らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2012年05月

まめにしていたのできらずに済んだ噺

81dd1196今日は「鹿政談」です。

元々は講釈種の上方落語の演目で、明治の初期に2代目禽語楼小さん師が東京に移植しました。
6代目圓生師や6代目柳橋先生さらに三代目三木助師や、上方の米朝師が得意にしていました。

奈良の名物は「大仏に鹿の巻き筆、あられ酒、晒し、奈良漬け、奈良茶粥、春日灯籠に朝の早起き」と言います。
奈良の人たちは早起きだったというが、なかでも夜明け前から仕事をしているのが豆腐屋さんでした。

春日大社の近くで豆腐屋を営んでいる与兵衛という男。
店先に出したきらず(おから)の桶に犬が首を突っ込み、盗み食いしているのを発見し、
手元にあった薪を投げつけ、薪が見事に命中、しかし、よく見れば表にいたのは犬ではなく雄鹿でした。

当たり所が悪かったのか、鹿はそのまま死んでしまいます。
当時、奈良の鹿は春日大社のお使い姫と言われ、神聖視されていたのです。
鹿を殺した者は生き埋めにされ、石で責め殺される「石子詰め」の刑に処せられる決まりでした。
鹿の守り役をしている藤波河内という役人が、金を貰えば内分にもみ消してもよいというそぶりを見せるが与兵衛は根っからの正直者。
役人の誘惑を断ると鹿殺しの犯人としてお白砂に引っ立てられます。
すぐに目代と興福寺番僧・了全の連印で、
願書を奉行に提出、名奉行・根岸肥前守の取り調べとなります。

肥前守、六兵衛が正直者であることは調べがついているので、なんとか助けてやろうと、
その方は他国の生まれであろうとか、二、三日前から病気であったであろうなどと
助け船を出すのだが、六兵衛は「お情けはありがたいが、私は子供のころからうそはつけない。
鹿を殺したに相違ござりまへんので、どうか私をお仕置きにして、残った老母や女房をよろしく願います」
と、答えるばかり。

困った奉行、鹿の死骸を引き出させ
「うーん、鹿に似たるが、角がない。これは犬に相違あるまい。一同どうじゃ」
「へえ、確かにこれは犬で」
ところが目代、
「これはお奉行さまのお言葉とも思われませぬ。
鹿は毎年春、若葉を食しますために弱って角を落とします。これを落とし角と申し・・・」
「だまれ。さようななことを心得ぬ奉行と思うか。さほどに申すなら、出雲、了全、その方ら二人を取り調べねば、相ならん」

二人が結託して幕府から下される三千石の鹿の餌料を着服し、あまつさえそれを高利で貸し付けてボロ儲けしているという訴えがある。
鹿は餌代を減らされ、ひもじくなって町へ下り、町家の台所を荒らすのだから、神鹿といえど盗賊同然。
打ち殺しても苦しくない。
「たってとあらば、その方らの給料を調べようか」と言われ、目代も坊主もグウの音も出ません。

「どうじゃ。これは犬か」
「サ、それは」
「鹿か」
「犬鹿チョウ」
「何を申しておる」
犬ならば、とがはないと、六兵衛はお解き放ち。

「これ、正直者のそちなれば、この度はきらずにやるぞ。
「はい、マメで帰ります」

従来、舞台は奈良・本町二丁目で演じられていたものを圓生師は三条横町としました。

根岸肥前守といえば、根岸肥前守鎮衛(1737〜1815)の事であり、優れた随筆家で奇談集「耳嚢(みみぶくろ)」の著者として、あまりにも有名です。
最近では、風野真知雄作「耳袋秘帖」シリーズの名探偵役として、
時代小説ファンにはすっかりおなじみです。(私も読んでます。面白いです!)

