らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2013年08月

酢豆腐は大人の味?

883ccd00585f2ab7ea902b87bb904105今日は「酢豆腐」です。
辞典を開くとちゃんと載っています。最もかなり怪しい解説ですが。・・・…

画像は「酢豆腐」です。梅酢に豆腐を付けたものです。
これなら若旦那もたんと食べれたかもしれませんね。

原話は、1763年(宝暦13年)に発行された『軽口太平楽』の一遍の「酢豆腐」と言う話。
これを、初代柳家小せん師、(あの盲の小せんですね)が落語として完成させました。
ですので、この噺を大正の初め頃だという方もいます。
歴史家の方によれば、庶民の生活は関東大震災までは、電気が点いても、汽車が走っても、
そう変わり無かったそうです。のんびりとした時代だったのですね。

落語を解説しているサイトでもこの噺と「寄合酒」を混同している所がありますが、
元々の噺が違うので、間違いですね。
「寄合酒」は「ん廻し」(田楽喰い)に繋がる噺ですからね。

この噺が初代柳家小はんと言う方が上方へ持って行って「ちりとてちん」が生まれました。
でも私はは「ちりとてちん」よりこちらの方が好きです。
夏の暑い盛り、いい若者が皆で集まってクダまいててという設定からしていいなぁ〜(^^)
それに最後は若旦那を仲間として認める処が好きですね。
若旦那も「「いやあ、酢豆腐は一口にかぎる」と粋に言って逃げるのも上手いですね。
長屋の皆も「若旦那大した者だ!」と言って褒めていますね。
きっと、これで若旦那は皆の仲間になれたと思うのです。
皆も認めたと言う意味でですね。

この噺に出てくる「かくやのこうこ」は美味しいですよね。
飯に良くて酒に良い!と文句はありません。
糠だって、ちゃんとかき混ぜていれば、臭く無いんですよ。
私なんか商売上、糠味噌は別にイヤじゃ無いので、ここまで嫌われると、
糠味噌が可哀そうに思えてきます。

この噺を聴いていて思うのは、のんびりとした時代だったと言う事ですねえ。
我々が忘れてしまった世界なのかも知れません(^^)続きを読む

「東京かわら版」9月号より

entry_cover1309-thumb-188x360-1647今日は、「東京かわら版」9月号より、話題を拾ってみたいと思います。

表紙は古今亭志ん輔師ですね。

・巻頭エセー「落語と私 私と落語」は内田樹さんです。
曰く、寄席に行かない落語ファンだそうで、それは昔から家と大学と合気道の道場以外に足を運ばなかった
からだと言う事でその癖がついてしまったそうです。
・今月のインタビューは古今亭志ん輔師です。
弟子になった頃はそれだけで目的が達した様な気分になり、あらゆる面で師匠の真似ばかりしていたそうです。
その時は何も言われなかったが、真打になって色々な事を言われる様になり。大変ありがたかったと……
弟子を持って判る事は如何に自分に弟子に伝えられる事が無いかを実感したことだそうです。
もう、師匠は亡くなってるから恩返しがしたくても出来無いので、その分噺を一つ一つ完成させて行く事だと
思いそして後輩達に自分が出来るかぎりの事をして恩返しをしたい。

・林家正楽による今月の紙切りは「夕立勘五郎」です。
出雲の太守、松平出羽守様の愛馬、夕立が暴れて街に出て、人を蹴り飛ばし大勢を傷つけていた。
これを拳固一つで殴り殺したところから、夕立の二つ名を持つ侠客、夕立勘五郎......。

三代目神田伯山の講談でおなじみの侠客伝。浪曲にも脚色されて、当代東家浦太郎も演じています。
これが落語になると、五代目古今亭志ん生師の得意演目で、訛る浪曲師が「夕立勘五郎」を語るという一席。
師匠はとことんディフォルメします。今では志ん輔が寄席でよく口演します。

