らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2012年06月

このほうが幸せ?

komamonoya今日はですねえ「小間物屋政談」です。

講談「万両婿」を人情噺に翻案したものと云われています。
現林家正雀師はこの演題で演じています。
一時、講談をやっていた志ん生師もこの頃覚えたのか演じていました。
志ん生師は政談の部分をやらずに「小間物屋小四郎」と言う演題でも演じていました。
現在の型は、圓生師が四代目小金井蘆洲の世話講談「万両婿」を新たに仕立て直し、オチもつけたものと云われています。

京橋の相生屋小四郎は小金も出来たので上方に行ってこちらの物を売り、上方で仕入れたものを江戸で売ってみたいので、上方に仕入れの旅に出るという。女房”おときさん”を大家さんに頼んで出掛けました。

箱根の山で、道を外れて山肌に降りると襦袢一枚の男が木に縛られていた。聞くと、湯治の途中追い剥ぎに遇ったので、助けてくれと言う。江戸一番の小間物屋、芝神谷町の若狭屋甚兵衛で、全て持ち去られてしまった。小四郎は自分の着替えの着物一式に一両を貸し与え、住所と名前を書いて渡し、別れました。

小四郎は上方へ。若狭屋は江戸への帰路小田原の宿に入るが、小田原の宿・布袋屋で客死してしまいます。
持っていた書付から小四郎の留守宅へ知らせが入ったのですが、知らせを受けて小田原に向かった大家も、小四郎の着物を着た死体に何の疑いを持たないままその骨を持ち帰ります。

葬儀も終わって三五日目、大家が縁談を持ち込見ますが、未亡人となったおときは、早いと断リます。
処が大家は、早いほうがイイと、大家の強引な勧めで断り切れず、小四郎のいとこの三五郎と夫婦になりました。仲の良い夫婦となります。

しばらくして小四郎が江戸へ帰ってきました。そして表の戸をせわしなくたたく者がいます。
不審に思ってお時が出てみると、なんと死んだはずのもとの亭主・小四郎の姿。
てっきり幽霊と思い、ぎゃっと叫んで大家の家に駆け込みます。

事情を聞いた大家が、半信半疑でそっとのぞいてみると、まさしく本物。
本人は上方の用事が長引いて、やっと江戸へ帰り着いてみると自分が死人にされているのでびっくり仰天。
小田原の死体が実は若狭屋甚兵衛で、着物は小四郎が貸した物とわかっても、
葬式まで済んでしまっているからもう手遅れだと言います。

お時も、いまさら生き返られても、もとには戻れないと、つれない返事。
完全に宙に浮き、頭に来た小四郎が奉行所へ訴え、名奉行大岡越前守さまのお裁きとなります。

事情を聞いた奉行は、小四郎は若狭屋甚兵衛の後家で、お時とは比較にならない、良い女のおよしと夫婦となり、若狭屋の入り婿としてめでたく収まります。
「このご恩はわたくし、生涯背負いきれません」
「これこれ。その方は今日から若狭屋甚兵衛。もう背負うには及ばん」

背負い小間物屋とは、白粉、紅、櫛、笄(こうがい)その他、婦人用品を小箪笥の引き出しに分けて入れ、得意先を回るのですが、その扱う品物は色々なモノもあったそうです。
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もう一つの「居酒屋」

100000009000554912_10204今日は「居酒屋」です。
この噺は三代目金馬師が余りにも有名で、現金馬師も先代の通りに演じています。
これに挑戦したのが故文朝師で、本来なら金馬師直系なんですが、一味違う「居酒屋」を演じてくれています。
元の「ずっこけ」の雰囲気も漂わせた噺となっています。

 男が一人、居酒屋に入って酒を注文します。
小僧をからかいながらの飲酒です。
小僧に「何か唄え」と云うと、小僧の唄ったのは「君が代」
「女は未だ知らないんだな」とからかうと、聞き返される始末です。

何かつまみを取ってくれと言われ、壁に張った品書きを云わせるのですが、
ここでも、からかいます。
「口上」を一人前とか、「とせうけ」とか言います。
「とに濁り、せに濁りで、どぜう汁で
す、と言い返す小僧さん。
いろはの文字に濁りを付けると音が変わります」「い」に濁りを付けろ、「ろ」に濁
りを付けろとからかい、小僧の鼻の横にある黒子を濁点に見立てて、鼻をバナと呼んでからかい、
お前のは顔じゃないガオだと笑います。
小僧と客の珍問答は未だ未だ続きます・・・・・