でも実際には肥前守は奈良奉行を努めていません。これも落語のウソですね。続きを読む

昔から口では女房に勝てなかった様で・・・

kamisan-1
今日は「洒落小町」です。
元は上方の「口合小町」と言う噺で、初代桂文治師が恐らく文化年間に作った古い上方落語を東京に移植したものです。
東京では八代目文治師や圓生師が演じていました。

 ガチャガチャお松と呼ばれるうるさいカミさんが、亭主が穴っ入りばかりで、家に寄り付かないと愚痴をこぼします。
 旦那は、在原業平の話を聞かせます。

 業平は毎夜妾の生駒姫の所に通うが、嵐の日に、雨が降ったくらいで来ないとは、男は薄情者だと思われるから行きなさいと、妻が蓑笠を整えて送り出しました。
業平は妻の態度が怪しいと、庭蔭に隠れて見ていると、縁側で妻が琴を弾きながら、夫の無事を願う和歌を詠います。
これを聞いた業平は反省して妾通いを止めたと言う。
 で、「お前に和歌など無理だから洒落で笑わせろ」と教えます。
 
それから、お松が家に帰り、薄化粧をして夫の帰りを待っています。
亭主が帰る早々、湯は、食事は、酒はと、せかすものだから、怒り出しました。
洒落を言っても通じなません。出て行こうとするところを、蓑笠を出して突き飛ばしたので、夫はどぶに嵌ってしまいました。
ここで和歌を詠むんだと、一首詠んだ夫は行ってしまいました。
旦那の家に行って訳を話すと「その歌は狐の歌だ」
「それでまた、穴っ入りに出掛けた」 

これは、文章で読むより聴いてもらった方が面白い噺です。
最近はあまり聴きませんねえ。
一部ではこの噺を出来る噺家さんはいないとの事です。

穴っぱいりとは、今で言う浮気の事で、情婦のもとに行ったきり帰らないのを、
狐が穴に籠もることに例えたものです。

上方の「口合小町」では、小野小町が、「ことわりや日の本ならば照りもせめさりとてはまた天(あめ)が下とは」
という雨乞いの歌を詠んだところ、七日続いて雨が降ったという「雨乞い小町」の伝説があります。
サゲはこれを踏まえ、亭主が降参して、茶屋通いはやめると謝ると、
「まあうれしい。百日の日照りがあったら知らして」
「どないするのや?」
「口合(洒落)で、雨降らせてみせるわ」
と、なっています。
まあ、これでは今は通じませんね。続きを読む

落語あれこれ

jpg large今日は取り留めの無い事を書いてみたいと思います。

今日の写真は、昨日葛飾区が公表した、堀切水辺公園からスカイツリーを望んだ景色の写真です。
当然、去年のものです。
今年は一昨日やっと、この水辺公園で一番花が咲いたと言う報告がありました。
菖蒲園は未だ咲く気配もありません。
こりゃ、相当遅れますね。
例年なら、6月の10日前後が見頃ですが、今年はかなり遅れますね。
私が子供の頃は見頃は15日頃か第3日曜の頃でした。
温暖化の影響か少しずつ速くなりまして一昨年は6月の始めですでに見頃でしたね。
ですので昔に戻ったと思えば良いのですが、ちゃんと咲いてくれるか、それが心配です。

で、落語の話を・・・
昨日のTwitterで志らく師がこの様なつぶやきをしました。
全文を載せます。

立川志らく ‏@tatekawashiraku
拡散希望。もう一度公式宣言。志らく個人は芸術協会の寄席には出演しません。談志に対する名誉回復並びに正式な謝罪、そしてゲストとしてしかるべきギャラの提示があって初めて交渉の席につきます。芸協のプログラムでは客がこないから出してあげるという失礼な寄席側の態度は遺憾です。

と言う文面です。
どういう経緯があったかは知りませんが、寄席に出ないのは残念ですね。
個人的には、志らくさんこそ一番寄席に出て欲しいんですがね。
まあ、きっと立川流四天王と云われてる方は出ないのは折込済みなんでしょうね。席亭も芸協もね。

でもね、芸協は少しずつですが変わってきています。
若手がヤル気になってます。高座を見りゃ判ります。
問題はおじいちゃん達の下、この層にいるベテランをどうするか?です。
いい噺家さんもいますが、どうしようも無い方も居るのです。
この人達を定席から追放できるか、あるいは無気力高座をしたら当面出入り禁止にするとかしないとイケませんね。

芸協ばかりではありません。落語協会だって安閑とはしていられないです。
一昨日の花緑さん。
お弟子さんも沢山抱えていますが、師匠があの調子では・・・・
TVでやってる「すべらない話」ですか、あんなものですよホント、情けないです。
それに三平、正蔵兄弟の事もそうですしね。
正蔵さんは逃げなければ何とかなると思うのですが、三平さんは重症ですね。
一平時代は下手なりに一生懸命に汗をかいて熱演していたのがまだ、良かったのですが、
今はどうしようもありません。
父親のそっくり劣化コピーでは将来は無いですね。
早く目覚めて欲しいです。