・三遊亭兼好師のコラムは
洗濯の話で奥さんより上手なのだそうです。
・ホリイの落語狂時代は
前座さんが寄席でやるネタの一覧です。
最も多かったのは、1.子ほめ2.寿限無3.道灌4.牛ほめ5.たらちね、と続きます。定番ですね。
・本日のお題は 「英国密航」と言う噺で、浪曲の広沢瓢右衛門さんが有名とか……

ニュースとして、笑福亭松喬さんの訃報が載っています。

今月はこんなところで……
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名人絵師二代

IMG_4839copy今日は「抜け雀」です。
この「抜け雀」という噺、調べると、どうも出自がはっきりしていない様です。
講釈ネタだという説もあるのですが、その中で面白いのが、京都・知恩院七不思議の一で、
襖絵から朝、雀が抜け出し、餌をついばむという伝説です。
圓生師も「子別れ・上」で熊さんが、「知恩院の雀ァ抜け雀」と、言っていますので、有名だった?のでしょうね。
そのせいか、上方落語として発展してきた様です。
東京では志ん生師以前に演じた噺家がいない様なので、志ん生師がどのようにしてこの噺を仕入れたのか、
分かって無いそうです。講釈ネタと言うのも志ん生師が講談に一転向したので、その線から出たのかかも知れません。
したがってこの噺は古今亭の噺とも言えるのです。

大阪の「雀旅籠」は、舞台も同じ小田原宿ということも含め、筋や設定は東京の「抜け雀」とほとんど同じですね。
特に桂文枝代々の持ちネタだったそうで、近代では三代目文枝師のほか、二代目立花家花橘師、
二代目三木助師も得意にしていたといいます。

小田原宿に現れた若い男、粗末な身なりをしています。
袖を引いたのが、夫婦二人だけの小さな旅籠の主人で、案内すると、男は、おれは朝昼晩一升ずつのむ
と、宣言し、その通り、七日の間、一日中大酒を食らって寝ているだけです。

そうなると勘定のほうが心配なので、女将さんが主人の尻をたたき、催促にやります。
すると、金は無いが、自分は狩野派の絵師だからと、衝立に墨で雀の絵を描きます。
江戸へ行き、帰りに寄って金を払うから、それまでこの絵を売ってはならぬと言い残して旅立ってしまいます。

翌日、主が雨戸を開けて日の光が射し込むと、絵の中の雀が飛び出して外で餌を啄み、戻って来て元の絵の中にピタッと収まります。
これが評判になって、毎日客が訪れ大繁盛。小田原の殿様の耳に入り、絵を千両で買い取るとの話を、
絵師との約束があるので泣く泣く断ります。
 
その後、年配の武士が訪れ、止り木がないので雀はいずれ落ちて死ぬからと、雀が抜け出た隙に、画面に鳥籠を描きます。
すると戻って来た雀は鳥籠の中にピタッと収まります。
 
見間違うばかりに身なりを整えて、江戸から戻って来た絵師に事情を話すと、
絵を一目見て、描いたのは自分の父親だと言います。
「雀を描いた貴方も名人だが、鳥かごを描いたお父さんも名人ですねえ、親子二代で名人とは、めでたい」
ところが、なんという親不幸をしてしまったかと嘆きます。
「どうしてですか?」「親をカゴカキにしてしまった」

この噺から判るのは、駕篭かきと言う職業が、あまり良く思われていなかった。と言う事実ですね。
どれだけ剣呑で、評判のよくない輩だったかですね。

まあ落語でも「蜘蛛駕籠」とか色々噺にも出て来るので皆さんも御存知だと思いますが……続きを読む

猫の皿と言う噺

猫の皿2今日は「猫の皿」です。
原作は、滝亭鯉丈(りゅうてい・りじょう、?〜1841)が文政4(1821)年に出版した滑稽本「大山道中膝栗毛」中の一話です。もしかしたら鯉丈自身も高座で演じたかかも知れません。

舞台は江戸時代、で、当時、古美術商には果師 と呼ばれる連中がいて、
地方に出かけてお宝を見つけては所有者を言葉巧みに騙して安値で買い叩き、それを江戸に持ってきて今度は大変な高値で蒐集家に売りつけるという、ずる賢い連中の事で、そうそういっも上手く行く訳が無く、今回の旅では良いモノがありませんでした。

