はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2012年11月

柳田格之進と言うお噺

0929一年は早いもので、この前マッカーサーが来たらもう12月です。って故文朝師がよくマクラで語っていましたが、言い得て妙でしたね。

11月最後は「柳田格之進」です。

誇り高い武士の生きざまを描いた人情噺の傑作ですが元は講談の「柳田の堪忍袋」とも云われています。
志ん生師が講談時代に覚えて人情噺にしたのかと思いきや、明治25年、「碁盤割」で「百花園」に掲載された
三代目柳枝師の速記があるそうです。ほかは古い口演記録がなくいので詳し事は不明です。

根の城主井伊氏のご家来で柳田格之進という文武両道に優れ品性正しく潔癖な浪人がました。
正直すぎて人に疎まれて浪人をしていて、浅草阿倍川町の裏長屋に娘”きぬ”と二人で住んでいます。
娘の助言で碁会所に顔を出すと、馬道一丁目に住んでいる質屋、万屋源兵衛と気が合っていつも二人で対局をしていました。

それなら私の家でと言うことになり、万屋源兵衛の家のはなれで指す様になり懇意になります。
終わると二人は一献傾けて楽しんでいて、毎日を過ごしていましたが、8月15日の中秋の名月十五夜の晩に月見としゃれながら夢中で指して、一杯ご馳走になり帰ってきました。

万屋源兵衛の店ではその晩に集金したばっかりの50両の金子が紛失して仕舞います。
二人が指している時に無くなったのだから、相手の柳田様が「もしかしたら・・」と番頭が言うのを振り切って話を納めた主人ですが、収まらないのは番頭・徳兵衛。
 
番頭の一心で、翌日柳田の長屋を訪ねて、事の次第を話し、「もしかしたら柳田様がご存じかと・・」「拙者が盗んだというのか」「思い違いではと・・」「私はどんなことがあっても、人の物を盗むという事はない!」「お上に届けて裁いてもらいますが・・」「それでは私が50両作りましょう。明日昼に来なさい」。
番頭が帰った後、娘の忠告で「裁きになれば潔白は晴れるが、その汚名は拭えないので、腹を切る」と言うところ、「私が身を沈めてお金を作ります」。
 
翌日番頭に50両を渡し「その金ではないので、後日金が出たらどうする」「そんなことはないが、その時は私と主人源兵衛の首を差し上げます」。その事を源兵衛に報告すると、源兵衛は謝りに番頭を連れて安倍川町の裏長屋に来てみると、すでに柳田は家を引き払った後で、落胆して戻る源兵衛。
店の者にも、出入りの者にも頼んで柳田を捜したが見つかりませんでした。

 煤払いの日、額縁の裏から50両が出てきました。「そうすると、あの柳田様の50両は・・・」。
どんなことがあってもと源兵衛は柳田様を捜させたのですが、見つかりませんでした。
 
年が改まって、4日、山の手の年始挨拶に番頭は出入りの頭を連れての帰り道、雪が降り始めた湯島の切り通しにさしかかった時、籠屋をいたわって歩いて坂を登ってくる侍が目に入ります。
蛇の目傘の内の贅沢なこしらえが目に止まって、見とれてやり過ごそうとしたその時、侍から声をかけられました。

何とその侍が柳田格之進で、今では300石に取り上がられていると言います。
「湯島の境内に良い店があるから」と連れて行くが番頭は閻魔様に連れて行かれるようで人心地もしません。
店で50両が見つかったことを話し、許しを請うが、明日昼頃万屋に伺うので、体をよく洗って置けと言い残します。
 
翌朝、源兵衛は番頭を使いに出して、柳田を迎え非礼を詫びたが、使いに出ないで待っていた番頭は「私がしたことだから」と主人をかばうが、娘の手前勘弁出来ないと二人を並べて切り捨てると言います。
刀を振り下ろすと、床の間の碁盤が真っ二つになって二人は一命を取り留めます。
二人の主従の真心が心に響いて手元が狂ったと言います。
 
さっそく、半蔵松葉から”きぬ”さんを身請けしてきて、娘に詫びたが、娘も父上の為ならと快く応じます。
 前よりも柳田と源兵衛は深い付き合いをするようになり、番頭の徳兵衛ときぬは夫婦となり万屋の夫婦養子になりめでたく収まります。
二人は仲が良くてまもなく男の子を産んだ。その男の子を柳田が引き取り、家名を継がせたと言う「柳田の堪忍袋の一席」でした。

