らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2013年04月

佐々木政談と言う噺

eigamura今日は「佐々木政談」です。
戸時代幕末に上方の三代目松鶴師が創作した噺で、三代目圓馬師が大正初期に東京に紹介・移植しました。

名奉行で知られた南町奉行・佐々木信濃守が、非番なので下々の様子を見ようと、田舎侍に身をやつして市中見回りをしていると、
新橋の竹川町で子供らがお白州ごっこをして遊んでいるのが目に止まりました。

面白いのでこれを見ていると、十二、三の子供が荒縄で縛られ、大勢手習い帰りの子が見物する中、
さっそうと奉行役が登場します。
年は同じぐらいで、こともあろうに佐々木信濃守と名乗るではありませんか。
色は真っ黒、髪ぼうぼう、水っぱなをすすりながらのお裁きです。

なんでも、勝ちゃんというのが「一から十まで、つがそろっているか」ともう一人に聞き、答えられないので殴った、という。
子供の信濃守はすまして、「さような些細なことをもって、上に手数をわずらわすは不届きである」
セリフも堂にいったもので、二人を解き放つ。

つのことを改めて聞かれると、「一から十まで、つはみなそろっておる」
「だって、十つとは申しません」
「だまれ。奉行の申すことにいつわりはない。
中で一つ、つを盗んでいる者がある。いつつのつを取って十に付けると、みなそろう」
その頓智に、本物はいたく舌を巻き、その子を親、町役人同道の上、奉行所に出頭させるよう、供の与力に申しつけます。

この子供は桶屋の綱五郎のせがれ、当年十三歳になる四郎吉。
奉行ごっこばかりしていてこのごろ帰りが遅いので、父親が怒っていると、
突然奉行所から呼び出しが来たから、それみろ、とんでもねえ遊びをするから、とうとうお上のおとがめだ
と、父親も町役一同も真っ青。

その上、奉行ごっこの最中に、お忍びの本物のお奉行さまを、子供らが竹の棒で追い払ったらしい
と聞いて、一同生きた心地もしないまま、お白州に出る。
ところが、出てきたお奉行さま、至って上機嫌で、四郎吉に向かい、
「奉行のこれから尋ねること、答えることができるか。どうじゃ?」
四郎吉は、こんな砂利の上では位負けがして答えられないから、そこに並んで座れば、何でも答える
と言って、遠慮なくピョコピョコと上に上がってしまったので、おやじは、気でも違ったかとぶるぶる震えているばかり。

奉行、少しもかまわず、まず星の数を言ってみろと尋ねると、四郎吉少しも慌てず、
「それではお奉行さま、お白州の砂利の数は?」
これでまず一本。

父と母のいずれが好きかと聞かれると、出された饅頭を二つに割り、どっちがうまいと思うか
と、聞き返す。

饅頭が三宝に乗っているので、「四角の形をなしたるものに、三宝とはいかに」
「ここらの侍は一人でも与力といいます」
「では、与力の身分を存じておるか?」
「へへ、この通り」

懐から出したのが玩具の達磨(だるま)で、起き上がり小法師。錘が付いているので、
ぴょこっと立つところから、身分は軽いのに、お上のご威勢を傘に着て、ぴんしゃんぴんしゃんしているというわけ。
ではその心はと問うと、天保銭を借りて達磨に結び付け「銭のある方へ転ぶ」

最後に、衝立に描かれた仙人の絵が何を話しているか聞いてこいと言われて
「へい、佐々木信濃守は馬鹿だと言ってます。
絵に描いてあるものがものを言うはずがないって」
馬鹿と子供に面と向かって言われ、腹を立てかけた信濃守、これには大笑い。

これだけの能力を桶屋で果てさせるのは惜しいと、四郎吉が十五になると近習に取り立てたという、
「佐々木政談」の一席でございます。

佐々木信濃守顕発は、嘉永5年(1852)から安政4年(1857)まで大坂東町奉行を勤め、
江戸に戻って文久3年(1863)、北町奉行に就任。
数ヶ月で退いた後、再び年内に南町奉行として返り咲き、翌年退職しました。

江戸町奉行は、三千石以上の旗本から抜擢され、老中・若年寄・寺社奉行に次ぐ要職でした。
今で言うと、都知事に警視庁長官と裁判官を兼ねていました。

上方のはオチがあり
「あんたが佐々木さんでお父さんが綱五郎、あたくしが四郎吉、
これで佐々木四郎高綱」
「それは余の先祖じゃ。そちも源氏か?」
「いいえ、平気(=平家)でおます」
と地口で落とします。出世の事には触れないのが普通tです。

戦後は圓生師の十八番でしたが、三代目金馬師も圓生師から移してもらい、「池田大助」として演じていました。
これは四郎吉が後に大岡越前守の懐刀・池田大助となるという設定でしたが、これだと当然、時代は百五十年近く遡ることになり、少し苦しいですね。続きを読む

