らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2012年04月

怪談のようで怪談で無い噺

nuenokai(omote)今日は「二つ面」と言う噺です。
これは八代目正蔵師の作です。
最もこの噺には前段とも云うべき噺がありまして、「生きている小平次」と言う怪談噺ですが、この小平次と言うのが、「小幡小平次」と言う人物で、山東京伝の『復讐奇談安積沼』や鶴屋南北の『彩入御伽草』などの江戸時代の怪談話に登場する架空の歌舞伎役者と言う事です。
で、この噺にも登場します。
幽霊なのに誠に人間臭く出てきます。

初席の四日目の事、怪談噺を得意とする噺家の柳亭西柳が高座を済ませ、弟子の佐太郎と近頃の客について話ながら帰っていると、追いはぎが突然金を出せと声をかけます。

佐太郎は驚いて、今日の割を盗られてはなるまいと逃げていってしまいます。
残された西柳は、追いはぎも初仕事ということであふれては縁起が悪いので、何か差し上げたいと、羽織と財布の中の銭を渡そうとします。
ところが、追いはぎはギャーと言う声を上げて逃げてい来ました。

師匠という声がするので見ると、西柳が売り物にしている怪談噺の主人公小幡小平次の幽霊が現れます。
丁寧に挨拶をし、深川の寄席に師匠の噺を聞きに来たというのです。
松島町に部屋があるので来るように誘われ、肩につかまり目をつむると一瞬にして到着しました。

この家は恨みのあった多九郎の子孫のもので、恨みを遂げると、今度はその子孫の守り神になると言います。
寿司をご馳走になり話をし、その中で、怪談話で最近の客は笑うが、それは強がってのこと。
師匠の面の作りはいいが、一つだから客が笑う。後ろにも面があれば客はぎょっとする、二つ面にすれば笑わないと教わります。

幽霊と別れた後、二つ面については忘れていたのですが、秋口になって、風邪を引いたのが長引きます。
その間、弟子の佐太郎が寄席で怪談噺をやっています。
それを知った西柳は二代目柳亭左柳の名を継ぐように勧め、小平次の幽霊から教わった二つ面について伝授します。

その後、佐太郎は師匠の好物の寿司を買いに出かけます。
その時、再び小平次の幽霊が現れ、守り神として箔がつき、極楽へ行くことになり当分会えないので来たとい居ます。
そして、極楽に行った幽霊が娑婆に残した寿命が積もり積もって三百年あるので師匠にやると言って消えてしまいます。
その後、佐太郎が帰って来て、小平次の幽霊とのやり取りを話すと
「へえ〜、師匠結構で」
「何が結構なことがあるものか。怪談噺をやるよりか、ほか能のない人間で、おまけにひどい貧乏人が三百年も生きたら世間の人が笑うだろう」
「笑う?ああ、笑う人には二つ面をお見せなさい」

これは、正直、怖くありません。
むしろ面白いと形容したほうが良い噺です。実は私は好きな噺の一つです。
噺家の世界も垣間見れるので、楽しいですね。
「生きている小平次」では、多九郎が「小平次は生き返る」と語っているので、この噺に続くのでしょうね。
こちらの方はかなり怖いです。

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猫も化けるという噺

kitune_tadanobu今日は「猫忠」と言う噺です。
これは上方では「猫の忠信」といいます。東京では詰めて「猫忠」

古い上方落語で、大阪の笑福亭系の祖とされる、松富久亭松竹師の創作といわれてきましたが、
よく調べると、文政12(1829)年江戸板の初代林屋(家)正蔵著「たいこの林」中の「千本桜」とほとんど同じです。

この松竹と言う師匠ですが、今の映画や歌舞伎の松竹とは関係無いと思われます。
色々な噺をこさえており、「初天神」「松竹梅」「千両みかん」「たちぎれ」など、ほとんど現在でも、東西でよく演じられる噺ばかりです。

