らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2013年09月

「胴切り」という噺

05092102-thumb何やら台風がまた近づいていますが、どうでしょうか?
今日は「胴切り」です。
これは東京では「首提灯」等のマクラで簡単に語られていますが、上方ではきっちり一席の噺となっています。
代々米朝一門の噺だそうですが、東京では歌武蔵さんが演じています。

江戸時代ここらあたりは、諸大名の蔵屋敷が軒をつらねていて、諸国の侍がうろうろしていました。
町方の手のはいりにくい蔵屋敷の中間部屋が、ばくち場になっていたそうです。

すってんてんになった男が酒の勢いも手伝って、道を聞いた田舎侍にからみ、悪態をついたあげく、かーっと、痰をはきつけました。
怒った侍、「許さんぞ、そこ動くな。エイッ」と腰をひねると、ずばーっとみごとな胴斬り。

切られたほうは、胴体がポーンと用水桶の上に載って、足だけが、ひょこひょこ、むこうに行ってしまう。
斬られた男のよめはんが、家に連れ帰られた二つになった亭主をみながら、
「この人五体満足でも食いかねてるのに、これからどうしたらええのやろ、」
と心配するのを、世話好きの友達が就職口を世話してくれます。

上半分を風呂屋の番台に、足だけを麩屋の麩踏みの職人として奉公させます。
麩を作るとき、ひたすら脚で麩を踏むのだ。それぞれに適所適材で、
双方の雇い主からも大いに重宝されたました。

兄貴分の勧めに従い就職し、しばらくの時が過ぎた頃、兄貴分が様子を伺いに行くと、
銭湯、蒟蒻屋ともに「いい人を連れてきてくれた」と重宝している様子です。
ただ、働いている当人たち曰く、
上半身「近頃目がかすむから、三里に灸をすえてくれ」
すると、下半身は
「あまり茶ばかり飲むな、小便が近くていけねえ」

この噺で不思議なのは、下半身がどういう風にしてはなしをしたのか?
という事ですが、噺家によっては危ない描写を入れる人もいます。
どういうのかって・・・それは想像してください。
下半身で口がきけそうな処ですww

落語でなければ出来ない噺ですね。この噺や「首提灯」等剣術の達人が出てきますね。
刺されたり切られた方に伺うと、その時は「ひやっと」するらしいですね。
私も包丁で結構派手にあちこち切っていますが、その時は痛く無いですね。
次の瞬間それなりに痛くなってきますが・・・

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東京かわら版平成25年10月号より

entry_cover1310-thumb-188x360-1695今日は本日来た「東京かわら版」10月号よりお届けします。

表紙は今、真打披露興行が始まっている新真打です。

・巻頭エセーは
柏木美里さんです「落語と私 私と落語」
ですが、この前「落語DEデート」んじ出演したそうです。
この前お江戸日本橋亭で落語を口演したそうです。
今ハマってるそうです。

・今月のインタビューは落語協会秋の新真打で、三遊亭天どん、川柳つくし、三遊亭金朝、金原亭龍馬、柳家喬志郎の5名です。
つくし……入門する時に「女では古典は無理だから新作なら弟子にする」と言われたので、基本新作ですが、古典も最近はやるそうです。
龍馬……談志師の落語会などへ行っているうちに入門するなら伯楽師の処だと決めて入門したのだとか、いわゆる古今亭に憧れたそうです。
天どん……落語を聴いたのは大学生になってからだそうです。古典新作両方これからもやって行きたいとの事。
金朝……小金馬師に入門したのは「基本がしっかりしていたから」だそうで、初心を忘れず貪欲にやっていきたいのだそうです。
喬志郎……一門は弟子が大勢いるが自分は駄目な方だと思う、実力を磨いて行きたいとのことで、喬四郎から
喬志郎に変えたのは師匠が四の字を嫌ったからだそうです。

・表紙の林家正楽による今月の紙切りは「品川心中」です。

・堀井ちゃんのコーナーは新真打の古典と新作の比率だそうです。
つくしー古典9,新作30
龍馬ー古典のみ46
喬志郎ー古典8,新作26
天どんー古32、新42
金朝ー古典40
だそうです。

