はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2012年07月

img094今日は昨日届いた「東京かわら版」」8月号より書いてみたいと思います。

表紙はご覧の通りですね。」
・落語と私、私と落語は、作家の童門冬二さんんです。
何でも普段から落語のセリフを言って人を楽しませているのだとか・・・これある意味周りの方が落語好きでないと
スベリますよねw
・インタビューは三遊亭歌武蔵師です。
相撲界の事や自衛隊の事を話しています。落語界での恩人は小朝師だそうです。
独演会の進めや「皿屋敷」のアドバイス等世話になったそうです。
・地域寄席の紹介は、船橋師馬込町の念々寄席で、大念寺というお寺で開かれています。入場料は300円と安い
・本日のお題は、「応挙の幽霊」です。掛け軸から幽霊が出て来て酒盛りをする噺です。
・堀井ちゃんのコーナーは”らくごカフェ”の会派別のネタ帳ですね。それぞれ特徴があって楽しいです。
堀井ちゃんと云えばTwitterでは連日東京ディズニーに出かけていますね。
各施設の待ち時間とかツイートしてくれてますが、体力は大丈夫なんでしょうか?

・演芸の時間 では、寄席の夜席のいりの悪さを寺脇研さんが書いています。末広亭の夜間割引を評価してます
が、浅草は以前からやってますぜ!
我街の師匠、小袁治師を褒めてくれてます。
・若手の紹介は芸協の夢吉さんです。この人宮治さんと並んで期待の星です。注目していて下さい。
・ニュースは8/5の圓朝まつりと、9/11から襲名披露が始める平治師が文治襲名を記念して
8/19の13時から花園神社から末広亭までお練りをするそうです。
出かけられる方は是非!

後は三枝師の六代文枝襲名の事が写真入りで紹介されています。

・小満ん師のファンの方へ、師の4枚組のCD「江戸景色」が発売されました。
演目は、1,寝床、明烏、2,時そば、長屋の花見、3,鰍沢、鰍沢供4,金魚の芸者、天災
となっています。「鰍沢供廚浪話殘朧ぬ錣虜遒了安衄犬如◆峅峅弌廖峺絏函廖崙獣祺亜廚世修Δ任后
小満ん師は自身の独演会では以前から演じていました。
喬太郎師からの寄稿文もあり7000円でソニーミュージックから発売中です。

今月はこんな処で・・・
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0724今日は、新作で「幽霊蕎麦」です。

本田久作氏の新作落語です。 2006年 落語協会台本募集で落語「幽霊蕎麦」優秀賞 2007年 落語協会主催の円朝祭で「幽霊蕎麦」が奉納落語に選ばれれました。

妻の浪費癖でなくなった夫が供養されずにあの世に行けないでいるので、それを妻に訴えると、「じゃあ自分のことは自分でしなさい」といわれ、幽霊が夜鷹そばをやることに、意外と繁盛して、金も稼ぐが、稼いだ金はまた妻が浪費してしまう・・・

噺の途中の蕎麦屋のシーンで、「時そば」が出てきたり「お菊の皿」とか「牡丹灯籠」のパロディが入ってきていて、
結構面白い作品です。
夏向きな噺ですね。
サゲは書いちゃうと、興味が半減するので書きません。古典と違いますからね。続きを読む

tagaya今日は、「たがや」です。

隅田川の川開きの日の噺ですね。旧暦の5月28日の噺ですね。
今だと7月の下旬なので、大体合ってる訳ですね。

時代も安永年間だという事です。
吾妻橋が掛かったのが同じ安永年間なので、噺家さんによっては、両国橋が混雑しているので、
「永代廻るのも面倒だ」とたがやに言わせてますね。
また、噺家さんによっては「吾妻橋廻るのも面倒だ」とも言わせてますね。
(最も当時は吾妻橋とは言いませんでしたがw)
そこで、たがやは何処に住んでいたのでしょう?
本所ですかね?それとも深川か?
両国橋を渡った向両国でしょうかね。

噺が出来た時は、たがやの首がはねられたそうですが、
一説には幕末の震災等の復興景気で職人が景気良くなり、寄席に訪れる様になったので、
噺の結末を変えたと言われてます。
此頃、「大工調べ」も出来たとか・・・
談志師がそのやり方を残していますね。

今夜は大川の川開き(花火大会)。両国橋の上は見物人でごった返している。そこへ本所方向から殿様の一行が無理に渡ろうと馬に乗ってやってきた。反対側からは、商売ものの桶の束を担い「たがや」がやってくる。混雑の極み、人に押された弾みで担いでいた「たが」が外れて、侍の笠の縁を飛ばしてしまう。詫びをするするたがやに、居丈高に食って掛かる侍。周りはたがやに同情し、ヤジが飛ぶ。勘弁ならぬと、たがやを屋敷へ連行しようとする侍。だが、たがやも江戸っ子、ついに堪忍袋の緒が切れた。侍に胸のすくようなタンカをきると周囲は喝采。怒り心頭の侍は刀を抜くが・・・。

実際の処”たがや”という商売があったかどうかという説もある訳で、実際は桶屋はあったが、たがやは無かったという説も読んだ事があります。
となるとこの噺もどうなるの?
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OSK201207170209今日は「祇園祭」です。この噺昔は「祇園会」と言ったのですが、いつの間に変わったのだろう?

