らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2013年06月

お化け長屋を考える

003今日は「お化け長屋」です。
江戸後期の滑稽本作者、滝亭鯉丈が文政6年(1823)に出版した「和合人」初編の一部をもとにして、自ら作った噺とされます。
上方落語では、「借家怪談」として親しまれ、初代小南師が東京に移したともいわれますが、
すでに明治40年には、四代目橘家円蔵の速記もあり、そのへんははっきりしません。

 長屋にある一軒の空き家。そこを長屋の連中は物置に使っていると、大家から家賃を払うか荷物をどかせと言われます。
そこで、長屋の古株、通称古狸の杢兵衛さんが一計を案じます。

借り手が訪ねてきたら、家主は遠方に住んでいるので自分が長屋の差配をまかされている
といって杢兵衛の家へ来させて、借り手をおどして空き家に借り手がつくのを防ごうという算段を立てます。

早速、借り手がやってきますが、お化けが出るとか、ある事無い事を言って脅かして、返してしまうのですが
あまつさえ忘れた財布を手に入れて、鮨(弥助)を食べに行こうと言う算段まで立てます。

次にやって来た男は一向に恐がらず、話の間にちょっかいを入れる始末で、
困った杢兵衛さんは、濡れ雑巾で男の顔をひと撫でしようとすると、男に雑巾をぶん取られ、
逆に顔中を叩かれこすられてしまいます。
男はすぐに引越して来るから掃除をしておけといい帰ってしまう。
先ほど置いてった財布も持っていかれて仕舞います。

とここまでが上で、最近はほとんどここで演者は切っています。
この先の下はその男を仲間が脅かすと言う筋なのですが、あまり演じられていません。

下のあらすじは以下の様になります。

この男、早速明くる日に荷車をガラガラ押して引っ越して来ます。
男が湯に行っている間に現れたのが職人仲間五人。
日ごろから男が強がりばかり言い、
今度はよりによって幽霊の出る長屋に引っ越したというので、本当に度胸があるかどうか試してやろうと、
一人が仏壇に隠れて、折りを見て鉦をチーンと鳴らし、二人が細引きで障子を引っ張ってスッと開け、
天井裏に上がった一人がほうきで顔をサッ。仕上げは金槌で額をゴーンというひどいもの。

作戦はまんまと成功し、口ほどにもなく男は親方の家に逃げ込みました。

長屋では、今に友達か何かを連れて戻ってくるだろうから、もう一つ脅かしてやろうと、表を通った按摩(あんま)に、家の中で寝ていて、野郎が帰ったら「モモンガア」と目を剥いてくれと頼み、
五人は蒲団の裾に潜って、大入道に見せかける。

ところが男が親方を連れて引き返してきたので、これはまずいと五人は退散。
按摩だけが残され「モモンガア」。

「みろ。てめえがあんまり強がりを言やあがるから、仲間に一杯食わされたんだ。それにしても、頼んだやつもいくじがねえ。えっ。腰抜けめ。尻腰がねえやつらだ」
「腰の方は、さっき逃げてしまいました」

オチの前の「尻腰がねえ」は、東京の言葉で「いくじがない」という意味だそうですが、
昭和初期でさえ、もう通じなくなっていたようです。

この噺に登場する長屋は、落語によく出る九尺二間、六畳一間の貧乏長屋ではなく、
それより一ランク上で、もう一間、三畳間と小庭が付いた上、造作(畳、流し、戸棚などの建具)も完備した、
けっこう高級な物件ですね。続きを読む

「東京かわら版」7月号より

entry_cover1307-thumb-188x360-1581今日は本日来ました「東京かわら版」7月号より話題を拾ってお送りします。

まず表紙ですが、桂雀々師です。東京に移りまして半年、段々売れてきました。
もう大阪では出来なかった事を沢山やっているそうです。

・落語と私 私と落語は諸岡なほ子さんです。2008年に志ん朝師のDVDを知人に見せられて恋に落ちたそうです。
それからは、落語一筋だとか。
寄席に落語会に大忙しで、移動中は持ちろん落語一筋だそうです。
益々の精進をお願いしたいです。

・今月のインタビューは桂雀々師です。
末広の余一会では「地獄八景」をやるそうです。芸協からは客員での出演も今後あるとか。
師匠の思い出なども語っています。

・連載物としては
お二階へご案内〜 三遊亭兼好
築コレ〜三遊亭時松
在小屋則在噺 堀之内 妙法寺
ザッツ・ネタテインメント 稲田和浩
ホリイの落語狂時代 堀井憲一郎
演芸ノ時間 出門みずよ
バカなことはヨセ! バトルロイヤル風間
横井洋司の写真館
今月のお言葉〜神田松鯉 長井好弘