・若手の紹介は三遊亭橘也さんです。

・本日のお題は「慶安太平記」で談志志がやってましたね。

entry_cover-meikan13-thumb-188x360-1698それと、今月号は希望者で申し込み者だけですが「寄席演芸家」年鑑が一緒に送られてきました。 今月はこの辺で……





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浅草演芸ホール9月下席4日目昼の部

4cca5763今日は休みなので、時間を作り浅草へ行ってきました。

実は、友人等から、浅草演芸ホールの営業が変わり、招待券と現金でキップを買って入ったお客と対応が分かれる様になった。
と訊いたので、そこも確かめてきました。

1時半頃に浅草に到着しました。今日は私は招待券で入りました。
すると2階は閉鎖です。
これは最近多いですね。先月記事にはしませんでしたが。2度ほど夜席に行ってますが、閉鎖されていました。
以前、落語ブームが来る前でも、閉鎖という事はありませんでした。
この点は以前と明らかに違っています。

1階に入ると席のあちらこちらと真ん中の見やすい場所が紐で、くくってあり「団体席とか、「予約席」と書いてあります。
ですので、お客さんが通路も後ろも足の踏み場の無い程混んでいました。
この席は現金で入ったお客さんを座らせる為の席でした。
一々ホールの従業員が案内して座らせていました。
これは、現金で入ったお客さんを優遇するのは理解出来ます。
正直、私が現金で入ったら、正直座りたいですw

問題は、その空けていた席も埋まって、本当に満員電車もかくあるか?という程の混雑でもエアコンは掛けないし、2階も開けない事でした。
浅草はお年寄りが特に多い寄席です。
本当に皆辛そうです。
「省エネ」という事なのかも知れませんが、もう少し考えて欲しいです。
番組が進み、1階からあふれる様になり、渋々2階を開けました。

それと、浅草演芸ホールの従業員の方は総じてお客に対する態度が良く無いですね。
同じ客商売として、どうなのか?と何時も思っています。
一度、番組のプログラムをくれないので、「くれないの?」と言った処、「欲しければ持っていけば」と言われてしまいました。その時は現金で入ったんですけどね……

何時も通ってる寄席ですので悪口は書きたくありませんが、浅草は今、このような状況です。
経営状態が悪いのでしょうか?
そこは私には判りませんが、楽しく落語を聴きたいものです。

そこで、本日見た高座の紹介です。
・春風亭一之輔 「桃太郎」 一之輔さんらしい感じでした。高座に余裕が出て来ましたね。
・桂文楽 「悋気の火の玉」 最近の事件の入れごとが多くて寄席らしかったですね。
・隅田川馬石 「鮑のし」 甚兵衛さんが与太郎になってしまうパターンの奴。笑いを取ってはいましたが、これは甚兵衛さんじゃ無い、只の馬鹿です。
・柳屋小里ん 「碁泥」 絶品でした! 五代目を思わせながら個性を出していて、最近の小里ん師あ良いとは思っていましたが、正に無駄が無く、大げさに声を張り上げる事もありませんでしたが、見事に我々に芸の素晴らしさを伝えてくれました。
ここで仲入りです。
・林家木久蔵 「後生鰻」 まあ、面白かったから良しとしましょう。でも最近は最後の下げがうなぎ屋の親父が言うのですが、これだと「凝っては思案に能わず」の意味が通じなくなって仕舞いますね。これは改悪です!
・林家時蔵 「金明竹」 渋くまとめてくれました。
・柳亭市馬 「目黒のさんま」 無難にまとめてくれて、面白かったです。
・林家ペー 「ギター漫談」ですが、ペーさん面白い! もっと寄席に出て欲しい!
・林家こぶ蔵(正蔵) (主任) 「読書の時間」 手慣れていて問題無しだが、親父の真似はやめろ! 見ていて腹立たしい!ほんと!

