はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2012年04月

f0229926_22162732今日は「稽古屋」です。

今は絶滅したといっていい、音曲噺(おんぎょくばなし)の名残りをとどめた、貴重な噺です。
音曲噺とは、高座で実際に落語家が、義太夫、常磐津、端唄などを、下座の三味線付きで賑やかに演じながら
進めていく形式の噺で、昔は噺家出身の”音曲師”と呼ばれる方がこの噺とか「豊竹屋」等を演じていました。
三桝屋勝次郎師や三遊亭圓若等の師匠が有名だった様です。
本来は自分で三味線を持たず扇子を持って高座に登場し、下座の伴奏に合わせて歌ったそうです。
元が噺家なので噺の部分もきっちりとやっていたそうです。

少し間の抜けた男、隠居のところに、女にもてるうまい方法はないかと聞きに来ます。
「おまえさんのは、顔ってえよりガオだね。女ができる顔じゃねえ。鼻の穴が上向いてて、煙草の煙が上ェ出て行く」

そう云われ、顔でダメなら金。
「金なら、ありますよ」
「いくら持ってんの?」
「しゃべったら、おまえさん、あたしを絞め殺す」
「何を言ってんだよ」

お婆さんがいるから言いにくい、というから、わざわざ湯に出させ、猫まで追い出して、
「さあ、言ってごらん」
「三十銭」
どうしようもありません。

隠居、こうなれば、人にまねのできない隠し芸で勝負するよりないと、横丁の音曲の師匠に弟子入りするよう勧めます。
「だけどもね、そういうとこィ稽古に行くには、無手じゃ行かれない」
「薪ざっぽ持って」
「けんかするんじゃない。膝突ィ持ってくんだ」
膝突き、つまり入門料。
強引に隠居に二円借りて出かけてい来ます。

押しかけられた師匠、芸事の経験はあるかと聞けば、女郎買いと勘違いして「初会」と答えるし、
何をやりたいかと尋ねてもトンチンカンで要領を得ないので頭を抱えるが、とりあえず清元の「喜撰」を
ということになりました。
「世辞で丸めて浮気でこねて、小町桜のながめに飽かぬ……」と、最初のところをやらせてみると、まるっきり調子っ外れ。

これは初めてでは無理かもしれないと、短い「すりばち」という上方唄の本を貸し、持って帰って、高いところへ上がって三日ばかり、大きな声で練習するように、そうすれば声がふっ切れるから
と言い聞かせます。

「えー、海山を、越えてこの世に住みなれて、煙が立つる……ってとこは肝(高調子)になりますから、声をずーっと上げてくださいよ」と細かい指示を出されます。

男はその晩、高いところはないかとキョロキョロ探した挙げ句、大屋根のてっぺんによじ登って、早速声を張り上げます。
大声で
「煙が立つゥ、煙が立つーゥ」とがなっているので、近所の連中が驚いて
「おい辰っつあん、あんな高え屋根ェ上がって、煙が立つって言ってるぜ」
「しようがねえな。このごろは毎晩だね。おーい、火事はどこだー」
「煙が立つゥー」
「だから、火事はどこなんだよォー」
「海山越えて」
「そんなに遠いんじゃ、オレは(見に)行かねえ」

ここに登場するのは、義太夫、長唄、清元、常磐津と何でもござれの「五目の師匠」です。
「五目講釈」という噺もありますが、「五目」は上方ことばでゴミのことで、
転じて、色々なものがごちゃごちゃ、ショウウインドウのように並んでいる様をいう様です。
こういう師匠は、邦楽のデパートのようなもので、
よくある、蕎麦屋なのに天丼もカツ丼も出すという類の店と同じく、素人向きに広く浅く、何でも教え、
町内では重宝がられたそうです。
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ab5d1990-s昨日は今月3回目の浅草に行きました。
昼席に茶楽師がでていたので行きたかったのですが、色々と用事が重なり着いた時はもう夜の部が始まっていまして、しかも3人位は出ていました。
丁度、傳枝(でんし)さんが高座に上がった処でした。「胴切り」を軽くやって交代。
次は米福さんです。今回はどうかと思っていたら、「鰻屋」で大熱演でした。今日は◯

次がコント青年団と言う二人組で、私は初めてでしたが、中々良かったです。いわゆる”浅草”のコントをやっていましたね。逆に今は新鮮ですね。
右紋さんが漫談でしたが、子供の頃の駄菓子屋の思い出で、これは以前と同じネタでしたので、一種の新作なのでしょうね。
お次は歌春さんでした。「たっぷり!」「まってました!」の声が掛かりましたが、時間はたっぷりあるのに、
逃げの高座で、噺のマクラの様な事を繋ぎ合わせた様な漫談でした。
落語の定席なのにここまで小一時間古典が掛かっていないのです。
コント、漫談、漫談と続いきましたから、会場の雰囲気が何だか変な感じです。

