見えるうちに下駄を探せ」との返事。そんな事はとうに見越していた男、「だと思って裸足で来た」と言うと、吝嗇家が「だと思って、部屋中の畳を裏返しにしておいた」
続きを読む

img_1529166_32283524_0今日は「猫久」です。

原話は不詳で、幕末の嘉永年間ごろから口演されてきた、古い江戸落語で、明治中期の二代目小さん師が完成させた噺で、それ以来代々小さん師が工夫を重ね現代まで伝わってきました。

 長屋の熊さんの向かいに住んでいる久六は、いつもおとなしく、猫の久六と呼ばれている。
その猫久が、ある日、血相を変えて家に帰ってきて、刀を出せと女房に言いつける、あわてて止めると思いの外、
女房は刀を三度押し戴いてから亭主に渡し、猫久は駆けだして行った。

向かいで一部始終を見ていた熊さんは、床屋に行って、大声で親方にその話しをします。
それを、たまたま奥で聞いていた侍が、それは天晴れ、女の鑑であると感心して、
「よおっく承れ。日ごろ猫とあだ名されるほど人柄のよい男が、血相を変えてわが家に立ち寄り、剣を出せとはよくよく逃れざる場合。また日ごろ妻なる者は夫の心中をよくはかり、これを神前に三ベンいただいてつかわしたるは、
先方にけがのなきよう、夫にけがのなきよう神に祈り夫を思う心底。
見共にも二十五になるせがれがあるが、ゆくゆくはさような女をめとらしてやりたい。
後世おそるべし。貞女なり孝女なり烈女なり賢女なり、あっぱれあっぱれ」
と言われますが、その実よく分かりません。いただく方が本物なんだと感心して、家に帰ります。

すると、かみさんが、イワシイワシとがなり立てるので、さっきの侍の真似をしてやろうと思います。
「オレが何か持ってこいって言ったら、てめえなんざ、いただいて持ってこれめえ」
「そんなこと、わけないよ」
等と言い合っているうち、イワシを本物の猫がくわえていってしまいます。

「ちくしょう、おっかあ、そのその摺粉木でいいから、早く持って来いッ。張り倒してやるから」
「待っといでよう。今あたしゃいただいてるところだ」

この噺のキモは途中で出て来る侍です。
侍の怖さを感じさせないと、この噺は面白くありません。
侍が怖いので熊さんは何だか良く判らないのに、納得したフリをしてしまうのです。
武士と町人は、身分が違ったので、普通は身分が違うから、もとよりふつうに話ができるものではないのですが、江戸時代とはそう云う世界だったという事ですね。

二尺以下なら町人でも護身用に刀を持つことが出来ました。
続きを読む

このページのトップヘ