居酒屋の始めは、酒屋が味見の為に店頭で試飲させたのが始まりとされています。
その時に使ったのが、枡や湯のみでした。
居酒屋で今でもそう云う飲み方が多いのはそのためです。

この後は「ずっこけ」の展開となります。
迎えが来て勘定を払って貰い、帰るのですが、そこでまた問題が・・・・
何時聴いても楽しい噺です。
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ひやは体に毒っていいますが・・・

127660082026116231561今日は文楽師で有名な「夢の酒」です。

別題は『夢の悋気』とも云うそうです。
この噺は元は人情噺「松葉屋瀬川」がその成り立ちです。
これから落とし噺「橋場の雪」が作られ、更に「隅田(すだ)の夕立」「夢の後家」の二通りに改作されました。
それの「夢の後家」を文楽師が昭和10年ごろに「夢の酒」に改作しました。

雨模様の日、ある商家の昼下がりのこと・・・・
店の奥でうたた寝をしていた若旦那を、風邪でもひくといけないと奥方が揺り起こせば、夢を見ていた様子。
「どんな夢を見ていたの?」と訊ねられた若旦那は夢の内容を語り出します。

用足しに出掛けた向島で急な雨に降り込められ、ある家を軒先で雨宿りをしていると、その家の女が中で休息なさいと声を掛けてくれる。
誘われるままに家に上がり、いつもは飲めない酒を飲み、さらにはその女といい仲に・・・ここまで聞くと奥方は嫉妬で悔し泣き。
騒がしさにやってきた大旦那も、「夢に悋気」の女心に苦笑します。
しかし、収まらないのは奥方で「淡島様に願掛けをすれば同じ夢を見られると申しますから、同じ夢を見てその女を叱ってください」と大旦那に詰め寄ります。
困った大旦那が、しぶしぶ願掛けをして昼寝すると、いつの間にか向島にやってきた様子。

夢の女の家を訪ねるとお酒を進められます。
はじめは拒んでいたが大旦那でしたが、この人は息子と違っていたって酒好き。
お燗酒を頼んだが、あいにくお湯が切れていました。
「お湯が沸くまで冷やで」と進められたが、やはりお燗の方がいい…と言ったところで、お花に揺り起こされた。
「おかしな事もあるものだ…」
「で、行けましたか?」
「行けた…が、惜しい事をしたものだ」
「惜しい? もしかして、ご意見するときに起こしてしまいましたか?」
「いいや…冷でもよかった」

夢の中を訪問するという洒落た趣の噺で、しかも季節はこの梅雨の時期です。
この時期は小雨が降ると肌寒くなるので熱燗が恋しくなりますね。
出てくる女性が皆良いですねえ。
夢の中の美女はさほどいやらしく無く、お嫁さんも可愛らしくて良いですね。

淡島様にお願いすると夢の中に導かれる。と言うのは色々調べても出てきません。
この噺しか無いのです。
淡島様と言うのは、淡島明神の事ですが、江戸では少なかったそうです。
網野宥俊氏の『浅草寺史談抄』(昭和三十七年)には「江戸の近在で、淡島神を祀ったところは、当浅草寺の他に、文京区音羽の護国寺(真言宗)と世田谷区北沢の森厳寺(浄土宗)の三ヵ所であった。」とあります。
江戸名所図会には浅草寺一箇所しか書かれていないそうで、それも東照宮が焼けた後に淡島様を勧請したそうです。

ですので、この事についてはあの世で文楽師に聞くしか無いかも知れませんね。
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「佃祭」と言う噺を考える

150167_2今日は「佃祭」と言う噺を少し考えてみたいと思います。

噺の紹介は昨年行なっているので、初見の方は、http://blog.livedoor.jp/isogaihajime/archives/1482103.htmlを見て下さい。

この噺は三代目金馬師の笑いを控え目にして人情噺風に演じるやり方が余りにも有名ですが、
志ん生師の長屋の騒動を強調して笑いの多い演出にするかどちらかの型に別れますね。

