例年ですと、そろそろ梅の花の便りも聴けるのですが、今年は遅れていますね。早く暖かくなって欲しいものです。
で、今日は春の噺「崇徳院」です。
若旦那が寝込んでしまったので、旦那様に頼まれて熊さんが聞いてみると、
清水堂で出会ったお嬢さんが忘れられないと言う・・・つまり恋煩いだったのです。
熊さんが腰に草鞋をぶら下げて相手のお嬢様を探しに出掛ける、首尾よく探し当てたら三軒
長屋が貰えるので、もう一生懸命です。
手掛かりは短冊に書かれた崇徳院の和歌で、
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の 割れても末に 逢わんとぞ思う」と言う歌のみです。
かみさんに教えられた通り、往来の真ん中、湯屋、床屋など、人が集まるところで上の句
を詠むが、なかなか見つからりません。
熊さんが三十七軒目の床屋で休んでいると、鳶頭が駆け込んできて、恋煩いで寝込んでいるという
お嬢様の話を始めました。
清水院で出会った若旦那に会いたいというのだ。手掛かりは、短冊
に書かれた崇徳院の和歌だと言う。
お互いに見つけたと、互いにこっちに来いと揉合いになり、鏡を割って仕舞います。
床屋の親方、心配するな。
「割れても末に買わんとぞ思う」
この作品は初代桂文治の作といわれ、上方落語の演目で、後に東京でも口演されるようになりました。
上方では見初める所が高津神社となっています。
又、娘さん方の頭に下さる御礼が300両と具体的になっています。
「あんたのとこの若旦那は仁徳のある方ですなあ」と感心する床屋に、「仁徳があるはずや、見初めたんが高津さんや」とするサゲもあるそうです。
この前も書きましたが、この噺のサゲが上方ではサゲをつけないやり方が多くなって来ている事ですが、
その事で、WiKiより引用してみたと思います・・・・
> 5代目笑福亭松鶴の『上方はなし』によると、現在残されている形は桂南光(後の桂仁左衛門)が演じ、弟子の2代目桂三木助に伝えられたものである。他にも桂米之助(後の4代目桂米團治)が演じていた形と二通りある。5代目松鶴は鏡が割れてしまうサゲが納得できなかったので『上方はなしを聴く会』でサゲを変えてやったところ、客から苦情が来て、その後米團治とサゲはどうするべきかで熱い議論になった。
2代目桂春蝶もこの噺を得意としたが、自身はサゲが気に入らず、噺そのものはええのにサゲがあかんとこぼしていた。その他でも、2代目桂枝雀をはじめとして、取っ組み合いのシーンを演じたあとサゲを付けずに「めでたく一対の夫婦が出来上がります。崇徳院というおめでたいおうわさでした」などと言って終える演出を取るケースも多く見られる。
引用終わり・・・・
色々ある様ですが、私は個人的には、〜一対の夫婦が〜と言うやり方は好きになれませんね。
東京では三代目三木助師が二代目から噺を受け継いで、東京で演じました。
あたらしいくすぐりも考案したそうです。
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で、今日は春の噺「崇徳院」です。
若旦那が寝込んでしまったので、旦那様に頼まれて熊さんが聞いてみると、
清水堂で出会ったお嬢さんが忘れられないと言う・・・つまり恋煩いだったのです。
熊さんが腰に草鞋をぶら下げて相手のお嬢様を探しに出掛ける、首尾よく探し当てたら三軒
長屋が貰えるので、もう一生懸命です。
手掛かりは短冊に書かれた崇徳院の和歌で、
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の 割れても末に 逢わんとぞ思う」と言う歌のみです。
かみさんに教えられた通り、往来の真ん中、湯屋、床屋など、人が集まるところで上の句
を詠むが、なかなか見つからりません。
熊さんが三十七軒目の床屋で休んでいると、鳶頭が駆け込んできて、恋煩いで寝込んでいるという
お嬢様の話を始めました。
清水院で出会った若旦那に会いたいというのだ。手掛かりは、短冊
に書かれた崇徳院の和歌だと言う。
お互いに見つけたと、互いにこっちに来いと揉合いになり、鏡を割って仕舞います。
床屋の親方、心配するな。
「割れても末に買わんとぞ思う」
この作品は初代桂文治の作といわれ、上方落語の演目で、後に東京でも口演されるようになりました。
上方では見初める所が高津神社となっています。
又、娘さん方の頭に下さる御礼が300両と具体的になっています。
「あんたのとこの若旦那は仁徳のある方ですなあ」と感心する床屋に、「仁徳があるはずや、見初めたんが高津さんや」とするサゲもあるそうです。
この前も書きましたが、この噺のサゲが上方ではサゲをつけないやり方が多くなって来ている事ですが、
その事で、WiKiより引用してみたと思います・・・・
> 5代目笑福亭松鶴の『上方はなし』によると、現在残されている形は桂南光(後の桂仁左衛門)が演じ、弟子の2代目桂三木助に伝えられたものである。他にも桂米之助(後の4代目桂米團治)が演じていた形と二通りある。5代目松鶴は鏡が割れてしまうサゲが納得できなかったので『上方はなしを聴く会』でサゲを変えてやったところ、客から苦情が来て、その後米團治とサゲはどうするべきかで熱い議論になった。
2代目桂春蝶もこの噺を得意としたが、自身はサゲが気に入らず、噺そのものはええのにサゲがあかんとこぼしていた。その他でも、2代目桂枝雀をはじめとして、取っ組み合いのシーンを演じたあとサゲを付けずに「めでたく一対の夫婦が出来上がります。崇徳院というおめでたいおうわさでした」などと言って終える演出を取るケースも多く見られる。
引用終わり・・・・
色々ある様ですが、私は個人的には、〜一対の夫婦が〜と言うやり方は好きになれませんね。
東京では三代目三木助師が二代目から噺を受け継いで、東京で演じました。
あたらしいくすぐりも考案したそうです。
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