そんな古美術商の一人が、あるとき地方の茶店でとんでもないお宝を発見する。茶店で飼われている猫の餌用の皿が、何と絵高麗の梅鉢の茶碗だったのです。

江戸の蒐集家にかなりの高値で売れると踏んだ古美術商、
茶店の親父が、その皿の真価などは知る由もなかろうと、
言いくるめて、これを買い叩こうと企みます。

「ご亭主の飼い猫がどうにも気に入った、是非わたしに引き取らせてはくれないか」ともちかけて、猫を三両で買い取ると、
「皿が違うと餌も食いにくかろう」と猫の皿も一緒に持ち去ろうとする。すると亭主は古美術商を遮り、猫だけを渡して皿は取り返すと、
「これは絵高麗の梅鉢の茶碗でございますから」。
驚いた古美術商が「それを知っているのなら、何でその名品で猫に餌をやっていたのだ」と訊く。
亭主「はい、こうしておりますと、時々猫が三両で売れます」

この噺の演目は、志ん生師以前には、「猫の茶碗」が一般的でしたが、
絵高麗は皿なので、志ん生師が「猫の皿」に変えました。

かつては、五代目古今亭志ん生や三代目三遊亭金馬がよくやったそうです。
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へっついとはなんだろう?

72a50a7b今日は夏の噺「へっつい幽霊」です。

元々は『かまど幽霊』という上方落語だったそうで、大正初期に3代目三遊亭圓馬師が東京に持ち込んだそうです。
6代目三遊亭圓生師や3代目桂三木助師の演じる型と古今亭や柳家の噺家さんが演じる型とあります。

道具屋にへっついを買いに来た客が、気に入って3円で買って行った。その夜の2時頃、表の大戸を激しく叩く音がする。開けると昼間へっついを買い求めた客で「買ったへっついを引き取って」という。道具屋の決まりで半値の1円50銭でなら引き取る。
それからと言うもの昼間はお客がついて買ってゆくが夜中になると引き取ってくれと言う繰り返し。
とうとうお客がつかなくなってしまった。原因を聞き出すと、夜中にへっついから幽霊が出ると言う。
困った道具屋はいくらか金をつければ売れるんじゃ無いかと思い相談をしてると、裏の長屋のはばかりでそれを聞いた熊さんが名乗り出た。家まで担いでゆくので、隣の伊勢屋の若旦那と一緒に担いで行く途中で端をぶつけて、欠いてしまい、そこから金の包が出て来る。
数えてみると300両あり山分けするが、ふたりともすぐ使ってしまう。
その夜にへっついから、くだんの幽霊が出てきて事情を説明する。
熊さんは何とか金は工面するからと、その場は幽霊をなだめる。
次の日、熊さんは若旦那の実家に行って、事情を話し300両を工面してくる・・・・
とここまで噺を持ってくるのが、圓生師や三木助師の方です。
古今亭や柳家の噺はもっと単純で、道具屋から熊さんがへっついを気に入って買って来て、その夜にすぐ幽霊が出てきます。
どちらかと言うとこちらの方が単純な筋ですが、後半の幽霊との博打のい場面に重点が置かれています。
上方流れの圓生、三木助型か江戸風の古今亭、柳家型かですね。後者は30分以内で語れるので、寄席等でも掛けられますね。
ちなみに談志師は柳屋ですが、圓生三木助型です。なぜか?(三木助師にあこがれがあるのかも)
この型も色んな事が噺の中に入ってきて面白いですが、長くなり、また力量も問われるので、トリネタでしょうね。
登場人物も増えてきますし、若旦那の遊びっぷりも描写しなくてはなりませんね。
また、全体的笑いが多いのも三木助圓生型の特徴ですね。

へっつい(竃)と言うのはかまどの事ですが、今やこの”かまど”も解らなくなってきましたね。
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「もう半分」と言う噺