それに一石を投じたのが志ん朝師で、次郎兵衛さんの行動をかなり以前から描写することで、観客に
次郎兵衛さんに近親感を持たせてその後に来る出来事をより劇的に演出することに成功しています。
他には柳朝師の音源も光ますが、基本的に金馬型の域を出ていませんが、この師匠が語ると
主人公が江戸っ子と化して仕舞います。それの効果で、実に後味の良噺になっています。

最近、権太楼師の演出が代わった演出をしています。
師は著書でも書いていますが、次郎兵衛さんの女将さんが嫌いなのだそうです。
その嫉妬深さが嫌なのだそうで、身投げを助けたのは女が若かっただからと邪推する了見が許せないのだそうで、自信が演じる時は、この女将さんを出さないのだそうです。
その方が聴いてる方も気持ちが良いだろうと言う事ですが、ちょっと待って戴きたい。

後で権太楼師の音源を聴いて貰いますが、やはり、その日のうちに帰ると言う同期が希薄になっています。
聴き方を違えると次郎兵衛さんの我侭で帰ると逝ってる様に感じます。

その後、与太郎に本当に次郎兵衛さんの事を思ったお悔やみを言わせていますが、これはこれで良いと思います。
どうしても当日帰らないといけないと言う事がこの噺のすべての始まりだと思います。
女将さんの了見が嫌なら違うやり方で次郎兵衛さんが恐妻家だと解らせれば良いと思うのです。
「女房や商売がどうしても心配」だとかあるいは女将さんを病弱にするとか、手はあると思うのです。
この点、志ん朝師は女将さんの事もしっかり描いていますが、嫌味出ない笑いに繋げています。
私は権太楼師の演出も新しいけれども、もう少し工夫が欲しかったです。
私は権太楼師は好きですので余計にそう思いました。続きを読む

弥助を食べ損なった杢兵衛さん

003今日は前もやりましたが夏なので「お化け長屋」です。
江戸後期の滑稽本作者、滝亭鯉丈が文政6年(1823)に出版した「和合人」初編の一部をもとにして、自ら作った噺とされます。
上方落語では、「借家怪談」として親しまれ、初代小南師が東京に移したともいわれますが、
すでに明治40年には、四代目橘家円蔵の速記もあり、そのへんははっきりしません。

 長屋にある一軒の空き家。そこを長屋の連中は物置に使っていると、大家から家賃を払うか荷物をどかせと言われます。
そこで、長屋の古株、通称古狸の杢兵衛さんが一計を案じます。

借り手が訪ねてきたら、家主は遠方に住んでいるので自分が長屋の差配をまかされている
といって杢兵衛の家へ来させて、借り手をおどして空き家に借り手がつくのを防ごうという算段を立てます。

早速、借り手がやってきますが、お化けが出るとか、ある事無い事を言って脅かして、返してしまうのですが
あまつさえ忘れた財布を手に入れて、鮨(弥助)を食べに行こうと言う算段まで立てます。

次にやって来た男は一向に恐がらず、話の間にちょっかいを入れる始末で、
困った杢兵衛さんは、濡れ雑巾で男の顔をひと撫でしようとすると、男に雑巾をぶん取られ、
逆に顔中を叩かれこすられてしまいます。
男はすぐに引越して来るから掃除をしておけといい帰ってしまう。
先ほど置いてった財布も持っていかれて仕舞います。

とここまでが上で、最近はほとんどここで演者は切っています。
この先の下はその男を仲間が脅かすと言う筋なのですが、あまり演じられていません。

今回は下を紹介しましょう

この男、早速明くる日に荷車をガラガラ押して引っ越して来ます。
男が湯に行っている間に現れたのが職人仲間五人。
日ごろから男が強がりばかり言い、
今度はよりによって幽霊の出る長屋に引っ越したというので、本当に度胸があるかどうか試してやろうと、
一人が仏壇に隠れて、折りを見て鉦をチーンと鳴らし、二人が細引きで障子を引っ張ってスッと開け、
天井裏に上がった一人がほうきで顔をサッ。仕上げは金槌で額をゴーンというひどいもの。

作戦はまんまと成功し、口ほどにもなく男は親方の家に逃げ込みました。

長屋では、今に友達か何かを連れて戻ってくるだろうから、もう一つ脅かしてやろうと、表を通った按摩(あんま)に、家の中で寝ていて、野郎が帰ったら「モモンガア」と目を剥いてくれと頼み、
五人は蒲団の裾に潜って、大入道に見せかける。