それを感じたのか、俗曲の美由紀姉さんは「さくらさくら」と「夜桜」で粋な喉を聴かせてくれました。
すると会場の雰囲気が落語の雰囲気になりましたね。
続いて「さのさ」をやり、」最後に「深川」を踊って締めてくれました。
芸協はホント色物さんがいいなぁ〜

栄馬師が仲入りで「金明竹」でしたね。これは良かったです。
寄席風とも云うのか、さらっとしていて、笑いもさざなみの様に会場から沸き起こる感じで、大爆笑は無いものの、最後のサゲの時は大拍手でした。
私、結構栄馬師すきなんですよね。

食いつきは、遊雀師の代演で、小南治で故助六師がよくやっていた「癖百態」と言う仕草で笑わせる噺です。
正直、遊雀師が出ないのでテンションが下がっていたのですが、これは凄く良かったです。
私も久しぶりに見ました。
次の真理さんですが、今日は座布団を弾いて、着物姿で高座に座り、漫談をしました。
漫談で内容は楽屋の大師匠の事を云うネタで何回も聴いていますが、雰囲気が変わって新鮮でした。
いつもの、白いワンピース姿も良いですがこう云うのも良いですね。

そして平治師の登場です。演目は「代書屋」でしたが、以前見た時と出来がまるで違います。
前は権太楼師に教わった通りでしたが、今回は自分の噺にしていましたね。
新しいくすぐりや、代書屋さんの人物像が平治師らしくなっていました。
会場も大爆笑の連続で、また平治師はテンポよく噺を進めるので、笑いに笑いが重なって波の様な感じで笑いが会場に渦巻いていました。
これは、噺家が完全に噺を自分のものにしたと言う事ですね。

ここで帰宅しました。良い処で帰るとこの次と言う意欲が湧いてきます(^^)
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sha004modankankan今日は「灘 康次とモダンカンカン」さんを取り上げたいと思います。

写真の左から、 川田 恋  伴 丈治  灘 康次  小山 純  さんです。
音源で紹介があります。

経歴を・・・・
・灘 康次
昭和21年 上原げんと師入門
昭和22年 川田義男(晴久)師入門、32年までダイナブラザース
昭和33年 モダンカンカン結成、現在に至る

・小山 純 
昭和40年 ビクター音楽院ギター科卒業
昭和42年 ザ・ぴんぼけに入る
昭和48年 モダンカンカンに入る〜現在に至る

・伴 丈治 
昭和44年 渡辺プロダクション入り(芸能活動開始)
昭和52年 キングイーグルス(バンド)結成
平成19年 モダンカンカンに加入

・川田 恋
昭和52年 クラブ専属歌手(川崎)
昭和53年 モダンカンカンに入る〜現在に至る

グループとしては・・・・
昭和33年 モダンカンカン結成
昭和50年 「奪ってほしい」(テイチク)レコード歌手デビュー
       以後
       「三度笠」(RCAビクター)
       「新宿酒場」「別ればなし」(キング)
       「新宿仁義」(コロムビア)
       発売
昭和51年 フジサンケイグループ演芸大賞部門賞受賞
昭和62年 文化庁主催、芸術祭賞受賞「灘康次芸能生活41周年記念公演」

となっています。
私はよくTV等等で子供の頃から見ましたね。
以前はもっと多くのボーイズものがあったのに少なくなって残念ですね。
この分野は、1937年に浅草公園六区で吉本興業の「吉本ショウ」であきれたぼういずが行ったのが最初とされていますね。


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28今日は「転宅」です。

明治時代につくられた噺で、「明治の爆笑王」・鼻の円遊師が得意にしました。
また、同時代で音曲の弾き語りや声色などで人気のあった二代目今輔師は、女が目印にタライを置いておくと言い、オチは、「転宅(=洗濯)なさいましたか。道理でタライが出ています」と下げていました。
今でもオチを「転宅?いや洗濯の間違いだろ」と下げている噺家さんもいます。

舞台は大川端にもほど近い粋な町、浜町。間抜けな泥棒が、留守だと思いこみ忍び込んだのはお妾さんが暮らす一軒家。
食卓のお膳に酒、肴が残っているのを発見し、盗みそっちのけで飲み食いをしているところを家の主、お菊に発見され飛び上がる。
あわてて「金を出せ」と脅しに掛かった泥棒先生だが、お菊は鼻で笑い「わたしゃ、おまえさんの同業者だよ」と言い出す。
お菊の本業は泥棒だが、いまは金持ち旦那の妾の身の上。

しかし、旦那とは別れ話が持ち上がり、明日からはどうなるかわからないという。さらに「あたしのような女だけど、お前さんのような男と所帯が持ってみたいものだよ。
1年でいい、あんたのお神さんにしてくれないかねぇ」と泥棒先生を口説き出すお菊。