等がありますが、堀井ちゃんのコーナーは圓朝師の作と言われる「文七」「死神」「芝浜」について書いています。結局は皆……だそうです。

地域寄席の紹介が妙法寺と言うのが可笑しいですね。あの「堀之内」の舞台ですからね。

今月のお題は「不動坊」です。好きな噺ですねえ。楽しくて振られた男達がちょぴり悲しくて、アルコールとあんころを間違えてしまうなんて、なんて間抜けで素敵な男達でしょうか、愛さずにはいられませんね。(変な意味では無くですよw)

と言う訳で今月はこのへんで……続きを読む

飴売りの与太郎は本当に居た?!

ameuri今日は三代目金馬師で有名な「孝行糖」です。

明治初期に作られた上方落語の「新作」といわれますが、作者は未詳です。
三代目円馬師が東京に移植、戦後は三代目金馬師の十八番として知られ、
四代目金馬も演じています。
「本場」の大阪では、現在は演じ手がないと言う事だそうです。

孝行糖売りは明治初期、大阪にいたという説がありますが、実はその以前、
弘化3年(1846)2月ごろから藍鼠色の霜降に筍を描いた半纏を着て、
この噺と同じ唄をうたいながら江戸の町を売り歩いていた飴屋がいたことが
幕末の政商・藤岡屋由蔵の「見聞日記」に記されています。
まず、当人に間違いありません! いたんですよ!与太郎!

親孝行が認められてお上から青ざし五貫匁という褒美を頂いた与太郎に長屋の連中は大喜び。
この金を元手に与太郎に商売をさせようということになり、親孝行の功で褒美を頂いたことから「孝行糖」という名で流しの飴屋をやることに。
親孝行の徳、この飴を食べると子どもが親孝行になるというので、孝行糖は大人気。
ある日いつものように文句を唱えながら飴を売り歩いていると大名屋敷前で鳴り物を止めよと咎められる。
しかし、のんきな与太郎は叱りつける侍の言葉にあわせて「ちゃんちきちん、すけてん」などと歌うものだから、捕らえられてしまう。
偶然通りかかった人が門番に事情を説明して与太郎を助け出し、道の端へ与太郎を連れて行きこう言った。
「打ち首にされてもおかしく無いが親孝行の徳でお前は助かったんだ。どれ、何処を殴られたか言ってみろ」
すると与太郎。泣きながら体を指差して
「こぉこぉとぉこぉこぉとぉ(こことここと)」

結局はただのダジャレなんですが、そこがまた良いですね〜(^^)

水戸さまの屋敷前と言うのは今の後楽園の処ですね。
いまでは車が引きも切りませんが、当時は町外れで寂しかったんですね。

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似ている様で違う話〜天から降ってきた二百七十両〜

133405735377713224666今日は「搗屋無間」と言う噺です。
この噺は「紺屋高尾」や「幾代餅」と同じ様に職人が花魁に惚れてしまう噺ですが、細部と結末が違っています。
このサゲも含めて、どう考えるかも面白いと思います。

元の話は、安永5(1776)年刊「立春噺大集」中の「台からうす」、ついで、狂歌で名高い大田蜀山人作の笑話本で同7年刊「春笑一刻」中の無題の小咄からではないかと言われています。

信州者の徳兵衛は、江戸日本橋人形町の搗米屋・越前屋に十三年も奉公しているが、
まじめで堅い一方で、休みでも遊び一つしたことがありません。

それが、ある日、絵草子屋でたまたま目に映った、今、吉原で全盛を誇る松葉楼の、
宵山花魁の絵姿にぞっこん。
たちまち、まだ見ぬ宵山に恋煩いをしてしまいます。

心配した旦那が、気晴らしに一日好きなことをしてこいと送りだしたが、どこをどう歩いているかわかりません。
さまよっているうち、出会ったのが知り合いの幇間・寿楽。
事情を聞くとおもしろがって、なんとか花魁に会わせてやろう、と請け合います。

大見世にあがるのに、米搗男ではまずいから、徳兵衛を木更津のお大尽という触れ込みにし、
指にタコができているのを見破られるとまずいから、聞かれたら鼓に凝っていると言え、など、細々と注意します。