娘さんが気が触れてしまったり、亡くなっていたりと悲しい終わり方をさせる噺家さんもいますが、志ん朝師はハッピ−エンドに終わらせています。このほうが後味はいいですね。
変わった所では圓楽師が、、越前屋がお花を身請けし、久兵衛とめあわせた上、産まれた長男が越前屋を、
次男が柳田家を継ぐというハッピーエンドで終わらせています。

それから、柳田格之進の名前も角之進と表す時もあります。
そんな違いも楽しみの一つですね。続きを読む

権助は田舎ではスター?

img001今日は「権助芝居」です。

「権助茶番」「一分芝居」「一分茶番」とも云われている噺で、忠臣蔵の芝居が登場するので、その時期になると良く掛かります。

今日は町内の芝居好きが集まっての素人芝居の当日です。
観客席はお客様で一杯ですが、いつまでたっても幕が開きません。
というのも序幕の芝居に出演するはずだった伊勢屋の若旦那がどこかへ行ってしまったのです。
若旦那の役は家宝の鏡を盗み出す盗賊の役なので、役に不満があり、来なくなったに違いないのです。

しかたがないので代役をさがせということになり、白羽の矢が立ったのが飯炊きの権助。
田舎言葉丸出しの奉公人ですが、話しをきいてみると、田舎の村芝居に出たことがあるというのです。
しかも忠臣蔵の祇園一力茶屋の場、お軽の役をやったというから回りの者は驚きます。
店の番頭は権助に一分の小遣いをやると、盗賊の役をやることを承知させ、さっそく芝居の稽古します。
台詞も段取りも覚えられないので、小道具の裏にカンニングペーパーを貼り、それらしく演じるように教え込見ます。

ところが、舞台に出てきたときに鏡を盗んだことを説明する長い台詞を言わなければならないのですが、
教えた台詞を間違えたり田舎言葉丸出しで言ったり、挙句の果てに野次った観客に文句言ったりする始末です。
さらには立ち回りの場面で本気で取っ組み合いを始めてしまったりとめちゃくちゃです。

ようやく尋問の場面になるのですが、観客に「権助、縛られて無様な格好だな」と野次られて、
「そんなことはねえだ」と種明かしをして踊り出してしまい、頭にきた相手役が今度は本当に高手小手に縛ってしまいます。
そして尋問の場面で、「誰に頼まれた」
「番頭さんに一分で頼まれた」

江戸時代の最大の娯楽と言うと芝居でしたね。落語でも色々な噺があります。
「七段目」の定吉や若旦那は芝居に夢中ですし、女子供に至るまで浸透していました。
なので、芝居好きが集まって素人芝居を催すことがしばしばあったそうです。
落語でも「蛙茶番」や「九段目」がありますね。

権助が「田舎ではお軽を演じた」と自慢していますが、当時としては当然ありえた設定だった様です。

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三人兄弟ってどうよ・・・

223今日は「三人兄弟」です。
元は上方落語ですが、最近では東京でも聴かれる様になりました。
上方では上方版では船場の大店の設定で、圓都師や松之助師の音源もあります。
元はフランス当たりに元の話があるそうです。洋の東西を問わず、皆同じだと言うオチで・・・・

大店の三人兄弟ですが、揃って遊び好きで、とうとう二階に幽閉されるような状態になります。
遊びに行ってはいけないというわけなのですが、こんなことが長く続くわけには行きません。
長男は画策をしまして知り合いの”善公”をたきつけて梯子をかけさせて、二階から脱出してしまいます。
次男もこれにのって逃げてしまう。
三男も同様ですが、梯子などは使わないで二階から飛び降りてしまうという強攻策です。
一晩中遊んで、翌朝戻ってくるのですが、長男と次男はなんとか理由をつけて言い逃れてしまうのですが、
三男は乱暴者ですから、いいわけなどもせずに、正直に言ってしまう。
正直に言ったのは三男だけということで、大旦那のめがねにかなったのは三男ということになると言う噺です。

兄弟が三人出て来る処や跡継ぎに悩む処は「片棒」に似ていますね。
また、親の目を誤魔化して遊びに行くのは「干物箱」に似ています。

昔は、男の兄弟が多いと夜に兄弟でも調子が良いのは、さっさと寝床を抜けだして遊びに行ってしまう。
と言う事があったそうです。
容量の良い者は早く戻ってきて、家の前やら庭を掃除している振りをしていたとかwww
兄弟が多い頃はきっと大受けだったのでしょうね。続きを読む

短命または長命

kamisan今日は「短命」別名「長命」です。

この噺は良くできていますね。名作と言っても良いと思います。

原話は享保12年の『軽口はなしどり』の中の一編です。
この噺は簡単そうですが、実は鸚鵡返し等が難しい事や変に下品になってもイケナイので真打の噺とされているそうです。