原話は、天保年間に出版された笑話本・「如是我聞」の一遍である『都人』。別題は『京見物』です。
昔はこの噺は八代目文治師の十八番で、他に演じる噺家さんも余りいなかったそうです。
特に三都の言葉を完璧にあやっつたそうで、凄いですね。
転機になったのは、五代目柳朝師の弟子正朝師がNHKの新人落語コンクールで演じてからです。
師匠は正朝さんに「コンクールだから短くやるのは仕方がないが、前半の江戸者三人が京都につく迄のダレ場をきちんとやらないと駄目だぞ」とアドバイスしたそうです。
正朝さんは12分にまとめて、最優秀賞を取りました。
それからは多くの噺家さんが高座に掛ける様になりました。

一応「三人旅」の最後と言われていますが、この説に疑問を持つ噺家さんも居る様で、権太楼師や市馬師も、
本来は違う噺ではないか?と述べています。

江戸っ子三人が連れ立って伊勢参りを済ませた後、京見物にやって来たが、金を使い過ぎてしまった二人は先に江戸に帰り、六条に叔父のいる男だけが京に残る。祇園祭の当日、茶屋に上がって一人で飲んでいると、いつしか京都と江戸の自慢話がはじまる。ところが相手になった男は、伏見の酒や京の町筋、祇園祭と、全てを「王城の地だから、日本一の土地柄だ」と自慢するばかりで、以前に訪れたことのある江戸を「武蔵の国の江戸」ならぬ「むさい国のヘド」とまで言い出す始末。江戸を散々馬鹿にされ、我慢ができなくなった江戸っ子が、今度は京都の町の面白くないところを上げて反論していくと、江戸と京都の祭りのどっちがいいかという話になり、二人の興奮はとどまる処を知りません・・・

この先は実際に聴いて戴いた方が良いと思います。
字で読んでも面白く無いと思うのです。

当時の江戸っ子が夢に見た一つがお伊勢参りで、今のように気軽に国内旅行が楽しめる時代とは異なり、
旅支度からして大変だった時代なので、伊勢を回って京都へと来る様な事になれば、気分は最高だったのでしょうね。

今はあまりやりませんが、この後というかこの場に「およく」という芸者が登場して、何でも欲しがる欲深な人物として登場します。
少しサゲを書きますと、そのような性格だから注意しろとアドバイスを受けたので、江戸っ子は、・・・
「江戸はん、あんた商売は何どす?」
「聞いて驚くな。オレは死人を焼く商売だ!」
「そうどすか。おんぼうはんにご無心がおます。」
「おんぼうに無心とは何だ?」
「私が死んだら、タダで焼いておくれやす。」
とやり込められて仕舞います。
これも楽しい噺です。続きを読む

middle_1196162922今日は可楽師で有名な「反魂香」です。

反魂香は、焚くとその煙の中に死んだ者の姿が現れるという伝説上の香で、もとは中国の故事にあるもので、中唐の詩人・白居易の『李夫人詩』によれば、前漢の武帝が李夫人を亡くした後に道士に霊薬を整えさせ、玉の釜で煎じて練り、金の炉で焚き上げたところ、煙の中に夫人の姿が見えたという言い伝えのよるものです。

日本では江戸時代に入り、『好色敗毒散』『雨月物語』等で取り上げられました。その節には平安時代の陰陽師・安倍晴明から伝わるものという設定になっています。

原話は、享保18年(1733年)に出版された笑話本『軽口蓬莱山』の一遍である「思いの他の反魂香」で、
元は「高尾」という上方落語です。「反魂香」は江戸落語の演題です。

 夜中にカネを叩いて回向をしている長屋の坊主の所に、八五郎が夜、便所にも行けないと言いに来ました。 
坊主は名を道哲と言い元・島田重三郎と言う浪人でした。
吉原の三浦屋の高尾大夫と末は夫婦にとお互い惚れあっていたのですが、伊達公が横から見初めて大金を積んで身請けしてしまいました。
だが、高尾は重三郎に操を立てて決して生きてはいないと言い、時取り交わした魂を返す”反魂香”で、回向をしてと言い残し亡くなります。
それ以来、これを焚くと高尾が出てくると言うのです。

見せてくれと八五郎が言うので、火鉢のなかに香をくべると高尾の幽霊が出てきて、
「香の切れ目がえにしの切れ目、無駄に使うな」と言い消えます。
八五郎は亡くなった女房のために、この香を分けてくれと言うが、私と高尾だけのための物だから、貴方には役に立たないからと断られます。
 
それなら、自分で買うと、生薬屋を起こしてみたが、名前を忘れたので、いろいろ吟味して、見つけたのは越中富山の反魂丹。
これだとばかり三百買って帰ってきました。
家の火を熾し直し反魂丹をくべながら女房”お梅”のことをあれこれ考えていたのですが、中々出てこないので、足して全部をくべたが出ません。
あまりの煙でむせていると、表から「ちょっと、八つぁん」という声。
煙の中からではなく、堂々と表から来たのかと思いきや、
「そちゃ、女房お梅じゃないか」、「いえ、裏のおさきだけれども、さっきからきな臭いのはお前の所じゃないの」

噺に出てくる高尾太夫は俗に「仙台高尾」と呼ばれる大夫です。
この仙台候と高尾太夫の噺は三代目金馬師が「仙台高尾」として演じています。

反魂丹は越中富山の当時有名な薬で霍乱(かくらん=暑気あたり)・傷・食傷・腹痛などに効くといわれています。
主人公道哲は、因州鳥取の浪人島田重三郎と言いある晩友人に誘われて吉原に始めて足を踏み入れたが、そこで出会った高尾にぞっこん惚れて、高尾も重三郎に惚れて、二人は末は夫婦にと誓い合いましたが、伊達公に横取りされてその上、殺されてしまいます。その回向をする為、出家して名を道哲と改め、吉原遊女の投げ込み寺西方寺に住みついて、高尾の菩提を弔らっていたら、それが噂になり、吉原通いの遊客からは土手の道哲と呼ばれる様になったそうです。続きを読む

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