あたしの言うとおりにしていればいいと太鼓判を押すが、先立つものは金です。
十三年間の給金二十五両を、そっくり旦那に預けてあるが、女郎買いに行くから出してくれ
とも言えないので、店の金を十五両ほど隙を見て持ち出し、
バレたら、預けてある二十五両と相殺してくれと頼めばいいと知恵をつけます。

さて当日。徳兵衛はビクビクもので、吉原の大門でさえくぐったことがないから、
廓の常夜灯を見て腰を抜かしたり、見世にあがる時、普段の癖で雪駄を懐に入れてしまったり
と、あやうく出自が割れそうになるので、介添えの寿楽の方がハラハラ。

何とかかんとか花魁の興味をひき、めでたくお床入り。

翌朝、
徳兵衛はいつまた宵山に会えるか知れないと思うと、ボロボロ泣きだし、
挙げ句に正直に自分の身分をしゃべってしまった。
宵山、怒ると思いのほか、この偽りの世の中に、あなたほど実のある人はいないと、逆に徳兵衛に岡惚れします。
それから二年半というもの、費用は全部宵山の持ち出しで二人は逢瀬を続けたが、
いかにせん宵山ももう資金が尽き、思うように会えなくなって仕舞いました。

そうなるといよいよ情がつのった徳兵衛、ある夜思い詰めて月を眺めながら、
昔梅ケ枝という女郎は、無間の鐘をついて三百両の金を得たと浄瑠璃で聞いたことがあるが、
たとえ地獄に堕ちても金が欲しいと、庭にあった大道臼を杵でぶっぱたく。

その一心が通じたか、バラバラと天から金が降ってきて、数えてみると二百七十両。
「三百両には三十両不足。ああ、一割の搗き減りがした」

ここで噺は終わっていますが、このお金で徳兵衛は花魁を見受けするのです。
他の二つの噺は花魁の意志で、年季が明けたからという事で、嫁に来るのですね。
花魁の年季は大体10年です。だから幾代も30歳前でしょう。年季が明けるまで誰からも身請けされずに居続けていたのですから、好きな人のために年季が明けるのを待っていたと思わせる所が感動を呼びます。
そこがこの噺と「紺屋高尾」や「幾代餅」と違う処で、ここをどう聴くかで印象が違っています。
他の2つ程演じられないのは、そこでしょうかねえ?

サゲの搗き減りですが、現在では2割で演じています。
「搗き減り」というのは、江戸時代の搗米屋が、代金のうち、玄米を搗いて目減りした二割分を、
損料としてそのまま頂戴したことによります。
そんな処もわかり難くなって来ていますね。

搗屋とは、搗き米屋のことで、普通にいう米屋で、足踏み式の米つき臼で精米してから量り売りしました。
それとは別に出職(得意先回り)専門の搗屋があり、杵と臼を持ち運んで、呼び込まれた先で精米しました。続きを読む

一人酒盛りと言う噺

il0040今日は「一人酒盛り」です。

れは元々は上方落語ですが、かなり古くから東西で演じられていました。
かの圓朝師も得意にしていた様です。
円朝師は、「被害者」の男を、後半まったく無言とし、顔つきや態度だけで高まる怒りを表現、
円朝の顔色が青くなって、真実怒っているように見えたといいます。

上方では桂南天師から米朝師に伝わりました。
こちらの方は、主人公は引っ越してきたばかりの独り者で、訪ねてきた友達に荷物の後片付けまですっかりやらせるという合理的な運びで、その後「一人酒盛」のくだりに入ります。

六代目松鶴師の十八番でもありました。
圓生師は三代目圓橘師のが伝わったと言います。

 うまい酒を貰ったから一緒に飲もうと、留さんを呼びつけたのが飲ん兵衛の熊さん。
肴は何にも要らないが、格好がつかないからと、留さんに刺し身を買わせて漬物を出させて、燗の用意までさせました。
 ちょっと一口試してみようと口を付けなが「飲み友達は沢山いるが、留さんが一番好きなんだよ、二人でじっくりやろうよ」
「そう言われると嬉しいねぇ、で旨いかい」
「飲んでる時にせっつくんじゃねぇよ、もう一本熱いのを取ってくれ」
 しゃべりながら延々と一人で飲み続けた熊さんが気分よく酔って、留さんに何か歌えというが、素面じゃ歌えねぇ。だんだんぞんざいな口になり、終いに留さんを馬鹿呼ばわり。
 とうとう留さんが一杯も飲まないうちに酒が無くなってしまった。留さんが怒って飛び出すと、近所のおかみさんが飛び込んで来て、どうしたんだい、喧嘩でもしたのかい。 
「留公なら放っときな酒癖が悪いんだから」