ご隠居のところに八五郎が訪れて、三度死んだ伊勢屋の旦那の葬式の手伝いだという。不思議に隠居さんが思って尋ねると、伊勢屋のお嬢さんと最初に一緒になった色白の婿殿が亡くなり、二人目はごつい男だったがこれも亡くなり、三人目の亭主が一年足らずでこの間亡くなったので、
これで三度死んだと言うでしょ。どうしてこうも続けて死んじゃうのかねぇ、と八五郎。
 話を聞いたご隠居が、解説を始めます。
 店の方はすべて番頭が見ているので亭主は月に一、二回帳簿を見るだけで、普段やることがなく暇だ。
目の前には震付きたくなる様ないい女。
飯時には手と手が触れる。冬は炬燵で脚が触れる。周りを見ても誰もいない。となればやることは一つ。
短命だろう。
説明を受けた八五郎は、指から毒が移るのかとか、いい女を見つめて飯を食い忘れるとかトンチンカンなことを言うが、どうにか意味を理解して家に帰ります。
 女房に給仕をさせて、ご飯茶碗を渡す時に手と手が触れる。目の前には震付きたくなる様な、、、。
「あぁ、おれは長生きだ」 

いわゆる『艶笑落語(バレ噺)』の範疇に入る噺でしょうが、戦時中なら禁演でしたが、今はこれくらいは、どうって事ありませんね。
この噺の聴き所は「遠まわしに説明する隠居と、なかなか理解できない八五郎都のやり取りですが、コレに限らず、実際の事でも鈍い人なんて居るものですね。

ところで、この伊勢屋の旦那の病気は昔は、「腎虚(じんきょ)」と言われました。
つまりはアッチの方が過ぎ、精気を吸い取られてあえなくあの世行きという訳ですね。(^^)

なお、志ん生師版では、最後のかみさんとの会話にくすぐりを多く用いるなど面白く工夫し、
サゲは「おめえとこうしてると、オレは長生きができる」というオチでした。続きを読む

棟梁VS因業大家

MCj02960760000[1]1今日は「大工調べ」です。

この噺を志ん生師は「棟梁が啖呵を切りたかった噺」と要約しました。
歴史的な事を書くと、三代目小さん師のやり方を継承した七代目可楽師から習った五代目小さん師が、師匠の四代目小さん師のやり方や、自身の工夫も加えて、落ちまで通して演じ、十八番としていました。
 同じく得意にしていた志ん生師は、傾倒した四代目圓喬師のやり方を参考にしていたと言う説があり、
三代目小さん師の演じ方で、棟梁が大家の処へ行く処から与太郎の啖呵までをよく演じました。

頭はちょっと弱いが腕の良い大工の与太郎を、棟梁の政五郎は何かと面倒をみていました。
「でっけえ仕事が入ったから道具箱を出せ」と言うと、溜めた店賃一両二分八百(一両八百の演者もいる)のカタに大家に持っていかれてないと言います。
八百足りないが手持ちの一両二分を持たせて大家のところへ行かせたのですが、金が足りないと追い返されて来ます。
 棟梁が出向いて頭を下げるが「タカが八百」との言い種が気に入らないと口論となり、
ついに政五郎は大家に啖呵を切ります。ついでに与太郎も締まらない啖呵を切ります。

時間の関係でここで「大工調べの上(じょ)でございます」と切る場合が多いですが・・・

遂には奉行所へ訴える騒ぎになります。
 お白州での奉行の裁きは、与太郎は不足分八百を支払い、大家は直ちに道具箱を返すこと、
日延べ猶予は相成らぬ。とのお裁き。泣く泣く政五郎は大家に八百を払います。
これで終わりかと思ったら、「ところで、大家は質株を持っておろうの?」
「ございません」
「何と質株を持たずして、他人の物品を預かり置くはご法度、罪に代えて二十日間の手間賃を与太郎に支払え」と、沙汰した後で
奉行は正五郎に
「ちと儲かったか、さすが、大工は棟梁」
政五郎「へえ、調べを御覧じろ」

ここで大家が払った手間賃は200匁と言いますから、時代によりますが、おおよそ3〜4両でして、これはかなり儲かったですねえ。
江戸時代は、質屋に対する統制はかなり厳しかった様です
質物には盗品やご禁制の品が紛れ込みやすく、犯罪の温床になるのでまあ、当然ですね。
元禄5年(1692)には惣代会所へ登録が義務付けられ、享保の改革時には奉行所への帳面の提出が求められました。
だから、大家さんがお奉行に怒られるのも当然なのです。
明和年間(1764-72)には株を買うか、譲渡されないと業界への新規参入はできなくなっていました。続きを読む
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