与太郎噺の王道

dogus今日は与太郎噺の王道「道具屋」です。

古くからある小咄を集めて、こしらえた噺です。
前座の噺とされていますが、円朝師の速記も残っているそうです。
本当に演じたのでしょうか?
もし本当なら、ぜひ聴いてみたかったところです。

噺の都合上、どこでも切れる構成になっており、また入れごとも簡単に入るので、
数々のサゲがあります。
珍しいのは、八代目正蔵師等がやった、家まで金を取りに行き、
格子に首をはさんで抜けなくなったので、「そちの首と、身どもの指で差っ引きだ」
と言うヤツでした。

神田三河町の大家・杢兵衛の甥の与太郎。
三十六にもなるが頭は少し鯉のぼりで、ろくに仕事もしないで年中ぶらぶらしています
心配した叔父さんは、自分の副業の屑物を売る道具屋をやっているので、
商売のコツを言い聞かせ、商売道具一切持たせて送りだします。

その品物がまたひどくて、おひなさまの首が抜けたのだの、
火事場で拾った真っ赤に錆びた鋸だの、「ヒョロビリの股引き」だので、ろくな物がありません。
まあ、元帳があるからそれを見て、倍にふっかけて後で値引きしても二、三銭のもうけは出るから、
それで好きなものでも食いなと言われたので、
与太郎早くも取らぬ狸のナントカ・・・

やってきたのが蔵前の質屋・伊勢屋の脇。
煉瓦塀の前に、日向ぼっこしている間に売れるという、昼店の天道干しの露天商が店を並べています。
見るなり、いきなり
「おい、道具屋」
「へい、何か差し上げますか?」
「おもしれえな。そこになる石をさしあげてみろい」
等と云うので、道具屋の親父さんは、驚きましたが、話にきいている杢兵衛さんの甥と判ると、
親切に商売のやり方を教えてくれます。
処が当の与太郎、脇のの天麩羅屋ばかり見ていて上の空です。

最初の客は大工の棟梁。
釘抜きを閻魔だの、ノコが甘いのと、符丁で言うので判りません。
火事場で拾った鋸と聞き、棟梁は怒って行ってしまいます。
「見ろ、小便されたじゃねえか」つまり、買わずに逃げられることだと教えます

次の客は隠居。
「唐詩選」の本を見れば表紙だけ、万年青(おもと)だと思ったらシルクハットの縁の取れたのと、
ろくな代物がないので渋い顔。
毛抜きを見つけて髭を抜きはじめ、
「ああ、さっぱりした。伸びた時分にまた来る」

その次は車屋。
股引きを見せろと言う。
「あなた、断っときますが、小便はだめですよ」
「だって、割れてるじゃねえか」
「割れてたってダメです」
これでまた失敗。

お次は田舎出の壮士風。
「おい、その短刀を見せんか」
刃を見ようとするが、錆びついているのか、なかなか抜けません。
与太郎も手伝って、両方から一生懸命。
「抜けないな」
「抜けません」
「どうしてだ」
「木刀です」

呆れて、鉄砲を手に取って「これはなんぼか?」
「一本です」
「鉄砲の代じゃ」
「樫です」
「金じゃ」
「鉄です」
「馬鹿だなきさま。値(ね)じゃ」
「音はズドーン」

この他にも、「お雛様の首が抜ける」や台の足がたらないを「後ろの塀ごと買ってください」等
愉快な顛末が笑えます。

五代目小さん師では、隠居が髭を剃りながら与太郎の身の上を「おやじの墓はどこだ」まで長々聞くのですが、
これを二回繰り返し、与太郎がそっくり覚えて先に言ってしまうというパターンもあります。続きを読む

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花……って……

IMGP0002-1え〜菖蒲園も今は藤の花が満開を迎えました。本当にいい匂いが園内を漂っています。

それから、牡丹も見頃を迎えました。
写真はこの度、安デジカメを買いましたのでその試写を兼ねて加工したものです。
上のが赤い牡丹で、下が白ですね。
白はこれからと言う処ですね。
他にピンクもありますが、ピンクがそろそろ終わりなので撮しませんでした。
IMGP0003-1

しかし落語で牡丹と言うと「二番煎じ」のイノシシの鍋か「短命」の伊勢屋のお嬢さんですね。
その色香に迷って婿になった男達が次々に命を落とす、と言う悲しくも背筋が凍る噺ですねえ……
え? 違いましたか……そうでしたか?

