らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2012年09月

穴泥という噺

img_1126720_17049084_4今日は「穴泥」です。

原話は、嘉永年間(1848年~1854年)に出版された笑話本・「今年はなし」の一遍である『どろ棒』です。
上方だと「子盗人」というタイトルですね。
この噺は、圓朝作品ではありませんが、速記が残っており、圓朝全集にも収録されています。

三両の金策がつかないので家に帰ると、女房から「豆腐の角に頭をぶっつけて死んでおしまい」と、ののられます。
頭に来て家を飛び出しますが、あてはありません。
立派な蔵が有る商家の庭先に出ました。奉公人達がそろって遊びに出かけた様ですが、裏木戸がバタンバタンしているので、教えてあげようと庭先に入り、部屋うちを覗くと宴会の後と見えて料理が沢山残っていいます。
「こんにちは」と言いながら上がり込んで、冷や酒や残りの料理に手を付け始めた。朝から何も食べていなかったので、気持ちよく食べ飲んだ。ここで、この家の人に見つかったらなんて言おうかとか、やな女だが嫁に来たてはいい女であったとか一人酒をしているまに酔ってしまった。
 やっと一人歩きができる程の子供が顔を見せた。あやしながら後ずさりをしていると、踏み板がずれていたので、穴蔵に落ちてしまった。「だれだ〜、俺を突き落としたのは、何を盗んだ〜」、大きな声でわめいていたので主人が出てきて、事の一件を悟って、泥棒だからと頭 (かしら)を呼びに行かせる。あいにく頭は出かけて居ず、留守番の”亀さん”が駆けつけてくれた。
 あっしの背中はこっちが上り龍でこっちが下り龍、泥棒なんか怖くはないし、ふんじばって叩き出しちゃう。頼もしそうな亀さんではある。子供のお祝いの日だから縄付きは出したくない。お前さんが中に入って泥棒を抱き上げて欲しいと頼みます。
ところがナンだカンだと言って中々降りていきません。
旦那はしびれを切らして、一両上げるからと言い出します。
それでも中々降りないので、金額が二両に上がります。
じゃあと言うのですが、喉首に食らいつくと言われて又々おじけづきます。
とうとう旦那は「じゃ三両出す」と言い出します。
それを聴いた男は「三両ならこちらで上がって行く」

何と言っても文楽、志ん生師の高座が良いですね。
昔は、たいした事が無けれは、お上には通報しなかったそうですね。


自分達で始末していた様です。こんな未遂でも当時でも立派な犯罪になりました。
今でも不法侵入ですがね。続きを読む

昨日は志ん五師の命日でした。

e8039a2c31a42cddb13a-LL昨日は志ん五師の命日でしたので、一日遅いですが記事にしました。

志ん五師は寄席以外でも随分聴きました。我街の師匠の小袁治師が開いてる「あやめ寄席
という会に随分出てくれました。
この会は小袁治師の同期が話す場所を求めて、造った落語会で、他には一朝師、小金馬師、歌司師、八朝師等がレギュラーでした。

師匠方はいつもより一生懸命に高座に臨んでいました。
寄席とは明らかに力の入れ具合が違う感じでしたね。
芸と商売ですか、志ん生師ではないけど、そんな事も考える位皆良い出来でした。

歯切れの良い高座が思いだされます。

本名:篠崎 進、、1949年5月30日 - 2010年9月28日、東京都台東区浅草生まれです。
出囃子は『ゲイシャワルツ』又は『藤娘』
本当は志ん生師に弟子入りしたのですが、志ん生師はもう弟子を取らないので志ん朝師の弟子になりました。
しかし、志ん朝師が忙しかったので、志ん生師に預けられました。
ですので、志ん生最後の弟子で志ん朝の総領弟子なのです。
これが、1966年8月31日のことで、名前が高助。

1971年11月 - 二ツ目に昇進し、改メ古今亭志ん三
1973年 - 志ん生死去に伴い、志ん朝門に正式復帰
1982年11月 - 真打昇進を期に、改メ古今亭志ん五
この昇進の時ですが、当時落語協会には、真打昇進試験、という無粋な制度がありまして、
試験官の幹部の前で一席演じて、合否を伺うというモノでした。
この試験に何と前座噺「味噌豆」で合格したのが、こぶ蔵で、試験管の小三治師も「見事な味噌豆だった」と言ったんですよねえ。
そうとしか言い様が無かったのか、実にいい加減な試験で、かの右朝師は落とされています。
すると、四件の席亭が異議を唱え、「志ん八(当時の名)が落ちるなら今後一切、落語協会の真打は認めない」と声明を出しました。
当時抜群の上手さで評判だった右朝師が落とされる試験に価値は無いとしたのです。
結局この事が原因で試験制度は崩壊します。

