らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2012年02月

来年3月ってもうすぐだよ!

ikuyomochi001-1今日は「幾代餅」です。
以前に「紺屋高尾」をやりましたが、今回は古今亭版です。

江戸は馬喰町三丁目、搗米屋に奉公する清蔵が、急に体調が悪くなり部屋から出てこない。
お医者様のお見立てによると「体は悪くないが、胸につかえたものがあり、それが原因」とのこと。
店のおかみさんが清蔵に話を聴くと、胸のつかえはなんと恋患い!それも吉原で全盛の花魁、幾代太夫の錦絵に一目惚れしてしまったという。
どうしても幾代太夫に逢いたいという清蔵に、親方は「花魁はしょせん売り物買い物。
一生懸命金を貯めれば、逢えないことはない。まず一年間は必死で働いてみろ」と言う。

そして一年後。清蔵は働きに働いて十三両二分という金が出来た。親方はなかば呆れながらも清蔵を応援し、吉原通の藪医者、藪井竹庵先生に案内を頼む。
竹庵は「搗米屋の職人と名乗っては花魁が逢ってもくれない。野田の醤油問屋の若旦那という触れ込みにするから、万事鷹揚に振る舞うように」とアドバイス。遊廓では幾代太夫が清蔵をねんごろにもてなしてくれた。

その翌朝「今度はいつ来てくんなますか」という幾代に、清蔵は「来られるのは一年後。
醤油問屋の若旦那というのは嘘で、じつは搗米屋の職人です」とすべてを打ち明ける。
それをじっと聴いていた幾代太夫は、来年の三月に年が明けるから女房にしてくれと、五十両の支度金を清蔵に渡す。
夢見心地で時が過ぎると、立派な駕籠に乗って本当に幾代が嫁いで来た。
 夫婦で餅屋を開くと、美人の幾代餅として評判になり、三人の子宝にも恵まれ、維新の世まで幸せに暮らしたと云う・・・・両国名物「幾世餅」由来の一席でございます。

搗米屋の職人で清蔵と、最高位の花魁、幾代太夫のなれそめの一席。
江戸時代、吉原の大店の太夫は大変な美貌と教養を兼ね備え、遊ぶには大金が必要だったそうです。
なかには高尾太夫の様に大名家に身請けをされた花魁もいます。
これは「仙台高尾」として金馬師がやってます。

清蔵の用意した金、十三両二分は、現在の価値で九十万円以上に相当し、それだけ高い買い物だったのですね。
ひるがえって、職人には高い収入も財産もない。この二人の立場の違いを理解していないと、この噺の理解は出来ないですね。

元は浪曲の演目ですので、落語では志ん生師が落語化したこの噺と、圓生師が直した「紺屋高尾」とがあります。両者の違いは職業と、お金を貯める年月が違いますね。
「紺屋高尾」はこちら・・・http://blog.livedoor.jp/isogaihajime/search?q=%BA%B0%B2%B0%B9%E2%C8%F8

この噺は正直、志ん生師です。馬生師も志ん朝師も演じています。
それぞれ趣向凝らして、父親の志ん生師とかぶらない様に演じています。
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一八はあの金をあきらめたか

6042ca1b今日は愛宕山です。

この噺は上方落語がルーツです。東京では文楽師の十八番でした。
3代目圓馬師が東京風に脚色したのを圓馬師から文楽師に伝わったものです。
晩年は医師から止められていたにもかかわらず、高座に掛けて、その後楽屋で暫く横になっていたそうです。
それだけ、最後の処で力が入ったのですね。
今では志ん朝師がやり、その後かなりの噺家さんがやります。
志ん朝師のも良かったですね、文楽師が省略した下りも入れて、一八と旦那の絡みも見事でした。

あらすじは上方と東京では若干違いますので、東京でやります。

京都見物に来た旦那、あらかた見てしまったので、明日は愛宕山に行こうと思いつきます。
連れの幇間の一八に言うのですが、「朝飯前」と言う返事。
翌日、一同連れ立って愛宕山へとやって来ます。

調子のいいことを言う一八を見て、旦那は繁造を一八にぴったり着かせる。「どんなことがあっても上までひっぱりあげろ。連れてこないと暇を出すよ」と脅して、いざ出発。
大きい口を叩いていた一八は、最終的には繁造に押してもらって、やっとのことで途中の休憩所まで辿りつきます。