取り留めの無い事ばかり書いて仕舞いました。今日はこんな処で・・・

120522_1332~01一昨日買った「はなしか」1000圓なり。ちと高い!ww
続きを読む

浅草演芸ホール5月下席初日

20111128111516695昨日は休みなので、浅草に行ってきました。
恐らく暫くは寄席にも行けなくなるので、たっぷりと見てきました。

3時少し前に着くと圓歌師がいつもの漫談をしていました。
2階は貸切なので、1階は足の踏み馬も無いくらいの混みようです。
仲入りになり階段にあった「2階は貸切」の札が外れたので、売店で「はなしか」のストラップを買い(1000円でした)2階に行きます。2階は8割くらいの入りでした。

食いつきは一之輔さんです。昨日50日間の披露興行が終わって、肩の力が抜けた様な感じですね。
最後の国立には家族を読んだそうですね。
演目は「初天神」でしたね。リラックスしていて、とても良かったです。披露の時の「蛙茶番」より出来は良いですね。
親子がなんだかんだ言いながらも仲の良さが出ています。
以前も聴いた事がありましたが、断然の違いですね。
新しいくすぐり、新しい視点からのセリフ等、この人はやはり違いますね。
この噺の親子に一之輔さん親子を感じました。良かったです。

ロケット団さんの後は白酒さんで珍しく「ざる屋」です。マクラで散々毒を吐きまくって、噺でははきませんでしたが、これもいい出来でした。
次が小さん師で「替わり目」で、アサダ二世さんの後がトリの花緑さんです。
空港の手荷物検査の事のマクラを長々と話してから「祇園祭」に入りました。
まずマクラの噺が大して面白く無い!笑いが頭でっかちの様な感じです。
それなりに笑いは取っていましたが、薄い笑いでしたね。
噺も京都の叔父さんの知り合いと熊さんのエキセントリックな言い方で笑いを取っていて、
噺の構成や間ではありませんでした。正直、真打の芸ではありませんね。
この噺の現役では一番だと私が思う一朝師とは格段の差がありました。
色々試行錯誤してるのかもしれませんが、他の同年代の噺家よりキャリアが長いんですから、
もう少し何とかして欲しかったです。(こんなんじゃ七代目は無理ですね)

で夜の部です。
前座が歌之介師の処の、しあわせさんです。
演目が「てんしき」でしたが、これが思いの外良かったです。
声の出し方、間のとり方、会話の目線の使い方等、かなりのレベルでした。
前座なのに下手な真打より笑いを取っていました。
今回が初回ですが、期待出来る感じですね。

次は順番が入れ替わって川柳師です。いつものガーコンじゃ無い歌の噺でした。
高座から帰る時足を引きずっていましたね。
次が小権太さんで「二人癖」でした。
ここで色物の、ストレート松浦さんで、ジャグリングで、かなり話題になっていますね、このかた。
次が獅童さんでしたが・・・・・なんなのこの人?
着物といい格好といい、寄席には向いてない様な感じです。
「実話裏歴史落語」と称していましたが、全くウケ」ません。
シーンとした寒々とした空気の中、「お血脈」を語り始めます。
この「お血脈」の従来からある下りは結構聴かせますが、一旦凍りついた空気は変わりません。
で、そのまま終了。おつかれさんでした。真打で、ここまでウケないのは私初めてでした。

その空気を変える様に馬石さんが登場します。演目は「狸札」でここでやっと笑いが起こります。
馬石さんもう少し聴いていたかったです。
丸山おさむさんの素晴らしい「ものまね」の後は小里ん師です。演目は「手紙無筆」です。
何かにも書いてありましたが、ここの処、本当に5代目小さん師を思わせる高座ぶりです。
感じもいぜんより柔らかくなった感じで、すごく良くなりました。
独演会でも行ってみっちり聴いてみたくなりました。