志ん五師は「あたしの芸はお足を頂く芸だから・・・」と言って試験を拒否しました。

志ん五師というと、なんて言っても「与太郎噺」ですね。
あれだけは誰も真似できませんでしたね。
「あん〜ちゃん!」と云うセリフで始まる楽しい噺の数々でした。続きを読む

果たしてお梅ちゃんは本気だったのか?

p4110140今日は文楽師の名演が光る「つるつる」です。

八代目桂文楽が、それまで滑稽噺とされてきたこの噺を、幇間の悲哀や、お梅の描写等を加え、得意演目にしました。又志ん生もこの演目を演じており、文楽師とか逆にかなり滑稽味を加えています。
具体的には、 三代目三遊亭円遊師が明治22年にやった「思案の外幇間の当て込み」という題の噺がこの噺の元と云われています。

又、文楽師の幇間噺に出て来る旦那ですが、モデルが居るそうです。
甲府出身の県会議員の息子さんで、運送業で財をなした方だったそうです。
名前まで判っていますが、いいですよね。
文楽師の芸に大変惚れ込んだそうです。

幇間の一八が、同じ家にいる 芸者のお梅に、嫁に来ないかと、口説いたところ、お梅は、浮気な考えじゃいやだ、それと一八には悪い癖があって、お酒を飲むと、物事がぞろっぺいになって、約束をしてもすっぽかしたり、それがなければお嫁に行ってもいいけど、今晩2時になったら、あたしの部屋に来て、ただし少しでも遅れたら、いつもの癖が出たんだと、言うことで、この話は、なかったことにしましょうと約束をしました。

その日、旦那が来て、付き合えと言居ます。
一八は、約束の時間に戻れないかも知れないので、今日は、勘弁して欲しいと言います
旦那が、その訳を聞くと、一八は、しぶしぶお梅との約束を話しました。
旦那が一二時まで、付き合えと言ったので、日頃世話になっている旦那だけに、一八もお供をする事になりました。

先方の御茶屋で、旦那が何か芸をやれば、それを買ってやるからと、言ったが、これという芸がないので、酒を湯飲みに一杯飲んだら、金を出すといいます。
一八は、大好きな酒で、金がもらえるならと、喜んで引き受けたが、何度か飲んでいるうちに、酔っぱらって、もう少し飲めと言う旦那に、約束の時間だからと、断ってふらふらしながら帰ってきました。

お梅の部屋に行くには、師匠の寝ている部屋を通って行かなければならないので、あかりとりのさんをはずして、帯をほどき、裸になって、目隠しをして折れ釘に帯を結んで、これに捕まりながら、ゆっくりとおりていけば、師匠にも見つかることはないと、安心したら、酔いが出て、寝てしまいます。

時計のチンチンという音がしたので、帯に捕まりながらおりていくと、下では、今みんなが朝飯を、食べようとしていたところだったので、師匠が
「おい、一八お前、何を寝ぼけているんだ」
「井戸替えの夢を見ました。」

柳橋の花柳界は天保の改革で営業出来なくなった深川の辰巳芸者が柳橋界隈に流れて来てから盛んになりました。元が辰巳芸者でしたので気っぷが良かったそうです。


この噺の考えなければならないのは、お梅ちゃんは本気で一八に言ったのか?
という処ですね。
本気で酒さえ呑まなければ良かったのか・・・という処ですが、
一八の職業を考えれば、禁酒は無理ですね。
という事は・・・・・ですね。
それともそれを判って、あえて求婚するなら、本気だろうという考えなのか、
女心は不思議です。
今では井戸も使わ無くなったので、このさげも判り難くなりましたね。