ところが男が親方を連れて引き返してきたので、これはまずいと五人は退散。
按摩だけが残され「モモンガア」。

「みろ。てめえがあんまり強がりを言やあがるから、仲間に一杯食わされたんだ。それにしても、頼んだやつもいくじがねえ。えっ。腰抜けめ。尻腰がねえやつらだ」
「腰の方は、さっき逃げてしまいました」

オチの前の「尻腰がねえ」は、東京の言葉で「いくじがない」という意味だそうですが、
昭和初期でさえ、もう通じなくなっていたようです。

この噺に登場する長屋は、落語によく出る九尺二間、六畳一間の貧乏長屋ではなく、
それより一ランク上で、もう一間、三畳間と小庭が付いた上、造作(畳、流し、戸棚などの建具)も完備した、
けっこう高級な物件ですね。続きを読む

あれもこれも礼式?

honzen-img今日は「本膳」と言う噺です。

原話は、元和年間(1615〜24)に出版された笑話本・「戯言養気集」の一遍である『芋ころがし』と言う話です。
八代目正蔵師や5代目小さん師等が得意にしていました。
私も子供の頃に聴いた記憶があります。

ある村庄屋の家で嫁を貰いました。
そこで、村の衆が婚礼の際に祝物を贈った返礼に、今夜、村のおもだった者三十六人が招待され、
ご馳走になることになったったのですが、誰も本膳の作法・礼式を知りません。
どうしようかと一同考えたあげく、江戸者の手習いのおっ師匠さんに頼んで、教えてもらうことにしました。

相談された師匠、今夜ではとても一人ずつ稽古する時間はないから、上中下どこの席についても、
自分のすることを真似するように言い、羽織りだけは着ていくように注意します
それなら間違えがねえと一同安心して、一同出かけます。

さて宴席となり、主人があいさつし、盃が回された後、いよいよ本膳が出てきます。
師匠が汁碗の蓋を取ると、一同同じように蓋を取ります。
師匠が一口吸うと、隣の男が次席の者に
「これ、二口吸うでねえぞ。礼式に外れるだ。一口だぞ。一口一口」
これを順番に同じ文句で隣の人間に伝えていくのですから最後まで伝わるのが大変です。

今度はご飯を一口食うと、同じように「たんと食ってはダミだぞ」と、伝達が回ります。
師匠、おかしくなってクスリと笑うと、途端に鼻先に飯粒が二粒付きます。
一同、一斉に飯粒を鼻へ付ける始末です。
間違って五粒くっつけてしまった男が、あわてて三粒食ってしまう騒ぎ。

平碗が出て、中身は悪いことに里芋の煮っころがしです。
しかも箸が塗箸だから、ヌルヌルしてはさめません。
師匠、不覚にもつるっと箸がすべって、膳の上に芋が転がり出ました。
仕方なく箸で突っ付いていると、早速あちらでもこちらでも芋をコロコロコロ。
箸でコツンコツンやるから、膳は傷だらけ。

先生、今のは違う違うといくら注意しても聞こえないから、隣の脇腹を拳固で突いた。
「あいてッ、今度の礼式はいてえぞ」とまた、その隣をドン。それがまた隣をドン。
「いてえ、あにするだ」
「本膳の礼式だ。受け取ったら次へまわせ」
「さあ、この野郎」
「そっとやれ」
「そっとはやれねえ。覚悟スろ。ひのふのみ」
「いててッ」。
最後の三十六人目が思いきり突いてやろうと隣を見ても誰もいない。
「先生さまぁ、この礼式はどこへやるだ?」

本膳料理とは、日本料理の正式な膳で、本膳、二の膳、三の膳とあります。
最初に出る一の膳を本来「本膳」と呼びますが、
三の膳までひっくるめてそう呼ぶ場合もあります。
正式なマナーとしては、和え物と煮物に続けて箸をつけない、菜と汁をいっしょに食べない、迷い箸をしない、
おかわりの時は飯碗を受け取ったら、必ず一度膳に置く、などがあります。
普通は本膳では、一の膳に飯がつきます。

庄屋とは関東の名主の事で、村の代表者ですね。
最近では菊志んさんが演じるそうです。

この噺を「権威に対する笑い」と位置づける方もいますが、そこまででは無いと思います。
「茶の湯」等にも通じる笑いですが、微笑ましくて良いかな・・・と思いますね。
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