個人的にはこの噺は「猫の災難」に似ていると思います。
あちらは、友人の居ない内に呑んで仕舞いますが、こちらは目の前で呑んでしまうので、キツイですね
それと、演者は一人で呑んでいる訳ですが、その酔って来る仕草等も自然に行わければならず、かなり技量の居る噺です。
続きを読む

錦の袈裟と言う噺

nisikinokea今日は何とか時間がとれたので、更新します。
今日の演目は「錦の袈裟」です。

原話は、安永6年(1777年)に出版された笑話本・『順会話献立』の一遍である「晴れの恥」と言う話で、
元々は『袈裟茶屋』という上方落語です。

町内のある男がとなり町の連中が吉原で、緋縮緬の長襦袢で揃いの格好を見せて遊び、
あげくに「となり町の連中には出来まい」と言った事を聞きつけてきます。

当然面白く無い訳で、何とかその上を行って、となり町の連中の鼻を明かしてヤりたい処ですねえ。
色々な案が浮かびましたがイマイチです。
誰かが、「伊勢屋の番頭が、何枚か質流れの錦の布があり『なにかの時は使っていい』と言われていた事を思い出します。
「吉原へ乗り込んでそれを褌にして裸で総踊りをしよう」
「それで行こう!」と相談はまとまりましたが、一枚足りません。
頭を数えると丁度、与太郎の分です。
仕方なく、与太郎には自分で工面させることにします。

この辺が落語の良い所ですね。決して最初から仲間はずれにしません。
与太郎は女房に相談します。
この辺が今だと笑いを生み、又理解し難い処ですが、当時は玄人相手は完全な遊びで、いわゆる「浮気」の範疇に入りませんでした。
与太郎にとっては、大事な町内の付き合いなのです。

女房も何とか送り出したいと考えて、檀那寺の住職にお願いしておいで。『褌にする』とは言えないから『親類の娘に狐が憑いて困っております。和尚さんの錦の袈裟をかけると狐が落ちる、と聞いておりますので、お貸し願います』と言って借りてきなさい」
と言いつけます。
持つべきものは良い女房ですねえ・・・え?ちがう・・・そうかな?

知恵を授けられた与太郎、寺へやってきてなんとか口上をして、一番いいのを借りることができましたが、
和尚さんから「明日、法事があって、掛ける袈裟じゃによって、朝早く返してもらいたい」と念を押される。
そこで与太郎、「しくじったら破門になっても良いですから」等と言って借りてきます。

改めて見てみると輪っかが付いていたり少し可笑しいですが、そこは何とかします。
いよいよ、みんなで吉原に繰り込んで、錦の褌一本の総踊りとなる。女たちに与太郎だけがえらい評判です。
「あの方はボーッとしているようだが、一座の殿様だよ。高貴の方の証拠は輪と房だよ。
小用を足すのに輪に引っ掛けて、そして、房で滴を払うのよ」
「他の人は家来ね。じゃ、殿様だけ大事にしましょうね」

てんで、与太郎が一人だけ大モテです。
翌朝、与太郎がなかなか起きてこないので連中が起こしに行くと、まだ女と寝ている。
与太郎「みんなが呼びにきたから帰るよ」
女「いいえ、主は今朝は返しません」
与太郎「袈裟は返さない…? ああ、お寺をしくじる」


この噺は、志ん朝師を始め、小三治や故文朝師、柳朝師等そうそうたる噺家さんが演じています。
袈裟と言うのはお坊さんが着ている法衣の事で位で色や材質が変わるそうです。

いつ頃東京に来たのかはわかりませんが、初代小せん師が現在の型を作り上げたそうです。
上方の「袈裟茶屋」は主人公が幇間でかなり展開が違います。
東京みたいに町内の集団と言う事はありません、幇間三人の噺となっています。
袈裟を芸妓(げいこ=芸者)に取られそうになって、幇間が便所に逃げ出すという噺となっています。



※落語とは関係ありませんが、明日20日NHKラジオで「午後のマリアージュ」と言う番組の「リュウドウが行く」と言うコーナーで菖蒲園と我が静観亭が放送されます。生放送なのですがウチの人気料理を試食してもらいます。どうなるかは私も判りません。多分16時30分前後の放送です。続きを読む
 
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