浄瑠璃に通っている次郎吉は、師匠のお静さんといい仲にならないかと妄想しています。
が、六さんの情報によるとお静さんには既に相手がいて、それは友達の常吉だとのこと。
今、稽古屋に寄って来て、ぼそぼそ話し声がするから、障子の破れ目から覗いてみたら、中で常吉とお静さんがベタベタしていたのだと言う半信半疑で次郎吉が稽古屋に行ってみると、本当にそれらしきものが見えます。

常吉の嫁さんのところに行ってその話をしてみると、常吉は今奥で寝ているという。
いや、確かに稽古屋で見たともめているうちに、常吉が目を覚まして起きてきました。

それで常吉ではないとわかったのですが、あまりにも似ているのでちょっと一緒に見に来てくれと、次郎吉が常吉の女房を連れて稽古屋に行きます。

稽古屋に着いて、また破れ目から中を覗くと、女房でさえ常吉と思うほどのそっくりの男が師匠と口移しで飲んだり食べたりしています。
そこに常吉もやってきて、こんなに似ているのは狐狸妖怪ではないかと取りおさえます。
取り押さえた男を問いただすと、ネコが化けていたという。自分の両親の皮を使った三味線がこの家にあることを知り、常吉の姿を借りてこの家に忍びこんできたのだとか。

すると、次郎吉が「これで今度お披露目する浄瑠璃の成功は間違いなしだ。
次の出し物の「義経千本桜」の義経が常吉、次郎が次郎吉、六郎が六兵衛、狐の忠信が猫のただ飲む、静御前が師匠のお静さん」と言います
師匠は「私みたいなお多福に、静御前が似合うものかね」するとネコが「にあう〜」

芝居噺の名手だった、六代目文治師が明治中期に上方の型を東京に移植しました。
初めは「猫の忠信」の題で演じられましたが、東京ではのちに縮まって「猫忠」とされ、
それが現代では定着しました。
東京では六代目圓生師が有名ですね。

この噺は歌舞伎・浄瑠璃の『義経千本桜四段目』のパロディなので、それがわかんないと聴いていても
面白さは半減ですね。
『義経千本桜四段目』と言うのは超簡単に云うと、
源義経が、妻・静御前に預けた初音の鼓が、宮廷の重宝で、雨乞いの時千年の却を経た雌雄の狐の皮で作られ、
その鼓の皮の子が、佐藤忠信に化けた狐であった。と言う芝居です。わかるかな〜w


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ああ!「すさまじき貧乏」のオンパレード

29489174今日は志ん生師の言い立てで有名な「黄金餅」です。

数ある落語の中でもお金の欲望に掛ける事では屈指の噺です。ダークさでは一番かもしれません。
それを志ん生師が四代目橘家円蔵師の噺を、言い立ての道中等を入れて爆笑落語に仕立てました。
演者としては、最近は誰でもやりますが、志ん生、志ん朝親子の他は談志師が言い立てを一旦言った後に現代の道順に替えてもう一度言い直した高座がひかります。
小朝師も志ん朝師が亡くなった後に国立劇場で演じてみせましたが、志ん生師の域を出ませんでした。
今でも志ん生師を越える高座は出て居ないと思います。

下谷の山崎町の裏長屋に、薬を買うのも嫌だというケチの”西念”という乞食坊主が住んで居ました。
隣に住む金山寺味噌を売る”金兵衛”が、身体を壊して寝ている西念を見舞い、食べたいという餡ころ餅を買ってやりますが、家に帰れと言います。
隣に帰って壁から覗くと、西念があんこを出して、そこに貯めた2分金や1分金を詰め込んで、一つずつ全部、丸飲みしてしまいます。
 その後、急に苦しみだしてそのまま死んでしまいました。
金兵衛は飲み込んだ金を取り出したく工夫をするが出来ず。焼き場で骨揚げ時に、金を取り出してしまおうと考えます。
 長屋一同で、漬け物ダルに納め、貧乏仲間なもので夜の内に、葬列を出して、下谷の山崎町を出まして、
あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違(すじかい)御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。みんな疲れたが、私(志ん生)もくたびれた。