泥棒先生はすっかり鼻の下を伸ばし、懐中にあった八十円の金もお菊に預けてしまう。
「今日は用心棒が二階にいるから、明日また昼過ぎに来ておくれ。三味線の音をさせるから、それが合図だよ」というお菊の言葉に、泥棒は夢うつつで帰っていく。
さてその翌日。泥棒は昨日の家を訪れるが、待てど暮らせどシンとして三味線の音は聞こえず思わず近所の人に聞くと、
「いや、この家には大変な珍談がありまして、昨夜から笑いつづけなんです」
「何があったんですか」
「昨夜、泥棒がはいったんですよ」
「それで?」
「それが間抜けな泥棒で、お菊さんに上手く騙されて、明日また来てくれと言って追い返したんですよ」
その後、旦那をすぐに呼びにやったところ、あとで何か不都合があるといけないというので、
泥棒から巻き上げた金は警察に届け、明け方のうちに急に転宅(引っ越し)したとか。
「ええ!いったい、あのお菊というのは何者なんです?」
「なんでも、元は義太夫語りだとか」
「義太夫がたりだけに、うまくかたられた」

古くから大師匠方が演じてきました。そこでサゲも先ほどのと二通り今でもあります。

女義太夫は明治期に大変な人気がでたそうですが、それも一時だったそうです。
義太夫では食べられなくなり、したたかに生きてきたお菊さんなら、人の良い泥棒を騙すのは訳無かったのでしょうね(^^)
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dogus今日は「道具屋」です。

古くからある小咄を集めて、こしらえた噺です。
前座の噺とされていますが、円朝師の速記も残っているそうです。
本当に演じたのでしょうか?
もし本当なら、ぜひ聴いてみたかったところです。

噺の都合上、どこでも切れる構成になっており、また入れごとも簡単に入るので、
数々のサゲがあります。
珍しいのは、八代目正蔵師等がやった、家まで金を取りに行き、
格子に首をはさんで抜けなくなったので、「そちの首と、身どもの指で差っ引きだ」
と言うヤツでした。

神田三河町の大家・杢兵衛の甥の与太郎。
三十六にもなるが頭は少し鯉のぼりで、ろくに仕事もしないで年中ぶらぶらしています
心配した叔父さんは、自分の副業の屑物を売る道具屋をやっているので、
商売のコツを言い聞かせ、商売道具一切持たせて送りだします。

その品物がまたひどくて、おひなさまの首が抜けたのだの、
火事場で拾った真っ赤に錆びた鋸だの、「ヒョロビリの股引き」だので、ろくな物がありません。
まあ、元帳があるからそれを見て、倍にふっかけて後で値引きしても二、三銭のもうけは出るから、
それで好きなものでも食いなと言われたので、
与太郎早くも取らぬ狸のナントカ・・・

やってきたのが蔵前の質屋・伊勢屋の脇。
煉瓦塀の前に、日向ぼっこしている間に売れるという、昼店の天道干しの露天商が店を並べています。
見るなり、いきなり
「おい、道具屋」
「へい、何か差し上げますか?」
「おもしれえな。そこになる石をさしあげてみろい」
等と云うので、道具屋の親父さんは、驚きましたが、話にきいている杢兵衛さんの甥と判ると、
親切に商売のやり方を教えてくれます。
処が当の与太郎、脇のの天麩羅屋ばかり見ていて上の空です。

最初の客は大工の棟梁。
釘抜きを閻魔だの、ノコが甘いのと、符丁で言うので判りません。
火事場で拾った鋸と聞き、棟梁は怒って行ってしまいます。
「見ろ、小便されたじゃねえか」つまり、買わずに逃げられることだと教えます

次の客は隠居。
「唐詩選」の本を見れば表紙だけ、万年青(おもと)だと思ったらシルクハットの縁の取れたのと、
ろくな代物がないので渋い顔。
毛抜きを見つけて髭を抜きはじめ、
「ああ、さっぱりした。伸びた時分にまた来る」

その次は車屋。
股引きを見せろと言う。
「あなた、断っときますが、小便はだめですよ」
「だって、割れてるじゃねえか」
「割れてたってダメです」
これでまた失敗。

お次は田舎出の壮士風。
「おい、その短刀を見せんか」
刃を見ようとするが、錆びついているのか、なかなか抜けません。
与太郎も手伝って、両方から一生懸命。
「抜けないな」
「抜けません」
「どうしてだ」
「木刀です」

呆れて、鉄砲を手に取って「これはなんぼか?」
「一本です」
「鉄砲の代じゃ」
「樫です」
「金じゃ」
「鉄です」
「馬鹿だなきさま。値(ね)じゃ」
「音はズドーン」

この他にも、「お雛様の首が抜ける」や台の足がたらないを「後ろの塀ごと買ってください」等
愉快な顛末が笑えます。

五代目小さん師では、隠居が髭を剃りながら与太郎の身の上を「おやじの墓はどこだ」まで長々聞くのですが、
これを二回繰り返し、与太郎がそっくり覚えて先に言ってしまうというパターンもあります。続きを読む

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