次が圓丈師で「強情灸」でした。腕の向きは柳家風でしたね。良かったです。最近よく出逢いますが、古典ばかりですねえ。以前は新作が結構多かったのですがね。
小菊姐さんの粋な喉を聴いた後は仲入りで小満ん師です
演目は珍しく「あちたりこちたり」でした。

食いつきは三之助さんで「堀之内」です。良くなってますね。この人も楽しみです。
ダーク弘和さんの奇術の後は、白楽師で「真田小僧」。
次が代演で菊丸師で「人形買い」でした。この人は本当に芸達者だと思います。
個人的には好きな噺家さんです。小僧が買った人形の正体をバラしてしまう処迄でした。

ゆめじ・うたじさん漫才の後は権太楼師で「つる」でしたが、じっくりと語っていました。
この噺こんな展開もあったの?と言う感じで新鮮でした。

ひびきわたるさんの、煙管漫談の後はおもあちかね三三さんの登場です。
色々なマクラを振って、噺に中々入らないのは演目を決めかねているのかと思いました。
で、演じたのが「湯屋番」でしたね。
マクラが長すぎた(師匠ゆずり?)せいか、前半は少し省略して、お使いのシーンはカットでしたね。
中盤から終盤の若旦那の妄想シーンはたっぷりやりました。
最後は下駄の下りではなく、その前の顔を軽石でこすってしまった下りでサゲていました。
正直ちょっと物足りなかったかな?
ま、贅沢はいえませんね。でも時間も余ってましたしね。9時7分位前に終わりました。
さすがに小三治師のように9時20分近くまでは出来ませんね(^^)
昨日はこんな感じでした。

これから仕事が忙しくなるので、寄席も暫くはいけません。
ブログの更新も止まりがちになると重います。御了承下さい。

続きを読む

好きなのも大概に・・・

Hikaru_Shindo今日は「碁泥」です。

上方落語の「碁打ち盗人」を三代目小さん師が、大阪の桂文吾師に教わり、大正2年ごろ、東京に移しました。
小さん師は、初め「芝居道楽」などのマクラとして演じ、後に独立させ一席の噺としました。
門弟の四代目小さん、孫弟子の五代目小さんと継承され、代々の小さん、柳派伝統の噺となりました。
柳家以外では6代目柳橋師、それに馬生師や志ん朝師の高座がありますね。
上方では現在はあまり演じられない様です。

碁仇のだんな二人。
両方とも、それ以上に好きなのが煙草で、毎晩のように夜遅くまでスパスパやりながら熱戦を展開するうち、
畳に焼け焦げを作っても、いっこうにに気づきません。

火の用心が悪いと、かみさんから苦情が出たので、どうせ二人ともザル碁だし、一局に十五分くらいしかかからないのだから、碁は火の気のない座敷で打って、終わるごとに別室で頭がクラクラするほどのんでのんでのみまくろう、と話を決めます。

ところが、いざ盤を囲んでみると、夢中になってそんな約束はどこへやら。
「マッチがないぞ」「たばこを持ってこい」

閉口した女将さんは、一計を案じ、煙草盆に紅生姜を入れて出します。
二人とも全く気がづかないので、かみさんは安心して湯に出かけます
そうとは知らぬ二人、碁に夢中である。煙草をつけようとしても紅生姜だから点きません。
「あれ!?おかしいなあ。つかねえ」と言いながらも、碁盤ばかり見つめています。。

そのすきに入り込んだのが、この二人に輪をかけて碁狂いの泥棒。
誰もいないようなので安心してひと仕事済ませ、大きな風呂敷包みを背負って失礼しようとすると、
聞こえてきたのがパチリパチリと碁石を打つ音がします。
矢も楯もたまらくなり、音のする奥の座敷の方に忍び足。
風呂敷包みを背負ったまま中に入り込むと、見ているだけでは物足らず、いつしか口出しを始めます。

「うーん、ふっくりしたいい碁石だな。互先ですな。
こうっと、ここは切れ目と、あーた、その黒はあぶない。それは継ぐ一手だ」
「うるさいな。傍目八目助言はご無用、と。
おや、あんまり見たことのない人だ、と。
大きな包みを背負ってますねッと」
「おまは誰だい、と、一つ打ってみろ」
「それでは私も、おまえは誰だい、と」
「へえ、泥棒で、と」
「ふーん、泥棒。泥棒さん、よくおいでだねッ、と」