0729暑いのでたまには涼しくなる噺を取り上げます。
で、「もう半分」です。
原話は、興津要さんの説によると井原西鶴「本朝二十不孝」巻三の「当社の案内申す程をかし」とのことですが、
明確ではありません。
近年は志ん生師や今輔師が演じていました。
また、三代目三金馬師、十代目馬生師も演じました。
最近では小三治師や雲助師を始め多くの噺家さんが演じています。雲助師は舞台を本所林町に、
志ん生師は舞台を千住大橋で、その他は永代橋で演じています。
どちらも町外れと言う事ですね。

千住大橋の橋のたもとに、夫婦二人きりの小さな酒屋がありました。
こういうところなので、いい客も来ず、一年中貧乏暮らし。
その夜も、このところやって来る棒手振りの八百屋の爺さんが
「もう半分。へえもう半分」
と、銚子に半分ずつ何杯もお代わりし、礼を言って帰っていきます

この爺さん、鼻が高く目がギョロっとして、白髪まじり。
薄気味悪いが、常連なので相手をしています。

ある日、爺さんが帰った後、店の片づけをしていると、五十両入りの包みが置き忘れてある。
「ははあ、あの爺さん、だれかに金の使いでも頼まれたらしい。気の毒だから」
と、追いかけて届けてやろうとすると、女房が止める。

「わたしは身重で、もういつ産まれるかわからないから、金はいくらでもいる。
ただでさえ始終貧乏暮らしで、おまえさんだって嫌になったと言ってるじゃないか。
爺さんが取りにきたら、そんなものはなかったとしらばっくれりゃいいんだ。あたしにまかせておおきよ」

そう女房に強く言われれば、亭主、気がとがめながらも、言いなりになります。
そこへ、真っ青になった爺さんが飛び込んで来ます。
女房が「金の包みなんてそんなものはなかったよ」
と言っても、爺さんはあきらめません。

「この金は娘が自分を楽させるため、身を売って作ったもの。あれがなくては娘の手前、生きていられないので、どうか返してください」と泣いて頼んでも、
女房は聞く耳持たず追い返してしまいました。

亭主はさすがに気になって、とぼとぼ引き返していく爺さんの後を追ったが、
すでに遅く、千住大橋からドボーン。
身を投げてしまった。その時、篠つくような大雨がザザーッ。
「しまった、悪いことをしたッ」と思っても、後の祭り。
いやな心持ちで家に帰ると、まもなく女房が産気づき、産んだ子が男の子。
顔を見ると、歯が生えて白髪まじりで「もう半分」の爺さんそっくり。
それがギョロっとにらんだから、
女房は「ギャーッ」と叫んで、それっきりになってしまいました。

泣く泣く葬式を済ませた後、赤ん坊は丈夫に育ち、あの五十両を元手に店も新築して、
奉公人も置く身になったが、乳母が五日と居つきません。
何人目かに、訳を聞き出すと、赤ん坊が夜な夜な行灯の油をペロリペロリとなめるので
「こわくてこんな家にはいられない」と言うのです。

さてはと思ってその真夜中、棒を片手に見張っていると、丑三ツの鐘と同時に赤ん坊がヒョイと立ち、
行灯から油皿をペロペロ。
思わず
「こんちくしょうめッ」
と飛び出すと、赤ん坊がこっちを見て
「もう半分」

志ん生師はやや人情噺風に演じています。
方や今輔師は本格的な怪談噺として演じています。

千住には近年までやっちゃ場と魚河岸と両方ありましたが、やっちゃ場は花畑へ移りました。
今では魚河岸だけがあります。

演出の違いとしては、
永代橋版では酒屋の女房が妊娠するのは爺さんの自殺から数年後ですが、
千住大橋版では話の開始時にすでに臨月で直ぐに生まれます。
子供は永代橋版では女の子ですが、千住大橋版では男の子です。
等、細かい処が違っています。

また雲助師は亭主がお金欲しさに直接お爺さんを殺すと言う演出をしていますが、
これだと怖さの質が違って来ますね。
着服してしまった……と言う自分の良心に訴える気持ちが変わって来て確信犯となって仕舞います。
それとも現代ではこのように底の浅い直接的な怖さが受けるのでしょうか?
それならば、我々落語ファンは確実に質が落ちていると思います。

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