茶屋で休んでいるときに一八が土器投げ(かわらけなげ)の的を見つけます。
向こうに輪がぶらさがっていて、そこにお皿を投げて上手く輪をくぐらせるという遊び。
旦那がやってみせると、負けん気の強い一八、また「朝飯前」だと嘯く。が、もちろんやってみるとうまくいかない。

そこで旦那が趣向を凝らし、取り出したのが小判三十枚。
煎餅を放る人がいるんだから、それより重量のある小判ならうまく放れて面白いだろうと。
そんなもったいないことを、と止める一八を無視して旦那は投げ続けます。
小判が惜しい一八は自分を的にしろと叫ぶが、旦那は三十枚全てを投げきってしまう。

さて、投げてしまった小判はどうするか。旦那は「あんなものは惜しくない。取りたきゃ取れ」と言う。
そう言われては取りに行くしかないが、そこは崖っぷち、狼もうろうろしているというし、そう簡単に降りてはいけません。
そこで、傘を落下傘代わりにして飛び降りるというもの。皆が見つめる中、なかなか飛び降りられない一八を見て、旦那が繁造に「後ろから突け」と命じ、一八は無理矢理下へ落とされるます。

さて、崖を降りた一八、目の色を変えて小判を集めはじめます。全ての小判を拾い終えた一八に
 旦那「皆貴様にやるぞ」
 一八「ありがとうございます」
 旦那「どうやって上がる」
困った一八に、旦那は「先に行くぞ」と薄情な言葉を残します。

さて弱った一八、突然服を脱ぎ、脱いだ服を裂き始める。どうしたどうしたと旦那達が見守る中、裂いた布で縄をよって、竹をしならせ、その反動でどうにかこうにか崖上へ無事上ることができました。

上にたどりついた一八に、
 旦那「偉いやつだね、貴様は生涯屓にするぞ」
 一八「ありがとうございます」
 旦那「金はどうした」
 一八「あ、忘れてきました」

東京では下男の繁造が登場しますが、上方ではふたりとも大阪を食い詰めて京都にやって来た幇間と言う設定です。
そこで、この二人によって、京都の悪口が始まります。
この辺は東京人にはその対抗意識と言うのが正直分かりません。(^^)

また、上方版では小判は20両で、それも一気に投げて仕舞います。
それと、一八が登る時に口ずさむ歌が違います。
東京は、『コチャエ節』で、上方は、『梅にも春』です。

それに、この噺の嘘は、京都の「愛宕山」ではかわらけ投げは行われていないと言う事です。
同じ山系に属する高雄山の神護寺で行われているそうです。
江戸でも王子の飛鳥山、谷中の道灌山で盛んに行われました。
志ん朝師はこの噺を演じる前に、香川県高松市の屋島で実際にかわらけ投げをおこなっています。
愛宕山にも一門で登っています。

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お爺さんは山へ芝刈りにじゃなく何処へ行ったのか?

E4B8A1E59BBDE59B9EE59091E999A2E5A283E58685E585A8E59BB3今日は小品ながら鋭いオチを持つ「開帳」です。別名「開帳の雪隠」とも言います。

原話は明和9年(1772)刊の笑話本「鹿の子餅」中の「貸雪隠」。
この形では、舞台は上野の不忍弁天となっています。

両国の回向院の前で茶店を営んでいる老夫婦。
回向院で開帳や催し物があると、肝心の商売より憚り(はばかり)を貸して欲しいと言う事ばかり。
これじゃ商売にならないと、何か良い方法はないかと考えました。

「そうだ、憚りを使う人から幾らかずつ貰おう。憚りを貸してお代を貰えば良い」
とお爺さんは考えます。
早速、実行してみると、次から次へ利用者が引きも切りません。
「これは、いい商売だ」と思いましたが、少し立つと、向かいの店にも有料の憚りが出来ました。
その上、向うのが綺麗で新しいとあって、お客が皆そちらに流れて仕舞います。

これではならじと、お爺さん何か名案は無いかと考えます。
「明日。俺は、商売が上手くいく様に、願掛けしてくるよ」
とお婆さんに言います。
お婆さんは、どうせ暇だからと、弁当をもたせ、送り出します。