碁とか将棋とか云うのは、凝ると「親の死に目に会えない」等といわれた位の中毒性のあるゲームですね。
私は将棋はてんで駄目ですが、囲碁は昔務めていた職場が全員囲碁好きでして、覚えました。
やってみると中々面白く、「こりや夢中になるのも無理は無い」と思いました。
そう云った事は昔から沢山あったのでしょうね。

続きを読む

これって付喪神だよね

honjo_kura-thumb-450x313-119今日は「質屋蔵」です。

だいたいが、上方落語の演目で、東京に移入された時期は不明ですが、現在では東京でもよく掛かります。
圓生師は大阪に行った時に昭和24〜5年頃に桂文團治師に教わったそうです。
上方では米朝師ですね。

ある大きな質屋の三番蔵に、夜な夜な化け物がでるという町内の噂を、当の旦那が朝湯で聞いてきて、
「これは信用にかかわるから捨ててはおけない」
と、早速番頭に寝ずの番で見届けるよう言いつけます。

旦那の考えでは、「これはきっと大切な品物を心ならずも質物にした人の、その物に対する執着が蔵に残り、
妖怪と化したものだろう」といいます。

番頭は臆病なので、「とても一人では怖くていけない」と、普段から腕に龍の刺青をして強そうなことばかり言っている出入りの熊五郎に応援を頼みたいと申し出ます。

突然旦那が呼んでいると聞いた熊さん、さてはしくじったかとびくびくして、
だんなの前に出ると、言われもしないうちから、台所から酒とタクアン樽、それに下駄を三足盗んだことを
ぺらぺら白状してしまいます。

旦那が渋い顔をしながらも、「今日呼んだのはそんなことじゃない。おまえは強いと聞いているが本当か」
と尋ねると、熊五郎、途端に威勢がよくなり、木曽で虎退治をしたとホラを吹くが、
化け物のことを聞かされると、急にぶるぶる震えだします。

しかたがないので、逃がさないように店に禁足し、夜になると番頭ともども、土蔵に行かされます。
しかし、二人がガタガタ震えている始末です。
やがて草木も眠る丑三ツ時。蔵の奥で何かがピカリと光り、ガラガラガラと大きな音がします。
生きた心地もない番頭と熊さん、

旦那が呆れて、「頼みがいの無い方達だ」と旦那が直に見に行きます。
何と誰かが相撲を取っています。
行司の声で「片やァ、竜紋、竜紋、こなたァ、小柳、小柳ィ、ハッケヨイ、ノコッタノコッタ……」

番頭さん「ありゃ何です」

だんな、「質物の気が残ったんだ。羽織の竜紋と小柳の帯が相撲を取ったんだ」
「あっ、また出た」
棚の掛け軸がすーっと開く。

よく見ると、横町の藤原さんの質物の、天神さま、つまりは菅原道真公の画像の掛け軸。
仰天していると、衣冠束帯、梅の花を持った天神が現れて、
「こちふかばあー、においおこせようめのはなー」
……朗々と詠み上げ、
「こりゃ番頭。藤原方に利上げせよと申し伝えよ。ああ、また流されそうだ」

落語には、質屋は「伊勢屋」という屋号で質屋がよく登場しますが、事実「伊勢屋」と言う質屋が多かったそうです。
武士、鰹、大名小路に犬の糞、伊勢屋稲荷に犬の糞と江戸名物の一つに挙げられるくらいでした。

江戸時代は質屋は株売買による許可制でした。
大きく分けて本質・脇質があり、本質は規模の大きな、正規の質屋。
入質には本人のほかに請け人(連帯保証人)の判が必要でした。
脇質の方は今でいう消費者金融で、請け人がいらない代わりに
質流れの期限は一ヶ月。この噺のサゲにある「利下げ」とは、
期限が来たとき、利子を今までより多く払って、質流れを食い止めることです。

上方のオチは、番頭が「あ、流れる思うとる」と言ってサゲるやり方もあるそうです。
オリジナルのサゲはもちろん、菅原道真公が藤原時平の讒言によって大宰府へ流されてしまった事に掛けたものです。

この噺に出てくるのは、物に宿ると言う「付喪神ですね。
続きを読む
 
最新コメント
記事検索
月別アーカイブ