はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2012年10月

臆病ぶりがひどすぎる

mio今日は「臆病源兵衛」という噺です。

原話はまったく不明で、別題は「浄行寺」と言いますが、これは、源兵衛が死骸を捨てていく、芝・寺町の古寺の名から取ったものだそうです。

三代目小さん師と二代目金馬師が得意にしていたそうです。
近年では八代目文治師がやったそうですが何と言っても10代目馬生師が後半の古くなっていたオチを替え
現代に通じる噺にしたそうです。

源兵衛さんは、ものすごい臆病で、夏の暑い盛りに雨戸を閉め切ってアツイ暑いと言うので聞いてみたら、
誰か覗いているから恐いという始末。
また、夜は恐いからと出歩かなかったし、商売も暗くなるとあたふたと帰ってきてしまうのです。

 兄貴の家で一杯ご馳走になっている八五郎が、その源兵衛さんをここに呼ぼうといい出します。
兄貴の妹さんが来ていると言えば、彼は岡惚れしているから駆けつけてくるだろう。
そうしたら、酒を買いに行くからと言って外に出て、裏の台所で赤いキレを頭からかぶって源兵衛を脅かす。
気を失ったところを笑ってやるのはどうでしょうと、兄貴は気が進まなかったがやることになります。
源兵衛さんは恐わごわ駆けつけてきたが妹さんはハナっから居ません。

 妹さんは一寸出かけたというと「女なのに凄いですね」。おっかなびっくり飲んでいると、八五郎が酒が足りなくなるのでと、買いに出かけます。
「あの人も凄いですね。暗い中行きましたよ」、「当たり前だ、まだ夕暮れで明るいし子供だって行くさァ」。
 
ヤカンの水が少なくなったので、台所で水を入れるように頼まれたが、へっぴり腰で暗い中に入ると、
八五郎が赤いキレを頭からかぶって脅かしたので、「ギャッ〜!」っと言って手に持っていたヤカンを八の頭に「パカッ」っとやって仕舞いました。
殴られるとは思ってもいない八五郎は「ギャッ!」その場に倒れてしまいます。
もとより、ヤカンが半分凹む程なので、死んでしまいました。

 番所に自首すると言うが、それでは牢屋に入り、遠島、死罪になってしまうかもしれない。
だったらと、八五郎に兄ィの自慢の上布で出来た帷子を着せてやり、死に装束に替えて行李に詰め見ます。
上から夏布団で簀巻きにし、細引きで担いで不忍池の奥に捨てに行来ます。

夜、外にも出ない源さん、死人を担いで歩き始めたが、脚は地に着かず何とか不忍池に着きました。
蓮の葉がザワザワとゆれているので怖さが倍増。
 それを見ていた三人組が、泥棒か何かではないかと声を掛けようとしました。
源さんはもう限界になって「タスケテェ〜」と行李をほっぽり出して逃げてしまいました。
三人組が泥棒の戦利品だと思って開けると、死人が出てきたのでビックリ、関わり合いになると大変だからとそのまま行って仕舞いました。

 三人組が泥棒の戦利品だと思って開けると、死人が出てきたのでビックリ、関わり合いになると大変だからとそのまま行き過ぎてしまった。

 八五郎は本当は死んでいなかったのです。
頭を叩かれたので気絶していただけだったので、立ち上がってみると先ほどの三人がそれを見て「わぁ〜〜」っと悲鳴を上げて逃げて行て仕舞います。八五郎は、「俺はどうしたんだろう、帷子を着ているので死んだんだ」
蓮があるからここは極楽だと勘違い。
 
蓮池をザブザブ歩いていると「誰だ!」、「鬼だ〜。鬼が居るからここは地獄だ」、
ようよう仲町に来てみると「地獄と言うところはシャバに良く似ているな」。
 一軒の灯りが点いた台所を覗くと痩せてはいるが色つやの良いお婆さんが肉を切っていた。思い切って「ここは地獄ですか」と尋ねると、「娘のお陰で極楽です」。

馬生師亡き後やり手がいませんでしたが、孫弟子の白酒さんと弟弟子の龍玉さんが演じています。

しかし、昔の不忍池のあたりは寂しかったのですね。続きを読む

「猫と金魚」はナンセンスな面白さだけでは無い

83l83R82C68BE08B9B今日は「猫と金魚」です。
これは「のらくろ」で有名な田河水泡画伯の作です。「高沢路亭」というペンネームで創作活動をしていました。