何とか麻布絶口釜無村の木蓮寺へ着きます。
貧乏木蓮寺で、葬儀の値段を値切り、焼き場の切手と、中途半端なお経を上げて貰い、仲間には新橋に夜通しやっている所があるから、そこで飲って、自分で金を払って帰ってくれ言い返して仕舞います。

 桐ヶ谷の焼き場に一人で担いで持って来て、朝一番で焼いて、腹は生焼けにしてくれと脅かしながら頼み、新橋で朝まで時間を潰してから、桐ヶ谷まで戻り、遺言だから俺一人で骨揚げするからと言い、持ってきたアジ切り包丁で、切り開き金だけを奪い取って、骨はそのまま、焼き場の金も払わず出て行ってしまいます。

 その金で、目黒に餅屋を開いてたいそう繁盛したという。江戸の名物「黄金餅」の由来でございます。

円朝師の演じた速記が残っていますが、長屋は芝金杉あたりです。
当時は、芝新網町、下谷山崎町、四谷鮫ヶ橋が、江戸の三大貧民窟だったそうです。

この噺は、幕末を想定しているそうですが、金兵衛や西念の住む長屋がどれほどすさまじく貧乏であるかを感じさせてくれますね。

道中付けと並んで楽しいのが、木蓮寺の和尚のいい加減なお経です。
「金魚金魚、みィ金魚はァなの金魚いい金魚中の金魚セコ金魚あァとの金魚出目金魚。
虎が泣く虎が泣く、虎が泣いては大変だ……犬の子がァ、チーン。」
「なんじ元来ヒョットコのごとし君と別れて松原行けば松の露やら涙やら。
アジャラカナトセノキュウライス、テケレッツノパ」
と言う実にいい加減で楽しいお経です。

下谷山崎町とは、いまの上野駅と鶯谷駅の間あたりで、明治になって「万年町」と名前が変わったそうですが、
凄まじい貧乏な町だったそうです。
一方の麻布も江戸の外れで当時の人は行きたがない所だったとか、
絶口釜無村とは架空の地名ですがこれも貧乏を強調していますね。
これでもかと貧乏を強調することで、逆に貧乏を笑い飛ばしてしまうと言う趣向ですね。
さすが志ん生師の噺だと感じます。続きを読む

勘違いが間違いを呼ぶ

php今日は「ふたなり」と言う噺です。
上方落語「書置き違い」を東京に移植したものですが、古い速記もなく、よく分かっていません。
東京では「亀右衛門」の題も使われた云う事で、志ん生師が高座に掛けています。
音源・速記とも志ん生のもののみです。
その志ん生師もめったに高座に掛けなかった様です。
上方では米朝師が演じました。

土地の親分で、面倒見がよいので有名な亀右衛門のところに、猟師が二人泣きついて来ます。
五両の借金が返せないので、夜逃げをしなければならないと言います。
何でも呑み込む(頼みを引き受ける)ため、鰐鮫(わにざめ)と異名を取っている手前、
なんとかしてやると請け負ったものの、亀右衛門にも金はありません。

そこで、妖怪が出ると噂の高い天神の森を通って、小松原のおかんこ婆という高利貸しのところへ
借金に行くことになりました。
森に差しかかると、ふいに若い女に声をかけられます。

どうせ狐か狸だろうと思ったが、これがなかなかいい女なので、話を聞いてみると
「若気の至りで男と道ならないことをした、連れて逃げてもらおうと思ったが、
薄情にも男は行方をくらましてしまい、この上は死ぬより他はないから、書き置きを親許に届けてほしい」
との願い。
「もし聞き届けてくださるのなら、死ぬ身にお金は必要なし、持ち出した十両があるので、それを差し上げます」

こんなおいしい話はないので、亀右衛門はたちまち飛びつきます。
「もう一つお願いがございます」
「何だい」
「あんまり急いだので、死ぬ用意が有りません、ここは飛び込む川もなし、どうしたら死ねるか、教えてください」