という訳でした。続きを読む

穴泥という噺

img_1126720_17049084_4今日は「穴泥」です。

原話は、嘉永年間(1848年~1854年)に出版された笑話本・「今年はなし」の一遍である『どろ棒』です。
上方だと「子盗人」というタイトルですね。
この噺は、圓朝作品ではありませんが、速記が残っており、圓朝全集にも収録されています。

三両の金策がつかないので家に帰ると、女房から「豆腐の角に頭をぶっつけて死んでおしまい」と、ののられます。
頭に来て家を飛び出しますが、あてはありません。
立派な蔵が有る商家の庭先に出ました。奉公人達がそろって遊びに出かけた様ですが、裏木戸がバタンバタンしているので、教えてあげようと庭先に入り、部屋うちを覗くと宴会の後と見えて料理が沢山残っていいます。
「こんにちは」と言いながら上がり込んで、冷や酒や残りの料理に手を付け始めた。朝から何も食べていなかったので、気持ちよく食べ飲んだ。ここで、この家の人に見つかったらなんて言おうかとか、やな女だが嫁に来たてはいい女であったとか一人酒をしているまに酔ってしまった。
 やっと一人歩きができる程の子供が顔を見せた。あやしながら後ずさりをしていると、踏み板がずれていたので、穴蔵に落ちてしまった。「だれだ〜、俺を突き落としたのは、何を盗んだ〜」、大きな声でわめいていたので主人が出てきて、事の一件を悟って、泥棒だからと頭 (かしら)を呼びに行かせる。あいにく頭は出かけて居ず、留守番の”亀さん”が駆けつけてくれた。
 あっしの背中はこっちが上り龍でこっちが下り龍、泥棒なんか怖くはないし、ふんじばって叩き出しちゃう。頼もしそうな亀さんではある。子供のお祝いの日だから縄付きは出したくない。お前さんが中に入って泥棒を抱き上げて欲しいと頼みます。
ところがナンだカンだと言って中々降りていきません。
旦那はしびれを切らして、一両上げるからと言い出します。
それでも中々降りないので、金額が二両に上がります。
じゃあと言うのですが、喉首に食らいつくと言われて又々おじけづきます。
とうとう旦那は「じゃ三両出す」と言い出します。
それを聴いた男は「三両ならこちらで上がって行く」

何と言っても文楽、志ん生師の高座が良いですね。
昔は、たいした事が無けれは、お上には通報しなかったそうですね。


自分達で始末していた様です。こんな未遂でも当時でも立派な犯罪になりました。
今でも不法侵入ですがね。続きを読む

片棒という噺

お祭り今日は「片棒」です。

原話は宝永2年に出版された、「軽口あられ酒」の一遍である『気ままな親仁』だそうです。

石町の赤螺屋吝兵衛さんは一代で身代を築いた方ですが、大変なケチでもあります。
最近の悩みはこの築き上げた身代を誰に譲るか?なのです。
番頭に相談すると、「このお店の一大事に、若旦那方三人がどのようなお金の使い方をするか聞いてみたらどうでしょうか?」という答え。
ならば、自分が死んだら、どうゆう葬式をするかを、息子三人に聞いて見ることにしました。

先ずは長男・・・
通夜は二晩行い、できるだけお金を掛けた葬式をやりたい。と言います。
お寺もわが菩提寺では小さいですから本願寺あたりを借りて行い
精進落としは黒塗り金蒔絵の重箱に、一段目は練り物、二段目は煮物とか焼き物、三段目らはご飯を仕込んだ三つ重ねで、丹後縮緬なんかで作った特注の風呂敷で包みます。
お酒をおのみになる方もいるでしょうから、灘の生一本を用意しておきます。
黒筋のついた封筒に三万円ばかり入れまして、【御お車代 赤螺屋】としたためます。
それからお香典返しには、金銀の延べ棒を用意します。
これを三日間行い、万事派手にやりたいと言います。
吝兵衛さんは頭に来て「何があってもお前だけには身代を渡さないからな!」「ばかー死んじまえ!」
と大層な剣幕です。

続いて次男は・・・
葬式の歴史に残る様な葬式をしたい、と言い出します。
「葬式に紅白の幕を飾った上、盛大な行列を仕立てて練り歩きます。先頭は鳶の木遣り、芸者の手古舞に、お父さんそっくりの生き人形をすえた山車や神輿を繰り出してワッショイワッショイ。神輿に骨を乗せて担ぎだす。一同そろってバンザーイ」
「ふざけるな、それじゃ弔いだかお祭りだかわかりゃしねえ、七生まで勘当だっ!!」

呆れて次の三男は・・・・
「死ぬとは『無に帰す』ことですし、どう転んでもすべて燃えちまうんですからお葬式は質素に、極限まで簡素にして行います。死骸は鳥につつかせて自然消滅。これが一番」