ある商家の旦那、金魚を飼っているのですが、隣家の猫がやってきてたびたび金魚を襲うので困っています。
番頭さんを呼んで対策を講じようとするが、この番頭が変わり者なのです。
猫の手が届かないところへ金魚鉢を置けと命じれば、銭湯の煙突の上に乗せようとする。「そんなところに置いたら金魚が見えないじゃないか」「望遠鏡で見ればいい」という具合なのです。

次に、湯殿の上に金魚鉢を移動させるが、番頭がやってきて「金魚鉢は移動しましたが、金魚はどうしましょうか?」。そうこうしているうちに、隣家の猫が金魚をねらいにやってくる。

旦那は町内の頭を呼びにやり、金魚を守ろうとするのですが、呼ばれてやってきた虎さんですが、
喧嘩は得意と言いやたら威勢だけは良いのですが・・・・
結局、虎さんは猫と争った挙句、悲鳴を上げました。
なんだと、主人が風呂場に駆けつけると、棚は破壊され、金魚鉢は真っ逆さまにひっくり返り、トラさんは金魚鉢の水を頭からかぶって気絶している。主人がたたき起こすと、トラさん曰く、「気丈な猫で・・・」と、
「どうしたいトラさん、早く猫を捕まえておくれ」、と改めて主人は頼む。今度はトラさんは猫は怖いから嫌です… と打って変わって弱気である。
主人「猫が怖いっておまいさんトラさんじゃないか!?」
トラさん「名前はトラですが、いまはこのとおり「濡れネズミ」になりました」

発表当初は注目されなかったそうですが、初代権太楼師がこれに目を付けて実演の承諾を取るり
高座に掛けると爆発的なウケを取りました。
あまつさへこの噺を自作と宣伝したそうです。
戦後不遇な亡くなり方をしましたが、その後放送局等が真の著作者を見つけ出し田河画伯に著作権料を支払おうとすると、全額権太楼師の遺族に、と言って受け取らなかったそうです。

初代権太楼師のSP版の音源は私も聴いた事ありますが、番頭さんの言い方が面白かったですね。
後は先代の文治師もよく高座に掛けていました。
そして、当代圓蔵師の十八番ですね。
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前半と後半が一致しない噺

non103_1今日は「貝の村」です。
「貝野村」とも書きますし、「貝之村」とも書くようです。

後半部分が独立したのが、『手水廻し』で、通してやると、『貝野村』という演題となるようです。
1814年(文化11)の十返舎一九の『木曽街道膝栗毛にも似たような逸話があります。
また、この噺を東京の噺家が演じると「海野村」と表記するようです。

大阪船場の若旦那、丹波貝野村から来た女中のおもよさんがお気に入りです。
商用で出掛けた間におもよさんが母の病気で家へ帰ったと聞き、若旦那は彼女恋しさに病になり床について仕舞います。いわゆる恋煩いですねえ。
早速に、おもよどんを世話いたしました、甚兵衛さんを呼びまして、貝野村へ使いを出すとおもよの方でも恋煩い、
実は、おもよどん、女中奉公といえども、お家は、丹波で、二・三ヶ村の庄屋をしていようというような、立派なお家の、娘さんなのです。そこに甚兵衛さんが駆け込みまして、かくかくしかじかと話ます。
おもよさんは、若旦那の病を聞くやいなや 、ムックと起き上がり、二挺(ちょう)の駕籠を誂えまして、大勢の人足で、大阪へ。
そしてとうとう二人は結ばれるという噺です。
ここまでが前半ですね。ちょっと「崇徳院」の様な感じもしますね。
後半は・・・
貝野村で婿入りの儀式をした翌朝、縁側で若旦那はちょうずを廻すよう頼みます。
料理場の喜助は分からず、寺の和尚に相談、「ちょうず」は「長い頭」だと思い、5尺の手拭いで頬かむりができない市助が呼び出され、庭先で頭をぐるぐる回して倒れる始末。
おもよさんは恥ずかしさに若旦那を急かして大阪へ帰ってしまうのでした。

おもよさんの父は、「ちょうず」を知らぬは村の恥と、喜助と共に大阪へ出て宿に泊まると、
翌朝、縁側で「ちょうず」を求めます。
湯の入った桶と塩や楊枝が用意されると、桶の湯に出てきたものを混ぜて、二人で残らず飲んでしまう。
そこへもう一人前届いた。
「またちょうずを持ってきた? いやもう結構。あとの一人前は昼から頂戴しましょう」

上方ではそれこそ、蒼々たる師匠が高座を務めています。
東京では、百生や小南師が演じ、最近の噺家も演じる様です。

後半は「勘定板」等と共通のモノを感じさせますね。全く違う噺を無理やりくっつけた感がありますね。
そこの処はどうなんでしょうね。
でも私は正直嫌いな噺ではなくむしろ好きな噺ですね(^^)続きを読む