そこで、目についたのが目の前の松の木。
亀右衛門、首くくりの実技指導をしているうちに、熱が入りすぎて、縄から思わず手を放したのが運の尽き。
自分がぶら下がってしまい、あえない最期。
それを見た娘は、
「あァらいやだわ、この人。あたし、なんだか死ぬのが嫌になっちゃった。死人にお金は必要ないから、今この人に渡した十両、また返してもらおう」
ひどい奴があるもので、風を食らって逃げてしまいました。

翌朝、親分の帰りが遅いのを心配した例の猟師二人が捜しに来て、哀れにもぶらぶら揺れている亀右衛門の死骸を発見して大騒ぎになります。
さっそく、役人のお取調べとなる。
「ここに書き置きがあるな。覚悟の自殺と見える。どれどれ『ご両親さまに、先立つ不幸、かえりみず、
かの人と深く言い交わし、ひと夜、ふた夜、三夜となり、ついにお腹に子を宿し…』。
なんじゃ、これは・・・・これこれ、その方どもこの者は男子か女子か、いずれじゃ」
「へえ、猟師(両子)でございます」

金に目が眩んで・・・なんて、なんだか最近の人にも通じる噺ですね。
いつの世も変わらないと言う事ですね。
それにしても亀右衛門さんは死に損ですね。

「ふたなり」って云うのはご存知無い方は居ないと思いますが、両性具有者のことですね。
つまり男女両方の性器を兼ね備えた人のことで、、半陰陽とも言います。続きを読む

「東京かわら版」5月号より

img081今日は、昨日届いた「東京かわら版」5月号より話題を拾ってみたいと思います。

5月号は芸協の真打昇進披露の特集ですね。
真打になるのは、昔昔亭健太郎改め三代目春風亭愛橋(40)、柳太改め春風亭柳城(38)、昔昔亭笑海改め十一代目柳亭芝楽(39)、瀧川鯉橋(41)、笑福亭里光(38)の5人です。

対談も5人が思い出を語っています。この5人は私もそれぞれ、何回か寄席で見ています。
個人的にですが、正直、芝楽さん以外はどうも個性が無いんですね。
一之輔さんと比べるのも可哀想なくらい・・・歌丸会長は「落協は落協、うちはうち」と語っていましたね。
そりゃそうですけどね。
ここがスタートラインだそうですから、これから精進して頑張って欲しいです。
でも、里光さんは可哀想な面もありますね。東京で上方落語を習うのは簡単じゃありませんからね。

「落語と私」はオリエンタルラジオの藤森慎吾さん。「落語家Xの快楽」で三三さんから「幇間腹」を習い演じたすですが、すっかり落語にハマってしまったそうです。末広亭では時間の経っのもわすれて見てしまったそうです。

堀井ちゃんのコーナーもこの新真打ちの事ですね。
演目のデーターの紹介ですね。

地域寄席の紹介は、「長崎寄席」で長崎と言っても豊島区長崎です。
この寄席は結構有名ですね。私も名前は聴いた事あります。
今年で30周年だそうです。凄いですね。続けるのは立派です。

本日のお題は「道灌」です。道灌公が雨具を借りに寄ったのは、諸説あるそうですが、
一番有名なのが、越生(おごせ)だそうです。
その場所は、現在は歴史公園になっているそうです。

当代小さん師がCD発売でインタビュー受けてますが、興味無いので飛ばします。

寺脇研さんの「演芸の時間」はビッグコミックオリジナルに連載中の「どうらく息子」についてです。
これ、私もたまに読みます。医者行った時の処方箋薬局に置いてあるので、その時に読んでますw

若手の紹介は、三遊亭歌太郎さんで、歌武蔵さんのお弟子さんです。

ニュースのコーナーは
雷門小福師がお亡くなりになった事や立川流が家元制を廃止して理事の合議制に移った事ですね。
これは、要するに上納金を廃止したと言う事ですね。
そりゃ、そうですよね、上納する人が亡くなってしまったのですからね。
この上納金だけはうなずけなかったですね。