お爺さんが出かけてから、一人、また一人とお客がやって来ます。
「珍しい事もあるもんだ」と思っていると、次から次へやって来ます。
「あら、あらどうしたんだろうね。お爺さんの願掛けが通じたのかしら?」
そのうち、余裕も無くなり、
「お爺さん、早く帰って来ないかしら」と思います。
やっと日がくれてから、帰って来ました。
「お爺さん何処まで行ったんだい。それにしてもずいぶんご利益があるんだね。何処まで行ったんだい?」
「何処へも行きやしないよ」
「じゃあ、弁当もってどこへ・・」
「向かいの店の憚りで一日中しゃがんでいたのさ」

開帳とは、開扉(かいひ)ともいい、各地の名刹が、厨子(ずし)を開いて秘仏を公開するイベントです。
平安末期から、広く行われました。
他所へ出張して行うのを出開帳(でがいちょう)と呼び、
今のデパートの特別展に似ています。
江戸時代、成田山の新勝寺が良く出開帳をしていました。
それが深川の永代寺です。
又、成田山が多くの信仰を集めた一因が、芝居の市川團十郎が厚く信仰した事もあります。
信仰によって男子を授かったと言う事がさらに名声を得る事になりました。

回向院も信州の善光寺の出開帳を始め、各地の名刹もここで行いました。
今からおよそ350年前の明暦3年(1657)に開かれた浄土宗の寺院です。
江戸市中に「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。
この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。
当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の始まりです。




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坊さんも遊ぶのか・・・そう云う噺じゃ無いんだけど・・・

img_1387047_45376625_2今日は「坊主の遊び」です

「坊主の遊び」と言っても、お寺のお坊さんが山を降りて、廓に遊びに行く噺じゃありません。
まして、そこらへんの坊主のガキ大将のメンコやベーゴマ遊びの噺でもありません。
どういう噺かと言うと・・・・

坊主頭の隠居が吉原に遊びに出かけるが、自分一人で郭に行く勇気も無いので、酒癖の悪い職人を連れて出かける。
職人は悪酔いをして酒席の雰囲気は悪くなってくる。すっかりしらけムードになって仕方が無いので「お引け」ということに。

ところが、待てど暮らせど部屋には花魁がいっこうに来ない。
女郎がなかなか部屋にやってこないので面白くない。
夜が更けて、やっと女郎がやってきたと思ったら「わたしゃ寝にきたんだよ。体に触らないでおくれ」などと言って布団にもぐりこむ。
おまけに「わたしゃ坊主は嫌いだよ」と言うのであたまに来た隠居、懐にあった剃刀で、寝込んだ女郎にいたずらをする。
女郎の頭をきれいさっぱり剃り落としてしまったのだ。ふと我に返った隠居はことが発覚する前に、女郎屋をあとにする。
翌朝、店の者に声をかけられて目を覚ました女郎は、やっと目がさめて、寝ぼけて自分の頭に手をやり、
「あらやだ、坊さんまだいるじゃないの……」

今在は三遊亭圓歌師が高座に掛けています。
上方落語では「坊主茶屋」と言う題で掛けられていて、オチが違っています。

朝起きると、頭が寒いので頭に髪が無いのに気がつきます。女中さんがやってきて、
客を怒らせたのではないかと思うのですが、女郎さんの顔を見るとね。
鼻が落ちています。どこぞに転がっているのではと探しても見当たらない。
医者に行って取れないようにしてもらいなさいと言いますと、お女郎さん。
医者に行ってるけどさじを投げられていると言う。
「医者がさじを投げたら、後は坊主に決まっている。」とオチます。

噺の設定で、かなりの安い店の設定なので、多分瘡をかいてると思われます。
凄まじい描写もありますね。
東京はそこらへんは変えていますね。
写実で現実的な上方とあくまで粋を重んじる江戸と言う訳でしょうか。

江戸時代、齢をとった男性は髷を落として坊主頭にすることがあったそうです。
この噺に登場する隠居もそのうちの一人で、だから頭を剃るための剃刀が日常必需品であったということですね。
この辺を仕込んでおかないと辛いかな・・・・・





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東京かわら版3月号を読んで

img072今日は、昨日届いた「東京かわら版」3月号から書いてみたいと思います。

表紙は御覧の通り、一之輔さんです。左下の紙切りは正楽師で「初天神」ですね。

落語と私は、アナウンサーの山中秀樹さんです。談志師の完全なファンですね。落語は大学から聞き始めたそうです。
談志師とトークショーをやったのが良い思い出と宝物だそうです。
今の若いアナにも落語を聴いて欲しいと言う事です。