「お…おい…」

「とは行きませんから、とりあえずお通夜を出しましょう。出棺は11時と知らせておいて…本当は八時に出してしまえば会葬者の食事はいらないし、持ってきた香典だけこっちのものにすることができます。早桶は菜漬けの樽で十分。抹香はかんな屑で代用し、樽には荒縄を掛けて天秤棒で差しにないにします。運ぶには人手が必要…ですが、これだとお金がかかりますから片棒は僕が担ぎます。でも、僕一人では担げませんから、やっぱり一人は雇ったほうが…」

「なに、心配するな。片棒は私が出て担ぐ」

この噺のクライマックスは次男の処での神田囃子の下りでしょうね。
ここの処は抱腹絶倒です。
次男による葬式に山車が出て算盤を持った人形が登場する条は三遊亭銀馬師によってとりいれられ、これを三代目金馬師が完成させたそうです。

兄弟の名前は色々ありまして、「金・銀・鉄」にちなんでつけたり、「松竹梅」でやる演者さんもいます。

実際はこの兄弟の性格がバランスよく配分された人物が一番経営者に相応しいのでしょうね。
長男の社交性、次男の独創性、三男の堅実性と言った処でしょうか。
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サンマ苦いかしょっぱいか?

img2007090800101-sanma今年はサンマが何故か高いのですが、皆さんはもう食べられましたでしょうか?
私は先日、やっと食べました。高かったけど美味しかったです。

そこで今日は「目黒の秋刀魚」です。

と言う屁理屈を付けて、もう9月ですのでこの噺と言う事になります。
かなり古くから語られている噺で、生粋の江戸落語です。大体、武士が出て来る噺は江戸が多いですね。

江戸城に居る上様が不意に野駆に出かけると言い出し、さっさと馬に乗り出かけて仕舞います。
中目黒あたり迄来たのですが、弁当を持ってこなかったので、昼時になると腹が減ってしかたありません。
その時どこからか、魚を焼くいい匂いがします。聞くと秋刀魚と言う魚だと言う。

供は「この魚は下衆庶民の食べる下衆魚、決して上様のお口に合う物ではございません」と言う。
上様は「こんなときにそんなことを言っていられるか」と言い、供にさんまを持ってこさせた。これはサンマを直接炭火に突っ込んで焼かれた「隠亡焼き」と呼ばれるもので、上様の口に入れるようなものであるはずがない。
とはいえ食べてみると非常に美味しく、上様はさんまという魚の存在を初めて知り、かつ大好きになります。

それ以来、寝ても覚めても秋刀魚の事ばかりが頭に浮かびます。
ある日、御三家が揃っている処で、上様は秋刀魚の事を聞きますと、水戸様が「我が領地は秋刀魚の産地です」と答えるのを聴いて、「ではさる重陽の節句の時に皆に馳走してくれ」と頼みます。
当日、城内は秋刀魚の山ばかり、これを焼いたものだから、凄い煙が火事だと思い、火消しが来る始末です。
思い通りに秋刀魚を食べた、上様ですが・・・
「これが水戸の本場か?」と訪ねます。
「はい、御意にございます」
「いや〜秋刀魚は目黒に限る」

この筋は、正蔵師のパターンです。他の噺家さんとは違っています。
普通の筋はhttp://blog.livedoor.jp/isogaihajime/archives/1529208.html#more

目黒に限らず、江戸の郊外は将軍家の御鷹狩の場所でした。
ですので、鷹狩と言うと大げさになるので、お忍びでの野駆けと言うのが本当の処でしょうね。

上様が食べた秋刀魚ですが、江戸時代には目黒は芋の産地で行商が盛んに行われていたそうです。
「目黒のいも」の大需要地が、東海道品川宿と、大きな魚市場が当時存在していた芝であったので、
目黒を朝早く出て両地にて芋を売り、その代金で「芝のサンマ」を買って、昼過ぎに歩いて目黒に帰るのが行商人のパターンの一つだったという事です。
ですから、昼過ぎには間に合ったのですね。

秋刀魚は当時は、保存の為、産地(銚子等)で塩を軽く振り、鮮度の維持に努めました。その後船で一昼夜かけて、日本橋に運び込まれたので、一般の人々が食べる頃は、塩味が付いていて、
そのまま焼いても美味しかったそうです。続きを読む
 
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