最後のページの、読売の長井さんの「今月のお言葉」は小里ん師です。
ここの処、柳家の王道をまっしぐらで俄然良くなってきていると言う事です。

今月はこんな処で・・・メインの記事にあまり興味が湧かなかったもので・・・



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何の稽古に通っているの?

f0229926_22162732今日は「稽古屋」です。

今は絶滅したといっていい、音曲噺(おんぎょくばなし)の名残りをとどめた、貴重な噺です。
音曲噺とは、高座で実際に落語家が、義太夫、常磐津、端唄などを、下座の三味線付きで賑やかに演じながら
進めていく形式の噺で、昔は噺家出身の”音曲師”と呼ばれる方がこの噺とか「豊竹屋」等を演じていました。
三桝屋勝次郎師や三遊亭圓若等の師匠が有名だった様です。
本来は自分で三味線を持たず扇子を持って高座に登場し、下座の伴奏に合わせて歌ったそうです。
元が噺家なので噺の部分もきっちりとやっていたそうです。

少し間の抜けた男、隠居のところに、女にもてるうまい方法はないかと聞きに来ます。
「おまえさんのは、顔ってえよりガオだね。女ができる顔じゃねえ。鼻の穴が上向いてて、煙草の煙が上ェ出て行く」

そう云われ、顔でダメなら金。
「金なら、ありますよ」
「いくら持ってんの?」
「しゃべったら、おまえさん、あたしを絞め殺す」
「何を言ってんだよ」

お婆さんがいるから言いにくい、というから、わざわざ湯に出させ、猫まで追い出して、
「さあ、言ってごらん」
「三十銭」
どうしようもありません。

隠居、こうなれば、人にまねのできない隠し芸で勝負するよりないと、横丁の音曲の師匠に弟子入りするよう勧めます。
「だけどもね、そういうとこィ稽古に行くには、無手じゃ行かれない」
「薪ざっぽ持って」
「けんかするんじゃない。膝突ィ持ってくんだ」
膝突き、つまり入門料。
強引に隠居に二円借りて出かけてい来ます。

押しかけられた師匠、芸事の経験はあるかと聞けば、女郎買いと勘違いして「初会」と答えるし、
何をやりたいかと尋ねてもトンチンカンで要領を得ないので頭を抱えるが、とりあえず清元の「喜撰」を
ということになりました。
「世辞で丸めて浮気でこねて、小町桜のながめに飽かぬ……」と、最初のところをやらせてみると、まるっきり調子っ外れ。

これは初めてでは無理かもしれないと、短い「すりばち」という上方唄の本を貸し、持って帰って、高いところへ上がって三日ばかり、大きな声で練習するように、そうすれば声がふっ切れるから
と言い聞かせます。

「えー、海山を、越えてこの世に住みなれて、煙が立つる……ってとこは肝(高調子)になりますから、声をずーっと上げてくださいよ」と細かい指示を出されます。

男はその晩、高いところはないかとキョロキョロ探した挙げ句、大屋根のてっぺんによじ登って、早速声を張り上げます。
大声で
「煙が立つゥ、煙が立つーゥ」とがなっているので、近所の連中が驚いて
「おい辰っつあん、あんな高え屋根ェ上がって、煙が立つって言ってるぜ」
「しようがねえな。このごろは毎晩だね。おーい、火事はどこだー」
「煙が立つゥー」
「だから、火事はどこなんだよォー」
「海山越えて」
「そんなに遠いんじゃ、オレは(見に)行かねえ」

ここに登場するのは、義太夫、長唄、清元、常磐津と何でもござれの「五目の師匠」です。
「五目講釈」という噺もありますが、「五目」は上方ことばでゴミのことで、
転じて、色々なものがごちゃごちゃ、ショウウインドウのように並んでいる様をいう様です。
こういう師匠は、邦楽のデパートのようなもので、
よくある、蕎麦屋なのに天丼もカツ丼も出すという類の店と同じく、素人向きに広く浅く、何でも教え、
町内では重宝がられたそうです。
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