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「東京かわら版」10月号より

img099今日は昨日届いた、「東京かわら版」10月号より面白そうなネタを・・・・

まず表紙は11代目文治師ですね。只今披露興行中です。
表紙にもありましたが、「落語とわたし」は桃黒亭一門です。
この方達は何者?という方に説明致しますと、アニメ「じょしらく」のエンディングテーマを唄ってる謎のアイドル。
という事です。「じょしらく」とはTBS系列で放送されているアニメで、前座と二つ目らしき女の子が末広亭の楽屋でお話をする。というアニメです。
話題になったので、少し見ましたが挫折しました。らくご好きには耐えられない描写が多いので・・・・
で、先日鈴本でトリの後に登場して寄席のお客の前で披露目をしました。
どうもその楽屋でインアビューしたみたいです。
でこ八(赤)、腹ぺこり(黄色)、ぷに丸(ピンク)、ちび太(緑)、なめんな(紫)の五人組です。
皆さん、木久扇師や駿菊師に稽古を付けて貰ってるそうです。・・・もういいかな、この話題w

その「じょしらく」のDVDとブルーレイの宣伝も乗ってます。買わないけどね。

インタビューは11代目文治師です。
お爺さんがお神楽をやっていて農閑期は芸人だったとか、小三治師か文治師か弟子入りするのに迷ったとか、
色々な事を話しています。
面白かったのは、高校生の時に小南師の「転矢気」をそっくり覚えてあちこちでやっていたそうです。
後にプロになり、小南師に本当に「転矢気」を稽古付けて貰って、すでに覚えているので、すぐに上げてもらいに行ったら、あまりにも早いので驚かれたそうです。

いつもの様に兼好さんの連載コラムもあります。兼好さんの娘さんは面白そうですね。

若手の紹介は春風亭朝也さん一朝師のお弟子さんです。
一朝師は稽古を付ける時は口伝だそうです。
昔通りだとか・・・書いたものは渡さ無いんだそうです。

地域寄席の紹介は、川越の蓮馨寺さんです。窓里さんとしん八さんがレギュラー出演している「蓮馨寺落語会」が開催されるそうです。

ネタの紹介「本日のお題」は講談の「ボロ忠」です。これは講談「天保水滸伝」の一節だそうです。

ニュースは、芸協の「夏の研鑽会」と米朝ロボットの話題です。

それから広告で、小三治師の「落語研究会・柳家小三治、落語大全」上が出ます。
10枚組ですね。上というからには下も出るのでしょうね。
演目は、1.提灯屋、長短、錦の袈裟、2,宗論、猫の皿、猫の災難、3,景清、禁酒番屋、4,付き馬、鼠穴
5,青菜、出来心、6,馬の田楽、欠伸指南、7,味噌蔵、意地くらべ、8,富久、寝床、9,居残り佐平次、富久
10,明烏、備前徳利、となっています。値段は¥39900です。12月12日発売です。

堀井ちゃんのコナーは、不動坊のパターン分析です。
誰々はここまで何分だったとかです。

演芸の時間は、今月は出門みずよさんですが、枝雀師の息子さんの前田一知さんが落語をヤッたという話で、それが素晴らしい出来だった、という事です。
新宿、道楽亭「桂九雀の落語道楽」にゲストで出演して「御公家女房」「くしゃみ講釈」の2席を演じてそれが素晴らしかったそうです。是非聴いて見て欲しい、と書かれていますが、この方プロじゃ無いのでしょ?
どうやって聴くんだろう?・・・調べたら音楽家だったのですね・・・知りませんでした。

最後のページの「今月のお言葉」は三遊亭金遊師です。
長井好弘さんはこの方を小三治師に似ていると言ってますが、なるほど、言われるまで気が付きませんでしたが、確かに似ているかもしれません。
芸は似てませんけどね。
長井さんは褒めてますが、私に云わせると、水っぽいというか、お澄ましなら塩味が薄い感じですね。
その淡々とした感じも良いのでしょうが、個人的にはもう少し濃いほうが好きですね。

それから、雷門花助さんが来年真打昇進だそうです。年数的には、確か早いと思いますね。抜擢ですね。
芸協も落協に対抗しましたかね?
まあ、彼は芸協の二つ目の中でも頭ひとつ出ていますからね。
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玉川スミ師匠安らかにお休みください

img_1033691_27647461_5昨日、三味線漫談で最高齢の芸人でもある、玉川スミ師匠がお亡くなりになられました。
心不全でした。

随分TVなどでも活躍されていましたね。ラジオでも大沢悠里さんの番組等にも出ていらしゃいました。
寄席では芸協に所属していまして、2008年に芸能生活85年記念公演を浅草演芸ホールと国立演芸場で
なさいました。
ここ2年は高座には上がってなかった様です。