29日は五代目圓楽師の命日ですね

012え〜、このところ更新を休みまして申し訳ありません。
扁桃腺が腫れまして、連日40°近い熱が出まして、医者の薬を飲んでも中々効かなかったのですが、
やっと効き目が現れて少し楽になりました。
まだ熱もありますし、喉も痛いのですが仕事もありますので復帰しました。

御心配をおかけして大変申し訳ありませんでした。謹んで御礼申し上げます m(_ _)m

世間のニュースでは何やら荒川で水死体が上がったそうですが、全く知りませんでした。
近所の人によると、「そりゃあ、鑑識は来るはTVや新聞はくるは大変だったのですよ」と言われましたが、
こちらは40°近い熱で唸ってました(^^)

カレンダーをみていますと、今月の27日が夢楽師の命日、29日が立川文都師と先代圓楽師の命日なのが気が付きました。
で、今日は五代目圓楽師を取り上げます。

五代目圓楽師(以降圓楽と記します)は1932年12月29日(本人の弁)戸籍は1933年1月3日に、東京は浅草の
日照山不退寺易行院、通称:助六寺に生まれました。
幼い頃に腎炎と結核にかかり、極めて病弱だったそうです。

後に談志師が「圓楽にピッチャーをやらせたら全く駄目だった」という様な事を話していますが、
元来運動はしたくても出来なかったのでしょうね。

実家のお寺は今日の音源でも本人が語っていますが、浅草から竹ノ塚に移転しました。
前座の頃、仕事を終えて真っ暗な道を一人で家まで帰る時に、色々な事をいつも考えていたそうです。
丈夫とはいえない体で噺家として果たして務まるのか・・・毎日もんもんとして考えていたそうです。

圓楽師の噺は真打昇進の頃の音源を聴くと、まるでカミソリのような切れ味ですね。
晩年の感じとは全く違います。
それは、きっと上記の様な思いから来ていたのでしょうね。

世間では「笑点」の司会者としての方が有名なのかもしれませんが。
決してそれだけではありません。
伊達に四天王と呼ばれて居た訳ではありません。
他の3人よりもスケールの大きさを感じさせてくれました。

後年、入れ歯が中々合わずに苦労したそうです。
その為2年間高座に出なかった時もありました。

入れ歯と言えば結構噺家さんは苦労しているそうですね。
志ん生師等は面白い逸話もあるようですし、文楽師は有名で、マニアの間では
入れ歯後と入れ歯前で分けるとか言いますね。
志ん朝師も入れ歯は良いのを探していたそうです。

あんまりエピソードらしいいのは書けませんでしたが、有名なのはWiKiや色々な処に書いてありますので、
そちらを参考にして下さいね。



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「東京かわら版」11月号より

img103今日は今日来ました、「東京かわら版」11月号より話題を拾ってみたいと思います。

表紙はご覧の通り、立川志ら乃さんと立川こしらさんです。
この二人は12月より真打に昇進するそうです。おめでとう御座います。
談志師から見ると孫弟子にあたりますね。

「落語とわたし」はTOKIOの城島さんです。リーダーですね。
移動の時は必ず落語を聴いてるそうyですね。
話芸の凄さを本当に実感する、と語っています。

インタビューは先程のお二人ですね。志ら乃さんは志らくさんがやっていた、「らく塾」の出身ですね。
こしらさんは漫才からの転向ですね。
こしらさんは志らくさんの総領弟子ですね。
談志師が亡くなってからの初の真打という事で注目されるでしょうね。

若手の紹介は、立川」こはるさんです。メガネをかけて写っています。
東京農工大学大学院まで進んだそうです。ですね。虫取りが好きなんだそうです。

地域寄席はスカイツリータウンにある「江戸味楽茶屋そらまち亭」で開催されている。
「雲の上寄席」です。公演は毎日6時半と8時半の二回だそうです。

本日のお題は「宇喜多秀家」です。講談ですね。色々と逸話の有る方ですね。

ニュースは三平師の三十三回忌と志ん五師の三回忌が執り行われた事と
CSで「寄席チャンネル」が開設されて事ですね。落語協会協力だそうです。

堀井ちゃんのコーナーは、圓菊師のネタの話で、東京に出て来た当初はよく聴いたそうです。

玉川スミ師と圓菊師の訃報が乗っています。

最後の「今月のお言葉」は一之輔さんを取り上げています。
「堀の内」ですが今年8月にネタおろしをしたそうです。
その為その頃はどこでも「堀の内」を掛けていたそうです。

すいませんが今日はこの辺で・・・・・
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