まあ、私なんか命をも落としても良いと思う女性に逢ってみたいですねえ〜(^^)
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早くも咲き始めた藤の花

130410_0945~02今年は桜の開花が早かったですが、藤の花早く、菖蒲園では早くも咲き始めています。

菖蒲園には色違いの花が咲く木も含めて10本以上が植えられています。
これは戦前に私の祖父が「藤の牛島」で買い付けて来たものです。
「藤の牛島」と言うのは関東では藤の名所として割合有名な所でして、そこの木を買い求めて植えたそうです。
以前はこの藤は大きな池がありまして、その周りに植えられてました。

藤と言うのは大量の水を必要とする木でして、湿地帯等には最適な木です。
昨年は東京周辺ではどこも、花が良く無く、寂しかったですが、今年はかなり良さそうです。

最も、私が子供の頃は藤の花の房が地面まで垂れ下がっているのが普通でした。
それに比べると・・・・・・
130410_0945~01

例年ですとGWの頃ですが、今年は今週末〜来週が見頃ですかねえ。
園内は藤の良き香りで包まれています。
でも、余り見に来ないんですよね。
菖蒲園は菖蒲しか無いと思ってる人ばかりですからね。
寄席で落語しかやらないと思っている感じですかね?

落語における泥棒って間抜けが多いと思いませんか?

28今日は「転宅」です。
明治時代につくられた噺で、「明治の爆笑王」・鼻の円遊師が得意にしました。
また、同時代で音曲の弾き語りや声色などで人気のあった二代目今輔師は、女が目印にタライを置いておくと言い、オチは、「転宅(=洗濯)なさいましたか。道理でタライが出ています」と下げていました。
今でもオチを「転宅?いや洗濯の間違いだろ」と下げている噺家さんもいます。

舞台は大川端にもほど近い粋な町、浜町。間抜けな泥棒が、留守だと思いこみ忍び込んだのはお妾さんが暮らす一軒家。
食卓のお膳に酒、肴が残っているのを発見し、盗みそっちのけで飲み食いをしているところを家の主、お菊に発見され飛び上がる。
あわてて「金を出せ」と脅しに掛かった泥棒先生だが、お菊は鼻で笑い「わたしゃ、おまえさんの同業者だよ」と言い出す。
お菊の本業は泥棒だが、いまは金持ち旦那の妾の身の上。

しかし、旦那とは別れ話が持ち上がり、明日からはどうなるかわからないという。さらに「あたしのような女だけど、お前さんのような男と所帯が持ってみたいものだよ。
1年でいい、あんたのお神さんにしてくれないかねぇ」と泥棒先生を口説き出すお菊。

泥棒先生はすっかり鼻の下を伸ばし、懐中にあった八十円の金もお菊に預けてしまう。
「今日は用心棒が二階にいるから、明日また昼過ぎに来ておくれ。三味線の音をさせるから、それが合図だよ」というお菊の言葉に、泥棒は夢うつつで帰っていく。
さてその翌日。泥棒は昨日の家を訪れるが、待てど暮らせどシンとして三味線の音は聞こえず思わず近所の人に聞くと、
「いや、この家には大変な珍談がありまして、昨夜から笑いつづけなんです」
「何があったんですか」
「昨夜、泥棒がはいったんですよ」
「それで?」
「それが間抜けな泥棒で、お菊さんに上手く騙されて、明日また来てくれと言って追い返したんですよ」
その後、旦那をすぐに呼びにやったところ、あとで何か不都合があるといけないというので、
泥棒から巻き上げた金は警察に届け、明け方のうちに急に転宅(引っ越し)したとか。
「ええ!いったい、あのお菊というのは何者なんです?」
「なんでも、元は義太夫語りだとか」
「義太夫がたりだけに、うまくかたられた」

古くから大師匠方が演じてきました。そこでサゲも先ほどのと二通り今でもあります。

女義太夫は明治期に大変な人気がでたそうですが、それも一時だったそうです。
義太夫では食べられなくなり、したたかに生きてきたお菊さんなら、人の良い泥棒を騙すのは訳無かったのでしょうね(^^)続きを読む

口合小町と言う噺

beicho_1今日はこのブログに寄せられた疑問について考えて見ました。

疑問と言うのは……
旦那が毎晩飲みに行き 帰って来れば
嫁と喧嘩になり じんべいさんみたいな人に
さとされ 面白い嫁になったらと言われ
妻がいろんな 芸をして 旦那が家に帰ると
嫁が 気が狂ったと じんべいさんに伝えに行く噺
なんですが 

と言う事なのですが、色々な文献や音源、速記等を調べたのですが、
一番最初に「口合小町」に似ていると思ったのですが、細部が違う様な気がして
保留と言う事で調べたり、ここのコメント欄にも「判る方は教えて下さい」と問いかけもしました。
その結果、やはり「口合小町」だと言う結論になりました。
幸い音源も提供して戴き、確認出来ました。

違いは茶屋遊びを酒飲みと言う箇所なのですが、まあ茶屋でも酒は飲むかなと思いまして……
下げも違いますが、この問は噺の途中ですので、違って当然だと思います。

今日は音源も公開しますので、確認して下さい。

一応これで、この質問の回答とさせて戴きます。続きを読む
 
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