私も以前は何回か聴きました。歯切れの良い口調が小気味良かったです。
後、TVで見ただけですが「松ずくし」という150本にも及ぶ扇子を使って松を自分の体で再現する芸は見事の一言でした。芸術祭優秀賞受賞を取っています。

生年月日は1920年7月17日で、福島県郡山の生まれです。
父が浪曲師の桃中軒雲工。父の影響で天才少女浪曲師として3歳で初舞台を踏んだそうです。
それから89年ですか、凄いですね。

色々と売られていったのか、親が亡くなったのか、随分と親が変わったそうです。
14歳までに13回親が変わっているとの事です。

色々と芸の遍歴もありますが、戦後昭和33年に 三味線漫談を一人で始め、昭和35年 芸名を現在の「玉川スミ」と改名してからは活躍の場も増えました。

師匠の親に対する感謝の言葉です。
---------玉川スミ師匠のHPより転載--------
地紙の父母は人間のできた人で、血の繋がっていない子どもたちを我が子のように大きく深い愛情で育ててくれました。
芸事はもちろん、礼儀作法、家事全般にいたるまで、将来一人になっても困らぬようにと躾けたのです。
 
地紙の父母に限らず、13人もの「親」がいました。
様々な親との出会いと別れが、私の芸域を広げてくれました。
身寄りのない私が、自力で看板を築くことが出来たのも13人の親のおかげと思い、
地紙の父にゆかりがある身延山近くの妙久寺に供養塔を建て、自然石の観音様の
姿石を百体祀り感謝の手を合わせています。
----------------転載終わり---------------------------------------

師匠安らかにお眠りください。後継者も育ちました。

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私的枝雀論

82250b58今日は桂枝雀師について、極々私的な思いを書いてみたいと思います。以前書いたものに補正しました。

枝雀師匠と言えば、派手な身振り手振りで陽気な高座が思い浮かんで来ます。
見ていてとても楽しい高座です。
余りにも楽しいので見過ぎると中毒になる危険もありますw

私は落語を聴くときは、仕事をしながら聴く事が多ので、自然と音のみが多くなります。
落語を流しながら調理の仕込みをしたり片付けをしながら聞いたりなんて事をよくします。

ですから枝雀師匠の落語も同じ様に聞いていました。
他の師匠と違って、枝雀師はTV等で、映像を先に見ていたので、音声のみを聞いた時は
印象が随分違うのに驚きました。

音声のみで聞いて居ると枝雀師の噺は映像の時とは真逆に感じてしまいました。
物凄く静かで、どちらかと言うと静の部分が強調され、しつこいと感じていた語り口は逆にあっさりと感じ、
全体的に、静かな語り口にさえ感じてしまうのです。

さらに聴きこんでいくと、年代もありますが、
私がニコにうpした「三十石」等は後半は苦しんでいる様に聞こえます。
落語を語りながらも師匠は泣いて苦しんでいる様な気さえしました。

映像でも最後の方の高座は正面を切れていませんが、
音声のみを聞いて居ると師匠はもっと早くから苦しんでいた様に感じます。

ここから先は私の独断と偏見で書きますが、(すでにそうなっているってw)
枝雀師は弟弟子の吉朝師と言うこれまたもの凄い噺家さんがいましいた。
彼の高座を見てその本格ぶりと自分のTV向けの高座を比較し、
本来の自分のやりたい高座とのギャップに苦しんでいたのでは無いでしょうか?
人気があって面白くても、演目としての深みが無い・・・・
其の様に考えていたとしても不思議じゃ無いと思います。
真面目な師匠はその辺を考え過ぎてしまったのかと・・・・

「天神山」等はあえてサゲを付けずに演じてみたり色々工夫はしていましたが、悩みすぎたんでしょうね、なんせ人気が凄すぎた!

米朝師に「自分が行き詰まったら、『たちきり』がまだあるぞ、と言ってください」と言っていたそうです。
その事からも、もっと人情噺の方向も探っていたと思われます。

それと、本格的な落語ファンから見れば、米朝師の落語を継ぐのは吉朝師だと思っていたハズです。
ならば、自分はどう将来レベルアップしなくてはならないのか、
そんな事を考えてしまったのかなあ〜と思っています。

TVと芸のギャップに悩んだのは小圓遊師も同じですね。

「バカ言ってんじゃねえよ!」
と思った方もおいででしょうが、独断と偏見でかきましたw

昇華した枝雀師匠を聞いてみたかったなあ・・・・
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