インタビューは一之輔さんです。
単独真打昇進は正直気が思いそうですが、楽しく思う事にしているとか。
抜いた先輩に対しては「有難うございます。すいません、よろしくどうぞ」と言う気持ちだそうです。
昨年の高座が616席で年間100席ずつ増えているそうです。
この記録は権太楼師が二つ目時代にたしか800席を越える数があり記録ですので、
「もう増えないかな?」と言ってますが、未だ上がいますね。(^^)
噺では割合高座でも客観的に自分を見ているのだそうで、のめり込みはしないのだそうです。
これは以外で、登場人物になりきる型だと思っていました。

「演芸の時間」のコラムでは渡辺寧久氏が、芸協と圓楽一門会、立川流の合同の提案をお席亭から受けた事の現在の様子を書いています。
それによると、会員から意見を再び聞きはじめたそうです。
新たな発展に継れば良いのですが・・・

若手の紹介は、古今亭志ん吉さん。志ん橋師のお弟子さんです。テアトルエコーの研修生出だそうです。

堀井ちゃんのコーナーは上方落語の歴史についてです。
なかなか学術的です。データー満載!

「本日のお題」は「天野屋利兵衛」ですね。
講談や浪曲では良く登場しますが、落語だと、バレ噺ですね。
最後のオチが「大石殿、天野屋利兵衛は男でござる!」と言う例のアレですね。(^^)

ニュースは、上方の桂こごろうさんが、南天を襲名して、二代目桂南天となるそうです。
芸術祭は古今亭菊丸師が受賞しましてその模様が載ってます。
菊丸師はかなりの実力派で良い高座を見せてくれます。好きな噺家さんの一人です、

寄席番組では、鈴本の下席からいよいよ一之輔さんの真打披露興行が始まりますね。
私もどっかで行こうと思っています。

最後のページの「今月のお言葉」は
柳家花ん謝さんで、喬太郎師に「柳家の教えって?」と問われ、
「ん〜、まあ、残さずに食う事かな」と言ったとかwww


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あんころとアルコール

1-C-KSH264今日は本来は上方落語ですが、最近は東京でも定着した噺「不動坊火焔」です。
単に「不動坊」とも言います。2代目林家菊丸師の作とされています。三代目柳家小さん師が東京に移植しました。

長屋に住む講釈師、不動坊火焔が旅先で急死し、未亡人のお滝に再婚話が持ち上がる。
同じ長屋に住む吉が、不動坊の残した借金を肩代わりするという条件で、お滝をもらうことになった。
もともとお滝に思いを寄せていた吉は、降ってわいた話に夢見心地。銭湯で新婚生活の稽古をしているところを町内の連中に目撃されてしまう。
じつは町内の男どもは、みなひそかにお滝に惚れていたのだ。悔しくて成らない鉄、萬、徳の三人組はお滝の祝言を破談にさせようと計画を思案。売れない噺家を雇い、不動坊火焔の幽霊が恨み言を言いにくる筋立てを考える。

そして、真夜中に四人連れで吉公の家にやってくる。
屋根に登って、天井の引き窓から幽霊をつり下ろす算段だが、
万さんが、人魂用のアルコールを
餡コロ餠と間違えて買ってきたりの騒動の後、噺家が
「四十九日も過ぎないのに、嫁入りとはうらめしい」
と脅すと、吉公少しも動ぜず、
「オレはてめえの借金を肩代わりしてやったんだ」
と逆ねじを食わせたから、幽霊は「墓なんか要らないから、10円もくれれば良い」と交渉。
結局、計画はおジャン。

怒った三人が屋根の上から揺さぶったので、幽霊は手足をバタバタ。
「おい、十円もらったのに、まだ浮かばれねえのか?」
「いえ、宙にぶら下がってます」

本来のサゲは、「幽霊(遊芸)稼ぎ人です」と言いました。
上方ではこのサゲで演じています。
これは、明治時代、落語家が「遊芸稼ぎ人」という鑑札を受けていたことがあり、
これを持っていないと商売が出来なかったからです。

上方では米朝一門、東京では小さん一門の噺ですね。
上方では、ほとんどはマクラで「遊芸稼ぎ人」の説明を仕込んだ上でオリジナルの通りにサゲています

とにかく聴いていて楽しい噺ですが、湯屋での独り言のシーンで笑いを取らねばならず、
演じるには難しい噺なうえに、最後の幽霊のシーンっでは中腰で演じなければならないので、
あまり高齢だと出来ないとも云われています。

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